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2004/08/31

激動だぞ

 2004年8月30日、月曜朝イチ。祖母の訃報が入った。というわけで、現在、実家に戻っている。九州に上陸した台風の影響で、東海道新幹線沿線はどこも大荒れ。名古屋駅でレンタカーを借りたところ、かなりの風雨で、高架区間の排水処理能力を集中豪雨が超えたのか、名阪高速が路面冠水していたり、時折の突風で車が横向きに強く引っ張られたりと、大変な状況だった。
 風雨は、夕方から夜まで家が揺れる程吹き続け、降り続けた。夜半を過ぎて、雨音は割とおさまって来たが、風はまだ止まない。
 倅である親父は祖母より随分前に逝っていて、孫の神北が喪主と言う事になるので、9月1日の葬儀の後も、暫くは実家を離れられない。
 とはいえ、有り難い御時世で、家の機械ではないためメールを自由に読み書きすると言う訳には行かないが、母親のMacから、こうしてこの頁を構う事は出来ている。
 まあ、すごい時刻ではあるが……。

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2004/08/29

『リターナー』が細切れだったぞ

 昨日、8月28日の土曜日、フジテレビの夜9時からの映画が、『リターナー』だった。『リターナー』観たぞという記事を今年の5月24日に書いているので、神北のリターナーという作品に対する思いは、それを読んでいただければ良いのだが、今回ちょっと云わせていただきたい。
 このフジテレビの放映版は、時間の制約がかなりキツかったのか、随分とキモになるシーンが切られていた。一番大きい点は2つ。リュウ・グループの会長のシーンが完全にバッサリと切られていた事。最初に、日本にやって来たときの会食シーン(岸谷五朗演じるミゾグチが、憤怒のままに伊勢エビを殻ごとバリバリ喰ってみせるシーン)が丸ごとバッサリ。また、リュウ・グループの海底油田でミゾグチ達と落ち合うシーンも全く無くなっていた。おかげで、リュウのジジイは一度も画面に登場しない。もう1つ、ボロボロの格好を舌ミリを、研究所を訪ねていって不思議内程度に磨き上げるシーンも、一切なくなっていた。他にも、パックンことパトリック・ハーランが声を乗っ取られるニュースキャスターを演じているシーンも無くなっており、木樹希林の情報屋のバアさんが、ミヤモトがダグラに「帰りたい」と云わされたことを謎解きするシーンが、まあ何とか納まってはいるものの、判り辛くなっていた。
 ちょっと心配なのだが、たしか、声優協約の叩き台ににした筈の俳優の権利に関する取り決めで、映画のテレビ放映などの時に、出演した役者さんに印税的な放映権料の支払いがあったと思うのだが、こういう、時間の関係で、映画から登場シーンがバッサリと切り取られた役者には、放映権料の支払いはどうなっているのだろうか?

 それにしても、あれでは、組織内のミゾグチの立場は全く見えないし、狂犬ぶりも際立たない。また、ミリがマイ・フェア・レディーする、鈴木杏の見せ場シーンもすっぱりと切り取られていて、ミヤモトに感謝する意味や、二人が引かれ合う部分が、何割か間引かれてぼやけてしまうのも、面白くない。折角、夏休み最後の映画としてSF映画を持って来たからには、全編ノーカットで、キッチリと見せて戴きたかった。

 まあ、DVD持ってるからオイラはいつでも見れるんだけどサ……。とにかく、これがファーストインプレッションっていう人にとって、折角のリターナーの魅力が十二分に伝わらないかも知れないと思うと、もどかしくてもどかしくて、泣けて来る。
 これじゃあ、キッカケになれないかもよ?!>フジテレビさん
 

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2004/08/28

また安藤忠雄かっ…だぞ

 今年の日本SF大会の会場になった、長良川国際展示場。今週、陸続とネット上に掲載された50あまりの大会レポートの殆どが、使い辛い事を指摘しているこの厄介な建物。意味も無く曲面や斜めの配置を用い、空間を無駄に消費する、とっても複雑でまともに役に立たない今そこにある産業廃棄物みたいなものだった。建築に関してはシロウトの神北が見て、これだけ欠点の見える建物を認可した岐阜の役人は、全員クビにしろと言いたい。
 行きたいところに行けない事、自分がどこに居るのかよく判らない事に関しては、増設に増設を重ねた温泉旅館に勝るとも劣らない。自分が知事なら、この設計プランを持って来たその日に、県民侮辱罪で投獄してやりたくなるような典型的駄目建築だ。
 パンフレット等に誇らしげに書いてあるものを読むと、このスカポンタンな建物は、安藤忠雄とかいう名前だけはよく聴くが、その建物に関しては、いい評判を一切聞かない、ありがたい一流建築デザイナー様の手になるモノらしい。ちなみに、日本全国をマヌケ時空に引きずり込む安藤忠雄の建築物に関しては、ココに詳しい。都道府県別になっていて、それによると、有り難い事に神北出身の三重県や、現在居住している埼玉県は、タダオに穢されてないらしい。ホっと一安心である。
 ちなみに、岐阜の長良川国際展示場の問題点は、ざっと見に以下のようなものがある。

 1.無意味な昇り降りがやたら多い

 平屋でない以上、階段がある事は致し方ないが、各階がフラットな構造になっておらず、途中で1段だけ段差があったり、階段を数段だけ上がったり下がったりしたところにトイレがあったりする。もちろん、全てのトイレは、最初から設計されていたものであって、途中から必要が在って増設したが、構造上、水回りの気候を床下に収め切れずに止む無く高床になったようなものではない。

 2.曲面がやたら多い

 意味も無く、曲面の壁がある。別にどちらかに曲面を必要とする部屋がある訳ではない。どちらかと云えば壁のどちら側も曲面になっていない方が有利である場合が多く、変な形に曲面の壁を抱えて収納力の無い倉庫や、無意味に踊り場だけ広がった階段等、曲面壁の所為で建物内にムダが溢れている。

 3.廊下が異様に狭い

 建物内の無駄な面積のしわ寄せが、廊下に来ている。ホワイエ構造以外の廊下は、表動線裏動線の別なくどれも狭く、常に混雑の要因となる。しかも、それに輪をかけるのが、完全解放でも90度しか開かない会議室の扉。180度開けば開放も楽だが、90度しか開かないということは、廊下の幅の半分を会議室の扉が塞いでしまうということ。つまりこれは、人通りに耐えられない廊下なのだ。

 4.デザイン優先の危ない構造

 3階まで吹き抜けになった2階珈琲ラウンジから3階会議室群へ直行するための、階段とそれに続く細いテラス様の空中回廊には、手すりが付いている。この手すりが10メートルほど伸びているのだが、腰高のガラス板の上にアルミ円筒状の手すりが乗った形をしている。パッと見に縦の構造材が無いので、手すりが自力で浮いているような、とても格好の良いすっきりしたデザインに仕上がっている。が、この手すり、軽く手で押すと、ガラスがたわみ、10センチ以上ガクガクと揺れるのだ。珈琲ラウンジで何か企画をしているのをここに鈴なりになって覗き込む人を想像して、寒気を感じた。
 市民ギャラリーの1階から4階まで抜けたやたらと高い吹き抜けの、4階部分にある意味の無い円形回廊が、立ち入り禁止で眺めるだけに指定されているのは、同種の手すりが使われているため、会館側が運用で事故防止のために制限しているのではないかと想像される。

 5.案内板の欠如

 かくも複雑怪奇な構造にも関わらず、現在位置を示したり、行き先を確認するための館内図や地図が、極めて少ない。こういう掲示は運用と思われるかも知れないが、複雑な構造を作った以上、設計段階からこうしたヒューマンエラー回避策としての掲示スペースや表示板が各所にふんだんに盛り込まれていてしかるべきだ。

 この無茶苦茶な建物は、当然、公共施設である。県民の税金で建てられている。岐阜出身の友人に聴いたところ、こんな事を言って溜め息をついていた。
「これを建てる時期の知事が、ハコモノ行政、大好きだったから……」
ウチの女房が、一言で切って捨てた。
「ハコなら、四角く造れ!」

 けだし、名言である。

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2004/08/27

大会明けに核融合だぞ

 8月23日月曜日。我々はまだ岐阜に居た。
 朝8時半、多賀旅館前に集合した我々は、荷物を積み込むと、わざわざこの小旅行のためにレンタカーを借り出した武田警備隊長の一台を加え、5台並んで自然科学研究機構核融合科学研究所へと向った。
 ここには、大型ヘリカル装置があって、核融合炉のためのプラズマ発生の実験がなされている(そうだ)。塩坂くんの案内で、現場へ到着。土岐市。といっても、我々は多治見インターから行ったのだが……。
 見学コースがしっかり作られていて、最初に「核融合って何だろう」「プラズマってどんなもの?」「安全?」みたいな啓蒙教育用ビデオを15分程観せられる。続いて、お姉さんに付いて、制御室、実験装置の模型、実物、試作品等を順に見学する。最後に、最初にビデオを見せられた部屋に戻って教授登場。で、簡単な質疑応答タイム。

Q 現在基礎研究中なのは重々理解していますが、融合炉が実用化されるのはどのぐらい先と思われますか?
A まだ100年ぐらい掛かると思いますよ。有り難い事に、まだまだ石油資源も余裕がありそうですから。これが石油枯渇とか起こったら、急に予算付いて進むでしょうけど、このままだと、100年ぐらい掛かるでしょうね。

Q 融合炉が出来たとして、エネルギーはどうやって取り出すのですか?
A 水に熱を伝えて、水蒸気でタービンを回すと思いますよ。

 百年後にまだ、核融合炉を新しい火力発電所の燃料としてしか使えてないのか俺たちは……と、ちょっとち黄昏れちゃいました。

 帰りがけ、案内していただいたお嬢さんに、署内の食堂に、『名物 プラズマ定食』とか、『ホッケのヘリカル焼きセット』解かないのかと聞くと、「そういう面白いメニューは無いんですよ、残念ながら」と云われる。適当な昼飯の喰える場所を聞いてみると、「テンコロの美味しい店がありますよ」と云われた。
「なんですかそれ?」
「天麩羅の載った冷たい汁のうどんです」
「ああ、天麩羅の載ったコロですかぁ」と納得。
 いわゆる冷たいうどんの事を「コロ」という。少なくとも、ウチの親父はそう呼んでいた。それが、冷やしたせいできゅっとしまったうどんが冷たい汁に浸った感触から付いたコロなのか、英語のCoolがなまったのか知らないが、冷やしうどんの事を、我が家でもコロと呼んでいた覚えがある。ま、どちらにせよ、蕎麦に天麩羅が載ったものが「天ソバ」だから、冷たいうどんに天麩羅が載ったものが「天コロ」なのだと合点が行った。が、ひょっとかすると方言なのかな? 塩坂くんとかはよく判っていないようだった。
 だが、よく判っていなくとも、科学者のお姉さんのお奨めには素直に従う。一行は5台の車を連ねて一路、お奨め天コロの店「すなは」へ。
 しかし、教えてもらった目印を二度も見落とす大ちょんぼで車列はUターンに次ぐUターン。しかも紆余曲折大迷走の末辿り着いてみたら、「月曜定休」の看板が。しかたない、今後の戻り道を考えながら、途中でメシを喰おうと衆議一決。名古屋へ向けて戻って行く。
 名古屋駅でメシを喰うなら、エスカの山本屋。みそ煮込みの名店である。名古屋乗り捨てでレンタカーを返した武田警備隊長もやって来る。なんか、よほど美味かったと見えて、ばくばくご飯をお替わりしている。ん? 大丈夫なのか? 見ているうちに三杯のご飯が消費されて行く。
 凄い勢いで飯を食う武田隊長を待って、店を出る。この店、美味しいんだが値が張るのがチョイ痛い。核融合科学研究所見学会は、ここで全行程を終了、お開きとなった。

 東京方面組は、塩坂ノワール号、藤沢ピカチュー号、神北号の車三台に分乗し、出発。
 とりあえず、ガソリンを足したりして、高速に乗った後、上郷のSAで一旦合流ということにして、個別行動。神北車はガソリンを入れ、名古屋とし高速から透明名古屋インターを目指す……が、なんか、そっちが速いからなのか、カーナビに引っ張られて行ったのは、名古屋高速から東名春日井インターへと入る道。おおっと、一区間東京から遠い方に出ちゃったぜ、マズいマズいと、集合の上郷SAへと急ぐ。
 が、なんだか、残りの二台は、ガソリンスタンドを探すのに手間取ったらしく、随分遅れて到着。名古屋高速から東名名古屋インターへ至る道すがら、迷ってゼブラゾーン上を大激走しちまったとか、しなかったとか。クワバラクワバラ……。
 東名に入ると、雨が本格化する。死ぬほど降る。さすがに、連日の大会疲れで雨中走行はキツい。同乗の武田隊長にスペアドライバを依頼してみるが、「保険の事もあるでしょうから」とあっさりと断られる。ヘロヘロになりながら、なんとか沼津市内へ。市内を走っていて、ナビの指示の違いから塩坂号他とはぐれてしまう。嫌な予感がしたので、一旦車を停めて、同乗者に塩坂号に載っている古市に電話してもらう。
「ちゃんと走れている?」
「ええ大丈夫ですよ」
 いや、そういうことでなく、こっちが聞きたいのは、ピカチュー号がちゃんとそっちに居るかということなんだが……。もう一度電話。
「ピカチュー号は、付いているの?」
「ああ、……いないです」
 居ないデスじゃ無いだろうと、ピカチュー号の竹内くんに電話。予想通り、カーナビの無いピカチュー号は、目標をロストしかけていた。今、沼津市役所付近というので、カーナビを参考に誘導。結局、これでこの車が一番遅くなったが、なんとかさかなや千本一に到着。いつもの三階へ。

 今回のミッションの真の目的は、この店が初めてと言う中根くん・武田くん・真庭くんの三人がどれだけ驚くかを観察する事にあった訳だが、このミッションは大成功であった。
 ドンブリものを頼んだら、先付けは付くわ、みそ汁が固形燃料の鍋になっているわ、テンヤワンヤになっているところへ、お刺身も、遠慮無しにドドンっと来るのだから、こりゃ大変。
 「うわー。みそ煮込み屋でご飯お替わりするんじゃなかったァ」
 悲鳴を上げながら武田隊長が歯を食いしばってメシを喰う様は壮絶だった。

 もー喰えません。も〜勘弁というぐらいまで食い捲って、店を後に。
 だが、この時、既に神北は相当疲れが出ていた。少しでも距離を稼げるように、三島駅で中根さんを下ろす横浜便と、まずは都内を目指す便とに、2班に分け、全員で三島駅を目指すパターンを避ける。
 しかし、その後、とんでもない事が……。何を思ったか、うちのカーナビが、細い道へ細い道へと誘導して行くのだ。どう見ても、いつもの道を逆の方に走って行く。これはヤバい。
 沼津市内を迷走した後、記憶に頼って走り直して、インターへ。
 まずは、足柄へ。
 海老名で、後続だったピカチュー号の藤澤くん・竹内くんから、「神北さん、大丈夫ですか?フラフラしてますよ」と云われる。さすがに疲れが頂点か。
 しかし、都内では、機材回収のために、安達くんが待っててくれるので、走らない訳にはいかない。1500円ほど奮発して●ンケルの高そうなヤツをゴキュっと……。再び走り出す。
「おお、古市、スゴいぞこれ、高級●ンケル」
「効きますか」
「シャッキリして来た」
「すごいっすね〜」
 と、快調な走り出し。だが、そのドーピング効果も、15分ほどで切れて来る。結局、30分ほど走って、海老名で、ギブアップ宣言。
「申し訳ないが、車2台に分散している安達くんとこに行く荷物は明日俺が届けるから、人員を全部ピカチュー号に移して、送ってやってくれないか?」
 「その方が良いですよ」と藤澤くんが快諾してくれて、荷物の積み直し。11時過ぎまで待ってもらった安達くんと、帰りを待つ女房には、電話で詫びる。
 結局、藤沢くん・竹内くん・古市くん・真庭くんの乗ったピカチュー号を見送った後、運転席は後に荷物満載でリクライニングしないから、助手席を倒して、死んだように眠る。

 次に目が覚めたのは、6時半ちょっと前。ほぼ6時間以上就眠している計算。あの疲れ方では、1本1500円也の●ンケル、最初の15分以外、全く効かなかったなぁ……。
 とりあえず、女房が起きる時間を待って電話。水分を補給し、移動を開始。時々理解不能の案内をするナビを太弱ったり無視したりしながら、都内をグリグリと走り、安達くんの会社付近に到着。24時間型のファミレスに入って、朝食。朝食メニューしか無い点は随分不満だが、ドリンクバーの野菜ジュースが美味しい。10時過ぎに安達くんから電話。本人は今日出張だが、会社はもう人が居るよというので、お邪魔して、安達くんの会社から借り出した機材を返却。
 その後、へろへろ〜っと都内を抜けて懐かしの我が家へ。荷物を下ろした切り、車も返さず再び4時間ほど眠りコケる。結局、車は借りた時間ぎりぎりまで使い、夕方遅くに返しに行った。
 総走行距離1069キロ。
 期間は6日と長いが、平均的に乗ったのではなく、行き・帰りに走行距離が集中したから、結構大変だったなと思う。
 おちついてから、メールを確認すると、別れたメンバーが無事に帰れている事が確認出来た。ほっとしたところで、ほぼ7日間に渡る神北の日本SF大会の旅は、幕を閉じた。

 あ〜。生きてて良かった。

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2004/08/25

シール屋さん、太っ腹繁盛記だぞ

 2004年8月21日。ついに大会初日が始まった。忙しい。やたら目ったら忙しい。
 当日現地入り予定の女房から電話。シール台紙や、適当な食料の買い出しを依頼。
 どこまで客が寄ってくれるか判らなかったシール企画だが、どんどん注文客が訪れる。シールの作り方も様々。いろんなメディアに絵を入れて持って来る人。デジカメの写真を持って来る人。こちらが用意しておいたストック画像を使う人。中には、その場でデジカメで撮って、それを使ってくれという人もいる。割と進みが速い。入場舌は良いが、企画はまだ無いため、ディーラーズルームかここに人が群がるのだ。
 11時過ぎに女房が到着。取り敢えず、腹に溜まりそうな調理パンや芋パンを中心に、補給。
 結局この大騒動は、オープニングの行なわれるホールに人が飲み込まれて行くまで続いた。人が空いたところで、みんなに各自、パンを食ってもらう。
 とはいえ、食事休憩とは行かない。我々の仕事はそこからが勝負だ。オープニングが終わるまでにバックオーダーを何とかせねば。パン片手にマシンの前に陣取る。もう少し時間が経つと、みんなもっと素早くなって来るのだが、まだまだこの時間帯はソフトの勘を掴めずに時間がかかっている。去年のシール企画を担当したミツルんも加わっているが、なかなか往時の勘が戻って来なくて、効率が伸びないと言っている。要は、出来ることと出来ないことを見極められるのが勘だ。出来ないことをやろうとして無駄な時間を食ってないで、早々に無理の利くIllustrator派の神北に振って貰う方が全体効率はグンと上がる。ただ、この見極めは、ある程度ソフトに慣れて来ないと難しいから、最初はどうしても時間がかかるのだ。
 オープニングセレモニーが終わると、ドンと人が戻って来る。だが、一本目の企画群が動き出すと、一気にまた引いて行く。今回のタイムテーブルは、時間枠をキッチリと付けているから、潮の満ち引きがはっきりしている。
 様々なミスや問題に遭遇しながら、注文書の受け方、完成品の並べ方等、どんどん効率UPして行く。やはり、高負荷のハードトライアル無しでは、システムは完成しないということか。

 前日、机が並んだ状況を見て、広っ! かなりオーバースペックに広いと感じたシール屋さんブースだが、実際にマシンを数台セットアップして、がんがん仕事を始めると、ちっとも広くない。
 ゲスト受付を頼まれていた安達くんが戻って来ると、受付業務の効率化を開始。結局、最終的に、フロントエンドマシンとして、全デバイスの窓口を安達くんのPowerBookに集約し、受付時にデータを確認、リサイズまで行う事になるのだが、この時点ではまだ、バラバラに各自の機械で対応していた。
 サーバを置いて、ネットワークでデータのやり取りが出来れば更に効率的だったのだが、サーバ接続に時間を掛けている訳に行かなかったため、即席サーバより、USBメモリをやり取りすることに終始した。
 一度、次の大会までに、簡易な話だけではなく、みんなで機材を持ち寄って、実際にちゃんとしたネットワークを構築してみる必要が在ると、痛感。

 途中で抜けて企画へ。『アニメを報ずる』の第3回目だ。アニメーションの製作現場を報道するアニメ雑誌という1970年代末になって突如現れた新しい分野で、記者は手探りの中、何をどうして情報を得たのか、送り手であるアニメ制作会社は、初めて番組宣伝以外の記事として、制作現場の状況や、監督の談話、設定資料等の報道が行なわれるようになったことに、どう対応したのか。生き証人達に話を伺う企画だ。
 昨年、サンライズ資料室の飯塚正夫さんにお越しいただき、話し始めたのはいいとして、まだ1977年のザンボットスリーまでしか行き着けなかった。雪辱戦として、飯塚おとうさんに再びお越しいただき、今年こそは……と意気込んだのだが、飯塚ファミリーのひろしにーちゃんこと、河原よしえさんの言「じゃ、ダイオージャまで行けたら恩の字かな……」を大きく下回り、ガンダムが始まるというところで時間が尽きてしまった。飯塚さんのお話しが面白いせいもあるけど、司会がタコなのです。スミマセン
 でも来年こそは……。

 企画を終えてシール屋さんに戻ってみると、大騒動に。大量のバックオーダーが発生。一気に注文がヒートアップしている。
 無茶苦茶忙しいことに。
 必死に注文をこなす。
 今まで、何とか使えていたヒサゴのシール台紙が使えなくなって来た。古いプリンタだと滑って上手く給紙出来なかったのだが、最新のPIXUS 990iでも印字不能になって来た。エーワン等の用紙は紙だが、ヒサゴの用紙は紙ではなく、フイルムなのだ。そのため、少し使い込んだプリンタだと、給紙ローラーにホコリが付き、ツルツルのフィルムが滑るようになるのが原因らしい。Fax等で使う、ローラー掃除用の弱粘着性用紙で掃除してやらねばならない。
 ヤマダ電機に飛んで行ってみるが、残念なことにそういう在庫はないという。店が大きい割に品揃えが悪いように感じるが、一般郊外店とはこうしたもの。秋葉原とは訳が違うということだろう。
 しかたないので、手を添えて飲み込みを助けてやる等の緊急措置で凌いでもらう。一枚毎の最初の一歩さえ引き込めれば、問題なく読み込めるのだ。

 結局、バックオーダーをほぼやっつけて、仕事を終えたのが、長良川国際会議場の閉まる21時ギリギリだった。
 フラフラになって引き上げる。今日は風呂の終わりが十二時までに伸ばしてもらってあるということで、とにかくシール企画のメンバーで食事に。買い物に出た時に神北が、環状線沿いに何店舗か確認しておいたファミレスへ。なんだか、ハンバーグが美味い。ついでにデザートもすすむ。昼もいい加減だから、結構腹が減っていたようだ。メシを喰いながらも、話題はシール企画のこと。今日の反省点や明日の作業体制についての話を纏める。
 戻って風呂に入る。12時迄には何とかしないと。と、我々が出ようとしている頃に、入れ替わるように遅れて塩坂くんがやって来る。悠然と頭を洗っていると、突然、ダンっと言って、ボイラーが停止して、湯口のお湯がぴたりと停まる。ちょうど12時だったらしい。脱衣場に出た頃に、風呂場からぎゃーという声が。笑いながら出て来る連中に聞くと、何でも、シャワーのお湯も停まって、途中から水しか出なくなったんだとか。
 結局塩坂くんは浴槽のお湯を汲んで頭を濯いだそうだ。
 「いやー、参りましたよー」とはいうものの、きっとコイツは懲りてないな……。

 自主合宿企画の1つであるCON-PACKに、来年のHAMACON-2の大会実行委員長の半澤くんと、紅茶屋さんの熊崎くんが居た。熊崎くんは、紅茶ブレンダーとして売り出し中だ。以前、田中芳樹先生のパーティーの引き出物で、『カイザー・ラインハルト』等、三種類の紅茶を、新たにブレンドして貰ったこともある。
 「今年は珍しく、紅茶を入れる企画をやってない、一般参加です」という熊崎くん。仕事の関係で、これから暫くの間、ちょっとばかし忙しいという話を聞く。新しい販路を拓く等、ちょうど商売の根幹を組み替える時期に当たってしまい、来年の大会の副実行委員長を勤める予定は、ちょっと一旦横に置かざるを得ないそうだ。こればかりはしかたない。大会の中核に入っていては、どう足掻いても時間が取れないのは目に見えている。趣味の世界の話は、実生活を確立してからだ。
 実行委員長の半澤くんは、15年前のダイナ★コンEXの時に実行委員として手伝ってくれた男で、今は編集者。一緒に仕事をさせてもらった事もある。そのせいか、調整型のリーダーとして、多方面の意見を組み入れようとして、ちょっと自分の方向性を出す機会を失っているように見えたので、「調整型の委員長と、虻蜂取らずということは、別だよ」という話をした。実行委員長がやると思ったことは、間違っていたり、より良い意見が出て来ない限り、通すべきだというのが神北の持論なのだ。
 ダイナ★コンEXの当時、宿泊費を含めてゲストの参加費を無料とする実行委員会が多かった中で、我々は、「ゲストの参加費は免除。ただし、宿泊費は面倒見ていただきたい」という方針を打ち立てた。当時としては、趨勢を外れた突っ張らかった意見だったが、これにより、宿泊必須のリゾートコンであっても、都市コンと比べてゲスト予算を増さなくても済むと言う、大会が大きくなるに連れて巨大化する経済的問題点をクリアすることが出来た。
 当時、「そんな事しては、来てくれるゲストが激減する」という反対意見もかなり聞かされたが、300人規模の中規模旅館で何とかなっていた時代ではない。1500人からが合宿するとなると、旅館もそれなりに大きなホテルとする必要が在り、宿泊費が上がる事は致し方なかったのだ。かと言って、いくら安くするためとはいえ、毎年1000〜1500人が集まっているものを急に縮小し、規模300人の日本大会を開く訳には行かない。日本SF大会には、日本SF大会の規模があるのだ。
 リゾートコンでそういう規模を維持して行くためには、規模に応じた大型旅館が必須で、12000円〜16000円程の宿泊費はどうしても掛かってしまう。規模を確保するためにはこれは必須要件だった。そのため、宿泊費が5000円ぐらいで済む安宿と同じようにゲストを扱う事はもう無理だと、誰かが方向性を転換する必要があった。
 「だから、半澤くんも、やるべき事は、声に出してちゃんと言った方が良い。それで離れる人が居ても、それで逆について来る人も居る。今のメンバーと上手くやるために、際限なくポリシーを切り売りして行くのだとしたら、何のために実行委員長として中心に居るのか判らなくなるぞ」
 と、ハッパを掛けた。
 SF大会は、「察して譲る」などということをし続けていたら、絶対上手く行かない。意見はトコトンぶつけて、問題点を明らかにし、意見に優劣が見えて来て収斂の道が現れるか、どこまで行っても並行線なのでどちらを採用しても同じと納得出来るかの、どちらかの結論が出るまで話し尽くしてこそ、先に進めるものだ。
 とにかく、HAMACON 2は、首都圏の大会となるので、規模もここ何年かより大きくなると予測される。早く方針が定まって、万全な態勢で臨んでいただきたい。そんな話をした。

 その後もなんだかうだうだとあちこちでいろんな話をして、3時ぐらいに就寝した。いや、ブッ倒れたと言った方が良いのか……。翌日は、起きたらもう朝食時間だった。朝メシを喰って、しばらくぼーっとして国際会議場に出勤。また、シールを作り続ける一日が始まる。昨日、流石にアタマが飛んで上手く行かなかったバックオーダ−の残りを造り、新く来る注文をこなす。

 それと並行して、突然来てくれたゲストの分の名札とゲスト用シールの注文が入る。ゲスト担当スタッフが口頭で言って、ツカツカと行ってしまう。「おい」と声をかけたが御構い無しだ。ずんずんと消えて行く。
 一応打ったが、どうも、字に自信が無い。
 暫く戻って来た件のスタッフが、そのまま受け取って行こうとする。
「おい、漫然とした仕事をしているが大丈夫か?」
「え?」
「お前さんが口頭で言って行っただけだから、確認対象が無い。漢字は仮名漢変換任せで確認してないぞ。今、ありがとうございましたと言ったが、ホントにそれで良いのか?」
「え、あ、確認して来ます」
 慌てて飛んで行ったが、暫くして「やはり、間違ってました」といって引き返して来た。今度は、ちゃんと文字を書いて持って来たので、それに沿って作業。
 なんか、相手の動きや状況が自分の意図から離れる可能性を全く考慮しないいい加減な運営をしていると云う感想を抱く。
 ゲスト用のシールも、ゲスト担当スタッフは2枚と言って発注したが、後になって確認したら、他と同じく3枚作る事になった。結局、他の作業を停止して、割り込んでまで、再び追加作成することになった。
 頼むから、時間を無駄にさせないでくれぇ。

 11時のオーダーストップまでに、大量のバックオーターを抱えた。
 昼ごろ、女房が、差し入れのお菓子を持って来てくれた。「信長うつけ餅」とかいうきな粉をまぶし、あんこの入った餅(牛皮?)で、割と美味しい。糖分と炭水化物なので、腹持ちも割と良く、昼飯代わりにみんなて1つずつ食べる。食べながら、バックオーダーの消化。
 暗黒星雲証の加藤くんと奥くんがやって来る。
 「ちょっと報告なんだけど、今、シール企画の台紙の誤植で2003年って書いてあるのが、現在のトコロ暗黒星雲賞トップなんだ。授賞式出演の可能性があるから宜しくね」
「げげ、オイラ、菱田継久や竹内伸介と並ぶんですか」
「どーせ、同じようなモノじゃん」
「ちゃう、断固としてちゃう!」
 しかし、その2時間後ぐらいに奥くんが再びやって来て、「残念ながら二位でした」と報告された。なんでも、一位はSFヘキサゴンなんだとか。ってことは、柳澤さんは、去年の鉄人定食に引き続き、V2じゃんか。
 一方、我々のシール企画でも、顕彰企画が動いている。シールデザインを競うシールコンテストだ。シール企画からはベストフォト部門と、ユニーク部門を選ばせてもらった。その他に、ゲスト三人にお願いして、長谷川裕一賞、笹本祐一賞、大和眞也賞の3賞を決めてもらった。
 デジカメ写真に収めて持って行き、PCから、プロジェクターに流して巨大にスクリーン表示してもらう。最近は、こういう簡易な表示が出来るのでぎりぎりに決まった賞でも、様になるから良いなぁ。
 クロージングの舞台袖で出番待ちをしていると、なんと、そこには、先日星雲賞を刷り出した東京リスマチックの封筒が。中を確かめるとまだ、誤植のあった賞状が残っているではないか。
 クロージングの自分の出番は、次々と読み上げるだけなので、さっさと済む。続いて、暗黒星雲賞。加藤くんが、面白がって次点のシール企画の時に出て来ないかと誘ってくれたので、星雲賞のボツ賞状を持って、ぺこっと舞台に出て、少し話す。
 「いやー、こんな一年違いなんて小さなものですよ。これ、気付いて差し止めた誤植のある星雲賞のボツ賞状なんですが……、「ロード・オブ・ザ・リング/2つの塔」、部門名が……『海外短編部門』になっているんですよ」
 加藤くんと、しばし、あれ、短編ですかねぇと話し、引っ込む。
 出番が終わったのでシール屋さん跡地に戻り、クロージングの終了を待つ。
 クロージングがはねるのとともに、ゾロゾロと受賞者が賞品を貰いに来る。全部渡し終えて、終わりだ。
 女房と、安達くん、ミツルんの三人は、当日これで帰るから、その足でタクシー拾って岐阜駅へと戻る。残った我々は、実行委員の一人が奢りますよと誘ってくれたので、大会実行委員会の当日打ち上げに出る事にして、一旦、多賀旅館に引っ込む。と、帰る道すがら、ポツポツと来た。大会が終わる迄は持ったのに、遂に雨かといいながら、旅館へ戻って一憩み。なんだか、知らない間にアテネ五輪で日本勢はメダル・ラッシュらしい。
 云われた時間に会場に戻ってみると、すっかり強者どもが夢の後。静かなものだ。ただ、スタッフが、最終的に、会場の現状復帰のために走り回っている。「おーい、イスは全部元の部屋に戻ったけど、工具箱が見つからないそうだ」「会場の工具箱?」「そう、会場から借りたヤツ」てな話をしながら、まだ走り回っている。
 とはいえ、打上げの予約が入れてあるから、放っておく訳にも行かない。先に半分程のメンバーが移動する事になる。ホテルのバイキング形式のレストランの一角を押さえたらしい。
 ホテルはまだ、国際会議場よりはマシな設計のようだが、それでも、なんだか、判り難い造りだ。
 更に、端っこに押し込められた観があって、料理までちょっと距離がある。
 辻堂くんがやって来て、「会費は4000円です」と言い出す。
「おい、お前、奢るからと言って誘ったんじゃネーのか?」
「ええ、だから、神北さんと、古市くん真庭くんの分は奢ります。でも、塩坂くんは4000円な」
「おいおい」
 5000円出して、「塩坂の分と、後は足しにしろ」と言って押し付ける。藤澤くんは、後輩である名大組の面倒を見たようだ。なんだか、シコタマ辻堂節炸裂である。
 何だか、まったりとした現地打ち上げになった。なんとか大きな問題が噴出する事も無く、大会が終了したから、みんなホッとしている。実行委員長の高木くんや企画局長の名古屋くんが挨拶して回っている。事務局長の小崎くんも回っている。何だか、下っ端スタッフなのに「いやあ、有難う御座いましたァ、来年も宜しくお願いします」なんてデカい顔をして回っているワケの判らない輩も居る。何にも役に立っていないくせにデカい顔だけしてやがる。でもまあ、許そう。取り敢えず今日は上手く回ったのだから。
 まあ、かくして四十三回目の日本SF大会は、スタッフの心の中でも無事終了して行った。

 宿に戻って、風呂に入り、山本ひろしくんの部屋でバカ話をする。流石に疲れ果てたスタッフが一人、ちょっと複雑な形で寝コケる。
 「こいつ、難しい格好で寝るやろ?」
「うん、二時間ドラマ開始2分目に出て来る、死体みたいななァ」
「これが、あと5分経つと、白いチョークの線と、番号札に切り替わるんですね」
突然「ウゴガッ!」と上体を起こそうとする。起きたのかと思ったらさに非ず、寝返りだったらしい。ますます難しい格好になって眠ってしまう。
「でもまあ、○○くんの寝相と比べると、まだまだ大人しいものだしなぁ」
「あ、○○さんの寝方は、語り草ですからねぇ」
などと話が弾む。と、その内、流石に疲れた山本ひろしくんと武田警備隊長が、窓際のソファでうつらうつらとし始める。フと気が付くと、その二人の向こうで煙草を吸っていた古市くんが難しい顔をしている。
「お前、出られないのか」
「ええ、脱出不能に陥りました」
「こっちっかわのソファの後を通れば……。あれあれ、ここで、テトリスみたいなクランクになって真庭くんが寝てるよ」
「真庭くんを踏んで出て行く事自身には、何の痛痒も感じないんですが、大声挙げたりすると回りに迷惑ですからねぇ……」
そのまま暫く話を続ける。
 相変わらず古市くんは、熟睡する山本くん・武田くんを金剛力士像のように両脇に配し、煙草を吸っている。隅の方では、真庭くんが、金剛力士に踏みつけられた天の邪鬼のようにクランク型に眠っている。
 「じゃ、古市、頑張れよ。ワシ寝る」
「俺も」
「私も寝よ」
「あ、ああ……」
 SF大会後泊の夜は、更けて行く。

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シールを作りまくったぞ

 バーミヤンから多賀旅館に戻って一眠りすると、朝の四時頃にムックリと起き上がり、シールを作り始める。OSXとAdobe CSとプリンタドライバの所為で、印刷の設定が難しい。一回毎に、CSのプントダイアログからプリンタドライバを呼び直して印刷しないと、平均的な(テキトーに早くて、美しさをテキトーに間引いた)印刷になってしまう。CSプリントダイアログの印刷設定で登録しておいても、忘れてしまう。ま、プリントの前にボタンを1つ押して、開いたタイアログでもひとつボタンを押すだけなので、大した手間ではないのだが……。
 しかし、プリント速度に関しては、随分と不満が募る。遅いのだ。とにかく。まあ、BJ S600という神北愛用のプリンタは、2000年発売。毎年新作プリンタは出るものの、基本的に2年に一度大幅なモデルチェンジがある中で、現状、完全に2世代以上前のものとなり、インクもついに現行機に同一のものを使う機種が無くなっている。神北の粗雑な使い方でこれだけ長く使っても、ビクともせずに動くのだから、しこたま頑丈と言って良いだろう。歴史に残るような名機、普及機と呼ぶべきなのだが、いかんせん、4年経つと、もっと早くもっと綺麗なプリンタが普通になって来る。
 そこそこ、作業の調子を掴んだところで朝ご飯。多賀旅館の朝は、わりと美味しい。素泊まり+朝食で6000円。会場にも極めて近く、駐車場も広い。
 そこへ一緒にシール企画をやる塩坂くんから電話。
 「古市くん、真庭くんとともに昨日の晩、向こうを発って朝早くに岐阜入りして、今は各務原の航空博物館で航空三昧してます。SFの醍醐味っすね」
「フーン。ソウ……」
 きわめてフラットな声で返してしまった。なんか、折角のSF大会に出かけて来るのだから楽しんで貰ってナンボだが、こっちが時間的にテンパッている時に、「ヤぁ、楽しいです」と言われても、、対応は冷たい。
 11時ごろに準備中の実行委員会の状況を見に行く。名大SF研から、数人、助っ人が入ってくれる。若い学生さんが設営に動き出すと、いよいよ大会本番という気がして来る。そこで地図を観せて貰い、岐阜市をぐるりと取り囲むように新しく作られた環状線沿いのヤマダ電機へ。シールの打ち過ぎで手持ちのインクが尽きたのだ。インクを持った竹内くんが昼前には入ると言っていたので電話で状況を聞いてみるが、まだ東京とのこと。これを待っているよりはインクを買った方が速い。ヤマダ電機の入っているのは、いろんな店が集まった複合店舗で、ホームセンターも入っているので、文具も買う。
 一旦会場に戻り、設営を手伝う。飯があるので食ってくれと言われるが、30人分でおにぎり60コ買って来たと言う。一人頭おにぎり2コ。何を考えとるのだ? これじゃあ働けんぞ!
 その後、多賀旅館に戻り、またもやシール造りに入る。かなり時間が迫っているが、大量のゲストシールを刷らなくてはならない。
 実際、ゲストシールはかなり難航。名前だけの簡単なものだが、量的に1シート16片の葉書サイズ3枚が良いと言う判断を実行委員会がしているのだ。印刷時間に関しては、1シート81片のA4のものを1枚刷る方が、1シート16片の葉書サイズ3枚を刷るより速い。とはいえ、あまり嵩張るシールを持たせたくないということも判るので、致し方ないところか。出来れば、もうちっと早めにゲスト名と枚数を確定して、仕事を振っておいていただきたいところだが……。
 夕方近くになって、塩坂くん達がやって来た。彼の持って来たWindowsマシンをセッティングし、それに載っているソフトで、ゲストシールを作って貰うことになる。データのやり取りにUSBメモリやカードリーダーが大活躍。今は、回転メディアは基本的にCD-R の一人勝ちだが、静的メディアに関しては、PCカード、CFカード、スマートメモリ、SDカード、メモリスティック、同Pro・Duo、等々が、乱立しており、とっても大変なことに。ただ、一番楽なのは、USBメモリだ。USBのコネクタは、現在の主要パソコンならばまず間違いなく持っている拡張端子だから、MacからでもWinからでも、結構アクセスが容易なのだ。ただ、この静的メモリメディア類、厄介なことが1つある。メモリの抜き差しが物理的に極めて容易なくせに、前もってOSで開放の手続きをとっておかないと、ファイル管理システムに弊害が起きて、次に挿しても、OSが自動認識してくれなくなることだ。
 何人かのゲストシール作業をやってみたところで、塩坂くんが、眠くなって寝てしまう。続いて真庭くんもダウン。徹夜で走って来て、半日遊んでいたのだから、体力が保たないのは仕方ないか。
 とりあえずゲストシールは全部任せてあるので、置きて来てからの塩坂くんに期待して、神北は残りの企画シール等の作成に勤しむ。
 今日は前日なので、夕方に掛けて、前泊者が続々と集まって来る。スタッフの多くもこの日は多賀旅館に泊まる。G-conゲスト担当の藤原さんがやって来て、座って話し始める。
「良いけど藤原さん、真横で布団の下敷きになって寝ている塩坂くん潰さないでね」
「え?!」
 藤原ビジョンでは、塩坂くん、まるで見えてなかった模様。危ねぇアブねぇ。だが本人は眠り続けている。やがて、徐々に前泊組が増えて来る。基本的に、大会慣れしていて、企画を持っているような人が多いから、殆どが知り合いだ。
 本来塩坂くん達は、ここの宿に宿泊予約をしていなかったので、夜に入った頃に仲居さんがやって来る。
 「どうされますかねぇ」
「いまから、3人増えていいですか?部屋はここで構いません。布団も適当に積んでおいてもらったら、勝手にこっちで延べます」
「わかりました。朝食付けるなら一泊6000円で」
 お、この時間からでも、我々と同じレートにしてもらえるんだ。有り難い。三人の中で唯ひとり起きている古市くんに支払いに行って来てもらう。やがて古市くんは、階段の舌の帳場から戻って来て、「OKッス」と言った。すると……。
「え?を……コグラヂドーナッダンーディスガァ?!」
と叫びながら、真庭くんが目を覚ました。
 なんじゃろーか、この「オンドゥルルラギッタンディスカー!!」みたいなのは……とみんな一瞬訳が判らない。「真庭くん=オンドゥル星人」説が、部屋の大勢を占めた頃、もう一度真庭くんが発言。
「だから、僕たちどーなったんですかって聞いているじゃないですか、古市さん。教えて下さいよぉ」
「え?今のは、日本語だったのか?」
「俺たち、オンドゥル語以外の何物でもないと」
「おまえ、「オンドゥルルラギッタンディスカー!!」とか言ったんじゃなかったのか?」
「ボクは日本語を話してますよ〜」
「嘘だ!」
 全員一斉に口を揃えて、否定。その後、オンドゥル星人は古市くんに宿代を支払って、何とかコト無きを得る。だが、塩坂くんはまだ起きない。
 昨日と同じように9時を過ぎてから、大会実行委員会の連中がやっと戻って来る。
 「おーい。11時までに入らないと風呂終わっちまうから、先に風呂入ってからメシ喰いに行こうぜ」
「お、いーっスね」
 という訳で、塩坂くんも起こして、割かし仲のいい連中でごそごそと風呂へ。露天風呂にどんどん人が、狭い露天風呂に、10人以上が一気に入る。後から来た連中が、おー、『オタクでオタクを洗うオタク洗い状態ぃ!』とか云いながら、嬉々として入って来る。なんだかなぁ。
 風呂でさっぱりすると、次は飯。どやどやと表に出て、車を割り振る。岐阜市ではないので、あまり地理に詳しいとは云い難いが、それでもまだ岐阜県在住だから最低限の地理勘はあるだろうということで、小崎くんの先導で、名岐道路か岐大道路方面へ。これ等の道路とそのバイパスは、名古屋と岐阜、もしくは岐阜と大垣を結ぶ幹線道なので、必ず遅い時間まで明けているファミレス系の店があると踏んだのだ。結局、岐阜駅の向こうまで出て、サガミへ。東海圏では定番の蕎麦屋チェーンだ。その昔、神北の周りでは、サガミの冷オロシ蕎麦、たしか380円也が、1サガミとして、一種の基本通貨として通用していた。そのぐらいしょっちゅう喰いに行っていたのだ。
 明日から大会というのに、何か、静かなのが気になる。実行委員会の森田くんに云うと、激しく同意される。森田くんとは15年前の第二十八回日本SF大会ダイナ★コンEX以来の付き合いだ。当時、新しく仲間に入って来た若い連中の中で、一番、神北とかの傍で修羅場の中心を見て来た内の1人で、今回の実行委員会でも、最も経験豊富な中核スタッフ数人の中の一人だ。とはいえ、経験豊富なのは、外の地方から手伝いに来ている人が多いため、地元スタッフに限って、経験の多さを見てみると、ほぼ間違いなく彼がトップだろう。
「なーんか、静か過ぎるんですよね。まだ水面下の問題が隠れているだけって云う気がします」
「一波乱、二波乱は、なんか来そうだが、その分、余力を残しとかないとなぁ」
「うー、ヨリョクがぁ……」
 取り敢えず、メシを喰って旅館に戻る。こういう場所で、いろんな話をして顔を憶えておくのが、大会で何より大事だ。戻ったら当然仕事。塩坂くんは夜通しシールを打つと云っている。
 こっちの企画シールも、残り作業はまだ多い。なんと云っても、プリンタ性能の関係で打ち出しに時間がかかるのが痛い。プリンターの動作中に、もう次のシールのデザインを作っているのだが、それでも間に合ってない。というか、こっちのデザインを造り終えるスピードの方が、プリンタが打ち出すスピードよりも速いため、バックオーダーのプリントキューが溜まる一方だ。
 夜半過ぎ、へろへろになってしばし眠る。
 起き出してまた打ち始める。
 去年も同じようなことをしていた気がする。が、今年の方がどうも先が見えていない。

 朝になる。大会当日の朝だ。有り難いことに天気が良い。7時に飛んで行って食事を済ませ、再びプリント作業。Win機は2台のマシンとそれぞれ用のプリンタがあるので、2班体制にに別けて、一組は多賀旅館で作業を続け、もう一組は、8時の国際会議場の解錠とともにシール企画の持ち場に入り、機械をセットアップして、向こうでもゲストシールのプリントを行なう。てなわけで、先行班はUSBでデータを持って会場入りし、準備。
 神北のマシンも移動。どちらかというと、簡易エディターであるラベルマイティーラベル屋さんHOMEでは、基本的なシールを、PhotoshopやIllustratorなど、Adobe Creative Suiteでは、ちょっと厄介な注文を捌く方向性は立っているが、仕事が修羅って来たらどうなることやら。
 やがて、10時直前に塩坂くんのマシンも搬入。これにて、全てのゲストシールが打ち上がる。
 ゲスト受付開始にギリギリ間に合った。
 さあ、ここからが大会本番だ。

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先乗りしたぞ

 8月21日〜22日(土・日)は、日本SF大会だった。G-con、岐阜大会である。岐阜と言えば、金曜会の吉光伝親分が、メイコンを主催した時だったか、メイコンIIを後見した時だったかに、大会の晩に合宿には出られず、仕事の接待で夕刻、長良川で鵜飼いをしており、今頃連中どうしているやらと思ったものだと言う回想録を読んだことがある。それからン十年経って、ついにSF大会は、親分を追い掛けて、岐阜に至ったという訳だ。

 神北が関東を出発したのは、2004年8月19日未明。本当は18日夜には出て、夜中の空いている東名高速を乗り切ろうと思ったのだが、準備に思わぬ手が掛かったのだ。
 最大のネックは、星雲賞の賞状だった。連合会議からの頼まれ事で、文面・デザイン等、細かく打ち合わせながら調整していたのだが、最後の最後になって文言や文字の最終確認に手間取り、出発の前日になってほぼイチから作り直す羽目に陥った。
 とはいえ、星雲賞と言えば、SF大会の根幹をなす行事の1つ。その賞状ともなれば、気合いを入れて、出来る限り良いものを作らなければならない。文言1つ1つに吟味を重ねる牧紀子連合会議議長の姿勢は重要だし、そのために時間がかかってしまったのは致し方ない。
 結局、この賞状にゴーサインが出たのが、18日になってから。実物を刷り上げたのは、18日夕刻。さすがに神北自前の出力装置ではこんなものを刷り上げるのは無理で、大きなプリンターのある出力センターまで行ってみる。星雲賞の賞状というものが、SF界に対して持っている権威を考えれば、単に文言が載った紙であればよいと云うことはあり得ない。デザインはもとより、手触りや、重さ、紙の張りまで、様々な感触、大きさ。いろんな要素が求められる。特に賞状ならば、持った時にヘナっとなる薄さは避けたかった。受賞者が手に持って、その厳然たる権威を感じ取ってもらえるようにしたかったのだ。というわけで、A3ノビが刷れるのは当然として、刷れる紙の豊富さが重要なのは言うまでもない。そのために、東京リスマチックオンデマンドステーション日本橋まで出かけた。
 紙は結局、持ってみて一番に張りがあった、コート紙の厚い(重い)ものに決めた。で、刷り出してみる。1部刷ってOK。では、それを1枚目として、残りも刷り出してもらうことに。時間を聞いてみると、2〜3時間。ぽっと真っ昼間の日本橋で身体が空いてしまった。しかたない。デジカメを手に、フラフラと街を歩き、面白そうな被写体を探す。真夏の照りつける太陽の下、綺麗な写真に充分な光量。しかも、日本橋と言えば、昭和初期から最近までの様々な建物が並ぶから、被写体を探すに不自由は無い。ま、問題は熱さなのだが……。
 喫茶店で休み、COREDO日本橋を冷やかし、刷り上がりの電話が携帯に入ったので、再びリスマチックへ。まあ、JPEGの簡易見本とはいえ、同じデータを連合会議に送ってOKを貰っているのだから、問題は無いはずだが、一応、一枚ずつ確認……ン?
 やばい……。ミスを1つ発見!
 一枚の原型の賞状を作り、それの部門名や作品名、受賞者名を1つずつ変えて行ったのだが、その時点で、変え損なっていたものが発見された。ヤバヤバやじゃん?……。その場で修正することになった。Photoshop CS のデータなので、文字をテキストデータとしても持っているから、簡単に修正可能と思ったのだ。ところが、客への貸し出し用のマシンは塞がっており、ブースの中のマシンで修正を行うことになった。座ってみて感じる妙な違和感。ん?このマシン、機械としては自分の使っている物より新しい上位機のクセに、OSはOS-9じゃん? しかも、Photoshop 4ですと!
 開いたデータは、完全にビットマップと化しており、文字修正ででチョチョイのチョイとは行かなくなった。
 うーむ・・・。
 だが、有り難いことに、部門名は、後の方にもう一度書かれているし、双方の文字サイズは、全く同じ。これなら行ける!
 幸い、レイヤーは維持されていたので、文字をコピーしても背景レイヤーに影響を及ぼすことは無い。しかも、異なる部門名だったが有り難いことに文字数が一緒。そっくり持って来れば、ぴったり納まる。よしよし、間違ったものを消しゴムツールで消して、コピー、あ〜んど、ペースト……。
うむむ。綺麗に修正終了。
 もう一枚は、20分程で刷り上がり。目出たしめでたし。

 飛んで帰ったものの、それからが大変。20時に閉まってしまうレンタカー屋から車を借り出し、メシを喰い、出かける前に確認することや、作っておくものの準備を進める。
 今回、自分のマシンを持って行かないため、向こうで使えるようにデータを持って行く。そのCD-Rを焼いていたのだ。刷り上げたとはいえ、更に何かあったときのために、星雲賞の賞状のデータも、持って行く。1つが120メガバイト程あるので、1つのCD-Rに5データぐらいしか入らない。11部門あるから、結局3枚のCD-Rに収める。
 もちろん、自分が今まで大会用に作ったデータも持って行く。
 何で大騒動しているかと言うと、すべては、シール企画を行なうためだ。シール企画用に借りた機材で、車内は満杯。借りて来たレンタカーのコルトが、見事には独り乗りになっている。
 結局、準備は朝5時ぐらいまで掛かって、それから出発。
 朝まだきの東京を眺め下ろしつつ、チョコっと渋滞に巻き込まれつつも旅は始まった。

 首都高・東名と乗り継いで、まずは7時過ぎに海老名へ。東名下り旅をするならば、海老名は外しては行けない第一のポイントだ。ここのブイトーニの店は、割とお気に入りで、どうせならここで朝食にしようと走って来た訳だ。しかし、残念なことに店は10時から。あきらめて、旅の食事らしく、吉野家の豚丼を食す。
 まずはそのまま走り続けて、由比ケ浜で休憩を取りつつカメラで風景を撮影。絶景ポイントで日差しも強い。これで撮らねば男ではない。
 そのまま、牧ノ原まで走る。流石に眠気が来たので、ここで一憩み。30分か1時間ぐらい寝る。うー。アイマスクぐらい用意して来るんだった。快晴の夏の日差しは明る過ぎて寝付き難い。
 しばらく眠り、トイレ。落ち着いた所でサービスエリア内をぐるっと見学して、呆れる。お茶処静岡の中でも有名な茶葉生産地の1つ、牧ノ原のサービスエリアは、お茶犬に占領されていた。一抱えでは利かないような巨大なリョクが座っている。デカい。牧之原SA限定お茶犬グッズコーナーまである。
 ここで、地元のお母さん達がテントで売っている、水出しアイス緑茶を1つ買い、再び走り始める。お茶がとっても美味しい。
 浜松を越え、無事、静岡県脱出。愛知県に入ると、まもなく音羽蒲郡インターだ。もう、15年もここで降りていないが、このインターで降りた先に、三谷温泉がある。第二十八回日本SF大会ダイナ★コンEXの会場となった温泉地で、開湯は、全国行脚の途中の行基によって発見された約千二百年前。良い温泉地なので、機会があれば訪問されることをお奨めする。
 そのまま走り続け、岡崎で東名を出る。岡崎から国道1号線で東進。伊勢湾岸道に遷る。CDに飽きてAMラジオに切り替えたら、CBCの午前のワイド番組は、つボイノリオが喋っているではないか。あの『金太の大冒険』のつボイノリオである。花のアナウンサ〜〜である。
 後でCBCのラジオ番組表を見てみると、朝のTBSで『森本毅郎・スタンバイ!』に対応する番組が『多田しげおの気分爽快!〜朝からP・O・N』。午前のワイド番組、TBSで『大沢悠里のゆうゆうワイド』に当たる番組が、この『つボイノリオの聞けば聞くほど』。夕方のTBSでは『 荒川強啓 デイ・キャッチ!』に相当するのが『小堀勝啓の心にブギウギ!』と、良く知った名前が並んでいる。なんだ、中学時代、『欽ドン』等と並んで 神北が好んで聴いていた、青少年向けの夜のラジオ番組のパーソナリティー、多田アナ・つボイ・小堀アナのCBC三羽烏は、そのまんま、対象が主婦層・勤労層になるのと同期して番組傾向をシフトして、CBCの顔として定着しているじゃないか。
 つボイノリオの声に乗って、湾岸道を快走。伊勢湾岸自動車道はとっても走り良い。あっという間に実家に至る。
 実家で軽く仮眠。その後、入院中の祖母を見舞う。
 祖母の病院を出て揖斐・長良川に掛かる橋から、中堤を遡上。中堤は、揖斐川と長良川の間の堤防ことで、河口辺りでは何キロにも渡って堤防だけしか無い背割堤になっている。ここに道路が走っており、桑名から岐阜に向う最短ルートとして、昔から重宝されている。暫く走ると、岐阜県に入る。千本松原。ここは、幕府から、全く関係のない遠方の治水工事を命ぜられた薩摩藩の義士たちが植えたと伝えられる松並木。近年、マツクイムシの被害で、名前通りの千本を割り込むと言う非常事態に陥り、再び薩摩からマツクイムシに強い新品種が導入されたそうだ。ちなみに岐阜と鹿児島は、この治水工事を縁として、今も姉妹県である。
 この千本松原を抜けると、やっと揖斐川・長良川は別れ始める。道は長良川西岸を上って行く。
 岐阜市内に入ったのは5時ぐらいだったか。間もなくSF大会の会場となる長良川国際会議場に到着。既に、この日の午後から、先乗りしたスタッフが会場に部屋を押さえ、最終的な準備を開始している。行ってみると、片腕にギプスをはめて佇む高木実行定員長が。交通事故だとは聞いていたが、聞いていたよりなお痛々しい。
 早めに現地入りした理由の1つは、デザインと印刷を頼まれた参加証のタックシールを渡すためでもあった。
 今年は、参加証に名前を印刷せず、参加者各自に書いて貰う方式だったので、Illustratorで台紙デザインを作り、一気に印刷した。また、それの色違いのデザインをマスター頁に置き、名前の欄を配置した頁をInDesignに並べて、ゲスト参加証も作った。InDesign CSを、名札印刷に使う奴は珍しいかも知れないが、これが一番綺麗に自分のデザインを形にする方法であるならば、使うまでである。
 一般参加証は当日参加や紛失等のトラブルを見込んで一週間前の参加者数プラス二百。ゲストは、全員の名前を入れたものを、ミス対応の安全策を執って二組と、不意に来てくれたゲストのために予備の白紙を2枚。最低限度の準備だが、これで問題になることはまずあるまい。必要充分という訳である。
 運んで来た荷物の半分をこの準備用の部屋に預け、宿へと移動。投宿先は、多賀旅館。大会当日の合宿企画の1つ、CON-PACKの山本ひろし君が取ってくれた宿だ。ここに大会終了後の日曜日の夜まで、4連泊することになる。残りの荷物を降ろし、Macとモニタ・プリンタを繋ぐ。旅館の人が呆れるような勢いで機材を搬入。がしゃがしゃと接続し、スタート。大会開始までの期間、このパソコンセットが、旅館内の部屋を点々としつつ、シールを始めとした細々としたモノの工房となる。
 早速、作製開始。
 8時頃、藤澤(弟)こと、辻堂くん(藤沢と辻堂はJR東海道線の隣の駅)から電話。9時には、国際会議場の閉館時間で追い出されるから、その後でメシを喰いに行こうと言う。
 予定が決まったので時計とにらめっこ。旅館の風呂は11時に終わるから、9時からメシを喰いに行っては入りそびれる。取り敢えず、風呂へ。1階大浴場は広くて気持ちいい。しかも独り占め。外の露天風呂(? 屋根があるから露天ではないかも知れない)が気持ちいい。
 9時になり、一緒に行こうと辻堂くんが迎えに来てくれる。とはいえ、遠くに出かけられないから、近くのバーミヤンへ。話しながら、なんとなくテキトーに中華を取って、みんなでツツく。
 今回は、広島の岡田くん(おかてん)、大阪の池田くん、永澤くん、東京の辻堂くん、竹内くん、藤原さん、滋賀の山本くんを初め、かなり多くの外の地方からのメンバーが実行委員会入りしている。こういう連中の多くは、何度も場数を踏んでコンベンション慣れしているから、自分たちの何が充分に準備出来ていてで、何が不足しているのかをちゃんと把握出来ている。だが地元である名古屋ファンダムの人間は、あまり外のSF大会に手伝いに行くということをしなかったから、自分たちの準備がどこまで来ているのか、間に合っているのか、ヤバげなのか、よく判らずに、割と不安げだ。
 だが、泣いても笑っても、SF大会は明後日にはやって来る。

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2004/08/18

ぬるぽだぞ

 INTERNET Watchに、Winnyで“ぬるぽ”ウイルスが流行の兆し〜シマンテック警告という記事が、出ていた。
 なんでも、Winnyで感染拡大しているTrojan.Nullposトロイの木馬タイプのウィルスで、「Winnyで違法ファイルを集めています。」というスクリーンセーバーを表示するように設定変更するのだとか。うーむ。
 ちなみに、ぬるぽに関しては、小田嶋 隆の平成IT長屋に詳しい。
 しかし、このウィルス、被害状況=低、ダメージ=低、感染力=低。逆に、対処を行なったときの効果を表す対処レベル=高というから、まさにぬるぽ
 Win系の皆さんは、事前対処で、ぜひ、キッツい「ガッ!」をカマして戴きたい。

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『蒼き星のメリクリウス2』だぞ

 高嶋則之くんの新刊が出た。前巻『蒼き星のメリクリウス』の続刊だ。(前のお話のレビューは高嶋くんの新刊が出たぞというタイトルで1月に書いている)

 『蒼き星のメリクリウス2 妹姫襲来!』 高嶋規之 イラスト:赤井孝美
 集英社スーパーダッシュ文庫 定価600円(571円+税)

 簡単な説明として、前巻出だしのあらすじを紹介しておこう。
 私立黒金学園高等部に通う、どこにでも居る高校生だった主人公、伊吹悠。実は、本人も知らなかったのだが、星間国家大星群帝国の皇帝の甥だった。しかし、悠の平穏な暮らしは、幼い頃一緒に暮らしていたことのある従妹のあーちゃんこと、大星群帝国の皇女アネットが地球にやって来たときから、大きく狂い始める。アネットは、別名戦姫と呼ばれ、銀河中にその名が轟いている。たった1人で銀河を放浪っては、テロの標的にされて殺された母の仇を討つため、帝国に叛旗を翻すテロリストを何年もかけて追いつめ、地球にやって来たのだった。しかも、悠が幼い頃、アネットに「およめさんにするよ」と言っており、テロリスト集団は、アネットの弱点として悠に目標を定めていた!
 宇宙からやって来たラブラブで過激な姫君と、釣り合うだけの身分ながらも、ごくごく普通の小市民的性格が身体に染み付いている伊吹悠の、明日はどっちだ?!

 で、前の事件から暫く後、次なる大波乱は、アネットの妹、エレノアが地球にやって来たことから始まる。突然、姉のフィアンセで自分にとっても従兄のはずの悠を襲うエレノア。防戦するアネット。銀河最大の版図を誇る大帝国の皇女姉妹が引き起こす姉妹喧嘩は、地球規模の被害を呼び起こしかけていた。

 バトルに次ぐバトル。全編ストラグルドレス姿の戦姫が、大立ち回り。スピード感、描写、シチュエーションの置き方等、作家高島規之が、ぐんぐん成長している事が判る。
 また、前巻・本巻の二作を通して、主人公とヒロインを取り巻く環境の概略がようやく固まって来たとも言える。つまりこれは、個性豊かな主人公や脇役の周りに、毎回、話の核となる騒動を持ち込むゲストキャラが現れて、ひと騒動こなして行くと言うタイプの連作ラブコメなのだ。巻き込まれる主人公は、実は凄い人なんだけど至って生真面目な高校生。周囲を取り巻くサブキャラは、みんな一本筋が通ったこだわりや性癖の持ち主ばかりというシチュエーション・コメディー。つまり、黒金市は、高嶋則之版の友引町なのだ。そして、その世界構築は、今の所、かなり手堅く進んでいるようだ。

 という訳で、ここまで大笑いさせながら舞台説明を終えたのだから、次巻からは、その上に如何に魅力的なゲストキャラが出て来るのか、そのキャラの濃さに対して、いかに、(今回ちょっと存在感の薄かった)レギュラーのサブキャラ陣が暴れるのかに焦点が絞られて来た。集英社だからといって、真の敵が現れて長く続く闘いの道を歩み始めるような厄介なことはせず、一話完結に徹した連作シチュエーションコメディーの面白さを、どんと描いてもらいたい。
 ちなみに、そういうシチュエーションの構築に関しては、高嶋くんは適任である。アイデアが豊富で、しかもそれを練り込む作家としての能力が最近とみに高まっている。それは、ここ半年程、ガンダムヒストリカの仕事でご一緒させていただいてよ〜っく判っている。
 新刊が出たばかりだが、今から既に続巻が楽しみである。

(ちなみに、しばらくSF大会で留守にするので、早めにあげておくが、この本の発売予定は来週の8月25日。この書評はは、先日、高嶋くんから戴いた見本を元に、ちょっち早めに書いている。サインまで戴いて感謝!)

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2004/08/15

故郷は人型決戦兵器の街だぞ

 一度、ゆっくり夏に帰省したいとは思いつつも、結婚以来、女房を大四日市祭にすら連れて行ったことが無い。今、大四日市祭のような大掛かりなイベントをやっているのかどうかもよく判らないが、我々昭和30〜40年代の四日市の子供にとって、大四日市祭と言えば、諏訪太鼓と鯨船・そして大入道である。


 何百年か前のこと。四日市はまだ漁村で、浜には、アジやイワシが大量に干されていた。そして、この干し魚を狙う狐狸の類が、浜に出没した。人々が追い払おうとした所、狸は、大きな入道に化け、逆に漁師達を追い払ってしまったと言う。
 この狸に手を焼いた漁師達が一案を講じる。狸よりも大きな入道を作り、脅かし返して、妖異を追い払うと言う、大胆な作戦であった。
 作られた入道は、黒白段だらの服を着込み、車の上にあぐらを組み、半眼の虚ろな表情で周囲をめね付けていた。
 再び狸の化けた大入道が出現。漁師達の作った入道が押し出される。車の前に座った時分より大きな入道を目にした狸は、さらに巨大に変身。すると、漁師の入道も、車の上に立ち上がる。再びこっちの方が大きくなる。だが、狸はさらにもう一回り大きくなる。すると漁師達の入道は、ずずっと首を伸ばし、遥か上から狸の入道を見下ろす。さらに、眉を上げ、目をカッと見開き、口から三尺近い舌を出したところ、狸はびっくり仰天、あわてて逃げ出して行った。
 これ以来、四日市の浜で、狸が魚を盗むことは無くなったのだと言う。

 これが、四日市の子供なら誰でも知っている、大入道の由来のお話だ。今も、この大入道の山車は、お祭りの華だ。
 とにかく、四日市の子供なら、子供の頃誰もが一度や二度は、大入道の紙の玩具を買って貰ったことがあるぐらい、ポピュラーなものだ。
 残念なのは、昭和40年代後半ぐらいに、脚部のカラクリが劣化し、立ちポーズでの固定となったことだが、子供の頃には、胡座をかいている大入道さんがよっくらせと巨体を立ち上げるのが、大四日市祭の市内パレードの目玉の1つであった。

 で、このお話しが問題なのである。

 よ〜〜く、考えてもらいたい。大入道のユーモラスな顔に騙されないで、よく事実を検証して貰いたい。
 まずこれは、人類以外、つまり異種知性体との戦争の記録なのである。しかも、所有財を奪い合う経済戦争なのである。
 で、もっとよ〜く考えて欲しいのだが、この大入道は、その戦争における切り札。しかも変形をする兵器だったのである。つまり、変形ロボット・人型決戦兵器なのだ。
 もちろん、ギリシャ神話のタロス、ユダヤ人のゴーレム等、神話上、人型の巨大な戦士が何かを守ったり戦ったりしたと云う記述があるにはある。しかし、現物(もしくはその動きを正確にトレース出来る複製品)が現存する、交戦歴を持つ人型決戦兵器は、この四日市の大入道を置いて他に無いのだ。

 四日市の街こそ、現存する日本最古の戦闘ロボット誕生の地である。是非、そう憶えておいていただきたい。

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ギドロンまであと一歩だぞ

 読売オンラインに、豪で巨大なアリの巣発見、全長100キロもという記事があった。
 国際自然保護連合によって悪質な外来種100種に指定されている繁殖力旺盛なアルゼンチンアリが、100キロにも及ぶ巨大な巣を作っていたと云う話だ。
 基本的にこのアリ、全長数十メートルの巣を作り、他の巣と争う。また他の土地に侵入すると、同じようにして土着のアリを駆逐してしまう。
 アリの性質が替わると、植生や他の小動物の生態系にも影響を与える。しかし、憎まれっ子世に憚るといった具合で、世界各国に定着しつつあるようで、ちょっと困ったヤツらしい。
 ちなみに、豪州では1939年に、日本でも1993年に広島で営巣が確認されたそうだ。
 で、今回の100キロに及ぶ巣は、何らかの理由で戦争しなくなったアリが、お互いに巣を連結して行ったために生まれたものらしい。記事では、遺伝的な変化によって性質が温和になったとしているが、これって、一種の進化でしょ?
 とはいえ、100キロに渡る巣を掛けるためには、100キロに渡って他の土着アリを押し退けたワケだから、温和って言っても外敵や異種族には、容赦ないみたいね。
 アリですら、同族同士の戦争を回避する方向に進化しているのに、同じく社会的生物である人間様は何をやっているのだか……。
 この調子では、賢くなったアリ「ギドロン」に人類が侵略される『ミクロイドS』みたいになっちゃうぞ。

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夏の読書にお薦めだぞ

 ネットというのは、情報の宝庫である。それの真偽さえ問わなければ。
 ……てなわけで、ネット上には、いろんな人の体験談が載っている。恐い話、笑える話、エッチな話など様々だ。むろん、その人の追跡調査をして確証を得ている訳ではないし、まとめ頁を作った人は判っていても、元記事は2chに載った誰が書いたのかもよく判らない記事だったりするので、信じる・信じないはその人が個別に考えれるしかないのだが……。
 最近、ちょっと興味を持って読み通した記事がこれ、タコ部屋から逃亡してきました だ。

 ある若者が、「良い仕事がある」と云われて誘い込まれた飯場での記憶を綴ったモノらしい。

 1.絶望し、認識力が衰える
 2.どうでも良くなり放心する
 3.生殺与奪権を握る人に対し従順になって来る
 4.緊張関係の中にも仲間意識が出て来る
 5.中にはズルく立ち回る奴がいる

 という、危機的状況に陥った時に人間がとるいくつかのパターンが踏まれており、こういう状況下で駄目になる人、おかしくなる人、しぶとく賢い人等が、かなり明確に書かれている。
 それは、人間ドラマとして読めなくもない。リアルな社会派警鐘小説として読めなくもない。滑稽なシチュエーションドラマとして読めなくもない。
 ちなみに、シチュエーションはかなり違うのだが、何故か似たテイストの小説を読んだことがある。P.I.P.—プリズナー・イン・プノンペン 沢井鯨 著だ。これは、カンボジアで投獄(正確には、未決囚収容所なのだが)された主人公が、どん底から這い上がって来る話で、作家には実際に彼の国で収監された経験があると言うのが売りになっていた小説だ。
 何が似ていると言って、この異常で劣悪な状況下において、周りと自分が段々おかしくなって来る様子が非常に良く似ている。P.I.P.には、小説らしく、ちゃんとオトシマエを付ける復讐劇がある所がちょっと違うが、非常にテイストが似ている印象がある。しかし、カンボジアではなくこの日本で、ほんの10年程前にあったことだと思うと、「タコ部屋」もなかなか怖い。
 ちょっと、自分の立っている基盤がグラグラするかも知れないが、どちらも読んでみて戴きたい。

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沈むこともあるらしいぞ

 数年前のある年、仲間内の忘年会のために、事前に視察に行ったとある温泉地で、駅から近いんだが、割と値段が安い宿が在った。:源泉の筋からは離れており、いわゆるラドン温泉であることをちゃんと謳っている宿だが、ここまで駅に近ければOKだなと、そこに決めたのだが……。
 番頭さんに施設などをいろいろと観せて貰って、最後に、お風呂場を見せて戴いた。斜面に建っているビルの4階だか5階だかにあって、露天も空が広くて気持ちいい。
 「いいお風呂ですねぇ。お風呂のリニューアルは最近ですね」
「ええ、ラドン温泉ですけど、お風呂の気持ち良さではそこいら辺の宿には負けませんよ」
「こりゃいいや。夜中でも入れますよね」
「あ、す、すいません。それは駄目なんです」
「ハァ、またどうして?」
「実は……」
 こりゃ、旅館に付き物の、出る話か?……神北はごくりとつばを飲み込んで、番頭さんの次の一言を待った。
「……一昨年の冬の夜……」
「はい」
「いや〜……」
番頭さん破顔。 え?
「おじいちゃんの宿泊客が浮いちゃいまして」
「は、ハァ」
「さんざん呑んで、お風呂で寝ちゃったか、心臓煽っちゃったか、とにかくどうにかしちゃちったらしいんですよねぇ。それを運悪く発見したのが別のお客さんだったから、大騒ぎになりましてね」
「うわ、それは大変でしたね。
「お風呂の大改装とかもしたんですが、支配人がビビってましてねぇ。また浮いたら敵わねぇってんで、12時から朝5時まで閉めることになったんですよ」
「わはははは、そうですか、浮いちゃいましたか」
「えへへへへ、まあ、こういう商売だと、どこの宿でもたまにあるんですがねぇ」
 何か、大変な宿と云う印象を持たれないようにするためか、努めて明るい番頭さん。とはいえ、隠すより話しておこうと言う判断に感心。結局、この宿で忘年会を開催することになった。

 なんで、こんな話が出て来たかと言うと、東京の天然温泉は大抵、関東ローム層の下から湧き上がって来る黒く濁ったお湯なのだが、この黒濁湯は、視界が20センチ程しか通らず、肩まで浸かって自分の膝がどこにあるか全く判らないようなお湯であることが多い。最近聴いた都市伝説では、こうした温泉を直接引いた銭湯では、しまい湯を終えて張ってあった湯抜きをすると、底に老人が沈んでいることがたまにあるんだと……。
 もちろん、ちゃんとした事件の記録を見知っている訳ではないので、都市伝説に過ぎないのだが……。

 で、疑問。浮くのが普通なの? 沈むのが普通?
 

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2004/08/13

シール企画の打ち合わせをしたぞ

 今年も、日本SF大会が近付いて来た。G-con。もう、来週の土・日、2004年8月21日〜22日だ。
 昨年は、大会実行委員会の一員として、大会の運営に携わったが、今年は実行委員会とは一歩離れた所で協力する事になった。昨年、大会全体を巻き込んで人気を博したシール企画を、シール企画を運営する団体を作り、外部企画として持ち込むのだ。
 なぜ、わざわざ外の団体化するのか?
 1つには、情報やノウハウの継承を図るためだ。集めたシールを貼るための台紙は、108枚のシールが収容出来る、昨年と同様の冊子型のものを使用。これは、パッと見に葉書サイズに見えるが、葉書より微妙に小さめに作ってあり、葉書サイズ用の名札ケースに出し入れがし易いように調整してある。サイズを含め、中のコマ割りからページ構成までの設計を神北が行ない、ゼロコン以来、大会関係では何かとお世話になっており、T-con 2003ではスタッフにもなっていただいたニモ印刷さんで、特別に印刷・裁断・製本していただくモノだ。それ用の名札ケースも、ハガキ大を収められるケースの製造元は、全国でも限りなく少なく、昨年神北が探した時に、満足の行く製品を見つける事が出来たのは、マービテックさんという会社一軒であった。こういうノウハウは、早い話が気配りそのものだ。気配りなんてものは、行き届いている間は在って当たり前、行き届かなくなって始めて窮屈さに気付くと云うようなものだから、いくら書いておいても申し送っておいても、中に1人漫然と仕事をするスタッフが挟まっただけで、全部忘れ去られてしまう。そうならないためには、今少し、みんなで大会に協力する形で、ノウハウを固めておかなければならない。そのために、昨年のスタッフに声をかけて、シール企画のメンバーを募り、今年はそのメンバーで企画を持ち込む事にした。

 冊子型台紙は、1片17ミリ×24ミリという、プリクラサイズのシールを1頁に12枚収容出来る台紙面が9頁あり、全体で108枚のシールを収容出来る。この冊子型台紙一冊分、108枚のシールを集めた人を煩悩王と呼ぶ。SF大会期間中に108枚なんて大変だとお思いであろうが、本気になると人間不可能は無いのである。昨年は、数十人の煩悩王や、二冊集めたダブル煩悩王・トリプル煩悩王も誕生。最高ではシール108枚を4冊分の432枚を集めた煩悩帝が誕生した。
 去年突然誕生したSF大会の新しい楽しみ方であるに関わらず、シール企画は、かなり皆さんに受け入れてもらえた。
 こういう小さなパーソナルシールを交換すると云うのは、早い話がプリクラなわけだが、プリクラしようよと言っても、自分の写真を人に配る事に抵抗感のある人も居る。しかし、プリクラの機械を使わなくても、最近ではこういうシールは自由に作る事が出来る。パソコンとインクジェットプリンタを使い、簡単に自分専用のシールを作る事が出来るのだ。
 そのための簡易なソフトもいくつか出ている。ジャストシステムラベルマイティーと云う製品は市販されているし、ラベル屋のエーワンが自社の用紙販促用に出しているラベル屋さんHOMEという無償提供のものもある。
 こういうソフトを使いこなす事で、たしかに、誰でも自分用のパーソナルシールが簡単に作れる時代になって来ている。しかし、それでも、自分でそういう事をするのはあまり得意でないという人も居るし、会場で唐突にやってみたいと思う人だっている。
 そこで、シールの作成をする「シール屋さん」が登場する。
 昨年は、企画の林立するストリートにある、休憩用の広いスペースに店を出した。今年は、大会の会場に入り、企画のための会議室に登って行く途中の、2階のラウンジにスペースを戴く。周囲は、大会実行委員会がゲームラウンジと名付けた、ボードゲームなどを用意したゆったりとしたペースの休憩系スペースなので、「よし、賑やか死にシールでも作ってみるか」と思って戴ければバッチリである。

 昨日、8月12日は、そのシール屋さんの微調整のためのミーティングだった。メンバーの1人が社長を務める会社からスペースをお貸し戴き、お盆休みで昼から参加してくれた人、仕事が上がってから夕方駆けつけてくれた人を合わせ、何人かの人が集まった。
 受付システムの概略の決定、ミスなく、簡便な注文書の書き方、運用法を相談。さすがにLAN化して繋ぐことは出来なくて、1台のマシンを仮想的に置いて、試してみる。
 神北は、IllustratorとPhotoshopでペロペロっと作るのが、一番楽なのだが、他のメンバーにはIllustratorの習得から始める時間はないので、ラベルマイティーを導入。Mac・Win両用、かつ、大抵の用紙に対応なので、独自の操作感に馴染む事さえ出来れば手早い。
 とりあえずみなさんに、注文書を元に、絵入り、文字入りのシールを作成してもらい、なんとなく感覚を掴む。というか、半分ぐらいの人にとっては、昨年の勘を取り戻すと云う感じが強いが……。

 驚いたのが、昨年用意した旧式のプリンタでは、ちょっとツルツルすぎて読み込めなかったヒサゴの光沢紙が、最新のプリンタでは綺麗に印刷出来た事。やはり、こうしたものは日進月歩なんだなぁと関心。今年は、新旧プリンタを併用するから、注意が必要だな。
 Mac二台とWin二〜三台、要員さえ揃えば、ソコソコに作業は出来そうだ。問題は、SF大会のタイムテーブルが未発表なので、予定がまだ見えてないこと。昨日、大会スタッフに聴いてみたら、まだ最終調整中と言う話。同じ時間に多くの要員の見たい企画が重なったりしたら、何人かに涙を呑んでもらわないといけないかも知れない。予定が立たないのはちょっと辛い。

 ま、てなわけで、日本SF大会では、シール企画を宜しく。
 シール屋さんでは、葉書サイズの用紙1枚(16片)100円で、シールを作ります。
 シールコンテストでは、シールのデザインの人気投票を行ないます。
 煩悩王も、もちろん受け付けます。栄誉のグッズを手にして下さい!
 皆様のお越しをお待ちしてますよ〜。

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2004/08/11

いろんな人に会ったぞ

 4月8日に第1・2巻同時刊行でスタートした『ガンダムヒストリカ』も、ちょうど昨日、8月10日に、最終巻の第10巻を刊行し、幕を閉じた。かくして、25年目のガンダム、四半世紀遅れの一年戦争が、終結した。昨日はその、『ガンダムヒストリカ』の完結に合わせた、打上げパーティーだった。
 今回、これだけ多くの人が関わっていたのかと感心するほど、多くの皆さんが顔を連ねていた。
 記事執筆・作画系のみなさんは、もちろんガンダムが好きで、ただ、だからといって突出した(トンがった)ガンダムオタクだの盲信系ガンダム信者(何だそりゃ?)だのではない。わりと抑制の効いたオトナというか、年季の入った目配りの行き届き方という点で、皆さん似た雰囲気がある。このバランスの取れた安定感が、誌面に落ち着きを与えていたのだと、今更ながら実感。こんないいチームにアタシなんぞが入って、ミソを付けまくったと言うか、画竜点睛を欠いちまったのが、全くもって申し訳ない。
 m/(._.)\m ペコリ
 また、そうしたライター・絵描きを集めて来た編集陣も、放映当時から一線に居たベテランもいれば、そのころまだテレビや雑誌の受け手だった世代も参画と、非常にいいバランスでチームを作っている。
 普通、まあ、何かの本を出すと言えば、だいたいその辺りの人々がどのぐらい対象物が好きかでほぼ、成果物の出来が決まるのだが、今回はそれだけではなかった。25年目のガンダムを誌面に収めるにあたり、チームを組んで担当していただいたデザイン事務所バナナグローブスタジオの皆さんも「よし、ガンダムだ。一年戦争をやるぞ」という気合に溢れ、仕事以上にイレ込んだ思いが溢れて来る紙面を構成していただいた。
 これに印刷会社を加えた程度のメンバーで終われば、今回のプロジェクトはもう少し小さかっただろう。しかし、そうではない。結構シブ目で人気の高かった専用バインダーの紙を探して東奔西走していただいた方。広告宣伝を担当していただいた方。全国数百店と言う、全巻常備店を御願いし、そこにおいてもらうための段ボール製のガンダムヒストリカ専用展示スタンドを手配していただいた方。イベントのための準備を整えていただいた方。等など……。後方支援って、コレなのねと実感させられた。
 昨秋からこちら、そういう恵まれた環境で仕事をさせていただけて、とても面白かった。
 そして今回のパーティーはその全ての人々とは言えないがそれでも50〜60人の方が、編集部の音頭で集まり、ほぼ始めて顔を揃えた。
 バナナグローブスタジオ社長の榎本さん(懐かしのジャンプ放送局えのんさんスよ、キング・ボンビー(のモデル)っスよ!)が来ておられる。サンライズからも、日頃仲良くさせてもらっている井上プロデューサーは予定が合わずお越しいただけなかったが、佐々木さん(ガンダムエースにコラムを連載しておられるから、皆さんご存知かな)など何人かの方に来ていただいている。その中にお一人、楚々とした佳人が……。声優のかかずゆみさんだァ!! 北海道放送(HBC)・東海ラジオ・九州朝日放送(KBC)の全国3局ネットで熱烈放送中のサンライズラヂオG!のパーソナリティーで、この番組内でヒストリカのコーナーをやっていただいていた。おー。サラ・タイレルだ。本人だよ。実物が目の前だよオイ!

 二時間ほどでパーティーをお開きにした後、コアな面子20人ほどで二次会へ。講談社近傍にある洋風居酒屋護国寺なかいへ。巨人軍OB中井康之さんの店だ。G党の集まる店なので、Gundam党との相性もいいのか、なんか、編集部の何人かがボトルを入れてよく来るお店らしい。今、ガンダムに求められるモノから、海外展開の話、海賊版の話、3DCGの話、大容量HDD時代のバックアップの話、等々、いろんな話が出る。店内は、他のお客さんもウチの二次会のメンバーもなくワイワイと大騒ぎで話しているので、本気で聴かないと話を聞き漏らすようなスゴい状況下だが、なんだか、ものすごく盛り上がった。
 さいたま在住の悲しさで、終電間際の11時半頃に中座したので、最後はどこまで行ったのか判らないが、みなさん、生きてます?

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2004/08/10

急行の駅で乗り換えだぞ

 神北は、基本的に地図屋なので、必要が在れば生まれてから一度も云った事の無い場所の地図だって描く。有馬温泉だって、フランス外人部隊のゆりかごオランの街だって、占拠されたリマの日本大使館だって、火星だって描いた。パルスの王都エクバターナに至っては、田中芳樹先生から「なんで神北くんはボクが小説を書く前にこの地図を描いておいてくれなかったのか」と、お言葉を戴いた。(ありがたいこってス……。でも、先生、それ、無理……)
 だか、(別に有馬温泉ぐらい行けばいいようなモンだが)神北はあまり関西、特に京阪神の地理に詳しくない。というか、基本的に、三重に生まれて、学生時代は名古屋を中心に活動し、社会人になって関東に出て来たので、ある程度は名古屋・東京と云うものは判る(とはいえ、今は名古屋が都市再開発で大分替わって、もうあまりよくは判らなくなっている)のだが、大阪も京都も神戸も、流石に住んだ事はないので、あまりよく判っていない。
 しかし、いくら生活感が無いとはいえ、最低限、京阪電鉄というのが京阪電気鉄道株式会社のことで、基本的に京都と大阪の間に走っている私鉄である事は知っているし、阪神電車が阪神電気鉄道株式会社のことで、基本的に大阪と神戸の間に走っている私鉄である事も、知っている。

 で、先日。駒八会での話。
 「京阪沿線ってどこいらへん?」
「京都と大阪の間を走っている私鉄の沿線」
「すごーい、良く知ってる」
「そんなもん、字ィ見たら判るやろ? 京阪は京都と大阪の間。阪神は大阪と神戸の間。阪急は、大阪と急行の間。京急は東京と急行の間、……ということは、急行の駅で乗り換えたら東京から大阪まで私鉄で移動出来るんや!

 言葉の勢いのせいで、「阪急は、大阪と急行。」あたりは、殆どの人がフムフムと聞いていた。久々に、綺麗にハマった。(^o^)

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2004/08/09

スタイルに気を使うぞ

 Adobe Illustrator CSには、「文字スタイル」と「段落スタイル」という物の考え方が導入された。簡単に言うと、文字の設定(フォント・サイズ・文字間・行間……etc)をまとめて設定しておき、文字単位に適用するものと、段落単位に適用するものだ。作った文字スタイル・段落スタイルは、夫々に名前を付けておく。
 段落スタイルを使うと『本文用-明朝体段落』『中見出し用-中ゴシック体段落』『大見出し用-極太ゴシック体段落』などを、一発で指定出来るし、文字スタイルに『本文来強調用ゴシック体』などの指定ておけば、文章の一部を書体変更するときも楽だ。
 『図版内フキダシ説明用ゴシック』や『図版用キャプション』などの、用途に応じた設定自体を、自分の好みに合わせて一度作っておけば楽に運用出来るので、統一感のある版面構成が楽に導き出せる。
 そういう機能のなかったIllustratpor 10では、それに近い事をするツールとして、文字スポイトツールというものがあった。他の既存文字データから文字設定を複写して来るもので、これはこれでかなり便利だ。しかし、見えている作業範囲内にお手本にしたい文字列があればともかく、遠くにあると、いちいち移動しなければならない。その点、パレット化された「文字スタイル」・「段落スタイル」は、運用が楽である。

 ちなみに、この機能は、パレットごと全く同様の形式で、InDesign CSにもある。

 しかし、InDesign CS から Illustrator CS へのスタイル設定のインポートを試してみたら、出来なかった。

うーむ。

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2004/08/08

相手は自分の鏡だぞ

 2004年8月7日の土曜日は駒八会だった。駒八秋葉原店の地下店舗に潜っているうちに、サッカー日本代表がアジアカップの決勝戦を3-1で制していた。
 神北は、サポーターではなく単なるにわかサッカーファンなので、顔を見てもそんなに選手の区別もつかないしましてやそれがどんなにスゴいひとたちなのかも良く知らないが、やはり、勝てば嬉しい。
 サッカー日本代表チームとしての抱えていた課題やその解答・今後の展望に関しては、朋友橋本純のBLOGの日本が3-1で中国破り、3度目のV アジア杯サッカーという記事に詳しいので、ご覧戴きたい。あの勝利が日本代表にとって何であったのかが、シロウトの我々にもよく判るように、平明にして端的に書かれている。
 がんばれ、日本代表。

 生命の危険を感じるような大変な状況下で、応援に出かけ、声を枯らしたサポーター諸君と、その声援に見事に応えたイレブンに、拍手と感謝を捧げよう。

 ただし、注意しておきたい。

 中国のサポーターによる国歌斉唱への不敬、日の丸焼き捨て……等々の国辱行為についてだ。
 たしかに、この行為は、国際マナーにもとる、愚劣極まりない行為だ。主催団体、開催国政府は、責任を持って再発防止をすべきであり、そうでなければ、今後、安心して国際試合・国際大会など、開催出来るものではない。
 しかし、我々日本人は国対国と云う意識において、外国に対する、ちゃんとしたマナー感覚を本当に持っているのであろうか? 無論、サッカーの試合で応援に来る国々の選手やサポーターを攻撃しようと云う人は、まず居ないだろう。そんな稚拙な国際感覚では、先のワールドカップ日韓共催などまともに運営出来た筈が無い。しかし、サッカーを離れ、スポーツの世界の外に出た時、我々は、今回見た中国のサポーターの体たらくを、嗤い、非難するだけのちゃんとした国際感覚を持っているのだろうか。

 北朝鮮によるミサイル開発や拉致事件が明るみに出た時の、朝鮮学校の学生、特に女学生に対しいくつか起こったチマチョゴリ切り裂き事件を考えてみて欲しい。その実行犯はもちろん、言語道断の暴漢でしかない。が、このニュースを聞いたとき、貴方はどう思われただろうか? 貴方の周りの方はどう言う反応を示したであろうか? 被害者少女への心配とは別に、どこかで残酷な心の動きは無かったか?  「仲間がやられたのだからやり返せ」というような稚拙な敵討ち観を一切持たずに、徹頭徹尾犯罪者を憎めたろうか?
 我々日本人も、今回の中国のサポーター達と同じようにその心の中に、冥い獣性を飼っている。国と、その国出身の人々をどこかで混同する稚拙な国際感覚を持っている。
 いや、日本人に限らない。それが、同胞意識の悪い意味での発露だとすれば、間違いなく、人間の普遍的な考え方・感じ方であろう。
 しかし、そういう地域的な同胞意識を他者排撃に繋げるメンタリティーは、現在の狭くなった世界で発現させるには、物騒過ぎる。同胞愛と他者排撃を連携させない自覚。それが、今、東アジアには必要なのだと思う。もちろん、欧州にも、北米にも、世界中の全ての地域にもだ。
 かつて、その必要なものを欠いた日本の軍隊がアジアを席巻した。それを理由に、全く同じように自覚を欠いている中国のサポーター達は、それと同じことをしている。彼等が自覚を欠いたまま続けるなら、その先に待っているものは、かつて日本の軍隊の先に待っていたものと同じだということを、ちゃんと考えてもらいたい。もちろん、日本人もそれについて、もう一度ちゃんと考えるから。
 それが、21世紀の流儀だろう。

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2004/08/04

やはりInDesignだぞ

 最近、InDesignの使用頻度が高まっている。
 とはいえ、別に編集者に転向した訳でもなければ、高尚な使い方をしている訳ではない。現在のワープロというものが、妙に使い辛い(特に、現在デファクトスタンダードということになっているMSワードが使い辛い)と思う神北にとって、とっても便利なワープロソフトなのである。
 ヘッダ・フッタ入れ放題、必要が在れば、挿絵は何より使い慣れたIllustratorでそのまま描いて貼付けられる。Photoshopの絵も思うまま貼れる。
 こんな便利なものはない。
 なんと云っても、ページの概念で編集して行くから、紙に打ち出す段になって始めて、変な所で切れるとか考えなくて良いのも、意外と使い易い。
 ま、逆に、ページでモノを考えるのは面倒と云う人も居るだろうから、ワープロの需要が無くなる訳ではないが、アウトラインプロセッサ的な使い方をするのでなければ、段組み1つとっても、こっちの方が便利だと思っている。
 てなわけで、文字だけの簡易な企画書1つでもInDesignという生活。
 どうせ、Illustrator・Photoshop等とまとめて購入しているのだから、こんな便利なソフト、使わねば損と云うものである。

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2004/08/03

血の味がしたぞ。

 大量の血を吐いた。
 いや、吐血・喀血ではない。今日の夕方、北浦和の西口でハンバーガーを喰っていたときのこと。
 食後、なにか紙片かビニールみたいなものでもへばり付くような感じで喉がシカシカしておかしいなと思い出した。この違和感は、風を引き込んで咳が止まらずに喉を真っ赤になるまで腫らせて、粘膜切れてチロっと出血したときの痛みに似ているので、店を出た所で女房に水を貰い、うがいをしてみた。吐いた水が、照明の薄明かりで観るだけでありありと判る真っ赤。咳払いをしてたんを吐いたら真っ赤っか。うげ、なんじゃこりゃ。
 もう一度水を貰ってうがい、5分後ぐらいにもう一度うがい。もう殆ど色はついて来ない。結局最初に痛いと思い出してから15分ぐらい出血していた換算かな。ウィスキーグラスにワンフィンガーぐらいは出血した気がする。参ったマイッた。
 うーむ。久しぶりに、口中血の味という、まったく、何だかナァである。
 どうも、最近のクーラー漬けの暮らしの中で咽喉粘膜が乾燥気味で弱っている所に、その店のコンボセットのカリカリに揚がったポテトのカドが、思いっきり傷をつけたらしい。……って、こんなにスッパリと口中に傷付くほどフレンチポテトのカリカリのカドが固くなるものなのか、何か異物でも混ざっていたんじゃないかと疑いたくなるほどの鋭利な印象。
 まあ、別に親父狩りにあってボテくり廻されて口の中切ったと云う訳ではないから、まあ、いいんだろうけどさ。髯の親父がハンバーガー屋の前で真っ赤な血を吐いているのを観て、他の人はなんと思ったでしょうや。
 うー。まだ喉の奥に違和感が残ってるぅ。うげげ。

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2004/08/02

久々のG-SAVIORだぞ

 CS局アニマックスで、ロボドリーム2004という、30時間枠の特別番組があった。2004年7月31日(土曜日)の12時に始まって、翌8月1日の18時まで、延々と、ロボットアニメ、ロボットの出て来るアニメを見た。いや、実際には、その直後に、アニマックス大賞で募集したシナリオを元にしたアニメを、過去2回分放映したので、37.5時間ほど、テレビの前に居た換算になる。
 尤も、何でもかんでも観ていたワケでは無く、こいつはいいやという作品幾つかは、観ずに寝ていた。どんな作品をリストから外したかと言うと、まあ、基本は珍しくない作品、そしてた眠くて仕方ない時間帯にやっている作品ということになる。基本的によく見る機会のある作品の多くは、今回は外させてもらった。なんといっても、43歳の体力は、36時間テレビにかじりついていることを許してはくれない。
 とはいえ、ゲッター4本(無印・G・號・新)、マジンガー3本(Z・グレート・グレンダイザー)、ガンダムUC4本(ファースト・Ζ・ダブルΖ・V)なんて、一気にまとめて観る機会は少ない。
 多くは第1話だったが、ダンガードは始めてロボット形態になる12話、ガンダムは最終話などと、工夫が凝らされている点も割と良かった。放映されたものの中で(個人的に)いちばん重要な『無敵超人ザンボット3』に関して云えば、タイトルロボであるザンボット3ではなく、サンボエースのみ登場となる第1話を選んだのは、難しい判断だが、神ファミリーバッシングの途中からザンボット3の世界観に付いて行かされる不幸を思えば、第1話を放映と言う選択は正解だろう。ま、信州の恵子が出ないという欠点を完全に補い尽くしているかと言うと、個人的にはちょっと寂しいというか、点の辛くなるトコロだが……。

 ラッキーだったのは、久しぶりに、『G-SAVIOR』を観れたこと。
 テレビ朝日の放映は当然と治して、それ以外にも何度となく見て来たが、今回はちょっと特別な意味合いがあった。神北にとって、IGLOOを観た目で見る最初のG-SAVIORということなのだ。
 IGLOOが今年の作品、G-SAVIORが1999年だから5年前の作品、3DCGによるモビルスーツの居る世界の表現は、どのぐらい進歩したのかを、IGLOOの記憶の鮮明なうちに、確認しておきたかったのだ。
 この『G-SAVIOR』という作品、アメリカ(カナダ)で、アメリカの脚本家のストーリーをアメリカの監督に撮らせたもので、シナリオライターも、監督も、役者も、ガンダムを知らない人を集めたと言う、ガンダムにしてガンダムならざる物を目指したテレビ映画だ。
 製作総指揮はサンライズだが、チームは完全にアメリカのテレビドラマのチーム造りであり、アメリカのテレビドラマとして描かれたらモビルスーツのある時代はどう描かれるかと言う、なかなか挑戦的なテーマを持っている。
 向こうさん式の放送コードの関係で、政治や戦争をがんがん扱うガンダム的な話は視聴年齢制限が掛かってしまうため対立構造は極めて単純化されている。また白人の悪い軍人対黒人の温和な政治家などアメリカのテレビを意識したステロタイプに終始している点が先読みを容易にしている。だが、日本のアニメと言うとドラゴンボールとトランスフォーマーしか思い浮かばない程度の認識の、ごくごく普通のアメリカ人が、休日にフと流れているものを観たら、一定のショックと一定の親しみ易さを感じられるのではなかろうかと思っている。
 ストーリー的には、あまりにも単純な主人公が何度も周りに騙され翻弄されることの繰り返しがつづく割に最後までカシコイところを見せて能動的にスッパリと騙し返してみせる逆転劇がなく、悪玉将軍が死ぬのも主人公の活躍ではなく嫌われ役の方のヒロインの気まぐれ翻身のおかげである点が、ちょっとトロくさいものの、まあ、王道。
 テレ朝の初放映のときはセリフの音声レベルがどうも低くて聞き取り辛かった会話も、ちゃんと聴き易いバージョンに替わっていた。

 で、MS IGLOOとG-SAVIORを比べてみると、やはりどこまで云っても、それは、アメリカの実写ドラマと日本のアニメの違いだった。もちろん、5年分の進化はある筈だから、IGLOOは何十・何百倍の細やかなCGが出来ているのだろうし、G-SAVIORが今年の作品だとしたら、CGのグレードアップは極めて大きいものがあったと思う。しかし、今回見比べてみて、そういう優劣は特に気にならなかったと云うのが実際のところだ。
 アメリカのCGスタジオが実写映画のために作った映像と、日本のアニメ会社のCGスタジオがセルアニメに替わるものとして作った映像は、「こっちがいい」「こっちが劣る」と単純に優劣を付けて区別出来るものではないのだ。
 それよりも、出発点が実写にあるのかアニメにあったのかと言う点が、違いとして浮き立った。
 G-SAVIORのコロニーのミラー上や内部での戦闘シーンで回転引力やコリオリの力まで考慮して計算されたというマジメなCGと、MS IGLOOの「ここ、ぐい〜っと」「ここで、どば〜っと」という感じで、たとえ物理的に無茶な表現でもアニメ的なリズム感でコマ割りされて大胆な動きが付けられたCGは、ポテンシャルではなくベクトルがまるで違うのだ。
 で、結局、どっちが好きかと問われたら、どっちも好きと云うしか無いが、これを見比べてみるのは面白かった。
 G-SAVIORはDVDも出ているし、有料だがバンダイからネット配信で公開されてもいるので、バンダイ・ミュージアムでMS IGLOOを観たら、近いうちに是非、こちらも見比べてみていただきたい。
 どちらも、イマイチ露出度が高いとは言えないが、プラネタリウムでないとフル再現の難しい多面マルチスクリーン作品グリーンダイバーズなどのようにお蔵入りしているものと違い、今、観る手段の用意されているものである。20年目のガンダム25年目のザクを、是非、見比べてみて戴きたい。

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