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2004/02/27

プリン野郎が汚名返上して名誉挽回したぞ

 2月21日土曜日の朝、神北は旅立った。目指すは、4.5キロの彼方、その方向の至近駅から数えて2つ目の駅。時間ぴったりに到着。待ち合わせるメンバーはまだ来ていない。十分経過、待ち合わせ定時。まだ来ない。三十分経過、まだ来ない。おかしい。
 電話を掛ける。
 「おーい、幹事のプリン野郎!誰も来んぞ」
「へいセニョール、焼津行きは、明日ですぜ?」
「えー? そうだっけ」
「勘弁して下さいよ。徹夜明けなんスから」
「なにぃ明日だとぉ、俺は1時間もかけて歩いて来たんだぞ」
「あっしのせいじゃないっスよ〜」
「いいや、お前のせいだ〜」
「ふぇーん」

 事の起こりは、昨年の十月に遡る。そのころの日付のこのページにも書いたが、塩坂・真庭・古市・そして神北の四人で、塩坂号でダイナ★コンに向かったときのこと、途中でどうしても大きなプリンが食べたいと、車のオーナーである塩坂くんが主張。なんでも、噂になる程の巨大なモノだとか。
「チャレンジを達成して、失敗した神北さんのことをプリン野郎と蔑んでやりますよ」
と、強気の主張をする塩坂くんにひっぱられるようにして、我々はそのお店『カントリーロード』へ。しかし、ここで大きな裏切りが生じる。
 この店には、プリンは基本的に二種類ある。900円の普通のプリンと2000円の大きな方のプリンだ。神北も、大盛りとか、大食いとか云う言葉が大好きで、そこそこ喰って来たつもりなので、塩坂一人にチャレンジさせるつもりはなかった。流石に大きなプリンにディップアイスをぼこぼこ盛った、巨大なパフェ(と称する甘味兵器)にチャレンジする気はなかったものの、大きな方のプリン程度は付き合おうと考えていた。そこで、プリンに果物や生クリームを軽く添えたプリンアラモードを注文。さあ、チャレンジの主役塩坂くんはと見ると、「あ、この小さい方のプリン」とハナっから逃げを打っている〜!!
 おいおい、ヲヒヲヒ……。そんなん、ありデスカ??
 こういう経緯で塩坂くんは、自ら望んだ「プリン野郎」という称号を得ることになったのである。
 時は流れて、つい先日。このプリンの噂を聞いて、ある男が言い出した、「俺も、チャレンジしたい」と。結局、何人もの人を募ってプリンを食いに行くことに決定。
 当然のように、案内役に指定されたのがプリン野郎こと塩坂くん。結局幹事までやらされることになってしまう。
 このプリン野郎の呼びかけに応じて、何人かの男が立ち上がった。面白いので神北も付き合うことにした。で、冒頭の通りである。

 「え〜今日じゃないのか〜」
ということで、一時間足らずで歩いて来た道を、今度はトボトボと1時間半かけて家まで帰った神北は、2月22日の日曜日、ふたたび集合場所へ。この4.5キロが、平坦な関東平野とはいえ、急いで歩くと結構ある。へとへとになって辿り着くと、ちょうど待ち合わせた栗原さん・渡辺くん(ミツルん)が歩いている。この三人が今日の同乗組だ。今日こそ無事合流。
 すぐに車で発進し、首都高へ。プリン野郎を含む横浜組との待ち合わせは海老名のSA。都内走行中に安達くんから電話。
 「俺もそろそろ行こうと思うんだけど」
 「ああ、俺たち今首都高の上。とりあえず海老名でみんな合流だから宜しく」
 「了解」
 ということで、来そうな面子は揃った。びっくりするぐらい首都高が混んでいなくて、スルスルスルと用賀に到達。東名高速に乗換えて、一気に海老名に至る。首都高に続いて今日は東名も走り易い。気持ちの悪いぐらい問題なく流れている。
 二十分ぐらい休憩し、今日の面子を確認。栗原号には我々三人、藤澤号には藤澤兄弟とプリン野郎。そして、安達号は安達くんと齢三つの倅ヒロキ。この8人が今日の全メンバーだ。
 空も快晴ドライブ日和。いい感じに車列も流れている。とおもっていたら、唐突に薄暗くなって来た。雨がボツボツ、ざーざー、だーだー……。おい! 何が悪いのか誰が雨男なのか判らないが、神奈川県から静岡東部に掛けて、急に雨。まいったなぁ。
 しかし、そんなに大きな雨雲ではなかったらしい。雨雲を抜け、晴れ間が広がる途中のPAでもう一度合流し直して、まずはプリンを目指しカントリーロードへ。一気に東海道を名古屋までの半分も走って来た換算だ。
 カントリーロードに辿り着いた我々は、何の躊躇もなくプリンを注文。今回はチャレンジャーではなく、単なる見届け役なので、神北は900円の方の物を選ぶ。「明日、健康診断なんや、変な数値出すわけにはいかへん」という栗原さんと安達くんもこれに倣う。しかし、残りの面子は大きな方に挑む。半年に及ぶ「プリン野郎」生活がよほど堪えたのか塩坂くんに至っては「大きい方、にフルーツとディップアイスを二つ載せて」
 先に運ばれて来た小さい方のプリンを見て、ミツルんの目が泳いだ。あきらかに「小さい方でこんなにあるの〜?」と訴えている。しかし、自分の元に運ばれて来た大きい方を見てちょっとほっとしていた。大きさは一回り程度しか違わなかったからだ。しかし、彼は気付くべきだったのだ。この大きさの『一回り』がどれだけ大きいかということに。
 ヒロキが、自分でスプーンをもってさっそくプリンを一口。にまぁっとする。
 「ヒロキ、ちゃんと『いただきます』した?」
 「いまのは、味見!」
うーむ。三歳にしてこの言い返し。安達家の英才教育の成果であろう。
 前にも書いたが、ここのプリンは、大きいからといってそれだけが売りではない。この大きさでちゃんと形を維持しているだけのしっかりした生地で、しかも美味しい。
 まあ、小さい方のプリンなので、前回のチャレンジから見ると軽い物だ。前回は、昼食の刺身定食をしっかりと食った上のチャレンジだったが、今回はそれもないので、美味しく頂ける。
 食い終えて周りを見回すと、さすがに大きい方組は必死で喰っている。ちょうど半分ぐらいが一番キツい。カラメルやクリームで目先を変えようとしても、結局はベースにある濃厚なプリンの味が、一種の壁になって来るのだ。それでもみんなまだ食い進めている。
 やがて、大きいプリン組も早い者から食い終わり始める。
 しかし、二人、匙足の止まりかけている人がいる。上から順に喰って行ったため、壊れかけたバベルの塔のような状態のプリンを前にした藤澤(兄)くんと、ディップ二つ分がボディーブローのように効いて来たプリン野郎こと塩坂くんだ。経験者だけに、流石にこれに対して「ちゃちゃっと喰っちゃえよ」とは云えない。藤澤くんのごく一部残っただけのプリンでも、普通の不二家なんかのカスタードブリン6コ〜10コ分はあるのだ。コージーコーナーのジャンボプリンで云っても体積で5コ分ぐらい。ただし、カントリーロードのプリンは、このコージーコーナーのものより濃厚に作ってあるから、濃度を視野に入れるならインパクトは1.5倍換算はすべきであろう。
 一方、プリン野郎こと塩坂くんは、解け始めたディップアイスにも苦しめられていた。プリン用の平たいスプーンでは溶けたアイスは喰い難いのだ。
 なかなか壮絶な光景が展開する。神北はそれをコーヒーをのみながらゆるりと観賞。まあ、前に一度喰っているからねぇ。

 結局、藤澤(兄)くんは、途中でリタイア。プリン野郎こと塩坂くんはなんとか凌ぎ切って、ギリギリセーフ。かくして、藤澤くんは二代目プリン野郎の名を受け、塩坂くんは四ヵ月ぶりに、自ら望んで受けたプリン野郎の名を返上したのである。
 これにより塩坂くんは「先代プリン野郎」と呼ばれることになった。
 いや、別に藤澤(兄)くんが二代目となる必然はなかったんだけど、まあ、その場のノリだな。

 プリンを食べ終えた我々は、焼津おさかなセンターへ移動。安達親子とはここでお別れ、別行動となる。市場内を彷徨った揚げ句、小さなお寿司を食べてあがりとした。さすがにここまで来てマグロを喰わないのは反則だけど、甘い物を先に詰めているので、別腹が作動しなかったらしい。
 この後、富士山の麓あたりの立ち寄り温泉を目指して移動。しかし、一点俄にかき曇り、雨が……。さっきの雨雲地帯に戻って来たのかな。この雨の中を高速道路を走っている間に、相談し、経路の複雑そうだった1つ目の目標を諦め、場所がよく判っている御殿場温泉会館へと目標を設定。
 さすがに徹夜仕事明けと血糖値バリバリがダブルで効いて来て途中で眠っていた塩坂「先代」が、降りるなり、
「あれ、予定変更したの?」
ミツルんがすかさず、
「探したんだけど判んなくって、迷ってたらここに着いちゃいました」
「へえ〜」
 いや、へぇ〜って、いくら富士火山帯の真上で温泉地多いからって、迷って走っていて見つかるもんじゃないっすよ。
 御殿場温泉会館は、御殿場のインターから箱根へと向かう経路にあって、晴れて居れば市内を一望、その向こうに雄大な富士が見えると云う絶景の温泉。あまりにもハマった光景に、へたな旅行ガイドの写真では銭湯風の描絵壁に見えるが、「実はホンモノだよ〜ん」という、とても気持ちいいお風呂。むかし、陸自の総合火力演習を見学に来た時に発見した場所だ。
 血糖値のなせる技か、うっすらとかいた妙に粘つく汗を、お風呂でゆっくりと流した後は、二時間の時間制限一杯まで大広間でゴロゴロ。気持ちいい。
 ここで、藤澤兄弟の弟の方が教えてくれた「ポカリは濃すぎるから水で割ると良い」というのを実践してみる。半々か、3対7の水勝ちで割ると、スルスルと呑める。まあ、割っている水が富士ミネラルウォーターなんだから、それだけ呑んでも美味しいんですけどね。
 帰りがけに、塩坂「先代」が、
「道をちゃんと調べないといけませんよね」
こいつまだ、我々が迷ったと思っていたらしい。
 この後、高速に戻った我々は、海老名のSAで夕飯を食べて、一路自宅を目指したのであった。

 さて、次は何を喰いに行こうかなぁ……。

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2004/02/20

「わたおに」と「列車で(地獄へ)Go!」だぞ

わたおに
「わたおに」といわれて、あなたは何のことを思い出すか?
 神北の周りでは多くの友人が「週刊わたしのお兄ちゃん」と答えそうである。しかし、この言葉はそれ以外の使われ方もする。云わずと知れた「渡る世間は鬼ばかり」である。ワタオニ音頭なーんてCDを、出演者一同で出したばかりで、こちらも元気がいい。(ハズだ)
 じゃ、どっちが元気ええんじゃという訳で、チェックをしてみんと欲す。とりあえず、Googleヒットでチェック。
 結果はいうまでもなかった。前から50件で、『渡る世間……』は、たった1つ。37位に一度現れただけだった。その次も58位に再び顔を出すが、それにしても、この圧倒的な「お兄ちゃん」の洪水は何だ? ア・バオア・クー戦前半のジオン軍より圧倒的だぞ。
 世も末。というか、こんなことでいいのか? 21世紀日本。というか、まあ、困った物だ。

列車で(地獄へ)Go!
 困ったと云えば、困った43歳の話。
 ロサンゼルスで、ショッピングカートを列車に引っ張らせてみようと考えついた43歳男性。カートにくくり付けたロープを走って来る列車に投げたところ、ロープに自分が絡まり、引きずられて死亡したそうな。うーむ。
 しかも、この事故、17歳の息子の目の前。
 まあ、息子にしてみれば、面白い親だったんだろうけど、普通、息子がそういうことをやろうとして、止めるのが親の仕事だろ?
 第一の謎は、ショッピングカートが走って来る列車に引っ張られて行くのを見るのは、何か楽しいことなのか?……ということ。
 第二の謎は、走って来る列車に物を投げつけてはいかんということを、アメリカ人は理解していないのか?……ということ。
       ・速度差で、物が壊れる可能性を考えないのか?
       ・ちょっとしたバットスイングぐらいの速度の出ている列車に当って跳ね返された物が、自分や周りの人に当ることを考えないのか?
 第三の謎は、その行為は、列車の運行妨害として、立派な犯罪になるのではないか?……ということ。
 謎の多い事件としか言いようがない。しかし、もっとも謎なのが、そもそも、カートの代わりに親父の方が引きずられて行くことになった経緯はどうなっているのかということだ。
 世も末。というか、こんなことでいいのか? 21世紀アメリカ。というか、まあ、困った物だ

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2004/02/17

アスキーにやられたぞ

やられた。
 3月18日に出る、『月刊アスキー別冊 蘇るPC-9801伝説 永久保存版』。Windows上のPC-9801エミュレータと来たもんだ。
 付録には、当然、表参道アドベンチャー 南青山アドベンチャー等、アスキー誌に掲載のプログラムをはじめ、各社の協力により20本ものゲームが付録ソフトとしてつく上に、『PC-9801 1/6スケール・ペーパークラフト』と来たもんだ。
 しかし、変にゲームばかりより、ディスクユーティリティーとか、簡易なワープロとか、いろいろ面白いソフトがつけば笑えるのになぁ。
 他にも、『ア・スキー82』再録の上、『ア・スキー2004』。とどめは、『Yoのけそうぶみ2004』うーむ。何を考えているのか判らない程濃厚な1980年代前半攻勢。
 かつてのパソコン少年だった世のオヤジどもよ、買え! と云わんがばかりである。

 しかしオイラは、FM-7エミュレーターが欲しいぞ。
 F-BASIC Ver3.0なら、自由自在だぜ。

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巨大生物のサイトだぞ

 我々の世代は、第一ウルトラ世代である。だから、この世代の中で怪獣が嫌いと云う奴には、まず会ったことがない。
 しかし、それだけに留まらず、ちゃんと恐竜なんかまで知識を深めている人となると、随分数が減って来る。我々の世代でも、怪獣と恐竜が区別出来てない人は少なからずいる。マストドンやアパトサウルスという古代生物がいるからと言って、◯◯ドンや◯◯サウルスがなんでも実在する訳ではない。早い話が、テレスドンやキングザウルス三世は怪獣ということだ。
 その、あからさまな差がちゃんと付かない人がいる。わりと多くいる。ゴジラもティラノザウルスも、映画に出て来て人喰ったり建物壊したりすんだろ?! おんなじじゃんか? というひとジャンルで括ってしまい、それでOKという人だ。
 かと思うと、まあ人生にはプラスもあればマイナスもある。浅瀬もあれば深みもある。薄い人が居れば濃い人もいる。恐竜ファンに次いで密かに意外と多く居るのが、古生物ファンと云う人種。恐竜は常識、そこから範囲を拡げてバージェスから古代哺乳類まで、かなり、いろんなジャンルを含み、人によって守備範囲は様々だが、この層は意外と厚い。で、熱い上に深い。
 しかし、これとまた少し異なるもので、絶滅動物ファンと云う人たちがいる。古生物というには遥かに最近、人間の影響等によって絶滅した動物のことが趣味という人たちだ。比較的ロマンを呼び易いのは、モアやドードーなどの飛べない鳥。あと、マンモス程旧くはない、ここ何百年、せめてお釈迦様が生まれた後ぐらいまでは生きていたと云う記録が残っているか状況証拠が残っているオオナマケモノやステラーダイカイギュウなどの、美味くて絶滅させられたらしい大きな哺乳類。これは、かなり色々な記録資料、へたをすると生きている写真すら残っていているものが多い。
 この手の趣味を持つ人にはたまらない本がある。ハヤカワ文庫 NFの、 『 幻の動物たち(上・下)』ジャン=ジャック・バルロワ/著 ベカエール直美/訳(早川書房 1987年11月刊 ISBN4-15-050138-6/ISBN4-15-050139-4 )だ。入門書としてよく、資料としてよし。さらに読み物としての面白さも抜群だ。

 もちろん、別のアプローチの人たちもいる。巨大生物ファンという層だ。
 とにかく、大きな動物が好きという人はかなり多い。そういう人のためにぴったりのサイトを見つけた。

巨大動物図鑑

 ここは面白い。文章の纏め方も上手いし、資料として、写真や図版を多用してあるので、その生物をイメージし易いのが良い。巨大生物の好きな人、何じゃそれと思う人を問わず、是非一度、みなさん覗かれることを強くお勧めしたい。

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2004/02/15

今世紀最大の破局報道だぞ

 唐突に、CNNでバービーとケンが破局という報道が飛び込んで来た。みなさん、ご存知だろうか?
 CNNによると、マテル社のラッセル・アロンズ副社長(マーケティング担当)よりの情報で、43年間、スティディーとして通して来たケンとバービーが、ついに破局を迎えたということだ。
 ケンは、1961からバービーのお友達として登場し、当然、バービーの最も親密なステディーだった。バービーと言えばケン、リカちゃんと言えばワタルくん。基本中の基本だったのだが、なんだかなぁというカンジ。
 女児の人形遊びの世界にワタルくんみたいな気になるステキな男の子ではなく、恋人としてのケンを持ち込んだ事は、日米のごっこ遊びの文化の差とか、高校生という設定のバービーと小学生という設定のリカちゃんの立場の差とか、いろいろな言われ方をする。しかし、それを超えてなお、失恋破局は、ちょっと行き過ぎなんじゃないかなと思う。
 前世紀の最後の15年間ぐらいで、スーパーマンが死んで、蘇って、ロイスレーンと結婚したことを初め、バットマンでは三代目ロビンが悪漢たちに殺されてしまったり、バイオレンスジャックの東京地獄地震並みの大地震でゴッサムシティーが崩壊したため米国政府が統治権を放棄し、随分長い間ノーマンズランド(統治機構不在地)になっていたりした。いわば、古き良きヒーローたちが、過去の基本設定を大きく脱ぎ捨てて、新しいフロンティアに向かって動き出すと言うムーブメントだ。その中で、エグゼビア教授はエックスメンを結成した。単なるスペシャル版的なスーパーヒーロー協力モノだったジャスティスリーグは、多くのスーパーヒーローを横断的に繋げる基本設定と化し、独自の世界観を持った。
 しかし、これはちょっとした大人のためのお遊びに過ぎない。十二分に基本設定を楽しみ尽くした大人のための、変格ワザなのだ。
 だが、バービーを受け入れる子供は、いくら現代社会に生きていて、離婚報道やスキャンダルのニュースに触れているとはいえ、バービーの破局ということをどう受け入れるのだろうか。しかも、ステディーな関係は終わったが仲のいい友達の一人としてのケンは残るのだそうな。

 子供の人形遊びの中核キャラの一人に、主人公の元カレが居るっちゅうのは、どないやねん ??

 マテルという会社は一体、何を考えて、こんな動きを発表するに至ったのだろう。 謎だ。

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2004/02/13

秋葉原にまた……だぞ。

 うーむ。メイドさんカフェとかこういうのがあるのは知っていたが、小悪魔の宴LittleBSDという、新しいオタク向け居酒屋の告知に、クラクラ。
 従業員を、おネェさん=小悪魔、ボーイさん=魔法使いの弟子、と呼んでいるのが笑える。ちなみに、自分でコスプレ衣装を持って行くと、時給が100円UPするそうな。
 しかし、そこに需要があるからと言って、こういう世間様がオタクに向かって営業してくるというのも、いかがなものか。
 オタクなんてものは、世間様の方向と自分の趣味との齟齬に、悩み、打ちのめされ、育たないといかんのではないか。情報が溢れていて、テレビにはオタク向け情報番組がいくつかあり、情報誌も10や20は出ており、玩具屋や本屋・映画ショップの片隅でホソボソと自分の趣向にあった物を探さずともビル1つアニメショップなぁんてものがダカダカ立ち並ぶこんな時代、ちゃんとした根性のあるオタクは絶滅してしまうのではないか。
 あの『宇宙戦艦ヤマト』映画化決定以前の、『機動戦士ガンダム』本放映時の、『テクノポリス21C』や『クラッシャージョウ』劇場版公開時の「ここで俺たちが支えないと」という感覚を共有・経験して来た世代としては、溢れ出して来るようなオタク文化の洪水にどうもなじめない物を感じてしまう。
 今、一週間に放映される新作アニメ・特撮等は、合わせて108本だそうな。その昔、30本を超えた所で『もう全部を追いかけられない』という声が、あったが、そんなものではない。1本30分として、週七日間休み無しに毎日まいにち8時間は見て行かないと追いつかない換算だ。アンパンマンのような幼児向けの物から順に削ったとしてもまあ、4〜5時間は、見ないと追いつけない。
 しかし、この『追いつく』という感覚すら古く、今の受け手や、送り出している側には無いのかもしれない。かつては、全放映作品を見てこそ、はじめて始められる感覚があったが、いまは、洪水の中で、自分の取り入れる物と流してしまう物を瞬時に取捨選択してゆく事が要求されているのだ。
 まさに拡散と浸透。まさに百花繚乱。
 しかしこんな時代にこそ必要な、良い物を見つけ粗悪な物を排する取捨選択の目を持った、かつての月刊outアニメックのような、独自に面白い物を見つけてプッシュしてくれる羅針盤が、今のオタク周りには存在しない。
 アニメ誌と言うと、取捨選択を諦めてどのアニメも横並びにページを割いてゆくのが、今のスタンダードだ。読者からの反応の大きさで前の方の広いページに特集される事はあるが、基本的になんでも扱い並べてしまう。
 しかし、専門誌というのは、別に総合誌でなくても良い。今こそ、俺の本は俺の好き嫌いで記事を決めて行くぞという方針を前面に立てた、何之何某責任編集雑誌が、必要なのだ。
 小悪魔居酒屋の広告サイトから、そんなことを思う今日この頃……。

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2004/02/11

青春の思い出を噛み締めたぞ

 ついに来てしまった。吉野家のメニューから牛丼が消える。……ということで、当然のように、火曜日の晩ご飯は吉野家に。
 吉野家という店を、名前だけにせよはじめて知ったのは、中学生か高校生の頃だったか。自分の生活圏には無いチェーンなので、CMも流れないが、マンガかなんかに「やったねパパ。明日はホームランだ」というフレーズを見たのが最初だろう。やがて、東海地方にも吉野家チェーンは展開を開始し、牛丼という聞き慣れない食べ物の名前と共に吉野家のCMが流れるようになった。
 今の若い人には判らないかもしれないが、1970年代までの日本人には牛丼を食うなんて風習は、わりと希薄だった。尤も、すき焼きの翌日になべの残りをご飯にかける事は普通にしていたけど。とはいえ、我が家のすき焼きは、割り下なんテェ物を使う関東風とは異なり、酒と醤油と砂糖で味付けするモノだったから、甘くて、野菜と言えばネギや白菜で、肉なんてチョンと残っていたら大ごちそうで、半分は前の晩の美味しかった記憶を反芻するための食い物だった。
 そんな神北の持っていたイメージを一新したのが、吉野家の存在だった。最初に喰ったのは大学に入ってからだった。名古屋で学生生活を送っていたので、杁中(いりなか)の店だったか上前津(かみまえづ)だったか。とにかくびっくりした。甘いすき焼き丼を予想していたので、吉野家の牛丼は異様だったのだ。タマネギ入っているし。もちろん、当時からキャッチコピーのフレーズは美味い安い速いだったけど、当然、食い物の値段も昔は高かったから、文庫本一冊と比べた値段比は今の2〜3倍以上したと思う。SFやマンガに財布を圧迫され続けていたから体感価格はその何倍にも当たる。上前津の古書街で本を買ってしまって、残った金で吉野家の白飯とみそ汁だけ喰った事なんか、思い出すと泣ける。(マヌケさに……)
 そのころ、吉野家は一度倒産の危機を迎え、自分の生活圏には1つも店舗がないので名前以外は全く知らないダイエーというスーパーが買い取るなんて話が出たり消えたりした。まあ、その時はまだ、食えなくなって困る食い物ではなかったんだけど。
 最初は、あまり好きな味じゃなかった牛丼だが、慣れて来て違和感がなくなると、普通にチョイスするメニューの1つになって来る。まあ、同じだけ腹を満たそうとするとマクドナルドでは1.5倍は費用がかかった時代だ。マクドナルドと吉野家が安さのデッドヒートを繰り広げる今となっては考えられない話だが……。
 しかし、就職した途端に困った事になった。ひと月の研修を経て任地となった栃木県は宇都宮市に赴任してみると、たった数年で生活に無くてはならなくなっている牛丼屋がないのだ。オレンジ色の看板がどこにも無い。もちろん松屋もない。うっわぁ。どんな田舎だよここはっ! しかし、牛丼文化果つる地、宇都宮にも、牛丼が喰える店が1つだけあったんですよ。今は知らないが、居酒屋の養老乃瀧には、牛丼というメニューがあった。かつて、吉野家が全国展開した頃に、同様に全国展開していて牛丼を食わせるライバル店として紹介している無責任な雑誌記事を読んだ事があったのだ。まあ、その記者の感覚としては吉野家の牛丼は酒を飲んだ後のシメに食う物で、吉野家で喰っても居酒屋で喰っても、同じだったんだろうなぁ。しかし、そんな変な記事でも、神北の腹と舌を救った事は間違いない。酒の全く呑めない身で、どうしても我慢できない時に何度か居酒屋に通いましたともさ。
 てなわけで住んでいる所はほとんど牛丼未踏地といって良かったから、その時期に最も良く使ったのは、都内の牛丼屋だった。宇宙軍とクリコンの例会に顔を出し、企画集団TDFの東京例会も主催していたから、月に3回ぐらいは東京に出ていた。そして、せっかく出た日は、土曜の夜にオールナイトで映画を見るのが常だった。最近では普通に昼間と同じ映画を流すところが殆どだが、当時、いくつかの映画館では、土曜の夜になると、「恋愛映画名作4本立て」だの「角川三人娘大会」だの、「恐怖映画特集」だの「怪獣映画3本立て」だのと、いろんな切り口で特別興業を打っていた。ぴあ片手に作戦を練りつつ、夜10時か11時にどこかでメシを喰って映画館に入る。早朝、4時か5時に映画がハネてぞろぞろと出て来ると、電車が動き出す前にまず開いている店で腹を満たす。もちろん、予算は潤沢とは言い難いから、安くて早くて美味い物を食いたい。そうなるとやはり牛丼だ。フラフラになって出て来ると、メシを食いつつ時間をつぶし、山手線の始発に乗り込む。当時は本当に良く映画を見に行った頃で、次に映画館が開く10時か11時までチョイと一休み。これが神北の東京の廻るベッド。まあ、無茶をした物だ。その無茶に常に付いて回る思い出が吉野家の牛丼だった。松屋ではついつい定食メニューに走り牛丼を喰わなかったから、牛丼と言えば吉野家。
 しかし、その吉野家から牛丼が消えてしまう。まさか、こんな事になろうとは、誰が思おうか。
 肉の備蓄がなくなるまでということで上手く行けば後2〜3日はメニューが残る場所もあるようなので、機会はもう一度ぐらいあるかもしれないが、その一杯が、慣れ親しんだ味の最後の一食かと思うと、万感こみ上げるものがある。店に入るまで半分冗談のつもりでいたのだが、なんだか本気て悲しくなって来る。親友が遠くに旅立つような寂しさだ。
 はやく帰って来いよ。オレは待ってるぞ。

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2004/02/08

新年会だぞ

 今頃と思われる方も多いだろうが、2月7日(土)は、 T-con 2003 スタッフの有志の新年会だった。大会で苦労を共にした仲間の一人、牛丼仮面氏が、彼の近しい仲間に声をかけて、結構な人間が集まって、ワイワイと大騒ぎをした。
 宴会は、牛丼仮面氏のマンションの共用施設の一つ、パーティールームを借り切って行われた。何人かの、料理を作りたい人間が先行して集まり、何種類かの鍋や様々な料理を作るという、すっかり定着したいつものスタイル。料理の腕を振るいたい人は昼過ぎに集合。特に料理を作らない人は三時間遅れぐらいで集合。ただキッチンが家庭用の物と同じサイズで、そう何人も厨房に立てる状況ではないため、今回神北家では、作る方に回るよりはすぐに喰える差し入れでも持ってゆくのが良いと判断。女房と二人で出かけて、デザートの洋菓子でもと思って、途中の新宿駅でデパ地下へ。
 結局、新宿小田急のデパ地下をしばらく彷徨った後、ま、来週会えない連中もいるということで、チョコレートを買ってゆく事に。うちの女房が前々から一度買ってみたかったという、神戸のフランツという会社が作っているチョコレートに決める。神北自身もここのチョコはずいぶん気になっていたのだ。女房からみんなへの、ちょっと気の早いバレンタインということで、工具セットと、単品のボルトとナットを選択。ベルギー産のチョコレートを、イタリア製の工具の形に仕上げた物だそうで、写実的なのが美しい。これが、またよく出来ている。さすがにペンチこそ開け閉め出来たりはしないが、ボルトとナットは、ちゃんと回るのだ。
 会場に着くと、既に15人か20人の人が。みんな見慣れた顔ばかり。主に、牛丼タワーで共に作業をしたメンバーなので、非常に気心が知れている。今回集まったメンバーの殆どが、去年の5月中旬から7月頭まで、SF大会のオープニングを飾る自主アニメを作った、スタッフ内の有志なのだ。
 去年の作業で中核になったのは、経験者ということで、アニメの専門学校に行っていた二人。それに、同人誌で漫画を書いている人が何人か。それ以外は、普通に暮らしていて絵を描く事も稀という人ばかり。しかも、猶予期間は2ヶ月余り。無い無い尽くしで始まった作業だが、だんだんと大きくなって行った。この時の作業は、全面的にコンピュータによるアニメ制作を取り入れ、現在日本の多くのプロダクションで使用されているアニメ作成ソフト「レタス」のライト版を中核に置いていた。しかし、いくらライト版とはいえ、「レタス・ライト」を人数分揃える費用は勿論無い。様々な手段で、レタス上での作業を軽減した。まず、原画・動画は、動画用紙を使い、アナログに作成。これのスキャニングは普通に Win 機に繋がったスキャナから行われて、どんどんと蓄えられてゆく。コンピュータに強い奴が、 Win 上で動くフリーソフトの GIMPを導入し、そのスキャンした生データを加工する事を教えた。境界線の繋がりを明確にして、そこに色を流し込んでゆく。これで、いわゆる「彩色済みセル」の段階まで、1つも「レタス」に頼る事無く、ほぼマシン台数だけを限界に平行作業を可能とした。次に、それを「レタス」で撮影する。セルを組み合わせ、背景と重ね合わせて行うのだ。この後、纏めて映像化されたデータは、 PRIMERE による編集で、音と絵、そして細かなタイミングを調整されて、アニメになってゆく。
 その作業の人海戦術を乗り切るために、スタッフの家で空いているセカンド機・サード機がかき集められ、牛丼仮面氏のマンションに運び込まれた。その機械は毎週末、牛丼仮面氏の部屋からマンションの低層階にある共用施設の会議室に運び込まれ、有志の持ち込んだサーバ機を中心にLANが張られ、十人・二十人という人が集まっては、朝から晩まで作業に没頭した。集まったスタッフの労力も凄いが、これだけの人数の昼飯を毎回、一人何百円かのカンパだけで、作り続けてくれた牛丼仮面氏の努力が無ければ、この作業は頓挫していたと思う。
 結局、二ヶ月の作業期間を経て、全くの素人が寄り集まって作った三分ほどのオープニングアニメはなんとか完成し、SF大会当日のオープニングを飾った。しかし、作業が終わった後も、苦労を共にしたメンバーの結束はかなり固く。大会以降も、牛丼仮面氏の呼びかけで、度々こうして集まる。
 今回は、冬ということもあり、主力は鍋。あと、面白いからということで、注文して、狩猟ものの肉を用意してくれた人がいる。鹿肉と兎肉だ。他にも、自分の焼いたお菓子を持って来てくれた人、料理を持って来てくれた人。いろんな人がいろんな物を持ち寄り、ワイワイ食べては話す。
 鹿肉は知っての通り、牛をちょっとあっさりさせたような肉。そう、たとえるならば牛と鯨の間ぐらいのさっぱりした風味で、癖が無い。兎肉にはびっくりした。これまで、イタめし屋とかで出て来る兎肉の料理と言うと、真っ黒の肉が出て来たので、兎の肉とは元々そういう色をした物であろうと思っていたのだが、鶏肉のような薄ピンクの奇麗な肉だった。あっさりしていて鶏肉のようでもあるが、流石に鳥ではない。ちゃんと獣肉なので、ブタとかほどではないが、かなりしっかりしている。そういうものを喰いながら、いろいろな話をする。今年のアニメはどうだとか、最近のネットで話題になった話とか、牛丼がなくなったら牛丼仮面の名前はどうなるんだとか、最近どうしているとか、「週刊私のお兄ちゃん」がどうだとか、ありとあらゆる話題を話し込む。数時間なんて瞬く間に経ってしまう。
 なんにせよ、こうやって大会の終わった後に、スタッフが何度も何度も集まってワイワイ騒げるというのは楽しい。この面白い場を用意してくれた牛丼仮面氏と、料理チームの面々に感謝である。

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2004/02/06

馬鹿に鉄槌が下されたぞ

 世の中には、とんでもない馬鹿がいるというのは、インターネットを見ていれば誰でも判ることだが、これはまた極めつけの馬鹿の話。
 「アンディー」というハンドルの男が、「クリスマスに最新型の PomerMac G5 をプレゼントされたが、『オイラが欲しかったのは Windows マシンだ』といって、内部を全て取り外し、マイクロATXマザーボードの PC/AT マシンに作り替えた」という記事を、作業中の写真入りで、オーバークロッカーズ・ドット・コムというサイトに発表。なぜかこのサイトは今開けなくなっているが、urlは『http://www.overclockers.com/』なので、落ち着いたら訪問してみるのも良いかも。
 当然、何千通だかの、熱心なマックユーザからの心温まる(例『地獄の炎に焼かれろ』『お前のための弾丸を用意した、撃ち殺してやる』等)の励ましのメールが殺到。彼のメールボックスはパンク。メールの多くは、ボックス・フルで受信拒否されたが、1300通程度は届いたらしい。慌てたこの馬鹿は、「いや、それはウソ。もともとドンガラ(中身無しの筐体だけ)を偶然手に出来たから、友達を騙すためにATマシンのマザーボードを入れてみただけなんだ」と弁明。コトの顛末はココに詳しいので、読んでみて頂きたい。
 あと、「アンディー」が撮った写真は、ココにある。
 掲載サイトのオーバークロッカーズ・ドット・コムの編集長の、「DELL機の中身を入れ替えた時には、『オレのデルを穢しやがって』なぁんて苦情は来なかったんだがなぁ」という反応が良い。まあ、 Win 機を更に高性能の Win 機に仕立てるのと、尋常でない高機能を誇る最新鋭MacOSX機を別に早くも凄くもない凡庸な Win機に貶めるのとでは、比べられよう筈がない。
 まあ、あとからとって付けたような「偶然ドンガラを手に入れた」話を信じる人は少ないようで、現在も『熱心な』マックユーザの心温まるメールは止む事なく、「アンディー」は人並みに落ち込んでいるらしい。
 しかし、出来心とはいえ、ヤっちまったことの責任は当然自分で取るしかない。「アンディー」が実際に何を考えていたかは知った事ではないが、これは、多くのMacintoshユーザにとっては、信教上の問題であり、宗教的受難なのだ。最初っから「ドンガラを貰った」と言っていたらこうはならなかったろうとは思うが……。
 いや、冗談めかさず正確に言おう。自分がまだ買えない(or苦労してやっと買った)最新鋭機を、「アンディー」はその価値や良さを全否定して、ブチ壊して見せたのだ。これは、二十数年前にアメリカの議員さんたちが大勢集まって日本車をハンマーで叩きつぶした光景と同じ物である。議員さんや「アンディー」は、「自分の金で買うなり、プレゼントされるなりして、合法的に手に入れたモノをどうしようが、全く以てオイラの自由だ」と思っているのだろう。しかし、日本車を、国政に参加している議員さん達が嬉しそうにハンマーでたたき壊すと云うグロテスクな図、そして中身を安物の PC/AT 機に入れ替えられた可哀想な PowerMac G5 の図、その持つ意味とそこに発生する責任は、「鬱憤晴し」や「ほんの思い付き」などという言い訳でで許されるような、一過性のモノではない。
 しかし、人の文化や価値観に土足で上がり込んで平然としている奴。そこに『死んじまえ』メールを送りつける奴。どちらも、殊程左様ににアメリカ的だなぁ。

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2004/02/05

ロボットのお姉さんは好きですか?

 ロボットの受付嬢と言う話、よく在る話と思う。別にロボットの形をしていなくとも、入り口に案内システムの入ったタッチ式コンピュータが置かれていて、会いたい人と連絡が取れるシステムを導入している会社は多い。まあ、クリアケースに入った内線連絡票と電話が一台、どでんっと置いてあるところの方が多いのだが……。
 で、最前線のロボット受付嬢SAYA嬢である。東京理科大のSAYAのページを見て頂くのが早い。
 一言で言って……コワい。25の単語を聞きとり、相手の声や音の調子を判断して、笑ったり驚いたり、6通りに表情を変えられるのだそうだ。が、シリコン製の皮膚の下に装着された人工筋肉がちょっとゴツいのかも。
 写真写りが悪いのかと思って探してみましたよ、あたしゃ。
 そしたら、ありましたともさ、SAYA嬢のベストショットとでもいうべきものが。PC Watchのこの記事に載っていた。そこに出ていた写真がコレ
 うーむ。この目。まさに「君の瞳に完敗」である。ク・リトル・リトル神話に出て来る、インスマウスの純朴な村人たちを思い起こさせるような、神秘的な、見事な、まさにビビっと来るモノのある眼差し。これ、夜中の照明の消えた中でも、じーっと座っているデスか? 入試センターの受付けに行って、これが座っていたとして、受験生の理工離れを促進したりしやぁしませんか? しかも、「アンドロイド」……。
 「ハンドメイド・メイ」とかに感銘を受けて、僕も将来はロボットのお姉さんを作るんだと志した若き才能に、入試センターの入り口でローリングソバ〜〜ット!! うーむ。
 若者たちよ、おじさんは君たちがここで目を覚まし、空にそびえるくろがねの城方面に技術的興味を移してくれることを、強く強く希望するぞ!!

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2004/02/03

Version 2.0 だぞ。

 CNNのニュースに、『赤ちゃんに「ジュニア」ならぬ「Ver2.0」と命名』という記事が在った。

ミシガン州ホランドの自営業ジョン・ブレイク・キューザックさんと妻ジェイミーさん夫妻が、息子に「ジョン・ブレイク・キューザック・2.0」と命名したそうな。
 出産報告の電子メールに、「バージョン2には、バージョン1の色々な機能のほかに、ジェイミーの機能も追加されています」と書いたそうな。
 しかも、ホンの思いつきではなく、この名前をつけることに関して、発案者のダンナは、ヨメに対し、半年近い説得をしたと云う。
 うーむ。まあボクらでも、地図を1枚描く毎に、記事1つ書くたびに、それにつける名前を頭をひねって考える訳で、名前を考えることの大変さは判らなくはないけど、子供の名前に2.0ってぇのはなぁ。
 うちは、子供のない夫婦なので、人の名前を付けるとい「この子の一生に影響するんだぞ」という重みを、身を以て感じたことはないが、バージョンナンバーと親子というのは違う気がするぞ。まあ、弟に「Light」とか「LE」とか付かないことを祈るのみだ。
 まあねぇ。自分にとってのニュースバリューとしては、PC Watch に載った『ラオックス、秋葉原AsoBitCityを4月11日に閉店』の方が大きいや。

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2004/02/02

地図データを買ったぞ。

 地図のデータを買った。
 こちとらプロの地図描きなので、まあ、普通の白地図データ程度ならば自分で描いてしまう。それで敵わんレベルの地図データというものは、そうそう在るものでもない。……ということで、かなり熱心に地図データというものは追っていたが、買うほどのモノは殆どなかった。が、ついに買ってしまいました。 DEX『マピオプロ{世界編}』
 そこそこの地図なら要らないんだが、世界全部の等高線地図というのは、おいそれと描けるものではない。いや、二ヶ月程もそれに専念したら、描けないことはないと思うが、ちょっとそういう作業に乗り出す勇気は、私には出ない。
 というわけで、 DEX『マピオプロ{世界編}』。いや、スゴいです。パっと見る分に、 JPEG のこの程度の地図なら、ネット上に転がっているように見えるかも知れないが、この地図は Illustrator のデータになっていて、等高線単位にレイヤーが分けられており、加工が自由自在なのだ。アナタ、これは凄いコトですぞ。
 早速、一年戦争中の世界地図を描いた。例の、ジオンの「コロニー落とし」作戦で、オーストラリアに大穴が空いてしまった世界ですな。海岸線だけでなく、山脈も断ち切られるし、海底地形もズタズタに……、全て作りましたよ。
 こういうことの出来る元データが欲しかったんだ! いやぁ、愉快愉快。
 しかも、この世界地図、神北がいつも使っている、ミラー図法と云う投影法を採用しており、とても便利。
 ただ、地名のデータが全て英文なのが、ちょっと困る。まあ、「 AUSTRALIA 」というのを「オーストラリア」と書き改めれば良いだけなので、一度手間をかけておけば済むのだが……。
 という訳で、地図を使って何かをする人には、基礎的なデータとして、このデータ集を、強くお進めしておく。
 あ、もちろん、『神北に依頼する』という選択肢もアリですからね〜。ええ地図描きまっせっ!!

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