嗚呼「勝手に改蔵」だぞ
週刊少年サンデー好評連載中の『勝手に改蔵』が終わるらしい。単行本も随分出ているし、長く続いたので、そりゃそろそろ、どこで終わっても不思議はないのだが、ちょっと寂しい。
久米田康治は、天才である。その天才の度合いで行けば、80年代の吾妻ひでおに匹敵する、天賦の才がある。
ただ、天才の作風は、理解され辛い。どうしても軋轢を生む。エッチ・お下劣・身も蓋もない……etc. 久米田マンガを嫌いな人の言には、いろいろあるが、それは、久米田マンガを理解していない。
エッチっぽい? エッチっぽいから良いんでしょうが!
お下劣? それはつまり、ホンネに近いとこまで掘り下げているからでしょう!
身も蓋もない? 蓋をはずした上にタガを外すのが面白さです!
よく考えていただきたい。どの批判も、天才、久米田康治の漫画にとっては、面白さの裏返しなのである。
「エッチなシーンもあるけど、ストーリーがいい」作品なら、秀才でも描ける(かもしれない)。「お下劣だけど……」「身も蓋もないけど……」しかりである。
しかし、「エッチである事自体に意味がある」「お下劣でなければいけない」「身も蓋もない所が面白い」という無駄のない漫画は、秀才の計算上に作り得るものではなく、天才のひらめきによって始めて完成するものだ。
しかし、天才は理解されない。理解されないことも悟っているから、久米田康治自身も言葉なんぞで反論をしない。作品で返して行く。だから余計窮しているように見える。
しかし、窮しているとしても、それは、すくなくとも、外野のどうでもいい批判によるものではない。久米田康治が窮しているとしたら、それは、自分に窮しているのである。「どうしてもっと、エッチで、お下劣で、身も蓋もない話を描けないのか」という点に於いてのみ、彼は窮状を感じているのだと思う。いや、もちろん熱心なファンより、幅広いファンが付いた方が経済的に良いなぁと言う思いはあるだろうが……。しかし、それで節を曲げるようなことはない。なぜならそれは、節を曲げて別のテイストの漫画を描くことは、久米田康治にとって出来ることではないからだ。天才の所以である。
がんばれ。遠くの方から応援しているぞ!
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コメント
はじめまして
改蔵、明日売りので最終回ですね。
やっぱりシリアスに終わってしまうんでせうか、南国アイスみたいに。
久米田先生は僕も大好きですよ。
でもそろそろ少年誌じゃないところで読みたいですね。
投稿: someday | 2004/07/13 23:06
なんか、これだけ騒動を繰り広げておいて、翌週から『改蔵2』とか『Ζ改蔵』とかでも、別に驚かないですけどね。
ホントに終わるとしたら、「どうせ責任とって終わるんだから良いデショ?」とかいいながら、世の中ひっくり返るような、担当編集・編集長・事業部長・社長が揃って首のすげ変わるような事をしでかして欲しい気もします。
いや、嘘です。本当にそんなコトやられたら、次回作なんて絶対読めなくなるから、それはちっと困ります。でも、ちっとしか困らないなら、スンゴいの読みたいかな〜。
投稿: 神北恵太 | 2004/07/14 01:22