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2003/12/02

那須高原にLEGOの聖地を見たぞ

 2003年11月29日から30日は、夏の大会「第四十二回日本SF大会 T-con 2003 とちぎSFファン合宿」のスタッフ打上合宿だった。場所は、大会会場でもあったホテルニュー塩原。今年の日本SF大会は、やっているスタッフ側にとってもなかなか面白かったようで、予定があって泣く泣く諦めた人も多い中、40人近い参加者となった。
 それでもさらに、大会が終わって以来始めて、または大会後のスタッフ会議以降始めてという人がかなり少ない。スタッフの一人の牛丼仮面くんが、自宅マンションの共用施設のパーティールームを借りてスタッフ仲間を集めたホームパーティーを開いてくれたりしたので、意外と多くの人と顔を合わせる機会が多かったからだ。また、第三十九回日本SF大会ゼロコン企画局が中心となって始め、今に引き継がれている月に一回開かれている駒八会でも、よく顔をあわせる人が多い。こんなに仲が良い状態で居られるのも、大会の雰囲気が良かったためだろう。どう考えても少ない、百人を切ったスタッフで二泊三日の大会を乗り切ったチームワークの良さが、ここに現れている気がする。
 今回神北はレンタカーを借り、渡辺くん(ミツルん)、古市くんの二人に同乗してもらい、出かけることになった。
 レンタカーは、ニッポンレンタカーで借り出した。車種はコルト。ハンドルの脇、ワイパー操作バーの横に、コラム型に配置されたオートマチックレバーと、ペダル配置の最左端に置かれたサイドブレーキのおかげで、運転席と助手席の間に何も無い。が、ついつい体は二十数年習い覚えた位置にATレバーやサイドブレーキを求めて左手を彷徨わせる。なんとか慣れるまで、半日以上かかるし、それ以降も交通状態とかに注意が行っているとついつい左手が空を切るが、ハンドル周りから手を離す必要が皆無というのは慣れるとかなり楽。コラムATの普及は、如何に採用する車が増えるかだな。
 待ち合わせは、レンタカー屋から近いということで、北浦和東口。浦和レッズのファンで鳴らしたミツルんは、「朝、8時半に北浦和駅聖地巡礼口集合」というだけで、時間に東口に登場。さすがは年間何十回と駒場スタジアムに通い慣れた道。待ち合わせのために停車できるような大きめの車寄せロータリーがないため、ミツルんを車に乗せて、近所の最短コースをぐるぐる回る。二度目に回った時に古市くんを発見。全員揃ったところで出発となった。
 カーナビに従って東北自動車道の岩槻インターへ。走りながら何をするかを考える。
「とりあえず、古市くんはどうせ朝飯も食わずに飛んで来たんだろうからメシにしようよ。俺もそう思ってまだ朝飯食ってないから」
というと、古市くんは、
「ぼく、来るとき食いました、おにぎり程度ですけどね」
うっ、メシ食ってないのオイラだけ? ……しかし、ここは運転手特権で、高速のパーキングエリアで無理矢理、朝メシを喰うことにする。可もなく不可もなし。
 食いながら、今日どうするかを検討。藤沢くんが女の子三人を乗せてハーレム状態でレゴミュージアムへ行くらしい、これは面白いから、先行して待ち伏せしてみようという話にまとまる。レゴミュージアムは、那須ハイランドパークの施設。この寒いシーズンに、あんな吹きっ晒しの遊園地に行かなくても良いんだが、他にどこに行くというアテもないし、とりあえずレゴもアトムも一度は見てみたいから出かけることに。
 高速は、快適に走れた。コルトの足回りがしっかりしているおかげと、走り慣れた東北道であること、更に雨と時間帯のお陰で行楽サンデードライバーがいないせいらしい。
 通い慣れた西那須野で東北道を降り、カーナビ様の指し示すまま、ひたすら那須高原の山中をひた走る。カーナビ頼りのため最短路というよりは少々は無駄に太い道を回っているのだろうが、まあ、それでOK。
 途中、ミツルんと古市くんが、ぎゃあと叫ぶ、なんでもトーテムポールの彫り物のような、奇妙な立像が朽ち果てかけたまま森の中に佇んでいたそうな。うーむ。俺も見たかったなぁ。
 那須ハイランドパーク。前に来たのは2000年の3月だから、寒い時期にしか来たことが無い。基本的に、斜面に作られた「段々遊園地」で、那須盆地を見下ろす山の斜面だから、夏は良い風が吹くのだろうが、冬には吹きっ晒しとなる。しかも雨。11時頃に着いたのに、車は20台と停まっていない。藤沢くんの黄色いフィアット、通称ピカチュー号を探すが、さすがに女の子三人をピックアップして我々より先に来るのは無理そうで、まだ居ない。
 人っ子一人居ない遊園地に行ったことありますか? そう、よく東映特撮のヒーローが敵の怪人の幻覚光線なんかに撃たれて、飛ばされて行く不思議な空間みたいに、機械は動いているのに客の姿の無い遊園地。 僕はあります。11月末の雨の中の那須ハイランドパーク。もう、ストップモーションで出たり消えたりしつつ、フシギ獣がびろんびろ〜〜んと飛び回っていない方が不思議という光景でしたよ。ハイ。
 先にレゴミュージアムではすれ違いになりやすいからと、まずはアトム館に行くことに。その前にとトイレに入ると、男子トイレの中に石油ストープが一台。うーむ。これがトイレに必須の気候かァと三人して関心。
 アトム館は、入場料二百円。今年のアニメ『鉄腕アトム』を中心に、歴代アトムや手塚治虫全般にまで焦点を当てた展示パビリオンになっている。導入部の壁面展示の解説は、素人向けにしてはそこそこの情報量があり、「父さんの時代はこのアトムだったんだぞぉ」とかいいながらファミリーがそぞろ歩きしながら見てゆくには、ちょっと読み切れないほどのデータが詰まっており、ターゲット層の子供にとっては「わ〜、凄いぞぉ。手塚治虫とアトムのことが、ここなら何でも判るんだぁ!」と思えるだけの密度となっていて、とても良心的。とはいえ、「実写版のアトムは?」なーんてツッコミを入れながら精読するヲタク三人にとっては、ツッコミどころ満載。また、撮影に使ったセルの展示のように飾ってある絵が、実はよく見てみると高精細プリントアウトであるなんていうところに、すっかりコンピュータ化されたアニメ現場の一端を見る。
 かなり力の入った壁面展示の導入部を抜けると、そこは今の鉄腕アトムのキャラクターたちの等身大模型がずらりと並ぶ半円形の大きな部屋だ。標準的な子供と同じ身長のアトムやウランちゃんに対し、ロボットボールの選手ロボットのハーレーや、アンチロボット・ロボットスクワッドの隊員たち、そして青騎士などが、2.2〜2.5メートルとかなり大きく、力強く作られているのが、身長170センチの四十男の目から見てもかっこいい。プルートゥに至っては4〜5メートルはあるだろうか、本当に巨大に作られていて、かといって10メートル・20メートルという程でもないから、巨大プロジェクトで生産というよりは博士が一人でコツコツ作ったという感じがして、アトムの世界観によくマッチしており、「ああ、子供の頃に子供の目でこれを見たかったなぁ」と思わせる。いや、ホントの子供だと泣いちゃうかもしれんけどさ。
 しかし、何より圧巻だったのは、意外と大きさがあるロビタ。たしかに、手塚マンガやアニメに出てくるサイズなんだが、うちの家には入れんわ、このお手伝いロボット。
 この等身大展示の次は、レビューショーみたいなことの出来るようになったステージなのだが、開演時間まで間があるため諦める。
 脇には、手塚マンガ全集の収まった棚があり、子供を遊ばせる遊具施設のような場所がある。この遊具施設の中に、畳0.7帖分ぐらいの大きなパトカー型のクッション(もちろん犬の顔型のやつですよ、今のアニメ版のデザインですが……)があって、気が利いている。子供が上に乗れるようになっているらしい。
 ステージの脇に巨大な寄せ書きコーナーがあって、真ん中には大きくアトムが書かれている。子供からのメッセージもあれば、大人からのメッセージもある。一番笑ったのは、アトムの顔から吹き出しが出ていて「ぼくドラえもん」と書かれていたこと。
 ステージホールに続くミュージアムショップで季節外れながらやたらと出来がいいヒョウタンツギの風鈴を買い、ミュージアムを出る。
 相変わらずの悪天候の中、レゴミュージアムへ。
 たぶん、神北が4〜5才ぐらいの頃だったと思うから、今から37〜38年も前の話だが、テレビで奇麗な玩具の宣伝が始まった。既に持っていたダイヤブロックに似ているが、色彩感覚がシックで落ち着いており、すごく気になっていた。その矢先、祖父が何か玩具を買ってやると云うから、近鉄デパートの玩具売り場に行って「レゴが良い」と宣言。最初に買ってもらったのは、蒸気機関車と客車を組むセットだった。まだレールやレール用の車輪のs4d@)ない時代で、灰色のゴムを履かせた2×2ポチのタイヤが付いていた。
 レゴ社が日本に進出するのにどんな順序であったかはよく知らないが、結構、普通に日本で暮らしている中で第一世代といっていいレゴ者だと思う。まもなくモーターが現れ、レールが投入され、汽車を作って自分のレイアウトしたレールの上を走らせると云う遊び方が定着する。レールを買い足してレイアウトを複雑にしたり、列車の数を増やし、木や、文字の入った看板を手に入れた。こうして、40年に届こうとするレゴとの付き合いが始まった。
 とはいえ、最前線のユーザだったのは、なんと云っても子供時代で、小スケールの車輪を使って街を作るレゴランドシリーズが始まったのが、小学校の高学年ぐらいだったか。毎日遊んでいたレゴも、さすがに中学校になるとさほど遊ばなくなり、いつの間にか、あまり触らなくなったが、高校生ぐらいまでは猛然とアイデアが浮かんで突然引っ張りだしてはがーらがらと部品を探してかき回したものだ。
 次にレゴを取り出したのは、大学時代。仲間で8ミリカメラを買い、映像を撮ろうとしたときのことだった。当時もう旧式になっていたシングルエイトを使って神北が撮ろうとしたのが、かつてCMなどでよく見たレゴをつかったアニメーション。どんどん家が組み上がったり、車が動いたりするやつだ。
 それから20年もしてから、レゴ本家がルーカスと組んで、PCカメラを使った同じようなシステムを発売したのだから、まあ、20年たって時代が俺に追いついたと云うべきか、早すぎたと云うべきか。まあ、フイルムは完成しなかったから、早すぎた失敗例なんだろうなぁ。
 で、それが最後かと云うとそうでもない。子供の頃のレゴは田舎の実家に置いたままだが、コンビニでレゴのオマケ入りのお菓子を買ったり、それでは部品が足りないと青いバケツを買ったりと、意外と結婚してからもレゴを買っている。しばらく前には、ついつい、いろんな趣味のクロスするところとして、大きなXウィングを組むセットを買ってしまった。
 欲しい形状の部品を探して部品の山をかき回すが〜らがらという音が、ついつい無心にし、時間を忘れさせる。
 そういう神北としては、レゴには深い思い入れがある。幼稚園に通っていた頃に、本家デンマークには、全てがレゴで作られた遊園地、聖地とでも云うべき『レゴランド』があるのだと聞かされて、ウルウルしていたものだ。今だにその聖地に行く夢は叶わないが、遊園地の施設の一つとはいえ、レゴをテーマにしたのがあるならば、行ってみたい。
 さて、レゴミュージアだ。
 大きい建物とは云えないが、そこそこの大きさがある。入ってすぐ右手は、レゴ社の社名の由来から、初期に作っていた木製玩具や最初に樹脂で作ったガラガラなどの写真と、レゴ社がいかに丁寧で気配りの聞いた玩具メーカーであるかを象徴するような展示が続く。レゴ前夜のブロック玩具は、やはりポッチをはめ込んでつなげるようなシステムではあるが、ポッチの形がダイヤブロックネオぐらいの高さがあり、色も悪くて雑駁な感じがする。まあ、色が悪いのは、第二次世界大戦前の古い樹脂だからだが、そりゃ発色が悪くて仕方が無いものの、まだまだという感じがする。そして、徐々に類人猿からホモサピエンスに向かって進化が続くように、段々レゴに近づいて来る。そして、ブリック内にチューブと呼ばれる丸いポッチ受けを設けることで、いよいよレゴ登場。更に1958年に新材質ABSへと移行し、やっと我々の知るレゴとなる。1961年生まれの神北が出会ったのが1965年ぐらいだから、多分ずっと見て来たレゴというのは、このABS製なんだろう。
 でも、この社史展示には書いてないけど、1970年代初期に、レゴの部品の整形色は一段と奇麗になっている。特に透明色がクリアーになった。この色の変化が整形材質の変更だと思っていたのだが、これはどうなっているのかな。本国での材質変更後の製品が日本に伝わるのに十年かかった? そんな、シルクロードを歩いて運ぶのであるまいし。
 レゴ社の歴史の半分ぐらいは自分の個人史と重なるので、ちゃんとした日本語の社史なんか紙媒体でもサイトでも出してくれると嬉しいんだが、このレゴという会社、特に日本ユニットがそうなのかも知れないが、古い売らなくなった製品リストすらない。
 そういった次第で、レゴミュージアムの歴史展示にはちょっと期待していたのだが、あった、ありました。自分の持っていたセットが大事に飾ってありましたよ。笛を吹くとレゴの機関車が前進・停止・後退・停止と操れると云うセットだ。すぐ電子部品が壊れちゃって長い期間は遊べなかったけど、なんだかそれだけで嬉しいなぁ。
 ホントは、1970年前半のハンドルが切れる車のシリーズや、70年代後半の1ポチの小さいタイヤが世に出てからのレゴランド街シリーズなどもちゃんと展示してもらいたかったが、残念ながらそこいらへんは飛んでいるようだった。
 最終的に、レゴブリックがたんまりと置いてあるスペースに陣取って、遊び始める三人。
「あ!この部品は卑怯だ。ぼくの子供の頃こんな便利なの無かったです」
「ああ、それはね、スターウォーズとかで多用されているよ。お、こっちらも、なんか卑怯な部品が」
「それはぼくが子供の頃、既にありました」
 うーむ。主にレゴで遊んだのが1960年代か、1980年代かということで、知っている部品がずいぶんと違う。
 さんざん遊んだ揚げ句、館内展示をじっくりと見て回る。昆虫の森とか云う展示がちょっと凄い。あと、地下に降りると、中世の剣と魔法の国で、魔法使いや王様。ドラゴンが、かなりの大きさで作られている。一つ一つのシーンは、300時間とか、800時間とか、相当の時間をかけて組まれている。
 かくしてレゴミュージアムを遊び尽くしても、まだ藤沢くんが来ない。ミュージアム内は、本格的冬の到来前とあってあまりちゃんと暖房されておらず、特に地下がかなり寒い。
「どうします?」
「帰ろっか?」
「昼メシ食いに行きましょう」
と、話はまとまり、我々はレゴの聖地を後にした。

神北、ミツルん、古市の男三人旅はまだまだ続く。

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