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2004/03/29

花見と法事。しこたま日本人だぞ

 先週からこっち、2軒のお花見をした。
 1つは、講談社のガンダムヒストリカ・チームのお花見で2004年3月25日(つまり先週の木曜日)、会議の後の夜桜観会だった。雨の降る日だったのだが、古風な座敷をお借りしてライトアップされた桜を眺めると云う、まさに『静』の美学だ。開け放たれた縁からの冷気を含んだ風が、妙に気持ちいい。ちょうど、ヒストリカの第一巻目が刷り上がってから最初の機会でもあったので、プロジェクトメンバー全員、現物になった仕事を眺めつつ、静かに気勢を上げた。

 残念ながら神北はその席を中座し、最終の新幹線で実家へ。今年は、親父の十三回忌と祖父の二十七回忌……と、うちの家族の年忌が3つも重なったので、法事に帰ったのだ。名古屋までの新幹線はもう少し遅くまであるが、そこから近鉄で実家の方まで行こうと思うと、遅くとも東京を9時30分頃には出ないといけない。東京で暮らしていると12時頃まで遊んでいても、横浜や大宮・千葉と云ったあたりまでならなんとか帰れるが、名古屋では、11時を過ぎると、既にヤバい時間帯に入る。東京より夜が早いのだ。今回も11時30分ごろの近鉄急行が、ほぼ最後の便だった。もっとも、これが20年前とかになると、更に終電は速くて、なんだが記憶の端に10時45分だか50分だかという、学生時代に刻み付けた数字が、未だに染み付いている。ここが帰れるラストタイムだったのだ。つまり、ここ15年程で30分以上夜が延びているのだが、それでも東京の旧国電(E電っていう呼称はもうヤメになったんだっけ?)や私鉄から見ると、30分から1時間近く早いタイムリミットだ。
 今回帰省して、自分の部屋の書庫で15年か20年ほど前に自分がサークルの情報誌に書いた、名古屋は夜の早い街だという文章を見つけた。昔から、自分自身、三大都市と云いつつも、終電の所為で名古屋の夜がちと早いと云うことに不満を抱いていたようだ。

 さて、金曜日に法事を済ませ、土曜日に故郷から名古屋経由で埼玉へと帰宅した我々は、この日、名古屋から今年の大会の打ち合わせの為に出て来ている名古屋くんに会う為に、帰省の荷を解くや否や、新宿へと取って返した。この週末、お互いに逆に動いているから、なんだかとっても間抜けな移動をしている。名古屋くんは、SF大会でゲゲボドリンクの部屋という企画を主宰していることで良く知られている、ちょっと独特な味の清涼飲料大量に収集している御仁だ。もちろん本来「なごや」という苗字ではない。いついかなる時でも流暢な名古屋弁で会話をするその姿に、ファンダムの友人が送った綽名が名古屋君だったのだ。爾来十数年、ファンダム内で彼のことは本名より名古屋くんの方がよく通る。今年の大会には趣意書メンバーとして立ち上げから参加。現在、企画局長の要職にあって、企画やゲストの取りまとめをしている。今回は、目玉企画のゲストとの打ち合わせの為の上京だった。
 打ち合わせ後、名古屋くんや、名古屋くんと同じくダイナ★コンEX以来の友人である永澤君の上京組二人と、東京でG-conを手伝うことにした竹内君、そして神北夫婦5人でメシを喰いに行くことに。打ち合わせの場まで一緒に居た藤澤兄弟の弟の方は、残念ながら先約があって途中退場。
 元々名古屋くんから、美味い中華に連れて行けという話があって集まったのだが、半日近くコーヒーまみれにになって打ち合わせを続けていた所為か、ちょっとゲッソリした顔で「あんまり喰いたくな〜い」と言い出したので、先日この日記にも書いた池袋の台湾料理は止め。急遽予定を変更しようとしたがアテが無い。すると永澤君が「マイシティーの駐車場に停めたから、マイシティー内で食事をすると、何時間分か安く済むかも」と言い出し、一行は新宿マイシティーへ。ここは北条司の漫画『シティーハンター』でしょっちゅう出て来るビルなので、知っている人も多いだろう。いわゆる駅ビルなのだが、7階〜8階がレストラン街になっている。前は8階が伊勢丹プチ・モンドという、伊勢丹が運営する大きなお店で、和・洋・中・喫茶部となんでも揃っていた。新宿で言えば滝沢と並ぶ打ち合わせのメッカで、何か打ち合わせをしていると2〜3組、知った顔が別のテーブルで打ち合わせをしているというような、出版界御用達のお店だった。大いに重宝したものだが、何年か前に大改装をしてプチ・モンドがなくなり、これ見よがしにワインを並べるようなタカビーな印象のレストランに変わっている。しかし、7階の方はそう驚く程ではなく、そこそこの値段のお店が並んでいるので、まあここかなと登ってみたが……。げっ……。店からはみ出した人が、ウエイティングベンチに納まり切らず、20人ぐらい行列を作っている! しかも、全部の店がそうだァァ。土曜の夕方を甘く見ていたぁぁぁ!
 しかたなく、再び街に彷徨い出た一行を、セゾンプラザの「ねぎし」へ引っ張って行く。ゆっくり話し込むのなら、1階下の咲くらが落ち着いていてベストなんだが、運転するから酒が飲めん、居酒屋は嫌だという声があって取り止め。まあ、定食を食うのなら、ねぎしも悪くはない。
 BSE騒動のあおりか、カルビ定食が無くなっていたが、テールスープは残っている。謎だぁ……。と云っていたが、よく考えたら、安全なウシがあったとして、安全なカルビを欲しがる焼き肉屋は多かろうが、テールは割と残るということなのだろう。神北は相変わらず、ねぎし定食ダブルである。

 久しぶりに名古屋くん達とメシを喰った翌日、日曜日。身内のMLを見ていたら、唐突に花見が決まっている。女房に相談して、昼から集合なので、ゆっくり『ポポロクロイス』『鉄腕アトム』の最終会を見た後に出かけることに。
 鉄腕アトムはとてもエゴイスティックな天馬博士の暴走・迷走が碇シンジみたいで、なんか、天馬博士も堕ちたなと云う印象。神北の好みとして、この人にはもっと超然としていて欲しいし、科学省の長官を任されるだけの調整力はちゃんと持っていてもらいたい。その上で、子供を失った悲しみに狂って行くのならともかく、これではハナっから単に心に脆弱性を抱えていた人が、自分の性癖を隠して社会の要職に就いちゃったことに端を発する、杜撰な未来社会じゃないか。
 それと比べるのもなんだが、『ポポロクロイス』はやはり、巧いお話し作りになっていた。ヒロインの母が命と引き換えに魔王を倒すような大きなドラマがありつつも、主人公たちがそのまま来週から別の冒険に出かけても不思議は無いような、世はなべて事も無しというカタチの終わり方をしている。無論、こういう終わり方が絶対ではないが、この『ポポロクロイス』というお話しにとっては、こうしためでたしめでたしは不可欠。そこをよく心得ているのが、心憎い。
 逆に、『鉄腕アトム』こそ、本来、こうした終わり方が必要だったのではないだろうか。というのは、神北が最初に見ていた鉄腕アトムは、言うまでもなく、最初のテレビアニメ版で、これは、本当に大きなピリオドを打つ終わり方をしていた。太陽の異常活動を抑える為に、アトムは、自ら太陽に突入して行って終わってしまうのである。これは手塚治虫の原作漫画と同じお話しなのだが、毎週めでたしめでたしで終わるのが常であった鉄腕アトムがもう帰って来ないと云う衝撃は、子供には大きく、放映終了後、随分泣きじゃくった記憶がうっすらとある。
 もし、これ以外の終わり方をアトムにさせるのならば、ロボット人権宣言などと云う、私が泣きじゃくった最初の白黒テレビアニメ版では第一話のラストには達成しているようなところを最終回の終着点にするのではなく、逆に、世はなべて事も無しというカタチをちゃんと見せることではないのか。大事件を挿まず、かつ、それを無事に着陸させることこそが、手塚治虫というクリエイターが後進に残した最大の宿題なのではないかという気がする。
 でも、お茶の水博士の人権宣言を聴きながら、寂しそうな顔で扉の奥にすっと消えるアトムはかっこ良かったよ。

 さて、で、お花見である。浅草でお花見をしようということで集まる。こっちのお花見は先週の夜桜と違い、『動』のお花見である。東武鉄道浅草駅の駅前には、イラクの子供たちの白血病を救う為に募金を集めている。5人ぐらいが入れ替わり立ち替わ寄って来るが、1分ぐらいじーっと相手の目を見てお話しを聞いていると、こそこそと逃げて行く。しばらくこの人たちを見ていると、メンバー5人集合。最後の一人も移動を開始した直後に合流成功。
 隅田川の西が浅草、東が向島。吾妻橋を向島側に渡り、非常に特徴的な金色のオブジェ(奇麗で清潔かつ公共性を重視した表現)が屋根に載っている吾妻橋ホールの脇を抜けて、牛島神社のある隅田公園の方に向かう。端から見渡すと隅田川東堤の桜は西堤と比べてちょっと開花が遅いような感じがするが、さらに奥の方まで歩いて行くと、公園のあたりは奇麗に咲いている。このあたりは、桜まつりということで、車の通行が止められ、歩行者天国になっている。公園の中に突入してみると、既に大勢の花見客が宴たけなわ。少人数だったこともあって、なんとか場所が取れる。缶ビール四百円。缶ジュース二百円。結構おカセギのようだが、どんな様子かも判らずに行くのでは、致し方ない。デカいクーラーボックスにいろんなモノを詰めて抱えて行って、結局場所がなくって持ち歩くだけになるリスクを考えれば、まあまあ納得価格だ。来年同じ場所を目指すのならば、少し作戦を練ろうと思う。
 隣は凄い集団で、コールマンの野外調理用2連バーナーで焼き肉をしている! ハっと気付くといつの間にか焼き肉は終わり、なんかミートソースの良い匂いが。こんどはパスタ食べてる! うーむ。なんかとってもアウトドアに手慣れているぞ。
 持ち寄ったり、周りの屋台で買って来たつまみをアテに、あーでもない、こーでもないと話している内に、5時近くになってしまった。我々が立ち上がった時、まだかなり多くの花見客が居たが、急激に体感温度が下がって来る中で、みんなよく頑張っている。神北はお酒が飲めないので、体があったまらないから辛いっス。もう限界ッス。
 もう一度吾妻橋を渡って浅草駅の方向へ。もちっと暖まるモノを飲み食いしたい。せっかく浅草なのでカミヤバーで電気ブランかなと行ってみるが、人で一杯。ちと諦めてふらふらと歩く。しばらく彷徨った揚げ句、なんとか良さげな店を発見。ここで一人帰って5人になった我々は、ちょっと洒落たスイシンバーというお店に入る。後で調べてみると、横山大観がこよなく愛した日本酒酔心の蔵元の直営店だそうで、なんかカッコいいんです。でも、決してタカビーじゃない。これが浅草流か。後になって考えてみると、蔵元直営店なのに、誰も酔心を注文してない。変な客でごめんなさい。
 結局、ここでゆっくりして、21時半ぐらいまで遊んでいた。
 なんか、法事から帰って来て昨日今日と目一杯羽根を伸ばした神北家であった。

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2004/03/25

イギリス人は怖いぞ。

 AZOZ BLOGさんに、しばらく前に載った記事だが、ミニクーパーのエンジニアが、コツコツと作ったロボットがWEBで公開された。場所はここ
 とにかくその勇姿活躍ぶりを見て欲しい。

 つっこんでくるちょっと大きな車をガッシリ受け止める力強さを見てもらえただろうか? このロボぜんぶ、ミニクーパーのあまり部品らしいんですよ。
 トルク溜めのハズミ車なのか、肩に付けられた自動車用タイヤがくるくる回って可愛い。ちょっと、トランスフォーマー・カーロボットみたい。

 で、当然の疑問である。 ……コレって、ホンモノ?

 そこそこの作業機レベルの大きさの腕を持った二足歩行ロボット(有線操縦)が、歩きながら物を認識したり、突進というようなスピードではないが、そこそこの速度でやって来る車を止められるのか。(体重的に負けてないか?) そのパワーを受けられる構造や関節を持てるのか。(細そうな体構造で何度でもこんな衝撃を受けられるのか? あれだけのスピードで車が迫って来たら、ガードレールだってそこそこ曲がらないか?)

 いや、ボクがなにをいいたいかというと、イギリス人ってそういうジョークに命賭ける人達だし、エープリールフール近いんだよね。
 まァ、サンダーバード見て育った奴が機械屋になったら、アレ目指して不思議は無い。
 逆に、サンダーバード見て育った奴が映像屋になったら、アレ創作して不思議は無い。

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2004/03/23

リンクページを作り始めたぞ

 このサイトの形式をすこ〜しいじった。
 といっても、これは、BLOGGERというオンラインサービスを使って自動発行しているので、直接このページのHTMLをどうこうしたのではなく、BLOGGERの設定ページに登録してある、テンプレート(ひな形)を触ったのだが。
 具体的には、すこ〜し、行間を空けた。これまで、行間を取らないようにしていた。というのは、あまり行間があり過ぎてスクロールの回数が多いだけのページがあまり好きではないからだ。情報の絶対量もさることながら、密度も気になるというわけだ。しかし、行間がほぼ無い状態なので、あまりにも読み難い感じがした。で、少し明けようと考えた。
 具体的に言うと、line-height:[n];というヤツだ。この文章を追加してやれば、改行高を自由にできる。とはいえ、騙されていた。……特にこの[n]だ。神北の持っているどのCSSの本にも、この数字はline-height:1;とかline-height:4;とか、自然数で書いてあるのだ。ところが、この数値の1と2、2と3の差はかなり大きい。行間空け過ぎ。いくら行間を読めと云っても、行間の方が本文より多いというのは気に喰わない。考えあぐねてline-height:1.4;とやってみた。お? 小数が使えるじゃないか。ちょうどいい加減に行間が空くぞ……。というわけで、すこーし、縦に各行を離しました。読み易く感じてもらえると嬉しい。

 さて、神北のサイトというのは、幾つかに分散している。
 ●神北情報局         ここ
 ●神北恵太の .Macサイト ドットマックのサイトスペース、神北の作っているサイトへのリンクだけのページ
 ●神北工房          ここが本館(になる予定)
 ●esBooksSF専門神北偏屈堂 あんまり熱心に更新していないけど、お勧め本が載っています。

 生来の面倒くさがりのせいで、なかなかサイト構築は進まないが、まあ、気長に出来上がる日を待ってやって欲しい。で、まずは、外でネットに触る時に自分が便利なように、使えるサイトを中心にしたリンクページを充実させることにした。この日記のサイドバーにも、神北工房Linkというのを追加した。
 取り敢えず、ネット上で神北が常用するページをリンクした。個人の日記やサイトは、リンクの許可を貰ってからのつもりなので、もちっと後になると思う。ただ、基本的にネット上に載せた以上、どこからどんな趣旨でリンクを張られても、恨みはしても、文句はつけられない。嫌なら世間に出すなというのが、神北の考え方だ。あまりにも個人的な話題や過度に挑発的な話題が書いてあって、第三者への迷惑を考えるとちょっとと云うサイトをどんどんリンクしていくつもりはないが、神北が公益性を認めたページには、特にリンクの許諾を取らずに載せる予定だ。

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池袋は美味しいぞ

 2004年3月21日日曜日、神北は疲れていた。ま、全日の狂乱を見ればお解り頂けると思うが、へろへろだったのだ。

 こーゆー時は喰うに限る。(決然!)

 ということで、女房と二人で、どこかに気晴らしに美味い物を喰いに出かけようということにする。で、『ポポロクロイス』も『鉄腕アトム』も観終わったというタイミングで思いついたのが、つい先日、作家の高嶋規之氏とフラっと入ったら、大当たりだった中華。台湾料理で、お茶が美味しくて、値段的にもワリと安価に納まる店だ。しかも、信号待ちまで入れて池袋駅西口徒歩3分無いんじゃないかと云う、至便の立地。ホントは、そろそろ久しぶりに松戸のガンダムミュージアムを再訪しようという計画立てていたのだが、急遽、食欲に導かれるままに計画変更である。
 どうせならということで、池袋に出易いあたりに住んでいる古市くん真庭くんにお誘いの電話を掛ける。
 まずは古市くんに電話。取り敢えず携帯に電話を入れてみる。
 「あ、ごめんなさい、今ちょっと実家の方に帰っていまして」
「あいやぁ、それはご苦労さん」
「何でした?」
「や、メシを喰おうと思って誘っただけなんだ。ごめんよぉ」
「呼ばれても、4時間ちょっと待ってもらわないと……」
「ほー、来るンやな? 四時間で……。兄ちゃん、待ってまっセ〜……」
「あ、いや、実は明日帰る予定なんです」
「了ッ解、了解。じゃ、また今度」
というわけで、古市くん不在。続いて真庭くん。
「あ、ふぁふぁい、まにままンまス……」(『仮面ライダークウガ』のグロンギ怪人のコトバみたいだが、確かに奴はそういったのだ!)
「神北デス」
「あ、おふぁよーごないまふ」まだ発音が寝ている。「……何でしょう?」
「美味い飯でも喰おうかと思ってさ。どう?今日のバイト何時から?」
彼は、池袋で本屋の店員をしている。
「5時からです」
「じゃ、よかったら、メシくわねーか?」
「いいっスねぇ」
「ンじゃ、池袋に着く時間が判ったらまた電話するわ」
……ということで、お出掛け先、決定!

 新宿と秋葉原を起点に東京を把握している神北にとって、池袋という土地はどちらかというと、土地勘が無い。つまり「アウェイ」である。
 そういえば20年ほど前に、新社会人になり、就職で東京に出て来た頃、その年の12月にゴジラに倒されて踏みつけられることになるビルにある新宿の本社に。新人研修のために通っていたのだが、金曜日の仕事の後、夜12時頃からのオールナイトでゴジラ映画を何本かまとめてみせてくれる特別上映か何かがあった。これに行こうとした神北は、はたと気づいた。池袋って、ドコ? 記憶を辿り、気付いた。「そうだ、いつも通勤に使っている営団地下鉄の丸の内線の終点が、たしか池袋だった。なぁんだ。丸ノ内線にずーっと乗って行けば着くのかァ。か〜んたん!」
 東京の地理に疎い人に簡単に説明しておくと、丸ノ内線というのは、環状線ではないが、ひらがなの『し』の字型の路線で、東京の中央部をぐるりと回り込んでいる。その『し』の跳ねた先が終点、池袋にある。
 そーかそーか、移動法が決まったぞと、気を良くして歩いて来た神北は、西新宿のロータリーを回り込みながらハタと気付いた。「まてよ、ひょっとかして、何か他の線を使うと、もっと近いんじゃないか? 東京って、いろんな路線が複雑に走っているから、よく確かめてみないとなぁ……。
 慌ててカバンから取り出した「ぴあ」に付いていた地図を見て愕然としましたわさ。東京を小回りに一周する丸の内線に対し、もう一回り大きく廻っているJR山手線だと、ピっと4駅で池袋まで行けてしまうではないか。くそー。東京めー。俺をたばかったな〜〜! (注:当時は無かったですが、今はJR埼京線を使えば、新宿←→池袋はノンストップ隣駅で、さらに便利)
 そんなわけで、池袋には、映画を見によく出かけて行くようになったし、その直後ぐらいから、よく顔を出すようになったクリコンというSFサークルの例会が、当時、池袋の喫茶店だったので、かなり通うようになったが、それでも、なんとなく池袋は「アウェイ」なのだ。

 池袋について真庭くんと合流。その店が開いてなかったらイカンと、とりあえず店情報本は持って来たが、第一目標はやはり、くだんの中華屋だ。一度しか来たコト無いが、意外とあっさりと見つかった。
 一時間半、注文し放題2,500円というコースを人数分。それにジャスミン茶を注文する。真っ先にお茶が出て来る。スープ皿ぐらいの水盤の中に急須が置かれている。その蓋を開けて溢れるぐらいに湯を注ぎ、深皿の中に捨てる。これは、乾燥している茶葉をまずになじませるのと、保存中のホコリを落とす為でもあるらしい。その湯に、小型のチョコほどの小さくて深い茶碗を3つ放り込んで、湯に浸してクルクルっと洗い、茶托にポポポンと置く、次に、湯の張られた水盤の真ん中にある急須に湯を注ぎ、ほぼ間を置かずにサーバに移す。急須や水盤が、わが故郷四日市の万古焼きのような茶色い素焼きで趣たっぷりなのに対し、サーバは、大きめの紅茶用のミルクピッチャーみたいなヤツだったが……。このジャスミン茶、いわゆる香りだけのお茶より、かなり渋みが勝つが、脂っこくなる中華料理には、意外と向いている。
 三人三様に、適当に好きな物を注文して喰って行く。台湾料理に大根餅は欠かせない。台湾式のひき肉の入ったラーメン「タンツーメン」も忘れてはいけない。飲茶のオールスターを次々と制覇。何を喰っても美味しい。
 飲茶というのは、なんだか判らないが、話をするのに向いている。これはどうだ、あれを食べようと食い物の話を挿みながら、少しずつ目先の変わる料理を食べていると、ついつい「そういえば」とか「あれはどうなった」と云う話の接ぎ穂が、いっぱい生まれ易い。情報が商売を決める交易商人たちの故郷、華南地方に発達した文化だけのことはある。同じように少しずつ出す日本の懐石料理の静謐さと、中国の飲茶の躍動感、ここまで雰囲気に差があるのは何故だろう。やはり、自分の欲しい物を注文する文化と、主人の用意した物を用意された順に喰う文化の差なのだろうか。
 ジャスミン以外も試したいということで、途中でお茶を換える。ウーロン茶は凍頂烏龍茶だった。これは、渋みを美味く押さえてある丸い味で美味しい。お茶を換えてからもがんがんと喰う。
 やがて、一息ついた頃に「時間的にラストオーターですが、デザートとか如何ですか?」と訊いて貰う。ちょうど良い頃かげんに満腹して来たところだった。甘味系を頼んでしばらく待つ。これもそこそこ美味しい。
 一人前500〜600円のお茶×3人前×2種類をプラスして、3人でわいわい食事して税コミ1万円チョイ。うーむ。なかなかよい費用対効果だ。ここは使える……。
 その後、池袋サンシャインの東急ハンズをぶらついてから、コンピュータ関係の本を探しに池袋の本屋を廻り、ゆっくりと帰って来た。うーむ。なんだか、ハネを伸ばしたぞぉ。

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2004/03/20

80名だぞ

 何だか知らないが、スゴい事になっていた……。
 総力戦研究所の宴会、70人超とか云っていたが、そんなものでは済まなかった。結局、事前に連絡をくれた人が75名。参加を表明しつつも来れなかった人(確認している限り)2名。しかし、最終的には80名は来ていた。二年の間に2つの会社を辞めていた人、作家デビューしていた人、いろいろと変化があって仲間に会いたがっていた人も多かった。また、折角だからと始めて顔を出してくれた人も多い。あの作家、この作家、あの絵描き、この編集者が、大笑いしながら酒を酌み交わしていたり、あの伝説のアニメ雑誌の元編集長同士、そしてあの一時代を築いた編集プロダクションの社長が一堂に会し、三人で話していたり、まあ、普段なかなか会えない人同士で会っていただくには、よいキッカケになったようだ。昔から良く知っている編集さんと、別口で良く知っているライターさんが大学時代の先輩後輩だったり、始めて会った(ハズの)あの脚本家とこの作家が先輩後輩で、知らぬ内に同じ映画に一緒に絡んでいたり、いろんな人が意外と繋がりがあることも判った。
 神北はと云うと、15年前に開催した日本SF大会、ダイナ★コンEXの関係者で、東京に出て来て出版関係等で頑張っている連中の半分以上が顔を出してくれてみんななんとかがんばっているようでホッとした。
 しかし、さすがに、一部屋に入れず、自己紹介も侭ならなくて、大広間1つと周囲の小部屋幾つかを繋ぐ形で、連絡が悪くて大騒動だった。参加者からは「今度は立食形式にしてよ」という話も飛び出す。確かにそうなんだけどなぁ。
 かなり無理も利くので、いまの「咲くら」を離れたくはないのだが、最大スペースの部屋容量の倍ということになると、苦しい。なんだか、ドタバタしていて、会費を徴収して、それだけで一晩終わってしまった気がする。いつもは二次会までなんとか回すのだが、今日はちょっと疲れ果ててしまって、もう流石にフラフラで、参加して下さった皆さんと別れ、手伝ってくれた安達くんとラーメンすすって、とりあえずのお疲れさん。話題はやはり、店を探そうということだった。しかし、あまり新宿のこの環境からは慣れたくないしなぁ。
「立食パーティーは、人数増えたり減ったりに対応し易いよ」
「たとえば、全員ご招待だったら、増えようが減ろうが同じだろうけど、会費制で立食ということになると、今回みたいに人が増減するものを吸収して行けるかに関しては自身が無いなぁ」
「そうか、会費制なんだな」
「それ以外にも、ホテルとかで費用が7000円なんてなったら、人減るぜ」
「うーむ。費用的にも今回ぐらいが限界か」
「フラっと来れるにはねぇ」
というような会話を繰り返した。
 しかし、まあ、結論らしい結論は出ず、まあ、互いにいろいろと選択肢を探ってみようということを約し、帰途についたのであった。ふひ〜。さすがにしんどかった。参加者の皆さん、お疲れさまでした。幹事を気遣って下さった皆様、感謝です。

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2004/03/19

70名超だぞ

 何だか知らないが、噂が噂を呼んでいたらしい……。
 事の起こりは、90年代の初頭だ。その頃、神北は、高貫布士さんや橋本純さんたちとともに、ある会社で戦争もののシミュレーションゲームシリーズの副読本として、真珠灣攻撃の本を作っていた。この本は、ゲーム会社上層部による「ゲームの表紙に描き起こされた絵をその時期の全部の関係本に使う」という方針のお陰で、酷い目にあった。だってそうだろう。ゲームと同じ表紙の本が一冊本屋にあれば目も引こうが、何種類も出ているのだ。まず真っ先に売れるのが、ゲームの攻略本。これは間違いない。次に、各データを集約したユニット解説本。これも、ゲームを俯瞰するのに欲しいじゃないか。で、ずーっと下がって、やっと史実を纏めた副読本へと辿り着くわけだ。しかし、「そんなコト(同じ表紙)にしたら、却って売れないぞ」という我々の危惧は伝えたが、本屋の棚をその表紙一色に揃えようと言う会社の方針は変えられなかった。残念でもあり、案の定でもあるのだが、この本はやはり人目を引くことが出来ず、かなり丁寧な真珠灣の入門書であったにも拘らず、ゲーム発売のブームが去ると共にあっという間に本屋から姿を消した。同じ表紙の本の中で最低の売り上げを残して。
 この頃のメンバーで、面白いから一緒に本を作ろうよという話になって動き出したのが、並木書房の『コンバットAtoZ』シリーズ。当時、古ぼけた何が何だか解らなくなったような旧い写真や、「設計図から写したもの」と称するかなり下手っビな三面図など、あまり奇麗とはいえない軍事解説本が多い中、逆に、原本そのものではなく、きっちりと軍事知識がある漫画家さんを使い、奇麗な挿絵を入れてもらう方向を打ち出した新シリーズだった。その方法として、文章描きと絵描きが1対1でがっぷり組み、共著ということで、1つ1つの本を出すと云う方針が立てられた。シリーズ全体を高貫布士さんが監修し、で、神北は何をやっていたかと云うと、絵描きがあまり得意としない地図や図表を補作することを中心に仕事していた。
 これを始めるにあたり、まだライターや作家としては活動していないような在野の人も含めて、漫画家や軍事評論家という人が一杯要るぞ。しかも、そこそこ気心が知れてなければ仕事にまで結びつけられないじゃないか。じゃ、どうする。まずは宴会でもしようゼと言うことで、ちょうど年の瀬だったので、忘年会と称して小さな宴会を開いた。軍事アナリストとして出版界のあちこちに名前が通っていた高貫さんの顔で、そこそこの人数が集まった。みんな、仕事で軍事関係の記事を書いたり、軍事に絡んだ小説を書いたり、絵を書いたり、それを編集したりしている人だ。この宴会は、かなり盛り上がった。みんな面白がって下さった。軍事談義なァんて、普通の居酒屋のテーブルでするには少々ブッソウな話を、その場全員がワイワイ話せる機会というのは、なかなか面白かったようだ。架空戦記ブームすら到来する前ということもあり、軍事関係の話というのは、一般的には変な顔で見られるものでしかなかったのだ。
 おもしろかったからまたやってくれよと云って、お呼びした皆さんから挨拶を頂いたりすると、まあ、言い出した責任ということもあって、この時のグループがまた次をやることになった。実質上、リーダー格の高貫さんに幹事をやってもらうとして、事務作業に関しては神北が手伝うことにした。しかし、考えてみて欲しい。神北は、全くの下戸である。で、幹事の高貫さんもアルコールはダメな人なのだ。下戸二人が、ある仕事の打ち合わせで顔を会わせた後、「じゃ、場所を決めに行ってみましょう」と新宿三丁目あたりの飲屋街にお店を探しに行く。酒飲みとしての勘がまったくない二人が、宴会の場所を探しているのだから、たしかに私情を挟む余地がなくていいという言い訳もあろうが、なんだか間抜けな光景だ。
 当時まだ、インターネットで店を探すなんてコト出来る筈も無い(インターネットは在ったけど、見る人も、告知を乗っけようという人も少ないから、かなり偏った情報しか無かった)から、飲み屋のチラシを元に、何軒かの候補を探して行ったのだ。
 やっと探し出したのが、『新宿 たぬき』という店である。今は『咲くら』というお店に名前が変わっているが、まあ、新宿の判り易い所にあって、収容人数もかなり余裕があるということで、見るからに便利そうだった。その時、予約名で、神北がちょっとした遊びをした。総力戦研究所という名前で予約を入れたのだ。総力戦研究所というのは、第二次世界大戦の前に日本政府の肝いりでスタートした、広く国際戦略を考えるシンクタンクの名前だ。軍国主義にどんどん傾き、言論統制が進みつつあった日本国内において唯一、この機関の内部では「実はウチの国の軍隊は遅れていて、実戦になったらボロクソにされるんちゃう?」「そらマズいで、ほな、戦争にならへんように、まず政治をしっかりさせんならん」なぁんて会話を自由に出来たと云う、研究者にとっては本当に自由な場だったらしい。もちろん実在したのは半世紀以上前だから、まあ、使ったとしてもまず誰にも迷惑は懸からないし、軍事に興味のある人なら、割と知っていてニヤリとできそうな名前だったので、ちょっとしたイタズラ心で付けたのだ。
 当時まだ連絡はメールでという人は稀だったから、幹事作業はかなり大変だった。ほとんどの連絡はFaxで行う。Illustratorで簡単な趣旨や場所日時を書き連ねた説明と申込書とを一枚か二枚に仕立てたものを作り、40人・50人という人に送る。まあ、一日仕事だ。すると、20人ぐらいの人から参加の知らせが届く。2日前を〆切として、前の日に正式な連絡を入れる。当日行くと座敷が用意されていて、その中であれば、何を話してようが構わない閉鎖空間。最初の頃は、まあ20名を少し超える位の宴会だったのだが、コアになった人たちが面白がっていろいろと誘ってくれたお陰で、気がついたら40名を平気で超えるようになって来た。神北はそれを整理するために専用DBを作ったり、いろんな手段をとって来た。
 使い勝手がいいので、いつのまにかこの『新宿 たぬき』に店は固定。総力戦の宴会といえば通じるのは当然として、参加者の中では当然のように「こんどたぬきいつだっけ?」なんていう使い方までされるようになる。
 基本的に、2ヶ月に一度位のペースにしていたのだが、二年目、三年目になると、40名を超えることが多くなって来た。まあ、店にとっては迷惑なのか有り難いのか判らない客だが、客から見ると有り難い店だった。ある時それが、更に扱いが変わった。一度、東京を台風が直撃し、普通の人はみぃんな飲屋街になんて行かずにさっさと家路に就いたような夜に、40名を超える参加者が詰めかけた。台風の晩、閑散としている店内で40人が大騒ぎ。よほどインパクトが大きかったのだろう。以降、総力戦ですと云うと、かなり無理を通してもらえるようになった。
 ところが、この頃から段々大変になって来るのが、行くよという連絡無しに突然来る人の増加だった。まあ、40人の予約に5人ほど増える位なら何とでもなるのだけれど、30人しか申込みがないということで一回り狭い部屋を押さえていて、結局当日になって唐突にプラス15人となると、同じ45人でも幹事の大変さが違う。「すいません、また2人増えたので料理を増やして下さい」「また3人来ました」「また……」……。最後には仕込み量を超えてしまい、「もう、同じ料理は出せませんよ」と怒られちゃう。「な、何でもいいから値段だけ会わせてクダサァイいい……」何度この悲鳴を上げたことか……。最悪、25人の予約で、当日50人近くまで人が来たときは、もう、死ぬかと思いましたよ、ハイ。
 しかし、「来れるようになったから、なんとか来たよ。総力戦の宴会だものね」と顔を出して下さると、幹事としては嬉しいのだ。

 ところが、二十世紀最後の年、西暦2000年。この年、総力戦の宴会は未曾有の危機に巻き込まれる。店舗改装のため、長期にわたって『たぬき』がお休みになってしまった。その頃は、半年に渡って「さまよえる宴会」として、開催場所を点々としたのだ。しかし、一度二度は自力で場所を探したのだが、やはり予約数から十数人増えるような使い方には向かず、場所が取り難い。結局、まだ休業中の『たぬき』に電話したら、店長さんが、ダイナック・チェーンの中の別の店を紹介して下さった。そこでなんとか凌ぎ、改装なった『たぬき』に戻ったときは、正直ほっとした。
 この後、一年半ほど続き、2001年12月の宴会を最後に、総力戦研究所の宴会は休眠に入ってしまった。「頭の悪い方の幹事」神北が日本SF大会のスタッフの活動に力点を置いていて、なかなか開催する気力が出なかったのが、最大の原因だ。その大会は2003年7月、無事終了したのだが、その後も復活させたいさせたいとは思いつつ、どうも動きが取れなかった。同じくして「頭のいい方の幹事」高貫さんも、忙しくなりすぎて、宴会幹事の仕事をしている余裕が取れなかった。

 この間に、噂が飛び回ったらしい。「なんでも、総力戦の宴会って言う、秘密メンバーだけの宴会があるそうだよ」という話を聞いたという人がかなり居るのだ。なんだその秘密の宴会って! 別にこっちゃあ誰誘っても良いと云っているし、現にあんたの本を出している会社の編集さんも誘っているゾ。そこから先の連絡が廻らないのは、アンタと編集の問題じゃないのか? 大笑いなのは、幹事代表の高貫さん本人に向かって、「ご存知ですか? なんでも総力戦の宴会というのが……」と話した人までいるらしい。
 あと、ただ宴会が無いのだと思わず、「もしやオイラは足切りされたんでは?」と思っていた人がかなり居たらしい。そんなあなた、こちとら自慢じゃないが゜アタマ悪いんだから、人を一人ずつ取捨選択して選り分けるなんてワザ使えませんぜ。単にあたしが手が回らないだけでゴザんす。で、こういう人に限って、聞いて来ないのね。こちとら頭悪いんだから、見えるようにちゃあんと足掻いてくれないと気がつかないよォ。

 まあ、それはさて置き。なんとか落ち着いた神北が、やっと気力を取り戻し、また幹事やるかと思うまでに、約2年の月日が空いてしまった。
 さて、じゃあ、なんとかスッかと思い至って、旧いデータベースを引っ張り出して来て、再開のお知らせのメールを送ってみて愕然。多くの人がメールアドレス変わってるぅぅ。なんとか、友人関係から話を聞いたといって参加連絡を貰った人は良いものの、さすがに連絡がつかなくなっている人も多いだろうなぁ。こりゃ、人数少ないかなぁ……。と思いきや。 
 予約期限一杯までの参加表明者数、72名……………………。

 おい!

 入るのかなぁ、「咲くら」の広間に……。(無理!) ……どうしましょう。

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2004/03/15

がんばれ、中の人!……だぞ

 世界で一番有名なビッグフットのフィルム(背中にチャックがついていたことで物議をかもしたもの)の、着ぐるみの中に入っていた人が会見したそうだ。なんでも、三十数年前に約束された出演料をびた一文支払ってもらえなかったので、このインタビューで一部なりとも取り返すのが目的だとか。
 UMA(未確認動物)というものは、ロマン溢れるものであるし、シーラカンスやイリオモテヤマネコなど、もう居ない筈の絶滅生物が生き延びていることはよくあるので、ツメの先ほどなりとも、実在の可能性は捨て切れない。しかし、こうした新種や謎の怪物と言うものには、どうしようもなく嘘や香具師や詐欺師の陰が付いて廻る。たとえば九州、I湖周辺の役場と青年団には、地域振興と村おこしに関し、外の人間には漏らしてはいけないことになっている重大な機密事項(^o^;)があるという。
 まあ、神北は、千葉の館山近辺に「伏姫が、八房とともに籠った洞窟」があると聞けば見に行って、「ハテ、どうして滝沢馬琴の小説中の架空人物である私の隠れ住んだ洞窟が実在するんでしょう、不思議ですねぇ」という伏姫からのメッセージの立て看板を見て嬉しくなる奴なのだ。別にさも伏姫が暮らし、誤って鋺大輔が姫を撃ち殺してしまいそうな「趣の」洞窟が、馬琴が舞台にした現地にあるとか、UMAが「いそう」程度で、騙す方、ダマシを見破る方の丁々発止を含めて、充分面白いんだが、それではいかんのかなぁ。

 ちなみに、今週は、パプアで3メートル大の犬顔の恐竜が棲む湖があるらしいという話が出て来ている。ワニが大量にいて人間が近寄らない黒い湖に棲んでいるその怪物が、村にまで現れて犬を三匹喰ったとかいう話だ。
 政情不安な国にはこういう怪物話が発生し易いという指摘が2chでされていたが、どんなもんかねぇ。日本にも、明治維新直前と大正文化の爛熟期、太平洋戦争前夜に、くだんが出たという話がある。人心が乱れて来ると超自然的な力を期待したがると云う、人間の性を現しているのかも知れない。
 しかし、パフアといえば、東南アジア。東南アジアと云えば、そこを中心フィールドにしている探検隊が日本に居るではないか。次の藤岡弘探検隊は、是非、パプアに向かって貰いたいものだ。

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2004/03/12

悪しき誤解を正すぞ

 どうしてこんなに多いのであろうか……。ネット上の勘違い。

 曰く、スポンサーのクローバーはガンダム放映中に倒産。バンダイが引き継ぎ、プラモデルを発売してブームに。 →嘘!
 曰く、放映終了直後にクローバーが倒産。版権を買ったバンダイがガンプラブームを呼び起こすのはその後のことである。 →嘘!
 曰く、かつてガンダムのスポンサーだったクローバーは、ザブングルの放映中に倒産。 →嘘!

 ええ、ええ。皆さんにとってはどうでも良い事かもしれませんけどね。どうして、惜しくも玩具メーカーのクローバーが力尽き、倒産に至った時期というのは、こうも曖昧に前後するのであろうか。まあ、ダンバインの放映中に、途中からバンダイに交代と云うスポンサーの切り替わりなんてびっくりする事態があった事と、ガンダムのメインスポンサーであった事などから、いろいろな勘違いがあって、誤解に繋がったんだろうけど。
 しかし、皆さん本当に、当時のクローバーがどれだけの製品を出していたかご存じない。
 ガンダムのころのクローバーという会社は、いわゆる亜鉛ダイキャストの玩具(当時から既に、ポピー(現バンダイ)の商標である『超合金』という名の方が『ホッチキス』・『マジックインキ』や『セロテープ』のように、製品ジャンルを意味する言葉として使われているが、本来、ダイキャスト製法で作られた亜鉛合金製のずっしりと重い玩具の事をどのメーカーのものも一律に『超合金』と呼んでしまうのは正しくない。)を出していて、アニメや後のガンプラより不格好すぎたという話もよく聞くが、たしかに、主眼はダイキャスト系の玩具に置かれていたが、クローバーはそれだけを売っていた訳ではない。いわゆるソフビ玩具を始め、バンダイで言うところの『プラデラ』にあたる、ABS樹脂製の軽くて大きな玩具『ABSガンダム』をはじめとして、ブリキ製ゼンマイ仕掛けの歩行ガンダムなど、かなりの数の玩具を全方位的に出していたのだ。当時、既にバンダイの一人勝ちと云うか、ポピー神話のまっただ中に、スポンサード3年目の後発玩具メーカーとして、相当アグレッシブな商品展開を行っていた事を見落としてはいけない。
 当時、ガンダムの玩具というものは一通り集めてみたが、それで思うのは、フラッグシップである『DXガンダム』等よりも、そうした小型製品をいかに面白く作ったかということが、クローバーという会社の本質を見る上で重要だ。そもそも、浮き輪やソフビと云った樹脂系の玩具メーカーとして始まったクローバーだけに、この分野での健闘は本領発揮なのである。
 また、ガンダムのダイキャスト合金製の玩具を作っていたのが、クローバーだけだと云う勘違いも勘弁してもらいたい。一個500円と云う廉価で、非常に出来の良いダイキャストモデルを出していた株式会社セブンのことも、忘れてもらっては困るからだ。

 少なくとも、アニメの玩具展開や、スポンサーの玩具メーカー自身について、何かを語る時は、週刊玩具通信の「年代別玩具ベストセラー」のページぐらいは確認してもらいたい。

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2004/03/11

中文的鋼彈だぞ

日文       中文(香港)   中文(台湾)
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ガンダム     高達       鋼彈
ガンキャノン   雷射大砲     鋼加農
ガンタンク    太空坦克     鋼坦克

ザク       渣古       薩克
グフ       老虎       古夫
ドム       大魔       徳姆
ズゴック     魔蟹       茲■克 (■は「上」と「下」を縦に連ねた字)
————————————————————————————————————————

 香港、台湾で、ガンダムがどう呼ばれているかと云うことを、細かく書き上げたサイトがある。。GUNDAM壞腦研究室というこのサイト、モビルスーツの紹介に留まらず、キャラ紹介、ストーリーダイジェスト等、ガンダムのことを一通り知りたいという人にとっては、非常に良く纏められている。もっとも、中国語がよく判らないので、コンパクトに纏めてあるように見える説明文の言葉がちゃんとしているかどうかは、私には解らないが……。

しかし、第1話「立於大地上的高達」(香港表記) 第4話「脱離月神2號作戰」 第5話「衝入大氣圈」 第15話「庫庫爾斯・徳安之島」 第24話「迫撃!大魔・三連星」(香港表記) 第27話「女間諜潛入」 第28話「血染大西洋」 第36話「恐怖!機動畢克薩姆」(台湾表記) 第42話「宇宙要塞 阿・巴瓦・空」……と並べてみると、何が言いたいのか解る。嗚呼漢字文化圏偉大也!
 資料精度として、どれだけ世間に通用する資料なのか、単なる私家版俺ガン&俺世界なのかというところがイマイチ見えないのが苦しいが、中文版歌詞を含め、資料の網羅率と網羅率としては、かなり充実している。

 まったく、どこにでも居るんだなぁ。ガンダムファンって。

※注※ 「徳姆」「庫庫爾斯・徳安」の固有名詞の「徳」は、日本語に無い字なので、代用しています。/ 「脱離月神2號作戰」の「脱」も同じく代用しています。 最近のWEB技術では、日本語・中文を切り替えて使うことが出来ますが、ひとつのページの中に混在することに関して、文字化け皆無とは行かない点が頭痛の種です。ご理解下さい。

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2004/03/04

我に光を……だぞ

 唐突ではあるが、今ここでこの文章を書いている3月4日の神北は昨日の神北に非ずである。昨日までは、ベストエフォート1.5メガだったが、今日の神北は、ベストエフォート100メガなのである。
 いままで我が家に入って来ていた一番初期のADSLから、一気にBフレッツに切り替えたのだ。まあ、ニューファミリーなので、何人かで100メガを分け合うわけだから、そんなに早くはない。といっても、今までが1.5メガなんだから、たとえ20メガ、30メガでも、10倍20倍ということになる。テストしてくれるページで探ってみると、36〜41メガという結果だった。Bフレッツニューファミリーの平均は21メガだから、いい方だと診断された。

 しかし、、光ケーブルを家に引くと云うのは知らないことばかりでかなり面白かった。
 まず、何に驚いたかと云うと、まずは、So-netの変更だった。接続方法を変えるのだから、接続業者のSo-netにコース変更を申し込むのは当然として、場合によっては新しいBフレッツに切り替えが上手く行かなくて、何日か並行して使わなければならないかも知れないと思ったので、So-netに相談してみた所、意外と意外な回答が返って来た。
「弊社では、月単位での変更なので、3月4日変更だったら、2月末で変更ということになります」
「はァでも、3月の1〜3日の間、ADSLは切れてる、光はまだ来ていないってことで、使えないと困るんですが……」
「このテを使えば大丈夫です。まず、変更依頼書を月末ギリギリに出して下さい」
「はい」
「これで作業に掛かりますと、NTTに連絡して実際に局内工事をして頂くまでに1週間ぐらいは翌月にはみ出してしまいます」
「はいはい」
「この間は、ADSLもつかえてますから安心です!」
 ……。安心、……かなぁ・・・。
「はい、ということは、とりあえず、光が来てさっさと接続作業を行えば、両方の回線が生きているうちに移行が済ませられると、そう考えていいわけですね」
「はい」
「費用もかからない」
「お客様は3月からBフレッツのコースになってますから、そちらの料金です」
「旧い、ADSLでアクセスしている分も」
「はい。大丈夫です」
 ま、なんにせよ、早い接続に変更する分には、優遇されているということか。こりゃありがたいと、So-netに変更届を送ったのが4日前。

 続いて、ネットワーク用のブロードバンドルーターを買いに行く。綱渡りみたいにして自分の知識と交渉術を駆使して、ギリギリ安い店を探して歩くと云う方法ももちろん有りだが、神北家はここ何年かは、いつもLA-OXザ・コンピュータ館だ。ザ・コン館は、まあまあ納得出来る価格だし、店員の知識もそこそこ豊富なので、コンピュータ周りのたいていの物を買っている。今座っている椅子もここで買っている。
 一応調べて行ったが、10万円を越す大きな企業用のルーター、5万円を超えるSOHOなどで使うルーター、2万円ぐらいの機能バッチリのルーターもあるのだが、最低は、4,800円程度の廉価な物まで様々だ。各社の現行機とウリのスペックは最低限調べて行ったモノの、結局、値段の差が何に出るのかよくわからない。どうしたモノか、店員さんに聞く。レジのところで、何人か居る店員さんに向かって「ちょっとブロードバンドルーターについて、教えてもらいたいんですが」と声をかけた所、諏訪さんという店員さんが出て来てくれた。
 「今の所、Bフレッツで100メガといってもニューファミリーなんで、二人で使えば50メガ、4人25メガ、実際にスループット100メガに近い物にする理由はないだろうとは思うんですが、さりとて、2万円・1万円・5,000円の差がどこにあるのかがよく判らないんですよ」
「あ、なるほど」
「お勧めとか、売れ筋とかはありますか?」
「一番売れるのがこの4,000円台から5,000円台のものですね」
「この、一番安価なあたりと、1万円台、あっちの方には3万円台とかもありますよね。それの差ってなんですか?」
「あんまり明確な差はないんですよね。むかしは、ファイアウォール機能とか色々ありましたけど、最近では安価な物にも標準でファイアウォール機能が組み込まれていますし。実際には、100メガギリギリまで使える環境でないと、スループットでは思ったほどの差はありませんね。もっとも、3台ぐらい繋いだ時は差がなくても、6台繋ぐ、9台繋ぐってなった時に、カタログ上は255台までIPアドレスが振れる筈なのに、見えないマシンとか出ちゃうかも知れません」
「それは、ルータだけでなくって、回線の長さとかに大きく関わりますよね」
「そういうことですね。大きなLANシステムだと全体がハイスペックでないとキツくなります」
「じゃ、失敗しても良いってことで、オタメシで、まずは5,000円クラスあたりにしてみるのが良いんですかね」
「そうですね」
「次にもし、ニューファミリーじゃ遅い、ベーシックで一人100メガ占有じゃあと思ったら、その時はその時に考えるということで」
「それが確実ですね」
「そのころには、今の2万円クラスが5000円台に落ちてたりして」
「ここ何年かの機械の変遷を見ていると、その話、冗談じゃ済まないですね」
そんな会話の後に、5,000円台のバッファローのルータを買ったのが、2日前。

 そして、今日、ついに工事の兄ちゃんがやって来た。
「あとで、ちょっと手伝って下さいね」
「はい?」
「引いて来たケーブルを引っぱり上げますから」
「ああ、判りました」って、あんた、一人で工事するんか!スゴいな。
始めて、屋外を通って来る光ケーブルと云う物を見せてもらった。3本のフラットケーブルのような形をしていて、端の一本が中に番線が走っている頑丈さ担当。のこりの2本を引き裂くと、その間に細い光ファイバーが入っている。
「これ、折れるとダメなんですよね」
「繋げませんものねぇ。外部で折れることってあるんですか?」
「戸外ではめったなことはありません。多いのは、部屋の中に入ってからですね。とくにこの終端装置に入るあたりがクっと折れると、ダメです」
「へぇ」
「ここがまた折れ易いんですよ」
「怖いですね」
「簡単に折れますからね」
そういいながら、兄ちゃんは、細くてしなやかな光ケーブルを専用工具でしゅしゅっと剥いてゆく。
 光ケーブルの端にモジュラのような端子を付けて、手早く組み込んで、終端装置に繋いでしまう。こんな細いプルプルしたもので、ホントに膨大なデータが運べるのかと心配になるような頼りなさ。これは、兄ちゃんが怖がる筈だ。

 結局、最後まで、光ファイバーを折るなと云い続けて、工事の兄ちゃんは帰って行った。
 さて、ではということで、テストである。ルーターのマニュアル通り、ウェブブラウザーを使って簡単な設定を行ったら、もう使用可能だ。一瞬でページが開く。ちょっと重たそうなページも早い早い。まあ、住宅街で昼間ということもあって、あまりBフレッツが混んでないと云うコトが大きいかとは思うのだが、便利便利。
 さて、じゃ、光ケーブルを折らないように、そ〜っと置いておける小棚でも買ってきますかね。

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2004/03/02

NTTの姉ちゃんは強情だぞ

 その昔。もう、2〜3年は前のことになろうか。ある用事があって、寿司を土産に友人宅に押し掛けることになった。いつも使い物にする寿司はここが一番と決めている中野の英鮨に寿司おりを作ってもらうのだ。
 いつもは直接行っちゃうんだけど、同行者が4〜5人居て、全員で店頭でぶらぶら待つのもナニなので、電話注文をすることに……。しか〜しっ!電話番号がないではないか。電話で注文なんて出すコト無いからメモってないのだ。

 こういう時の番号案内、さっそくNTT104番にに電話をした。
 「はい、こちら104、番号案内です」と営業ボイスのお姉さんが出る。
「あ、すみません、東京、中野の英鮨をお願いします。ひ・で・ず・し、お寿司屋さんです」
「はい、お待ち下さい……あ、英鮨さん、二軒ございますが?」
 そういえば、英鮨って、南口にもあったっけと思いながら聞いてみる。
「あ、ええと、ブロードウェイの側の奴なんですが……」
「ええと、それはこちらでは判らないんですが」
「じゃあ、詳しい店名を聞かせて頂けますか?」
「英鮨 中野南口店と、英鮨 中野北口店です」
「じゃ、北口店です」
「はい、あの、でも、もし違いましても一度ご案内致しますと有料になりますが
「え」
まあそうだろう。有料サービスなんだから。とはいえ、有料と云われると、ドキっとする。典型的な小市民だから。
「……でも、北口店だと思いますから」
本っ当に宜しいんですか?
「ええ」
「あの、もし間違っていたら……
「大丈夫ですよ」
「でも……」
 何をもってユーザの言うことに逆らい続けるのかさっぱり判らないが、このお姉さんはしつこく執拗にいつまでも「でも」「あの」「宜しいんですか?」を繰り返すのだ。
「……判りました。そんなにあなたが反対なさるんでしたら構いません、あなたのいい方を教えて下さい!」
「……え?……あの、……どうしましょう?
僕が知るか!!
「私は、北口店をお願いしました。でもあなたは違うと仰る。土地勘のある私より強く反対されるのでしたら、あなたの言う通りで宜しゅうございますよ。好きな方を教えて下さい。」
「……あの、ええと……、どちらに致しましょう」
「さっきから、何度も何度も何度も何度も、繰り返し繰り返し繰り返し、北口店といっているじゃないですか!」
「はい……」
 コトここに至って、やっとNTTのお姉さんも折れてくれた。かくして、英鮨の電話番号はちゃんと聞けたのであるが、それにしても、ユーザが「ここ」っていっているのに「でも」はないだろう……。何分無駄な会話に時間を使わされたと思っているんだか……。
 最近は少しは真面目な職員が増えたようで、電話対応がかなり良くなって来たNTTだが、まあ、マヌケな姉ちゃんはどこにでもまだいるってことかなぁ。

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