青春の思い出を噛み締めたぞ
ついに来てしまった。吉野家のメニューから牛丼が消える。……ということで、当然のように、火曜日の晩ご飯は吉野家に。
吉野家という店を、名前だけにせよはじめて知ったのは、中学生か高校生の頃だったか。自分の生活圏には無いチェーンなので、CMも流れないが、マンガかなんかに「やったねパパ。明日はホームランだ」というフレーズを見たのが最初だろう。やがて、東海地方にも吉野家チェーンは展開を開始し、牛丼という聞き慣れない食べ物の名前と共に吉野家のCMが流れるようになった。
今の若い人には判らないかもしれないが、1970年代までの日本人には牛丼を食うなんて風習は、わりと希薄だった。尤も、すき焼きの翌日になべの残りをご飯にかける事は普通にしていたけど。とはいえ、我が家のすき焼きは、割り下なんテェ物を使う関東風とは異なり、酒と醤油と砂糖で味付けするモノだったから、甘くて、野菜と言えばネギや白菜で、肉なんてチョンと残っていたら大ごちそうで、半分は前の晩の美味しかった記憶を反芻するための食い物だった。
そんな神北の持っていたイメージを一新したのが、吉野家の存在だった。最初に喰ったのは大学に入ってからだった。名古屋で学生生活を送っていたので、杁中(いりなか)の店だったか上前津(かみまえづ)だったか。とにかくびっくりした。甘いすき焼き丼を予想していたので、吉野家の牛丼は異様だったのだ。タマネギ入っているし。もちろん、当時からキャッチコピーのフレーズは美味い安い速いだったけど、当然、食い物の値段も昔は高かったから、文庫本一冊と比べた値段比は今の2〜3倍以上したと思う。SFやマンガに財布を圧迫され続けていたから体感価格はその何倍にも当たる。上前津の古書街で本を買ってしまって、残った金で吉野家の白飯とみそ汁だけ喰った事なんか、思い出すと泣ける。(マヌケさに……)
そのころ、吉野家は一度倒産の危機を迎え、自分の生活圏には1つも店舗がないので名前以外は全く知らないダイエーというスーパーが買い取るなんて話が出たり消えたりした。まあ、その時はまだ、食えなくなって困る食い物ではなかったんだけど。
最初は、あまり好きな味じゃなかった牛丼だが、慣れて来て違和感がなくなると、普通にチョイスするメニューの1つになって来る。まあ、同じだけ腹を満たそうとするとマクドナルドでは1.5倍は費用がかかった時代だ。マクドナルドと吉野家が安さのデッドヒートを繰り広げる今となっては考えられない話だが……。
しかし、就職した途端に困った事になった。ひと月の研修を経て任地となった栃木県は宇都宮市に赴任してみると、たった数年で生活に無くてはならなくなっている牛丼屋がないのだ。オレンジ色の看板がどこにも無い。もちろん松屋もない。うっわぁ。どんな田舎だよここはっ! しかし、牛丼文化果つる地、宇都宮にも、牛丼が喰える店が1つだけあったんですよ。今は知らないが、居酒屋の養老乃瀧には、牛丼というメニューがあった。かつて、吉野家が全国展開した頃に、同様に全国展開していて牛丼を食わせるライバル店として紹介している無責任な雑誌記事を読んだ事があったのだ。まあ、その記者の感覚としては吉野家の牛丼は酒を飲んだ後のシメに食う物で、吉野家で喰っても居酒屋で喰っても、同じだったんだろうなぁ。しかし、そんな変な記事でも、神北の腹と舌を救った事は間違いない。酒の全く呑めない身で、どうしても我慢できない時に何度か居酒屋に通いましたともさ。
てなわけで住んでいる所はほとんど牛丼未踏地といって良かったから、その時期に最も良く使ったのは、都内の牛丼屋だった。宇宙軍とクリコンの例会に顔を出し、企画集団TDFの東京例会も主催していたから、月に3回ぐらいは東京に出ていた。そして、せっかく出た日は、土曜の夜にオールナイトで映画を見るのが常だった。最近では普通に昼間と同じ映画を流すところが殆どだが、当時、いくつかの映画館では、土曜の夜になると、「恋愛映画名作4本立て」だの「角川三人娘大会」だの、「恐怖映画特集」だの「怪獣映画3本立て」だのと、いろんな切り口で特別興業を打っていた。ぴあ片手に作戦を練りつつ、夜10時か11時にどこかでメシを喰って映画館に入る。早朝、4時か5時に映画がハネてぞろぞろと出て来ると、電車が動き出す前にまず開いている店で腹を満たす。もちろん、予算は潤沢とは言い難いから、安くて早くて美味い物を食いたい。そうなるとやはり牛丼だ。フラフラになって出て来ると、メシを食いつつ時間をつぶし、山手線の始発に乗り込む。当時は本当に良く映画を見に行った頃で、次に映画館が開く10時か11時までチョイと一休み。これが神北の東京の廻るベッド。まあ、無茶をした物だ。その無茶に常に付いて回る思い出が吉野家の牛丼だった。松屋ではついつい定食メニューに走り牛丼を喰わなかったから、牛丼と言えば吉野家。
しかし、その吉野家から牛丼が消えてしまう。まさか、こんな事になろうとは、誰が思おうか。
肉の備蓄がなくなるまでということで上手く行けば後2〜3日はメニューが残る場所もあるようなので、機会はもう一度ぐらいあるかもしれないが、その一杯が、慣れ親しんだ味の最後の一食かと思うと、万感こみ上げるものがある。店に入るまで半分冗談のつもりでいたのだが、なんだか本気て悲しくなって来る。親友が遠くに旅立つような寂しさだ。
はやく帰って来いよ。オレは待ってるぞ。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント