あけましておめでとうございます。……だぞ
ひと月近く、更新が滞っていたような気もするが、まあ、三つ子の魂何とやらで、幼い頃から日記をきちんと付けるような癖はとんと身に付かない。元来真面目な方ではないのだが、まあ、そんな奴のそんな日記だと思って御寛恕戴きたい。
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
写真とライティング
今年は年始早々から、締め切りはあるわ、アドビ製品の一斉バージョンアップはあるわと、何かと忙しい一月だ。後十日と少々で天から、我が人生最大の大型バージョンアップが降って来ると思うと、ワクワクドキドキ。しかし、締め切りは待ってくれないのだ。あと3日待ってくれたら、新しくなったあの機能で、この機能で、あの仕事はこの仕事は、こう変わるのにと言うギリギリのところで仕事は待ってくれない。まあ、無いよりゃ何千倍も良い事なので、文句は言えませんが……。
昨年末、今年前半戦の大きな柱になる仕事の、予約チラシ用の現物イメージ撮影というのが行われた。基本的に自分の担当の仕事ではないのだが、スタジオでの物撮りというものを見た事が無かったので興味津々で立ち会いに参加してみた。
先ずは、構図を決める。そして、次に証明の調整に入る。カタログ用の製品見本写真なら、陰が濃くなりすぎないように四方八方から環境光を入れておいて軽く光の方向を現すためにスポットを一本入れる、もしくは、主光源・副光源の二つからスポットを当てて二本の陰を後に薄く出す程度しか、調光のしようは無いが、イメージ写真となるとそれでは済まない。製品名のところはスポットでクッキリと。でも全体はボンヤリとした暗調で、背景の明るい部分が陰を浮かび上がらせる要領で概形だけ浮かび上がるように。ここの光量はたっぷりと。こちらはこのメタル部分の照り返しの反射で薄ぼんやりと見えるように……。
最初にメインの証明を固め、次にサブ証明を一本ずつ足してゆき、一枚ずつ撮っては確認、撮っては確認で、少しずつ少しずつ絵を浮かび上がらせてゆく。デジカメに、PowerMac G4とアップルスタジオディスプレイを組み合わせたセットが、一枚ずつの写真をその場で確認して、微調整を掛けるのにとても威力を発揮している。なるほど、スタジオで素早く画像を確認するのに、画面の広いスタジオディスプレイは本当に必要なのだな……と、いたく関心。同じ構図のままでも、光一つで写真のイメージが、軽くも重くもいかようにも変わってしまうのだ。映画のスタッフロールで、カメラマンと並んで照明がとても重要に扱われている理由が、はじめて身にしみて判った。
いつも仕事で作っているような説明図としての3DCGを描いていると、照明の作業というのはいかに全体像をクッキリ見せるかに終始しているし、3Dソフト自身も、あまり光の反射回数を多く取ると計算量が等比級数的に増すので数回に押さえるのが普通だから、光が何度でも反射してゆくリアルワールドの厳格さ(って、これが本当なだけだけど)に、参らされた。
結局、撮影は、準備に1時間、構図決めに30分、後はライティングにほとんどの時間を割いて、約4時間半程掛かった。この世界、奥が深い。
レンタカーで帰省
今年の帰省は、12月の27日から1月の4日まで車を借りて、レンタカーで故郷に帰った。正月なので混むのは致し方ないが、入院中の祖母の容態が思わしくないので毎日実家と病院を往復している母親を一週間でも楽をさせようと考えたからだ。
祖母は明けて数えで95歳になった。明治の末の頃に生まれ、大正期に幼児から少女時代を過ごした計算だ。『はいからさんが通る』の紅緒さんよりは少々若い。もう孫の顔を見ても誰かも判らないが、ずっと世話をして来た母の声は聞こえるようで、そうすると少し安心した表情をする。実家から入院先は数キロなのだが、自動車を運転しない母は近鉄線で移動しなければならない。既に言葉も出なくなっている祖母が家族として認識できるのが母だけなので、代わりに世話をしに行って来ると言うわけにはいかないが、帰省している間ぐらいは車で送迎できる。まあ、そのぐらいしか出来ないんだけど。
ここ十年程、車で帰省という事はあまり無かったので、田舎を走り回る事は無かったが、ひさしぶりに故郷を走り回ってみてびっくり。その昔、田圃の真ん中を一号線が通っているだけだったあたりに、のきなみ、家電やら書籍やらの郊外店が立ち並び、レストランがずらりと並んでいるではないか。少しずつ店舗が出来つつあるのは知っていたが、こうも変わっていようとは思いも寄らなかった。一方、こうした商業施設が次々に出来る裏では既存商店の存在が霞んでいて、かつての駅前の繁華街が空洞化を起こしている地区もある。何にせよ、電車と徒歩の暮らしから車で移動する形に世の中が変わった証拠だ。
最も象徴的なのは、部分的に開通した第二東名・名神、伊勢湾岸自動車道だ。先日までまだ随分と細切れだったものが、実家の至近ICがオープンしており、とても快適。産業構造や生活形態を揺さぶりかねない道だ。第二東名がちゃんと通って、東京の方でもいわゆる外環状がきちんと東名まで繋がれば、埼玉から三重に帰る車での帰省時間は、たぶん半減する。
名古屋の仲間と会った
前に電話を貰ったおりに、良ければ飯でも喰おうと言っていた名古屋在住の仲間何人かとも会った。
1月1日、毎年恒例の伊勢参りの帰りに顔を出してくれたのは、長年ダイナ☆コンのPXで店長を務めている岡田くん。その昔、正月にフラっと遊びに来たところをつかまり、私と一緒に車で栃木まで行く事になったのは1985年のこと。その時はアパートの上階の女子高生二人がお湯をだーだーと出し放題にしたせいで、台所の配水管が熱でひん曲がって、下階の私の部屋が水浸しになったのだ。大家さんが電話で悲鳴を上げるので、飛んで帰ろうとしていたところに丁度現れたのが彼で、「いいところにきてくれた。ちょっと一緒に行ってくれ」「どこまで?」「宇都宮」と言われて、面白がって走ってくれた。この時宇都宮で喰わせたエビフライに味をしめた訳でもないだろうが、以降も懲りずに顔を出してくれる。
1月2日には、しばらく前まで浦和のご近所さんだった架空戦記作家の陰山琢磨くんと名古屋駅で飯を食った。「高島屋のワキのアソシアっちゅうホテルのロビーで」という話で、名古屋駅ビルのマリオットアソシエ15階ロビーに出かけて行った。とってもゴージャス。が、彼は待ち合わせに現れない。まあ、陰さんのコトだからお屠蘇気分で遅くなってるんだろうと思って待つが、三十分近く現れない。やっと電話が繋がってみると、彼は一階ロビーで待っていると言う。「一階なんて、駅やろ? ロビーってあったか?」「ありますよ……」「タカシマヤの隣やんなぁ?」「へえ、そうでおま」……どうも食い違う。さんざん悩んだ揚げ句に判明した事は、彼は「高島屋のビルの隣のビルに入っているターミナルアソシエ(昔のターミナルホテル)」のことを言っており、私は「高島屋と同じビルに入っているマリオットアソシエ」を思い描いていたということだ。
かくして、間違いを悟った我々は急遽合流。彼がいま出版社に預けている新作小説の話等を伺う。相変わらず細部まで練った話の組み立てをする男ださらに、今考えていると言うSFのネタというものも、話を聞いた。この男の考えるお話はどれも面白いので、ガンガン書いて貰いたいものだ。
1月3日の土曜日、東京方面に戻りシナに、もし土曜日という事で、あるようなら金曜会に顔を出してこようと企む。金曜会は、中部SF同好会ミュータンツクラブの例会だが、特に誰が来ても良い集まりなので、ミュータンツのメンバーで有る無しを問わず、名古屋圏のSFファンの半ば公的な交流基盤となっている週例会だ。開始時点では金曜の夜という事だったらしいが、あっという間に土曜に移り、以降、何十年も名古屋で週末の夜に続けられて来た、歴史の古さでは日本でも屈指のSFものの集まりだ。1990年代半ばに、永らく会場となってきた『喫茶クローバー』の店じまいで開催場所を変えたが、それ以降、神北は顔を出せないでいたので、いい機械なので参加できないかと目論んだのだ。
しかし、まだ三が日の内という事で、どうなっているのかと問い合わせてみたところ、流石に今日はみんな来ないんじゃないか、でも飯ぐらいならつきあうよと言ってくれた名古屋是清くん夫妻と名古屋市内でメシを喰うことに。ゲゲボドリンクの部屋の主催として知られる名古屋くんに店の選定を任せるのは、ちょっとドッキリものだが、「おれの趣味はドリンクだけだ。食い物までは手を出してないっ!」という本人の主張を信用。名古屋くんは、岡田くん等も誘ってくれたが、連絡付かずに断念。
最近の仕事の話や、先日のSFクリスマスの事。東京で仲間が集まっていてる月例の宴会の話等、いろんな話をする。名古屋くんとは1989年のダイナ☆コンEXの準備をしていた頃からだから、15年ぐらいの付き合いになる。あいつはどうした、こいつはどうしてるという話だけでも、いっぱい話をする事がある。
話している最中に岡田くんから電話『何だった?』「いや、帰るところで、メシでも喰おうと誘ったんだが、名古屋くんが、岡田なんか呼んでもツマんないって……」
「……おいおい!俺ァそんなこと言うとらせんぞ!!」「いや、おれはお前を誘おうって言ったんだけど、名古屋くんがな〜……」「だから、俺は何にも言っとりゃあせんって!、もォしもしぃ……」……。結局、岡田くんはPHSを家に置いたまま、両親の初詣につきあわされていたことが判明。既におしるこで腹一杯だと言うので、じゃ、また今度という事になる。
今回、出来れば一度会いたかった人は他にも多いが、結局、夕方に病院日参という予定が入っている以上、どうにも時間が自由にならなくて、連絡し損なってしまった。残念。
まあ、とはいえ、ともかく、とりあえず。2004年が始まりました。
皆様、今年も宜しくお願いします。
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