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2004/07/01

公私を別けるぞ

 公私という言葉がある。公私の別とか、公私を分けるとか云う使い方が主だが、早い話が、公的な立場と私的な立場、両方を合わせた言葉だ。
 人間が社会的生物である以上、どんな親しい間柄であろうが、国家総動員状態の戦時国家だろうが、どんな場にも公私がある。だれでも、どんな友人にも親兄弟にも話してない「私(ワタクシ)の聖域」があるだろう。どんな家庭にも、家庭内に留めて外には出さないコトがあるだろう。
 イギリス人が三人居れば、六つの派閥が出来る。というのは、イギリス人に限ったことではないのである。ただ、日本人はそこを、「和を以て尊しとなす」とか「まあまあ、そうシャチホコバらなくても」とか、「お丸く」とかいって纏めたがり、イギリス人は「俺はここまで許せるがここからは引けない」「俺はここまでだ」「じゃ、ここを境界線にしよう」なんてェ感じでキッチリしたがるかなぁというぐらいの国民性はあるだろうが。

 で、この公私、よく理解できてない人が多くて最近困ることが多い。公の場所に私的な個別連絡を書いたり、自分の個人情報や、不利な発言を、考え無しに自分で開示してしまう人だ。ネット舌禍と呼ぶべきかもしれない。こんなにネットが当たり前になっているのに、ネットに流れ出た情報が自分の手を離れて勝手に伝播することをちゃんと理解していない人は、まだ多い。
 特に注意すべきは、伝播する中で、故意にせよ不可抗力にせよ情報は変質し、歪んで行く。唯一、歪みを抑える方法は、大元の自分の発言、つまり原典を明らかにし、いつでも参照できるようにしておくことだ。
 しかし、公私の区別の下手な人に限って、こういう努力が出来ない。努力をしようとしていない。もっと簡単に云うと、大元の発言を消してしまえば、ネット内の噂が消せるような幻想を抱いて、消そうとする。だがそれは全くの無駄である。
 ネットに一旦上がった発言は、既に一人歩きしている。前言を撤回するのであれば、撤回する旨の発言を新たにするしか無い。しかし、二つ目の発言が同じ経路を通って広がればよいが、上手く後を追えなかったら、やはりどこかにはひとつ目の発言が残ってしまう。そのまま、取り消した筈の発言が何年も一人歩きしてしまいかねない。
 それを理解していたら言わないようなことを、ついつい書いてしまうような人が、如何に多いことか。そして、ネット上に書いてしまったこと、情報として一度流れはじめてしまったことは、止められない。
 どんな情報も、発信者の頭の中にある内は、その人の私的なものに過ぎない。その情報を練ろうが捏ねようが無かったことにしようが、その人の自由だ。しかし、一度でもネットに書かれた情報は、既に公のモノである。言い換えれば、人と人の繋がりの中で、頭の中から出て誰かに伝えられた時点で、その考えは既に公のものだ。
 もしあなたが「いや、自分と、自分の信用のおける友人との間でしか知る者の居ない秘密だから大丈夫」等と考えているとしたら、それは単なる気の迷いか、勘違いだ。早く考えを改めた方が良い。少なくとも、あなたの意思で決められない、あなたの外(友人の頭の中)に在るデータは、貴方が管理出来ない情報なのだ。貴方がどんなに念じていても、友人が口を開けば、そこから更に外に伝わって行くことを止める事はできない。

 公私とは、極端な話、脳の内か外かということでもある。ということは、公私の区別が出来ない人は、自分と他人の境界が不確かな人、と言うことが出来る。
 こういう判断でトラブルを起こした人の多くは、「ああ、人が私の私的な部分に土足で踏み込んで来たわ。もう嫌よ、死にたい」とか「耐えられないわ、訴えてやる」みたいな言い方をすることが多い。しかし、多くの場合その認識は違うのである。たいていの場合、まず最初にその人の方が他人に対し、「私」を垂れ流して迷惑をかけている(もしくはかけていた)のである。

 先月の、長崎の小学生女児が同級生を殺してしまった事件の、もっとも奥の部分には、こうした「公私」「自他」「内外」というモノの構造を理解できないまま関係を深め、自らの判断と行動に因ってますます自らが傷付くと言う、公私の区別を見誤った行動があったのではなかろうかと思う。
 これが、道徳という言葉で表して良いものかどうかは判らないが、少なくとも、マナーとか礼儀とか、人との付き合い方の基本が身に付かないまま、それを必要とする社会に彼女達が入ってしまったことに、最大の問題があるような気がしてならない。
 ネットの世界には年齢差がない。若年初心者とはいえ、ネットの世界に出て来る以上、自動車を運転して街に出ているようなものである。迷惑運転やへっぽこ運転は自分や他人の命に関わる。だからこそ、「子供のことだから」で済ませず、何をすべきか・何をしてはいけないかと言う、日々の暮らしの中で生きる道徳、ネット上の生活規範というものを、もっと早い時期にちゃんと身につけさせる必要が在るのだと思う。
 いや、それは単に「他人に優しく」というようなよく判らないものでなくて良い。もっと具体的に「他人が嫌がることをしたら、反撃を受けるかも知れない。だから、身を守る術として他人に優しく、自分に厳しく」という話で良いのだ。「格闘技における防御と受身」としてのマナーといってもよい。攻撃をふせぐ防御と、いざやられた時のダメージを減らす受身は、一番の基本だ。
 それを規範にしたネット社会は、自立した個が公私を心得て繋がることになる。今より、少しはネットが暮らし良くなるのではなかろうか。

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