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2003/12/10

バージョンアップは大ごとだぞ

 遂に来た。アドビのPhotoshop・Illustrator・InDesign・GoLive・Acrobat Pro・その他の、纏めてバージョンアップ。クリエイティブスーツ、略称CSってやつだ。ソフトを入れ直すごとに、一つひとつ面倒くさいユーザコードを打ち込んでいた今までの混乱状態は酷いものだった。インストール中にユーザコードを入れるもの、インストール後に最初に立ち上げた時に入れるもの。前のバージョンを探しに行くもの、それはせずに前のバージョンのユーザコードを要求するもの。一つ一つやり方が違う上に、Acrobatに至っては、ユーザ名や組織名を日本語にしておくと立ち上がらなくなるという致命的なバグを含んでいた。しかも、それは一旦アンインストールして、入れ直さないとなおらないという最悪の作りだった。さらに、他のアドビソフトと同じファイルを使ってパーソナイズしている為、Acrobat一つを入れ直す為に、結局全アドビ製品の入れ直しが必要になった。
 この混乱を是正する為に、今後、スーツに含まれるソフトは一つのユーザコードで一元管理できるようになるらしい。これは歓迎だ。
 しかし、AcrobatProを除くほぼ全てのアプリを持っていた神北にしてみると、このバージョンアップ、ちょっと困った物だ。このバージョンアップコースは、Photoshopユーザに対してのみ与えられるものだと云う。つまり、今回のバージョンアップは「Photoshopのバージョンアップ」しかない。逆に云うとPhotoshopをバージョンアッブする事と一緒に自動的にIllustrator・InDesign・GoLive・Acrobat Proを新たに安価に買わせる作戦なのだ。今まで持っていたIllustrator等は捨てて来いと云われているようなものだ。
 救いは、それぞれをバラバラにバージョンアップするのと、まあまあの等価程度(若干高めだが、付いて来るファイル管理ソフトの価値が宣伝文句通りに高かったと勘案した場合、なんとか……)に納まっているらしいことと、バージョンアッフ対象になっていないPhotoshop意外のソフトのユーザコードが残るという事だ。この機会に安価にもう一本、IllustratorやInDesignを買えるという考え方がないでも無い。
 しかし、企業とかなら本数を増やしておいて困りはすまいが、我々個人ユーザはちょっと状況が異なる。たしかに、デスクトップとノート等、何本も持っている事によって便利に使うことは、個人ユーザにも恩恵かもしけない。だが出来れば、Illustratorのユーザコードを持っている人がマイナス1万、InDesignのユーザコードを持っている人はマイナス1万……と、ユーザコードを統合する事によって値引額が上がってくれた方が、将来何本も持てるよりもずっと嬉しい。
 なんといっても、正規価格19万8千円、バージョンアップ価格でも12万8千円もするのだ。ここから、IllustratorとInDesignとGoLiveと、ProではないがAcrobatと、あと今回、ひとつの機能としてIllustratorに統合されるAdobe Dimensionのユーザだった分を差し引いてくれたら、その分で、このCSが十二分に暴れ回れるだけのメモリも買い足せるというものではないか。
 アドビが、古くからのユーザに優しいと、このバージョンアップ、もっと嬉しいのになぁ。

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2003/12/09

エッチサイトの課金を踏み倒したらしいぞ

わくわく、おてまみが届いたの……。わくわく。
———————————————————
最終警告書

 再三再四の請求にもかかわらず、貴殿が
利用した有料サイトの利用料金がいまだ未
納となっています。貴殿の行っている行為
は、警報246条詐欺罪に該当し、立派な
刑事事件になります。当方としては刑事告
訴及び民事告訴を視野に入れて、各信用情
報機関のデータをもとに身辺調査を実行
し、自宅、勤務先、に直接回収を行う事に
なります。なおその際、身内、親戚、友人
等、にいかなる迷惑が掛かろうとも、断固
たる態度でのぞむものである。なおこれを
最終警告とし同時に財産差押えの手続きを
管轄地方裁判所で進行させていただきま
す。一人の人間として社会的信用を失墜さ
せるまえに至急連絡してください。

  090—6707—※※※※

     堂島興業 債権管理課
———————————————————

……いやあ、ビックリ。再三再四、そうか、以前に四通もご連絡戴いてましたか、堂島産業の人。お手間執らせますねぇ。しかし、インクジェット紙はがき(再生紙)を使っていると云う、なかなかエコに気を使っている会社だな。堂島興業。ちなみに、この社名、ぐぐってみたら、冒険者カミカゼ (監督:鷹森立一/主演;千葉真一・真田広之/1981)』のカタキ役組織の名前だそうだ。残念ながら、それひとつしかひっかからなかった。ひょっとしたら、債権管理課の電話が携帯電話ってぇトコロからして、ネットには露出しておられない小さな会社なのかな。そういう会社で、ネット課金の回収業務をしておられる訳だ。いやあ、泣かせるなぁ。銀行やカード会社に課金を委託できない、とってもイリーガルなサイトなのかなぁ。わくわく。人に云えないご苦労がおありなんでしょうなぁ。いちど、じっくり会って、お話しを伺ってみたいモノですな。警察の取調室なんかでね。

 しかし、既に『同時に財産差押えの手続きを管轄地方裁判所で進行させて』おられるそうなので、ウチに連絡が来るのは、堂島産業のヒトからじゃなくて裁判所のヒトからなのでしょうなぁ。わくわく。交通違反以外で裁判所って行ったコト無いもんなぁ、わくわく。

 ちなみに、文面中にある刑法246条、ネット詐欺対策の部屋さんによると、以下のような物だそうな。
刑法上の詐欺罪(刑法246条)
刑法246条
1.人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。
2.前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

 うーむ。ちなみに、『財物を交付させ』るまで行かなくて、途中であっても、詐欺は詐欺として立件できるんだそうです。知ってましたー? 堂島産業のヒト〜!

 あと、ボクの住所違ってましたよー、郵便屋さんが親切だから届けてくれましたけど。きっと、質の悪い名簿屋にボラれてますよ〜。こんなむちゃくちゃな名簿を売るなんてもう詐欺だから、ボクより先に名簿屋を訴えた方が良いですよ〜。

さて、わくわく。

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2003/12/03

我々探検隊は、栃木県奥地に巨大食物を見たぞ

 11月29日、午後。待ち伏せしていた藤沢くんと美女三人のハーレム状態が現れないので、諦めてレゴミュージアムのある那須ハイランドパークを出た我々は、しとしとと雨の振る中、また山道を引き返して、塩原温泉にひた走る。徐々にコラムATに慣れつつあるが、時々ミツルんに「シフトはこっち」と云ってもらわないと、まだ相変わらず左手がシフトを求めて彷徨う。
 とはいえ国道400号、通称塩原街道に戻れば、何度も何度も通い慣れた道だ。塩原温泉郷へ向けて箒川沿いを川上に上る。なんでも新しい稚児に坊主の愛が移ったことを悔いてある稚児が渕に身を投げたと云う、ヤオイな伝説のある箒川沿いは、風光明媚な観光道路で奇岩や渓流が壮観である。最初の三回ぐらいは、どこまで上ってゆくのだろうと思ったものだが、通い慣れ、見慣れて来ると、自分がどこいらへんを走っているのか判っているので案外と気楽だ。車はまっすぐに「釜彦」に、目指すは名物「スープ入焼きそば」だ。
 もう慣れた物で、道の山側にある駐車場に車を停め、塩原街道を渡って釜彦に入る。
 素人はついつい「すうぷいりやきそば」と読みそうだが、釜彦のおばちゃんは注文の時に「すうぷいれやきそば」と云う。中華スープに焼きそばを入れたもの。信じられないかもしれないが、ゲテモノではない。美味しいことは、ここここここここで確認してもらいたい。
 この店は、このスープ入焼きそばと、ソースカツ丼が売りだ。キャベツの千切りを乗せたソース系のカツ丼は、関東の人には珍しいようだが、岡山辺りだとほぼすべての店でカツ丼と云うと、キャベツを載せドミグラス系のソースをかけた物だそうだ。ちなみにここ釜彦のカツ丼は、トンカツソース系で、いわゆるドミグラスソース系とも少し違うが、美味いことは確実。
 始めてだと云うミツルんがビビりながら一口。でも、ちゃんとした味なのにほっとした顔で食べ始める。不思議な味だが変な味ではないことを、しっかり認識してもらえたようで良かった。暖かいスープが、那須ハイランドパークで冷えきった体に染み渡ってゆく。実は、少々風邪を引き込んだようになっていたのか、この時、頭痛がしていたのだが、釜彦のスープ入やきそばのお陰で少し楽になった。。
 釜彦を出て車を出そうとしていると入れ替わりに入って来たのが、軽のワンボックスバン。五百キロ近く走って来たT-con2003の企画統括責任者、山本くんの車だ。釜彦には来るとは流石、塩原を知り尽くしている。温泉地はこーよねーという味ではなく、どこの町中に店を出させても大向こうを唸らせるぐらいには美味いもん。山本くんが誘導してくれて楽に道に出られた。ありがとう。
 もう塩原温泉の中なので、夏にはさんざん走り回ったあたりだ。気楽にツラツラ流して懐かしきホテルニュー塩原に到着。もちろん、古くは2000年3月の下見に始まり、下見合宿で何度か泊まっているが、なんと云ってもこの夏に前々泊・前泊・本泊1夜目・2夜目・後泊と、5泊6日したので、一種里帰り気分だ。
 荷を降ろし近くの駐車場に車を置き、ロビーに入ると、実行委員長の熊倉くんたちが既に入っている。なんとそこに藤沢くんもいるではないか。なんでも、西那須野を降りた時に雨の状態を見て諦めたのだそうな。
「ハーレム? まさか! レディーペネロープを三人乗っけたパーカーでしたよ」と藤沢くん。
 既に部屋に入れるということで、早速部屋に荷を解き、西館大浴場へ。見れば見る程、先日云ったここと同系列ホテル、鬼怒川ホテルニュー岡部の大浴場と似ている。床面の敷石タイルまで全く同じだ。少々ぬるいのを良いことに少したけ長湯。長湯と云っても、あまり長時間お湯につかるのは苦手なので、傍目にはデブ鴉の行水だ。
 総務部の依頼で大会に来られなかった人への送付物の発送作業を行い、最近身内で流行りの知恵の輪を解きつつ、晩飯を待つ。

 晩飯。それは、温泉旅行最大の醍醐味(……少なくとも神北にとっては……)。先付けが既に並び、大きな鍋に鍋物の用意もされている。しかし、今回はそれだけではない。
 実行委員長や、旅館からの挨拶を経て、乾杯。
 食い始めて話をし始めるが、まだ一組が到着しない。入った連絡によると、途中で車が故障したらしい。雨の中大変そうだ。
 結局、その車は宴会開始から一時間かそこら遅れて到着したと思う。なんでも、料金場で支払いをした際にガコンといって窓ガラスが下がり、上がらなくなってしまったのだそうな。雨の中を窓開けっ放しで高速走行。うう、ご苦労様でした。
 その到着とどちらが早かったかよく覚えていないが、ついに、その夜のメインディナー、鉄人定食が登場した。
 まずは鉄人餃子。一個に使う肉が180グラムだか200グラムだかというから、ちょっと大きなハンバーグという感じか。小さめのコッペパン程もあろうかと云うそれは、普通の中華定食で普通の餃子が置かれているような楕円の皿に、普通の餃子のように五つ並べて盛られている。もちろん、楕円の皿も餃子自身も巨大なのだが、スケール感が統一されているので単に写真だけ見たのでは大きいことに気づかないかも。
 流石に不惑を越え食欲が衰えると、宴会の中の一品としてこれを一個丸々喰うのはむりかなと思い、同い年の古木くんと半分こして喰う。隣では河野くんが一個なり平然と平らげている。「え?こんなん軽いっすよ」というが、まあ若いんだから当然だよ。俺が君の年の頃なら二個三個奪い合って喰ったさね。
 塊が大きいため、油に晒されているのが外側だけで、中は肉がうまく熱せられていて美味しい。脂ギトギトの酔っぱらい親父御用達餃子と違い、肉のうまみだけが醸成されている。一個なりということでないなら、女性にもこれは大受け間違いなし。きっと名物料理になるな。
 ここで、夕刻からの頭痛がなかなか治まらないので、ホテルにお願いして頭痛薬を貰う。ホテルの飯沼さんに、「こんな寒い日にハイランドパークなんか行くからですよ」と云われる。そりゃそうだ。シャレにしては馬鹿だったかもしれません。亡きお猿の次郎に哀悼を混めて「反省」。
 続いて、ラーメンと中華丼が登場。モヤシを死ぬ程盛り上げたラーメンと、「鶏卵がウズラの卵に見えるぐらい巨大な」中華丼に嬌声が上がる。夏はモヤシが盛られてなかったが、その点を原作に近づける努力がなされたのだそうな。モヤシの中には、夏と同じように、豚肉1キロを丸まる角煮にした巨大な肉が入っているが、今回はそれも、喰い分けられるように予め切り分けたのだと云う。確実に美味くする努力がなされている。
 鉄人定食は、ついつい大きさだけに興味が行きがちだが、そこはそれホテルのメインダイニングが作る以上、単にデカいだけの大盛りではない。喰って当然のごとく美味いのだ。放っておくとのびかねない麺や上がりたてが一番美味い餃子を、かなり長い時間かけて喰っても美味いように、全体に気を使って作るというところに、このホテルの大厨房、メインダイニングの意地と腕を見た気がする。
 この料理は特別メニューとなるが、予め頼んでおけば宴会の目玉として出していただけるそうだ。既に、鉄人餃子が気に入った客から「次の忘年会でも」というリピーター予約すら入っているそうで、大会の残した物がホテルの接客の中でどう育ってゆくのか楽しみだ。

 宴会がお開きになった後は、部屋に帰って夜遅くまで酒盛りだ。神北は下戸なので例によって呑めはしないが、わいわいやるのは嫌いではない。さらに、たいていの面子が神北が呑めないことを知っているこういう身内の宴会では、酒を勧められることすらないので特に楽だ。
 通称『もえたん』という本をご存知だろうか。『萌える英単語』端的に言うと英単語の学習参考書だ。大学入試で必要となる1000語程の単語が並び、その例文が載っていると云う、きわめてオーソドックスな作り。しかし、その例文が「I met my brother altar all this time. He had forgotton his purpose to destroy the earth. ★久しぶりに会った弟は、地球を滅亡させると云う目的を忘れてしまっていた。」なんて、ゴットマーズだったりするのだ。今年の受験シーンを変な色に染めるオタクグッズとして人気を博し、売り切れ店続出と云う話。これの現物を酒盛りに持って来た人がいて、ついついみんなで例文を読みふけってしまった。うろ覚えだが「8月と12月の三日ずつは信教上の理由で仕事に出られません」とか、きわめて身近な(?)例文が続出しており、とにかく笑える。
 結局、酒飲み部屋で二時か三時頃まで大騒ぎして、ぼくは床に付いたが、多くの人が五時、六時まで遊んでいたらしい。

 翌日は陽が昇る頃に目が覚めた。塩原の山々にモヤがかかり気持ちのいい朝だ。が、みんな寝ているのでもう一寝入り。次に目が覚めたのはアバレンジャー5分前。だが、いろいろ時間配分を考えて、ここで朝風呂に行く。夜中に清掃して湯を入れ替える西館大浴場の朝風呂は、昼間より温度が高めだ。じんわりと身を沈めていると、気持ちいい。
 風呂から上がるとアバレンジャーが佳境。「ジャンヌ復活したよ」と教えられる。まあそれは判っていたけど、それより黒岩都知事の方が大事なんだから仕方ない。
 アバレンジャーの後が仮面ライダーファイズ。しばらく前から、最後の補強で小川敦史が警視庁の幹部役で出ているのだ。
 知っているか!? 小川敦史がはじめて我々の眼前に現れたのは『超光戦士シャンゼリオン』の主人公涼村暁のライバル黒岩省吾としてのこと。黒岩は最終的に暁との選挙戦に勝って東京都知事となり、日本から独立した東京国を宣言、東京国初代皇帝となり、強い者が勝つ弱肉強食の国是を唱える。しかし、最後には戦いの果てに力を全て使い果たしたところに、子供の放った銃弾に倒れ去ったのだ。
 小川敦史はその後も、一昨年の『仮面ライダーアギト』で、舞台の裏を知るらしき謎の男、沢木哲也として一年間好演したが、やはり、役柄のせいもあるが黒岩の衝撃はそれを凌いで大きかった。で、二度目のライダーレギュラー出演となった今年の役は、どちらかというと自分の意志で判断し、自分の計略で前を切り開く、その為にはあらゆるものを利用すると云う、あきらかに沢木より黒岩型の人間で、ああ、黒岩都知事が帰って来たなという気がする。
 だから今期、仮面ライダーは、いかにストーリーが進まなかろうが、やたらと出て来るライバルキャラが似たり寄ったりで区別し辛らかろうが、テレビの前にいる限り見なくてはならない番組なのだ。
 ライダーが終わったら(心の中でナージャに手を合わせて)朝メシ。朝食。それは、温泉旅行二番目の醍醐味(……少なくとも神北にとっては……)。バイキング形式の朝食は大会でメインホール&パーティー会場となったレストランシアター・オーロラ。流石に、昨晩しこたま喰ったので、いつもの食欲が出ないので、ご飯は一回しかお替わりしなかった。しこたま肉の詰まった体には、野菜がおいしい。驚いたことに、いつもなら朝メシパスして寝ている筈の熊倉くんも食べていた。
 朝飯を終えて戻ると、ちょうどいい具合に『ポポロクロイス物語』だった。ぼくは、プンプン王女が良いです。
 九時半になると、そろそろバスに乗る人も出るので、玄関に全員集合して記念写真。バスを見送って……。え? 二人程バスに乗る人が乗ってない? ホテルの機転で連絡を取ってもらい、東館玄関の先にある塩原超役場前停留所で拾ってもらえることになり、挨拶もそこそこに虹の架け橋経由、館内をダッシュで去って行った。
 残った人たちでどうやって帰るか話しているとなんだか、宇都宮の巨大なエビフライが喰いたいという人が多い。竹内くんが「でも、バスのチケットあるし」といっているのを解約させ、神北号の同乗者に。更に何人も増え、もともと海老フライ行脚を前提にしていたのは塩坂号だけだったのに、気がつくと20人以上の大人数に増えている。
 目的の店は、そんなに大きな店ではないので、首尾よく食べる為と席を纏めて確保する為にプリン野郎こと塩坂くんに予約を入れさせる。「もしもし、神北と申しますが予約を……」おい、いつから俺が代表なんだ?
 飯沼さんと別れを惜しみつつ、車列は塩原温泉を脱出。神北号の何台か前にはちょうど藤沢ピカチュー号が。国道400号を下り那須平原に出て西那須野のインター付近で、ピカチュー号が唐突に左ターン。有名な観光牧場、ホウライ牧場のところだ。すかさず続く神北号。ここに寄るとなったら、しぼりたて牛乳かソフトクリームだ。女の子たちの目標はソフトクリームだったようで、神北号の四人もまずは絶品のソフトクリームを味わう。
 再出発した我々は、そのまま宇都宮まで快走。カーナビがある神北号が先導。雨は上がるでもなく強くなるでもなく。宇都宮のインターからは日光街道に出れば良いのだが、カーナビを読み損ねて道を間違う。やっと復帰と思うや否や、カーナビに無い新道に惑わされ、また目標をロスト。大騒動しながら走ってゆくが、後ろはぼくより運転に慣れている藤沢くんなのでちゃんと付いて来てくれて有難い。すまん藤沢くん。
 目的地には、ちょうど予約の時間ぐらいに到着。御茶呂というお店で、宇都宮では普通に有名店だ。神北にとっては、1984年から85年の宇都宮勤務中に、給料になるとよく通った懐かしいお店。
 入ると早い連中は既に食べ始めていた。物理的に見て22人前44本の海老フライを一度に揚げることは不可能だから、順番は仕方ない。
 待つこと暫し、我々のテーブルにもついに海老フライが登場。ぎゃあと声が上がる。予想より大きかったということらしい。女の子たちは様々な対処法を練っていた。あまりおなかが空いていないという佐藤さんはハナっから手を出さずに「折りに詰めてもらう」作戦。間島さんは油分を含んだコロモをあきらめ、中のエビの身だけを選り分ける作戦。みんなそれぞれ作戦を立てて海老フライを楽しんでいる。何にせよ、御茶呂の料理は、美味しいというのが大前提であって、単なる目を引くだけの巨大料理ではない。みなさん、満足していただいたようで、常連(といっても、年に一度も行かないが)としても鼻が高い。
 かくして、美味しく食べて、御茶呂を後にする。後はバラバラに走って帰るだけだ。
 とはいえ、なんかまたピカチュー号と一緒になる。鹿沼インターを入った一つ目のパーキングで打ち合わせて、羽生で一度会おうということにする。羽生は埼玉に入ったところなので、わりと近い。走ってゆくとあっという間だ。ありがたいことに、パーキングエリアにMOSバーガーが在ったので、MOSでお茶ということになる。いや、別にMOSでなくても構わないんだが、普通のスナックコーナーの方はなんだか悪い脂の臭いが充満していて気持ち悪くなりそうだったのだ。しみじみと、いい感じに仲良くなれたんだから、これからもちょくちょくこういう同窓会が出来ると良いねぇというような話をして、分かれて帰ることに。
 そこから先、岩槻インターから大宮に戻る手前で大渋滞に巻き込まれ、二時間近く無駄にしたものの、なんとか五時前に大宮駅で解散。
 風雨と寒さと巨大食物に満ちた驚異の旅行は、やっと幕を閉じたのだ。

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2003/12/02

那須高原にLEGOの聖地を見たぞ

 2003年11月29日から30日は、夏の大会「第四十二回日本SF大会 T-con 2003 とちぎSFファン合宿」のスタッフ打上合宿だった。場所は、大会会場でもあったホテルニュー塩原。今年の日本SF大会は、やっているスタッフ側にとってもなかなか面白かったようで、予定があって泣く泣く諦めた人も多い中、40人近い参加者となった。
 それでもさらに、大会が終わって以来始めて、または大会後のスタッフ会議以降始めてという人がかなり少ない。スタッフの一人の牛丼仮面くんが、自宅マンションの共用施設のパーティールームを借りてスタッフ仲間を集めたホームパーティーを開いてくれたりしたので、意外と多くの人と顔を合わせる機会が多かったからだ。また、第三十九回日本SF大会ゼロコン企画局が中心となって始め、今に引き継がれている月に一回開かれている駒八会でも、よく顔をあわせる人が多い。こんなに仲が良い状態で居られるのも、大会の雰囲気が良かったためだろう。どう考えても少ない、百人を切ったスタッフで二泊三日の大会を乗り切ったチームワークの良さが、ここに現れている気がする。
 今回神北はレンタカーを借り、渡辺くん(ミツルん)、古市くんの二人に同乗してもらい、出かけることになった。
 レンタカーは、ニッポンレンタカーで借り出した。車種はコルト。ハンドルの脇、ワイパー操作バーの横に、コラム型に配置されたオートマチックレバーと、ペダル配置の最左端に置かれたサイドブレーキのおかげで、運転席と助手席の間に何も無い。が、ついつい体は二十数年習い覚えた位置にATレバーやサイドブレーキを求めて左手を彷徨わせる。なんとか慣れるまで、半日以上かかるし、それ以降も交通状態とかに注意が行っているとついつい左手が空を切るが、ハンドル周りから手を離す必要が皆無というのは慣れるとかなり楽。コラムATの普及は、如何に採用する車が増えるかだな。
 待ち合わせは、レンタカー屋から近いということで、北浦和東口。浦和レッズのファンで鳴らしたミツルんは、「朝、8時半に北浦和駅聖地巡礼口集合」というだけで、時間に東口に登場。さすがは年間何十回と駒場スタジアムに通い慣れた道。待ち合わせのために停車できるような大きめの車寄せロータリーがないため、ミツルんを車に乗せて、近所の最短コースをぐるぐる回る。二度目に回った時に古市くんを発見。全員揃ったところで出発となった。
 カーナビに従って東北自動車道の岩槻インターへ。走りながら何をするかを考える。
「とりあえず、古市くんはどうせ朝飯も食わずに飛んで来たんだろうからメシにしようよ。俺もそう思ってまだ朝飯食ってないから」
というと、古市くんは、
「ぼく、来るとき食いました、おにぎり程度ですけどね」
うっ、メシ食ってないのオイラだけ? ……しかし、ここは運転手特権で、高速のパーキングエリアで無理矢理、朝メシを喰うことにする。可もなく不可もなし。
 食いながら、今日どうするかを検討。藤沢くんが女の子三人を乗せてハーレム状態でレゴミュージアムへ行くらしい、これは面白いから、先行して待ち伏せしてみようという話にまとまる。レゴミュージアムは、那須ハイランドパークの施設。この寒いシーズンに、あんな吹きっ晒しの遊園地に行かなくても良いんだが、他にどこに行くというアテもないし、とりあえずレゴもアトムも一度は見てみたいから出かけることに。
 高速は、快適に走れた。コルトの足回りがしっかりしているおかげと、走り慣れた東北道であること、更に雨と時間帯のお陰で行楽サンデードライバーがいないせいらしい。
 通い慣れた西那須野で東北道を降り、カーナビ様の指し示すまま、ひたすら那須高原の山中をひた走る。カーナビ頼りのため最短路というよりは少々は無駄に太い道を回っているのだろうが、まあ、それでOK。
 途中、ミツルんと古市くんが、ぎゃあと叫ぶ、なんでもトーテムポールの彫り物のような、奇妙な立像が朽ち果てかけたまま森の中に佇んでいたそうな。うーむ。俺も見たかったなぁ。
 那須ハイランドパーク。前に来たのは2000年の3月だから、寒い時期にしか来たことが無い。基本的に、斜面に作られた「段々遊園地」で、那須盆地を見下ろす山の斜面だから、夏は良い風が吹くのだろうが、冬には吹きっ晒しとなる。しかも雨。11時頃に着いたのに、車は20台と停まっていない。藤沢くんの黄色いフィアット、通称ピカチュー号を探すが、さすがに女の子三人をピックアップして我々より先に来るのは無理そうで、まだ居ない。
 人っ子一人居ない遊園地に行ったことありますか? そう、よく東映特撮のヒーローが敵の怪人の幻覚光線なんかに撃たれて、飛ばされて行く不思議な空間みたいに、機械は動いているのに客の姿の無い遊園地。 僕はあります。11月末の雨の中の那須ハイランドパーク。もう、ストップモーションで出たり消えたりしつつ、フシギ獣がびろんびろ〜〜んと飛び回っていない方が不思議という光景でしたよ。ハイ。
 先にレゴミュージアムではすれ違いになりやすいからと、まずはアトム館に行くことに。その前にとトイレに入ると、男子トイレの中に石油ストープが一台。うーむ。これがトイレに必須の気候かァと三人して関心。
 アトム館は、入場料二百円。今年のアニメ『鉄腕アトム』を中心に、歴代アトムや手塚治虫全般にまで焦点を当てた展示パビリオンになっている。導入部の壁面展示の解説は、素人向けにしてはそこそこの情報量があり、「父さんの時代はこのアトムだったんだぞぉ」とかいいながらファミリーがそぞろ歩きしながら見てゆくには、ちょっと読み切れないほどのデータが詰まっており、ターゲット層の子供にとっては「わ〜、凄いぞぉ。手塚治虫とアトムのことが、ここなら何でも判るんだぁ!」と思えるだけの密度となっていて、とても良心的。とはいえ、「実写版のアトムは?」なーんてツッコミを入れながら精読するヲタク三人にとっては、ツッコミどころ満載。また、撮影に使ったセルの展示のように飾ってある絵が、実はよく見てみると高精細プリントアウトであるなんていうところに、すっかりコンピュータ化されたアニメ現場の一端を見る。
 かなり力の入った壁面展示の導入部を抜けると、そこは今の鉄腕アトムのキャラクターたちの等身大模型がずらりと並ぶ半円形の大きな部屋だ。標準的な子供と同じ身長のアトムやウランちゃんに対し、ロボットボールの選手ロボットのハーレーや、アンチロボット・ロボットスクワッドの隊員たち、そして青騎士などが、2.2〜2.5メートルとかなり大きく、力強く作られているのが、身長170センチの四十男の目から見てもかっこいい。プルートゥに至っては4〜5メートルはあるだろうか、本当に巨大に作られていて、かといって10メートル・20メートルという程でもないから、巨大プロジェクトで生産というよりは博士が一人でコツコツ作ったという感じがして、アトムの世界観によくマッチしており、「ああ、子供の頃に子供の目でこれを見たかったなぁ」と思わせる。いや、ホントの子供だと泣いちゃうかもしれんけどさ。
 しかし、何より圧巻だったのは、意外と大きさがあるロビタ。たしかに、手塚マンガやアニメに出てくるサイズなんだが、うちの家には入れんわ、このお手伝いロボット。
 この等身大展示の次は、レビューショーみたいなことの出来るようになったステージなのだが、開演時間まで間があるため諦める。
 脇には、手塚マンガ全集の収まった棚があり、子供を遊ばせる遊具施設のような場所がある。この遊具施設の中に、畳0.7帖分ぐらいの大きなパトカー型のクッション(もちろん犬の顔型のやつですよ、今のアニメ版のデザインですが……)があって、気が利いている。子供が上に乗れるようになっているらしい。
 ステージの脇に巨大な寄せ書きコーナーがあって、真ん中には大きくアトムが書かれている。子供からのメッセージもあれば、大人からのメッセージもある。一番笑ったのは、アトムの顔から吹き出しが出ていて「ぼくドラえもん」と書かれていたこと。
 ステージホールに続くミュージアムショップで季節外れながらやたらと出来がいいヒョウタンツギの風鈴を買い、ミュージアムを出る。
 相変わらずの悪天候の中、レゴミュージアムへ。
 たぶん、神北が4〜5才ぐらいの頃だったと思うから、今から37〜38年も前の話だが、テレビで奇麗な玩具の宣伝が始まった。既に持っていたダイヤブロックに似ているが、色彩感覚がシックで落ち着いており、すごく気になっていた。その矢先、祖父が何か玩具を買ってやると云うから、近鉄デパートの玩具売り場に行って「レゴが良い」と宣言。最初に買ってもらったのは、蒸気機関車と客車を組むセットだった。まだレールやレール用の車輪のs4d@)ない時代で、灰色のゴムを履かせた2×2ポチのタイヤが付いていた。
 レゴ社が日本に進出するのにどんな順序であったかはよく知らないが、結構、普通に日本で暮らしている中で第一世代といっていいレゴ者だと思う。まもなくモーターが現れ、レールが投入され、汽車を作って自分のレイアウトしたレールの上を走らせると云う遊び方が定着する。レールを買い足してレイアウトを複雑にしたり、列車の数を増やし、木や、文字の入った看板を手に入れた。こうして、40年に届こうとするレゴとの付き合いが始まった。
 とはいえ、最前線のユーザだったのは、なんと云っても子供時代で、小スケールの車輪を使って街を作るレゴランドシリーズが始まったのが、小学校の高学年ぐらいだったか。毎日遊んでいたレゴも、さすがに中学校になるとさほど遊ばなくなり、いつの間にか、あまり触らなくなったが、高校生ぐらいまでは猛然とアイデアが浮かんで突然引っ張りだしてはがーらがらと部品を探してかき回したものだ。
 次にレゴを取り出したのは、大学時代。仲間で8ミリカメラを買い、映像を撮ろうとしたときのことだった。当時もう旧式になっていたシングルエイトを使って神北が撮ろうとしたのが、かつてCMなどでよく見たレゴをつかったアニメーション。どんどん家が組み上がったり、車が動いたりするやつだ。
 それから20年もしてから、レゴ本家がルーカスと組んで、PCカメラを使った同じようなシステムを発売したのだから、まあ、20年たって時代が俺に追いついたと云うべきか、早すぎたと云うべきか。まあ、フイルムは完成しなかったから、早すぎた失敗例なんだろうなぁ。
 で、それが最後かと云うとそうでもない。子供の頃のレゴは田舎の実家に置いたままだが、コンビニでレゴのオマケ入りのお菓子を買ったり、それでは部品が足りないと青いバケツを買ったりと、意外と結婚してからもレゴを買っている。しばらく前には、ついつい、いろんな趣味のクロスするところとして、大きなXウィングを組むセットを買ってしまった。
 欲しい形状の部品を探して部品の山をかき回すが〜らがらという音が、ついつい無心にし、時間を忘れさせる。
 そういう神北としては、レゴには深い思い入れがある。幼稚園に通っていた頃に、本家デンマークには、全てがレゴで作られた遊園地、聖地とでも云うべき『レゴランド』があるのだと聞かされて、ウルウルしていたものだ。今だにその聖地に行く夢は叶わないが、遊園地の施設の一つとはいえ、レゴをテーマにしたのがあるならば、行ってみたい。
 さて、レゴミュージアだ。
 大きい建物とは云えないが、そこそこの大きさがある。入ってすぐ右手は、レゴ社の社名の由来から、初期に作っていた木製玩具や最初に樹脂で作ったガラガラなどの写真と、レゴ社がいかに丁寧で気配りの聞いた玩具メーカーであるかを象徴するような展示が続く。レゴ前夜のブロック玩具は、やはりポッチをはめ込んでつなげるようなシステムではあるが、ポッチの形がダイヤブロックネオぐらいの高さがあり、色も悪くて雑駁な感じがする。まあ、色が悪いのは、第二次世界大戦前の古い樹脂だからだが、そりゃ発色が悪くて仕方が無いものの、まだまだという感じがする。そして、徐々に類人猿からホモサピエンスに向かって進化が続くように、段々レゴに近づいて来る。そして、ブリック内にチューブと呼ばれる丸いポッチ受けを設けることで、いよいよレゴ登場。更に1958年に新材質ABSへと移行し、やっと我々の知るレゴとなる。1961年生まれの神北が出会ったのが1965年ぐらいだから、多分ずっと見て来たレゴというのは、このABS製なんだろう。
 でも、この社史展示には書いてないけど、1970年代初期に、レゴの部品の整形色は一段と奇麗になっている。特に透明色がクリアーになった。この色の変化が整形材質の変更だと思っていたのだが、これはどうなっているのかな。本国での材質変更後の製品が日本に伝わるのに十年かかった? そんな、シルクロードを歩いて運ぶのであるまいし。
 レゴ社の歴史の半分ぐらいは自分の個人史と重なるので、ちゃんとした日本語の社史なんか紙媒体でもサイトでも出してくれると嬉しいんだが、このレゴという会社、特に日本ユニットがそうなのかも知れないが、古い売らなくなった製品リストすらない。
 そういった次第で、レゴミュージアムの歴史展示にはちょっと期待していたのだが、あった、ありました。自分の持っていたセットが大事に飾ってありましたよ。笛を吹くとレゴの機関車が前進・停止・後退・停止と操れると云うセットだ。すぐ電子部品が壊れちゃって長い期間は遊べなかったけど、なんだかそれだけで嬉しいなぁ。
 ホントは、1970年前半のハンドルが切れる車のシリーズや、70年代後半の1ポチの小さいタイヤが世に出てからのレゴランド街シリーズなどもちゃんと展示してもらいたかったが、残念ながらそこいらへんは飛んでいるようだった。
 最終的に、レゴブリックがたんまりと置いてあるスペースに陣取って、遊び始める三人。
「あ!この部品は卑怯だ。ぼくの子供の頃こんな便利なの無かったです」
「ああ、それはね、スターウォーズとかで多用されているよ。お、こっちらも、なんか卑怯な部品が」
「それはぼくが子供の頃、既にありました」
 うーむ。主にレゴで遊んだのが1960年代か、1980年代かということで、知っている部品がずいぶんと違う。
 さんざん遊んだ揚げ句、館内展示をじっくりと見て回る。昆虫の森とか云う展示がちょっと凄い。あと、地下に降りると、中世の剣と魔法の国で、魔法使いや王様。ドラゴンが、かなりの大きさで作られている。一つ一つのシーンは、300時間とか、800時間とか、相当の時間をかけて組まれている。
 かくしてレゴミュージアムを遊び尽くしても、まだ藤沢くんが来ない。ミュージアム内は、本格的冬の到来前とあってあまりちゃんと暖房されておらず、特に地下がかなり寒い。
「どうします?」
「帰ろっか?」
「昼メシ食いに行きましょう」
と、話はまとまり、我々はレゴの聖地を後にした。

神北、ミツルん、古市の男三人旅はまだまだ続く。

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