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2004/01/27

池袋に勤労青年を見たぞ

 昨年の T-con 2003 で一緒に広報関係の活動をして来た仲間の真庭くんが、池袋駅の近くで本屋のバイトを始めた。バイトといっても、世の中にはバイトなのにカリスマ書店員とかが居たりするから、書店業界のバイトは舐められない。彼の場合は、大手書店の中でもコミック専門部門の勤務と云うことで、書店員としての経験は無いものの、自分の得意分野の専門知識をフルに生かせる職場らしい。いわば、カリスマ店員候補生というわけだ。11月半ばからのポツポツとヘルプに通っていた見習い期間に続き、12月からこちら、本格的に毎日勤務になったらしい。
 一方神北は、最近、 GUNDAM HISTORICA 電子書店esBooksの予約コーナー)の仕事で、護国寺の講談社によく通っている。チームを組んでのムック作りのため、スケジュール会議・各打ち合わせ・納品など、いろいろと人に会うことが多い。最近では、新書なんかの図版仕事の多くは経費節減のため、電話で依頼を受けて、資料が送られて来て、メールで納品……という家から一歩もでないパターンが多かったから、拠点編集部があって、そこに集まって仕事というのは変化があって面白い。
 で、さいたま在住の神北が護国寺に通うとなると、JR埼京線で出て行って池袋から営団地下鉄有楽町線ということになる。通過はしてもあまり使うことの無かった池袋が乗換駅として、突如、神北的にクローズアップされて来たのだ。
 昨日も打ち合わせのため護国寺に行っていて、帰りに、(護国寺の駅で乗ろうとした地下鉄からちょうど降りて来た、同じ仕事に絡んでいる新進作家高島規之くんと20分近く駅のホームで立ち話をした後に……)せっかく池袋を通っているのだからと、真庭くんのいる店に寄ってみた。
 お、いるいる。階段を下って、地下店舗の入り口ドアのすぐ側のレジの所に真庭くんが立っていた。なんだか、授業参観日に、来ない筈の親が突然やって来た子供のようにウロタエている。入って行きながら、片手を軽く上げると、ク・カ・カクっとなんだかカチコチの会釈。
 真庭くんのいる店は、わりと広めのフロアに、評論を含むマンガと、ある程度のライトノベルを中心に、アニメ・ゲーム関係の書籍も集めた店である(あ、ルビー文庫とか、やおい本のコーナーも、よく判らないけど充実している風デス)。昨今のマンガの刊行点数を考えると、コンパクトにして品揃えを広く取っているようで、ちゃんとしたリサーチと商品知識を持ったコーディネートが行われている感じだ。今、東京では、とらのあなアニメイトをはじめとした、オタク専門巨大書点が何店舗もある。地方の総合書店ほどの広さを、すべて、アニメ・マンガ・ゲーム……etc.の関連書籍・グッズで埋めたこういう巨大店舗は、何でも揃う反面、常に定期リサーチしていないと、どこに何があるか判らなくて却って使いづらい。神北は、そんなに足しげく通う方ではないので、この真庭くんの勤めている店ぐらいの大きさのトコロがちょうど良い。万遍なく全ジャンルを見回して、面白そうな本を見つけ易い。
 一冊手に取ってレジへ。残念ながら真庭くんは、神北の直前に並んでいたカード払いの人の決済に手間取っていて、隣の人になってしまった。とにかく、真面目に勤務しているようで、やや安心。
 その後、池袋で軽くメシを喰ってから帰って来たら、真庭くんから「今日は、お買い上げ有り難うございました」と電話が。なんでも、近所に住んでいる古市くん以外で、友人が店を訪れたのは、今日はじめてだったみたいだった。しばらくは護国寺通いが続くから途中で寄り易いんだと話すと、ちょっと安心した様子。
「いやー、それなら良かった。なんか、よっぽどの用事があって神北さんが店まで来たのかと思って、今、携帯壊れているから、仕事上がって慌てて家に帰って電話したんですよ」
 すまん!今までも何度か店まで行っているけど、君がいなかったんだよ。オレは単に、ちょくちょくいく店にマンガを買いに行っただけなんだぁ……。

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2004/01/25

高嶋くんの新刊が出たぞ

『蒼き星のメリクリウス』著:高嶋規之/イラスト:赤井孝美(集英社スーパーダッシュ文庫)571円+税 発売。
あわせて、作家の 〜物書き屋・高嶋規之のホームページ〜 もオープンしている。
 前作の『オービタルレディ』から一年半以上待たされた人。本屋さんへ走れ!

 さて、『……メリクリウス』だ。
 本人はただの高校生のつもりでいるが、実は星間帝国の王子のひとりだった主人公の元に、従姉の王女が押し掛け女房。帝国転覆を狙って暗躍するテロリストにも命を狙われ、戦闘集団が学校に襲来。日本の小さな街は突如、世界、いや銀河系中から、注目されることに! 全くのマイペースの従姉と、騒動を面白がっている級友たち、自分はさっさと皇位継承権を放棄して外野から息子にエール「だけ」を送る無責任親父。様々な思惑に翻弄される主人公、伊吹悠(高校一年生、15歳)の明日はどっちだ!
 ……と書くと、夜中過ぎに民放でよく放映されている類いの、大きなお友達御用達の願望充足設定アニメのようだ。あっというまに、銀河中の各皇家王家から、8歳から25歳までの年格好も容姿も様々なフィアンセが12人現れて、普通の一戸建てにむりやり雑居生活をはじめそうな気がする。皇帝陛下から高校卒業までに誰かひとりに絞れと命じられたり、酔った年上のフィアンセが裸同然の格好で家の中をうろつくのに困りながらテレたり、一番若いフィアンセと二人で捨て犬をめぐる大騒動に巻き込まれたり、クリスマスイブの夕刻に偶然本命のフィアンセとイルミネーションの街を散策することになって、後で残り全員と関係ない級友たちからさんざん責め立てられり……。そんな話が延々といつまでも展開しそうである。
 しかし、そこはそれ、高島規之という作家である。そちらの方向に転がっては行かないから、ご安心を。
 ハチャメチャな大騒動の奥に、少年文学(ジュヴナイル)として、必要不可欠なものがちゃあんと詰まっている。大騒ぎの衣を一枚剥いでみると、最近多いそうしたアニメよりは、『都市と星』や『銀河市民』『スターキング』といった、古典SFの方に遥かに近い。自分が何者なのかを知らされた時に、少年は何を望み、何を決断するのか。その一点に修練して行くクライマックスは、前半のお気楽極楽ぶりを否定するものではないが、それだけでは終わらない力強さがある。
 赤井孝美の描く清楚なキャラクターたちも、よいイメージを与えている。
 ちょっと飛ばし過ぎていて、もっと話を膨らませてやって欲しいキャラクターが散見するのが勿体ないが、もし、ラブコメというシチュエーションが嫌いでなくて、面白い小説をお探しなら、損はさせない。是非お読み戴きたい。

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2004/01/22

イラストレーターCSが落ちる時……だぞ

 バージョンアップした Adobe Illustrator に、明確なバグが存在する。
 神北が今関わっている本は、A4変形判で、A4のプリンタでは1ページ分を奇麗に印字出来ないので、ページを2枚に分けて出力している。ついでにいうとこの仕事は見開きなので、実際には左右ページを一枚として制作し、右ページの上半分・下半分・左ページの……という風に、4分割して出力している。
 しかし、こういうことをしようとすると、なぜか Illustrator CS は、プリントダイアログの「プリント」ボタンを押した途端に、落ちてしまう。同じことをしても、 Illustrator 10 は落ちないから、インターフェイスを刷新したプリントダイアログ周りにバグが潜んでいると考えざるを得ない。
 Illustrator はこれまで、随分と使いづらいプリントダイアログを持っていたので、そこいら辺が使い易くなってとても便利なのだが……、一枚ページ物では何も問題が無いので、普通に使う分には困りはしないのだが……、せっかくの新しい便利なプリントダイアログがこれでは、少し悲しい。
 しかたないので、 Illustrator 10 形式に書き出して、 Illustrator 10 で開いてから打ち出している。
 どちらにせよ、納品は未だに Illustrator 8 形式が一般的だから古い形式との付き合いは無くせないので、そんなに煩わしいという訳ではないが、この Illustrator のダイアログというのは、1980年代を引きずっていたような所があって、今回の大刷新はせっかくウリの新機能だから、なんとか早急なリビジョンアップで対応していただきたい。

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2004/01/17

新時代が来たぞ

 イラストレーターとしての神北恵太が、最も多用するツールは、いうままでもなく Adobe Illustrator だ。その Illustrator が、ついにバージョンアップした。前のバージョンアップが一昨年秋だったから、一年数ヶ月ぶりということになる。
 今回のバージョンアップは、 Photoshop・InDesign・GoLibe・Acrobat Pro 等に、 Version Cue という、ファイル管理システムを付加して、『クリエイティブ・スーツ』という名前で一本に纏まった。超弩級艦がゴロゴロしている旧帝国海軍の連合艦隊みたいなもので、バージョンアップ料も128,000円(5パーセントの消費税コミだと134,400円)と、こちらも超弩級。もちろん、いろんな裏技を使って出来るだけ安く買う。まずは、アドビショップより安価なLA-OXで予約。その上、温存してあった、三ヶ月ほど前にOSXの3本目のバージョンアップ10.3を購入したときのオマケにもらったネイティブソフト10パーセント引き券を、ここぞと投入。さらに LA-OXの予約得点の1万円分商品券をその場で投入して、11万飛んで9百ナニガシ円まで押さえ込んだ。差額でちょっとしたソフトが買えるってェもんです。

 1月16日、仕事で松戸のガンダムミュージアムに取材した帰り、早速、秋葉原へバージョンアップ版のソフトを買いに行く。モビルスーツからクリエイティブスーツ。スーツスーツの一日である。
 帰って来て、早速インストール。いままでも主要ソフトの詰め合わせセットはあったが、わざわざ『スーツ』として同時バージョンアップになっているだけあって、全てのソフトが一度にインストール出来る。しかし、アプリケーションフォルダ内に作られるフォルダ名が……
  イラストレーター  Adobe Illustrator CS
  フォトショップ   Adobe Photoshop CS
  インデザイン    Adobe InDesign CS_J
  ゴーライブ     Adobe GoLive CS_JPN
  アクロバット プロ Acrobat 6.0 Professional
  バージョン キュー Adobe Version Cue
……と、ひとつひとつ、ファイ名の付け方が違う。 Version Cue は特にCSに限らず、今後のアドビ製品のファイル管理の基幹にするつもりで、敢えてCSという名前が付けられていないというのも判る。今回、バージョンそのままでスーツに組み込まれた Acrobat が、フォルダの付け方が違うのは理解出来る。しかし、そのスタンダード版は『Adobe Acrobat 6.0 Standard』という名前になっているのだ。同じ製品の上のグレードと下のグレードで名前の付け方が違うのはなぜだ? モノによって無印の『CS』『CS_J』『CS_JPN』の3つの名前の付け方があるのはなぜだ?
 アドビという巨大企業では、一本一本のソフトの担当部局が各々、ちょっとした中小企業より大きかったりするのだろうから、連絡がとり難いのは判らなくはない。だが、折角、主要ソフト4本を纏めてバージョンアップするのだから、こういったネーミング規則ぐらいちゃんと統一して貰いたかったなぁ。

 インストールが終わったので、早速作動環境を整える。今日のトコロは、まずIllustratorだ。Illustratorのような多様な機能を持つソフトは、最近の傾向として、ドキュメント一つ作るのに関して、大量のパレットが使われる。その位置は、前回立ち上げた時に置いておいた所に今回もという形で記憶してくれる。このパレットを、どれをどこに置くかということは作業効率に直結するため、我々にとっては侍が刀を手入れするようなものだ。しかし、バージョンを変えた時や違うマシンに、この設定をそのまま移す方法はない。インストールされた所でそれらは全てリセットされてしまう。いろんな状態を想定し、右に左に、気を使って位置を決める。現在の環境は、 PowerMac G4 に液晶とCRTを各1、計2面を使っているので、主画面には出来るだけ広くドキュメントを開き、バレットの使用頻度を考えて、マウスの移動距離が多くなる副画面に配置してゆく。二画面あると、色やパターンのスウォッチ、カスタムブラシ、グラフィックスタイルなども、広めに確保出来る。
 次は、前のバージョンで使っていた自分のカスタム設定をいかに移植するかだ。Illustratorは、Startupファイルというドキュメントに入っているカスタム設定が、新規ファイルに引き継がれるから、新バージョンのStartupファイルを開き、スウォッチライブラリ等からその他のスウォッチとして古いStartupファイルを開き、せっせとメインスウォッチに移動する。色名『パープル』が『プラム』に変わっていたり、微妙に使い易い中間色が追加されていたりと、新しいStartupファイルもそれなりに
便利に作られているが、モノクロページ用に5パーセント刻みの濃度で用意したスミ(つまり白-灰色-黒)のセットや、汎用性が高いように自分で作った塗りつぶし用パターン、鉄道等の地図記号を設定したグラフィックスタイル、自分で作った筆描き用のカスタムブラシ等、様々なオレ設定を移送。
 ちょっと不満なのが、バージョン10までは、このStartupファイルのウインドウサイズが新規書類に引き継がれたのだが、今回はそれが出来なくなっていること。勝手に主画面の全面に広がってしまう。仕方ないので、タイトルバー上のボタンとファイル名の部分が隠れないようにパレットの位置を調整した。今まで当然のように出来たことが出来なくなっている。もちろん、最大に開くというのが便利な使い方の「一つ」であることを認めるにやぶさかではないのだが、なんだかちょっと不便になった気分。設定一つで選べれば良いんだけど、そういうボタンは環境設定の中には無いようだ。何考えているんだか……。
 なんとか最低限の設定が終わったので、さっそく完熟訓練に入る。すこし新機能を試してみる。

 一番、効果として面白いウリだと思っているのが、3Dツールだ。かつて、 Adobe Dimension という3Dツールがあって、これは3Dソフトとして、ビットマップを出力するにとどまらず、3Dで作った情景をIllustratorのデータとして出力できるという、とても便利なツールだった。CPUの早さもメモリ容量も今の10分の1よりまだ遥かに下という状態の1990年代初頭、ビットマップを使うことがそんなに得意でなかったIllustratorにとって、3Dの出力がベクトルデータとして得られるといいうことは大きく、Adobe Dimensionはとても便利なツールだった。しかし、いろんな3Dソフトが普及し、その吐き出したビットマップファイルをIllustratorのアートワーク内に配置しても動作が極端に遅くなったりしないぐらい、マシン性能も、Illustratorの機能も高まって来た1990年代後期、この便利なツールは消えて行った。神北も一応、最新版の Adobe Dimension 3.0 を持ってはいるが、OSXのネイティブソフトではないため、今となっては使い物にならない。そのため今は、どうしても Illustrator のベクトルデータとして3Dの絵が欲しい時、 Shade でモデルを作ってレンダリングしてビットマップデータを作り、それを Illustrator 上でハンドトレースし、グラデーションを使ってそれらしく陰影をつけるという、かなり原始的な手法を使っている。(当然、悲しくて、辛くて、切ないデスよ。)
 今回の3Dソフトは、その機能の一部をIllustratorのプラグインにしたものだ。一部機能は、旧 Dimension 時代より格段に進んでいる。ちょっと文字を3D化したいとか、アクセントを付けたいという程度の欲求に対しては、かなりちゃんとした回答になっていると思う。しかし、幾つもの部品を3D空間に配置し、それをカメラワークでぐるぐる回してアングルを決め、遠近感(望遠-広角)を調整するという、本格的3Dソフトの機能までは持っていない(ようだ)。
  私としては、この程度の3D機能ではかなり不満である。きちんとした3Dソフトとしての、 Adobe Dimension CS の登場を期待したい。

 というところで、まずはファーストインプレッション。まだ他の機能も試さなくては。

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2004/01/13

お礼参りに行ったぞ

 一年の区切りは節分なので、旧暦でいう一年にはもう少し余日が在るが、この終わる一年、神北は数え歳で四十三歳。いわゆる男の厄歳の後厄にあたる。そんなに信心深い訳ではないが無病息災を願い、前厄の年から三回、年始に神田明神に詣でてお祓いをしていただいている。2004年1月11日、そのお礼参りに行って来た。
 神北夫婦は、その前日の宴会でモノを受け渡す約束をしたプリン野郎こと塩坂くんと、朝十時半に上野で待ち合わせた。頼まれた荷物を運んで東京都美術館まで車で来るので、ブツをそこで受け渡しましょうという話だった。わざわざ、上野公園の果ての駐車場からJR上野駅の公園口までやってきてくれたプリン野郎とともに、ちょっと重たい荷物を先ず塩坂号に格納するために、3人で歩く。
「これからどうする?」
「や〜、特に予定は無いんですよ」
 というので、じゃ、一緒に神田明神に厄払いに行かないかいと、お誘いする。昨年、突然リストラされたり、なんだかんだと大変だったプリン野郎としても、それに関して否は無い。じゃ、上野の山から神田まで、プラプラ歩いて行こうということになった。2.5キロから3キロ程度の散歩だ。
 上野から秋葉原に向かって上野広小路、つまり秋葉原中央通りを歩いてゆくと、鈴本演芸場とお江戸上野広小路亭の二つの寄席の前を通る。夏の日本SF大会でお世話になった林家しん平師匠の名前が在ったら入ろうかなと覗いてみるが、その日の出演の予定は無かったようだった。ちょっち残念。この道沿いは、思わぬ老舗がふっと残っていたりして、歩いていて楽しいコースだ。意外な発見が在ったりする。が、地下鉄末広町駅のところで蔵前橋通りを渡ると、そこから先は、よく知った、いわゆる秋葉原だ。不思議に思うかもしれないが、基本的に秋葉原という地名は、台東区のはずれだけで、京浜東北線と昭和通りの間で蔵前通りの南側の、東西200m×南北120mの狭い地域にすぎない。少々の誤解を恐れず言えば、そこは電気屋のある街ではない。秋葉原駅が在り、いわゆる電気街と呼ばれているあたりは、おおむね千代田区外神田と言う地名が付いている地区で、その他、神田佐久間町・神田花岡町あたりまでが、いわゆる「世界のアキハバラ」である。更に付け加えておけば、神田明神もこの外神田である。秋葉原の土地の成り立ちと地名の由来はここにも書かれているように、秋葉権現を勧請した防火用地に端を発するが、既にこの社も別の地へ移動しており、今現在、いわゆる秋葉原電気街の神様と言えば、神田明神ということになる。
 神田明神は、言わずと知れた江戸総鎮守の社だ。祭神は三柱ある。一ノ宮は「大己貴命(オオナムチノミコト)」さま。大国主命ともいわれ「だいこく様」と親しまれ、国土経営・夫婦和合・縁結びの神様としてのご神徳を持つ神様。二ノ宮は「少彦名命(スクナヒコナノミコト)」さま「えびす様」として、商売繁昌・医薬健康・開運招福の神様として親しまれる神様。三ノ宮は「平将門命(タイラノマサカドノミコト)」さま。平安末期の武将で、関東の英雄として知られる。「弱きを助け、強きを挫く」神様として、また江戸・東京の守護神としても崇敬されている。
 昭和の中頃には有志によって境内に、明神下に居を構えていた銭形平次親分の碑が建てられた。(脇に八五郎兄ィの碑もある。)もちろん、平次親分は野村胡堂の書いた捕物帳の作中人物であり、実在人物にモデルをとった池波正太郎の『鬼平犯科帳』のように主人公が実在はしていないが、縁の地ということで、本殿の脇にその碑が作られた訳だ。下って今年の正月、NTT系企業のキャンペーンで秋葉原で巫女さんが、神田明神の絵馬を配った。なんか、『帝都物語』でおどろおどろしく描かれている将門様だが、神田明神というお宮さん自身は物わかりの良い神様だと言う気がする。
 神北家では、関東に出て来てから、いくつかの近所の神社に詣でたが、気がついたらいつの間にか、神田明神に行き着いていた。もともと、秋葉原というのは我が家にとって、結構生活の要の街なので、神田明神という選択は自然な流れだったのだと思う。
 上野から秋葉原経由で神田明神に行くには、蔵前通りを折れて神田明神の裏の方から入る道もあるが、初詣が裏からというのも変なものなので、神田明神通りを行き、参道を上ってゆく。なお、この神田明神通りをはさんで明神様の向かい側(南側)には湯島聖堂がある。直線距離にして800m程離れた湯島天神と勘違いされることが多いが、天神様と聖堂は別物である。
 神社に入る前に脇の公園にある公衆トイレによると、公園に多くのご老人が集まっているのでびっくり。男女ともにほとんどの方が、ご隠居さんというお年なのだが、みなさんさっそうとした歩き易そうな格好の上に何かゼッケンをつけている。どうも、歩け歩け運動とか、そういったものの参加者らしい。イベントスタッフらしく腕章をした世話役の人たちも散見する。初詣としては面白い趣向なのかもしれない。
 神社に戻り、手水場で身を清め、社殿の裏に去年のお札をお返ししてからいざ本殿へ。昨年は、朝イチのお祓いに二組だけだったのたが、今回は十組近くが一緒。白い羽織のようなものを着せてもらって暫し待つと、名前を呼ばれ、履物を脱いで昇殿。神田明神ではお祓いの後、脇に進んで別の口から出てくるので、履物は袋に詰めて持って上がる。ここいらへんは慣れたもの。お祓いを受けるものが座る所には、畳の上にカーペットが敷かれている。はじめて昇殿させていただいた時にはまだ冷たかったのだが、何年か前からホットカーペットになってちょっとびっくり。さすがは電気街の神様。物わかりがいい。
 家内安全と商売繁昌を祈願する。
 祝詞が終わると、脇から資料館の方に抜けて、お神酒を頂き、お札とともに人数分の開運招福守護、つまりお守りを授けていただいて、ハイおわり。そんなに長い時間でもないが、一年に一度身が引き締まる、よい経験である。
 この後、携帯電話に付けて常に持ち歩いている勝守と、もうひとつ、神田明神ならではのIT情報安全守護を買って、初詣は終わりだ。この勝守、いつもは一年を経てお返しするときも何ということは無く奇麗なままなのだが、今回お返しした去年のものは、いつ付いたものか全く判らないが、ビニールケースごと酷い傷がつき、凄い状態になっていた。厄を防いで戴いたのだろう。
 神田明神の参道にある甘酒屋で一息入れていると、プリン野郎がさっき貰ったお札の袋の中に、福引きの券を発見。これは!ということで、引き返し、境内で福引きをする。あちこちの電気屋さんからいろいろな家電品が景品に出されていたが、結局、外れ籤で、タネ銭とホッカイロを貰う。タネ銭というのは、商売のタネ銭なので、サイフや金庫に入れておくと、目が出て葉が出て花が咲き、最後に実りを迎えると言うワケだ。さっそく財布にしまい込む。

 秋葉原という街は、みんな電気街だと思っているが、最近では、そのAV機器やゲーム機で使うソフトや関連書籍を皮切りに、電気を使わない製品が急速に増えている。といっても、昔のように、パソコンを運ぶカバンとか、ペンチやドライバーと云った工具とか言う話ではない。フィギュアをはじめ、様々なオタクグッズを専門に商う店が急速に増えているのだ。
 プリン野郎が「笑えますよ」というので、コスプレ屋さんに行ってみる。女房は呆れて入って来ないが、まあ、入って来なくて正解かも。世の中に、こんなに多種多様なセーラー服があるですか?……と問いたくなる陳列の奥に、世の中にこんなに多種多様なブルマと体操着があるですか?……と問いたくなる陳列。呆れるようなメイド服の列、果ては古着。縫い付けてあるクラスと名前の札が生々しいですが、何でしょうかあれは? いや、何かは判るんですが、何のために売っているんでしょうか? ナゾは深まるばかりでございます……。
 たしかに笑えると云えば笑えるんですが、微妙にシニカルに笑ってしまうかも。秋葉原はどこへ向かって行ってしまうのでしょうか?
 その後、しばらく前に秋葉原に出来た、新宿ねぎしに牛タンを食べに行った。ご存知の人には明々白々のことだが、仙台発祥の牛タン焼きは、韓国焼き肉で喰わせるタン塩とは全く違う料理である。水道橋の太助(味太助)をはじめ、東京にもたぶん数十軒は営業しているし、中野にもよく行く店がある。新宿ねぎしは神北の知る中で一番大きなチェーン店で、仙台風というよりは随分とオリジナル化されており、タン自身も名店太助と比べるとずいぶんと上品に薄めになっている。牛タン好きの諸氏には非常に評判が悪い店ではあるものの、まあ、好立地で行き易いというのがなによりの利点。結構首都圏下の大きなビルに入っている。当然三人とも牛タンW定食かと思いきや、女房はタンシチュー定食。プリン野郎はシチュー&タン焼き定食。なかなか、好みの分かれる所ではある。
 初牛タンを食した後、中央通りを南下。最近出来た中華風(ホンコン風)のティースタンドで、プリン野郎がお茶を奢ってくれる。ジャスミンチャイのタピオカ入り。量もあって、タピオカもなんだか巨大で面白い。6〜7ミリは軽く越えるような巨大タピオカを吸えるように極太ストローが付いていて、なんか笑える。
 この後、年末に注文していたカラープリンタのトナーをザ・コンピュータ館で引き取って、プリン野郎と別れて帰宅。カラーレーザーのトナー4本となると、7〜8万はかかるのだが、これ一本で多分1年近く保つので、費用対効果を考えるとそう無茶な値段ではない。ただ、次の週末に控えている、アドビ製品の史上最大のバージョンアップと時期的に重なったのが、ちびしいなぁ……。

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2004/01/09

フォトニックフラクタルに蓄積だぞ

 入射した光をゆっくり運ぶため、何年もたってから反対側から光が出て来るスローガラス(スローグラス)という概念をご存知か?もちろん、現実にはない物質で、『去りにし日々、いまひとたびの幻(ボブ・ショウ)』に出て来るSFの小道具の一つだ。1980年代に書かれた吾妻ひでおのマンガ(たしか『不条理日記』だったと思うが)に「くもりスローガラスを見る」とかいうのがあって、くもりガラスなのでアズマさんの思い出が、ぼやけてよく判らなくなっているというオチになっていた。
 こんな、ビデオカメラのように映り込んだ情景をしっかりと残すようなものではないが、光を、光として蓄えられるという可能性が出て来た。エネルギーの空中採取可能? 電磁波蓄える夢の宝箱開発という記事がasahi.comのサイエンスのコーナーに掲載された。
 フラクタル構造を持った27ミリ角の物体に、8ギガヘルツの電波を照射したところ、反射も等価もせず、物体内に電磁波が溜め込まれたという。照射を止めても1000万分の1秒程、物体内に電磁波が残ったというのだ。この物体は、フォトニックフラクタルと呼ばれていて、直方体を基本としたフラクタル構造になっている。2.7ミリ角の縮小版で試したら、80ギガヘルツの電波が溜め込めたという。現状、完成している研究はここまでらしいが、将来的には、数百テラヘルツの電磁波、つまり光に対応した大きさのものを作って、光を溜め込んでしまうことも検討されている。また、蓄積時間も、1000万分の1秒から、延ばすことを考えたいと言う。
 現状の1000万分の1秒から見ると永劫の長さだが、半日間蓄光し、半日間放射できるのならば、昼間の光を蓄えて夜光るエネルギーゼロの街灯が作られることになる。さらに組み合わせによって、昼間は自然光、夜は蓄光放射を使い、一日中働く太陽電池だって、考えられなくはない。また、自然光や周りを飛び交っている電波をどんどん溜め込み、電源や光源として使えるのだとしたら、永遠に待ち受けられるケータイとかに夢が膨らむ。
 もちろん、蓄積しておける時間や容量等が、どこまで延ばせるかが最大のキーで、「蓄積時間がねぇ」「蓄積容量がねぇ」「装置の体積がねえ」……といういろんな限界があって、「別に安価な代替法が在る」となっちゃうと、実用化に難ありと判断されてしまうことも考えられる。過去には、一時期はコンピュータのスイッチングに絶大な威力を発揮すると考えられた江崎ダイオード(江崎玲於奈博士はこれでノーベル賞を貰いました……)が、実装面での難が多くて、思ったように使いこなせなかったなんてこともあった。
 しかし、そういうマイナスの可能性を踏まえつつも、この研究に期待したいではないか。
 もちろん、用途はエコだの何だのというだけにとどまらない。電波遮蔽の一種と考えればステルス技術にも大きな影響を与えそうだし、基礎技術の一つとして使いこなせる日が来たら、あらゆることに応用が利きそうだ。

 なんか、ワクワクする話だ。

 あ、もう一つ。 ここからはヨタというか、空想上の話なんだが……。

 電波を飲み込んでしまうこの直方体フラクタル。アニメ『機動戦士ガンダム』の中で使われたミノフスキー粒子の振る舞いの一つ、立方格子(架空の「ミノフスキー物理学」で、プラス電荷とマイナス電荷のミノフスキー粒子(もちろん、アニメの中の存在)には、一定以上の密度になると、互いに引力・斥力が働いて、立方格子状に整列し、電波や電荷を帯びた粒子の移動方向を制限するという働き)に、何か似ているものを感じる。
 いや、電波吸収と、立方体というところだけなんですけどね……。

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2004/01/05

あけましておめでとうございます。……だぞ

 ひと月近く、更新が滞っていたような気もするが、まあ、三つ子の魂何とやらで、幼い頃から日記をきちんと付けるような癖はとんと身に付かない。元来真面目な方ではないのだが、まあ、そんな奴のそんな日記だと思って御寛恕戴きたい。

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

写真とライティング
 今年は年始早々から、締め切りはあるわ、アドビ製品の一斉バージョンアップはあるわと、何かと忙しい一月だ。後十日と少々で天から、我が人生最大の大型バージョンアップが降って来ると思うと、ワクワクドキドキ。しかし、締め切りは待ってくれないのだ。あと3日待ってくれたら、新しくなったあの機能で、この機能で、あの仕事はこの仕事は、こう変わるのにと言うギリギリのところで仕事は待ってくれない。まあ、無いよりゃ何千倍も良い事なので、文句は言えませんが……。
 昨年末、今年前半戦の大きな柱になる仕事の、予約チラシ用の現物イメージ撮影というのが行われた。基本的に自分の担当の仕事ではないのだが、スタジオでの物撮りというものを見た事が無かったので興味津々で立ち会いに参加してみた。
 先ずは、構図を決める。そして、次に証明の調整に入る。カタログ用の製品見本写真なら、陰が濃くなりすぎないように四方八方から環境光を入れておいて軽く光の方向を現すためにスポットを一本入れる、もしくは、主光源・副光源の二つからスポットを当てて二本の陰を後に薄く出す程度しか、調光のしようは無いが、イメージ写真となるとそれでは済まない。製品名のところはスポットでクッキリと。でも全体はボンヤリとした暗調で、背景の明るい部分が陰を浮かび上がらせる要領で概形だけ浮かび上がるように。ここの光量はたっぷりと。こちらはこのメタル部分の照り返しの反射で薄ぼんやりと見えるように……。
 最初にメインの証明を固め、次にサブ証明を一本ずつ足してゆき、一枚ずつ撮っては確認、撮っては確認で、少しずつ少しずつ絵を浮かび上がらせてゆく。デジカメに、PowerMac G4とアップルスタジオディスプレイを組み合わせたセットが、一枚ずつの写真をその場で確認して、微調整を掛けるのにとても威力を発揮している。なるほど、スタジオで素早く画像を確認するのに、画面の広いスタジオディスプレイは本当に必要なのだな……と、いたく関心。同じ構図のままでも、光一つで写真のイメージが、軽くも重くもいかようにも変わってしまうのだ。映画のスタッフロールで、カメラマンと並んで照明がとても重要に扱われている理由が、はじめて身にしみて判った。
 いつも仕事で作っているような説明図としての3DCGを描いていると、照明の作業というのはいかに全体像をクッキリ見せるかに終始しているし、3Dソフト自身も、あまり光の反射回数を多く取ると計算量が等比級数的に増すので数回に押さえるのが普通だから、光が何度でも反射してゆくリアルワールドの厳格さ(って、これが本当なだけだけど)に、参らされた。
 結局、撮影は、準備に1時間、構図決めに30分、後はライティングにほとんどの時間を割いて、約4時間半程掛かった。この世界、奥が深い。

レンタカーで帰省
 今年の帰省は、12月の27日から1月の4日まで車を借りて、レンタカーで故郷に帰った。正月なので混むのは致し方ないが、入院中の祖母の容態が思わしくないので毎日実家と病院を往復している母親を一週間でも楽をさせようと考えたからだ。
 祖母は明けて数えで95歳になった。明治の末の頃に生まれ、大正期に幼児から少女時代を過ごした計算だ。『はいからさんが通る』の紅緒さんよりは少々若い。もう孫の顔を見ても誰かも判らないが、ずっと世話をして来た母の声は聞こえるようで、そうすると少し安心した表情をする。実家から入院先は数キロなのだが、自動車を運転しない母は近鉄線で移動しなければならない。既に言葉も出なくなっている祖母が家族として認識できるのが母だけなので、代わりに世話をしに行って来ると言うわけにはいかないが、帰省している間ぐらいは車で送迎できる。まあ、そのぐらいしか出来ないんだけど。
 ここ十年程、車で帰省という事はあまり無かったので、田舎を走り回る事は無かったが、ひさしぶりに故郷を走り回ってみてびっくり。その昔、田圃の真ん中を一号線が通っているだけだったあたりに、のきなみ、家電やら書籍やらの郊外店が立ち並び、レストランがずらりと並んでいるではないか。少しずつ店舗が出来つつあるのは知っていたが、こうも変わっていようとは思いも寄らなかった。一方、こうした商業施設が次々に出来る裏では既存商店の存在が霞んでいて、かつての駅前の繁華街が空洞化を起こしている地区もある。何にせよ、電車と徒歩の暮らしから車で移動する形に世の中が変わった証拠だ。
 最も象徴的なのは、部分的に開通した第二東名・名神、伊勢湾岸自動車道だ。先日までまだ随分と細切れだったものが、実家の至近ICがオープンしており、とても快適。産業構造や生活形態を揺さぶりかねない道だ。第二東名がちゃんと通って、東京の方でもいわゆる外環状がきちんと東名まで繋がれば、埼玉から三重に帰る車での帰省時間は、たぶん半減する。

名古屋の仲間と会った
 前に電話を貰ったおりに、良ければ飯でも喰おうと言っていた名古屋在住の仲間何人かとも会った。
 1月1日、毎年恒例の伊勢参りの帰りに顔を出してくれたのは、長年ダイナ☆コンのPXで店長を務めている岡田くん。その昔、正月にフラっと遊びに来たところをつかまり、私と一緒に車で栃木まで行く事になったのは1985年のこと。その時はアパートの上階の女子高生二人がお湯をだーだーと出し放題にしたせいで、台所の配水管が熱でひん曲がって、下階の私の部屋が水浸しになったのだ。大家さんが電話で悲鳴を上げるので、飛んで帰ろうとしていたところに丁度現れたのが彼で、「いいところにきてくれた。ちょっと一緒に行ってくれ」「どこまで?」「宇都宮」と言われて、面白がって走ってくれた。この時宇都宮で喰わせたエビフライに味をしめた訳でもないだろうが、以降も懲りずに顔を出してくれる。
 1月2日には、しばらく前まで浦和のご近所さんだった架空戦記作家の陰山琢磨くんと名古屋駅で飯を食った。「高島屋のワキのアソシアっちゅうホテルのロビーで」という話で、名古屋駅ビルのマリオットアソシエ15階ロビーに出かけて行った。とってもゴージャス。が、彼は待ち合わせに現れない。まあ、陰さんのコトだからお屠蘇気分で遅くなってるんだろうと思って待つが、三十分近く現れない。やっと電話が繋がってみると、彼は一階ロビーで待っていると言う。「一階なんて、駅やろ? ロビーってあったか?」「ありますよ……」「タカシマヤの隣やんなぁ?」「へえ、そうでおま」……どうも食い違う。さんざん悩んだ揚げ句に判明した事は、彼は「高島屋のビルの隣のビルに入っているターミナルアソシエ(昔のターミナルホテル)」のことを言っており、私は「高島屋と同じビルに入っているマリオットアソシエ」を思い描いていたということだ。
 かくして、間違いを悟った我々は急遽合流。彼がいま出版社に預けている新作小説の話等を伺う。相変わらず細部まで練った話の組み立てをする男ださらに、今考えていると言うSFのネタというものも、話を聞いた。この男の考えるお話はどれも面白いので、ガンガン書いて貰いたいものだ。
 1月3日の土曜日、東京方面に戻りシナに、もし土曜日という事で、あるようなら金曜会に顔を出してこようと企む。金曜会は、中部SF同好会ミュータンツクラブの例会だが、特に誰が来ても良い集まりなので、ミュータンツのメンバーで有る無しを問わず、名古屋圏のSFファンの半ば公的な交流基盤となっている週例会だ。開始時点では金曜の夜という事だったらしいが、あっという間に土曜に移り、以降、何十年も名古屋で週末の夜に続けられて来た、歴史の古さでは日本でも屈指のSFものの集まりだ。1990年代半ばに、永らく会場となってきた『喫茶クローバー』の店じまいで開催場所を変えたが、それ以降、神北は顔を出せないでいたので、いい機械なので参加できないかと目論んだのだ。
 しかし、まだ三が日の内という事で、どうなっているのかと問い合わせてみたところ、流石に今日はみんな来ないんじゃないか、でも飯ぐらいならつきあうよと言ってくれた名古屋是清くん夫妻と名古屋市内でメシを喰うことに。ゲゲボドリンクの部屋の主催として知られる名古屋くんに店の選定を任せるのは、ちょっとドッキリものだが、「おれの趣味はドリンクだけだ。食い物までは手を出してないっ!」という本人の主張を信用。名古屋くんは、岡田くん等も誘ってくれたが、連絡付かずに断念。
 最近の仕事の話や、先日のSFクリスマスの事。東京で仲間が集まっていてる月例の宴会の話等、いろんな話をする。名古屋くんとは1989年のダイナ☆コンEXの準備をしていた頃からだから、15年ぐらいの付き合いになる。あいつはどうした、こいつはどうしてるという話だけでも、いっぱい話をする事がある。
 話している最中に岡田くんから電話『何だった?』「いや、帰るところで、メシでも喰おうと誘ったんだが、名古屋くんが、岡田なんか呼んでもツマんないって……」
「……おいおい!俺ァそんなこと言うとらせんぞ!!」「いや、おれはお前を誘おうって言ったんだけど、名古屋くんがな〜……」「だから、俺は何にも言っとりゃあせんって!、もォしもしぃ……」……。結局、岡田くんはPHSを家に置いたまま、両親の初詣につきあわされていたことが判明。既におしるこで腹一杯だと言うので、じゃ、また今度という事になる。
 今回、出来れば一度会いたかった人は他にも多いが、結局、夕方に病院日参という予定が入っている以上、どうにも時間が自由にならなくて、連絡し損なってしまった。残念。

 まあ、とはいえ、ともかく、とりあえず。2004年が始まりました。
 皆様、今年も宜しくお願いします。

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