2004年8月21日。ついに大会初日が始まった。忙しい。やたら目ったら忙しい。
当日現地入り予定の女房から電話。シール台紙や、適当な食料の買い出しを依頼。
どこまで客が寄ってくれるか判らなかったシール企画だが、どんどん注文客が訪れる。シールの作り方も様々。いろんなメディアに絵を入れて持って来る人。デジカメの写真を持って来る人。こちらが用意しておいたストック画像を使う人。中には、その場でデジカメで撮って、それを使ってくれという人もいる。割と進みが速い。入場舌は良いが、企画はまだ無いため、ディーラーズルームかここに人が群がるのだ。
11時過ぎに女房が到着。取り敢えず、腹に溜まりそうな調理パンや芋パンを中心に、補給。
結局この大騒動は、オープニングの行なわれるホールに人が飲み込まれて行くまで続いた。人が空いたところで、みんなに各自、パンを食ってもらう。
とはいえ、食事休憩とは行かない。我々の仕事はそこからが勝負だ。オープニングが終わるまでにバックオーダーを何とかせねば。パン片手にマシンの前に陣取る。もう少し時間が経つと、みんなもっと素早くなって来るのだが、まだまだこの時間帯はソフトの勘を掴めずに時間がかかっている。去年のシール企画を担当したミツルんも加わっているが、なかなか往時の勘が戻って来なくて、効率が伸びないと言っている。要は、出来ることと出来ないことを見極められるのが勘だ。出来ないことをやろうとして無駄な時間を食ってないで、早々に無理の利くIllustrator派の神北に振って貰う方が全体効率はグンと上がる。ただ、この見極めは、ある程度ソフトに慣れて来ないと難しいから、最初はどうしても時間がかかるのだ。
オープニングセレモニーが終わると、ドンと人が戻って来る。だが、一本目の企画群が動き出すと、一気にまた引いて行く。今回のタイムテーブルは、時間枠をキッチリと付けているから、潮の満ち引きがはっきりしている。
様々なミスや問題に遭遇しながら、注文書の受け方、完成品の並べ方等、どんどん効率UPして行く。やはり、高負荷のハードトライアル無しでは、システムは完成しないということか。
前日、机が並んだ状況を見て、広っ! かなりオーバースペックに広いと感じたシール屋さんブースだが、実際にマシンを数台セットアップして、がんがん仕事を始めると、ちっとも広くない。
ゲスト受付を頼まれていた安達くんが戻って来ると、受付業務の効率化を開始。結局、最終的に、フロントエンドマシンとして、全デバイスの窓口を安達くんのPowerBookに集約し、受付時にデータを確認、リサイズまで行う事になるのだが、この時点ではまだ、バラバラに各自の機械で対応していた。
サーバを置いて、ネットワークでデータのやり取りが出来れば更に効率的だったのだが、サーバ接続に時間を掛けている訳に行かなかったため、即席サーバより、USBメモリをやり取りすることに終始した。
一度、次の大会までに、簡易な話だけではなく、みんなで機材を持ち寄って、実際にちゃんとしたネットワークを構築してみる必要が在ると、痛感。
途中で抜けて企画へ。『アニメを報ずる』の第3回目だ。アニメーションの製作現場を報道するアニメ雑誌という1970年代末になって突如現れた新しい分野で、記者は手探りの中、何をどうして情報を得たのか、送り手であるアニメ制作会社は、初めて番組宣伝以外の記事として、制作現場の状況や、監督の談話、設定資料等の報道が行なわれるようになったことに、どう対応したのか。生き証人達に話を伺う企画だ。
昨年、サンライズ資料室の飯塚正夫さんにお越しいただき、話し始めたのはいいとして、まだ1977年のザンボットスリーまでしか行き着けなかった。雪辱戦として、飯塚おとうさんに再びお越しいただき、今年こそは……と意気込んだのだが、飯塚ファミリーのひろしにーちゃんこと、河原よしえさんの言「じゃ、ダイオージャまで行けたら恩の字かな……」を大きく下回り、ガンダムが始まるというところで時間が尽きてしまった。飯塚さんのお話しが面白いせいもあるけど、司会がタコなのです。スミマセン。
でも来年こそは……。
企画を終えてシール屋さんに戻ってみると、大騒動に。大量のバックオーダーが発生。一気に注文がヒートアップしている。
無茶苦茶忙しいことに。
必死に注文をこなす。
今まで、何とか使えていたヒサゴのシール台紙が使えなくなって来た。古いプリンタだと滑って上手く給紙出来なかったのだが、最新のPIXUS 990iでも印字不能になって来た。エーワン等の用紙は紙だが、ヒサゴの用紙は紙ではなく、フイルムなのだ。そのため、少し使い込んだプリンタだと、給紙ローラーにホコリが付き、ツルツルのフィルムが滑るようになるのが原因らしい。Fax等で使う、ローラー掃除用の弱粘着性用紙で掃除してやらねばならない。
ヤマダ電機に飛んで行ってみるが、残念なことにそういう在庫はないという。店が大きい割に品揃えが悪いように感じるが、一般郊外店とはこうしたもの。秋葉原とは訳が違うということだろう。
しかたないので、手を添えて飲み込みを助けてやる等の緊急措置で凌いでもらう。一枚毎の最初の一歩さえ引き込めれば、問題なく読み込めるのだ。
結局、バックオーダーをほぼやっつけて、仕事を終えたのが、長良川国際会議場の閉まる21時ギリギリだった。
フラフラになって引き上げる。今日は風呂の終わりが十二時までに伸ばしてもらってあるということで、とにかくシール企画のメンバーで食事に。買い物に出た時に神北が、環状線沿いに何店舗か確認しておいたファミレスへ。なんだか、ハンバーグが美味い。ついでにデザートもすすむ。昼もいい加減だから、結構腹が減っていたようだ。メシを喰いながらも、話題はシール企画のこと。今日の反省点や明日の作業体制についての話を纏める。
戻って風呂に入る。12時迄には何とかしないと。と、我々が出ようとしている頃に、入れ替わるように遅れて塩坂くんがやって来る。悠然と頭を洗っていると、突然、ダンっと言って、ボイラーが停止して、湯口のお湯がぴたりと停まる。ちょうど12時だったらしい。脱衣場に出た頃に、風呂場からぎゃーという声が。笑いながら出て来る連中に聞くと、何でも、シャワーのお湯も停まって、途中から水しか出なくなったんだとか。
結局塩坂くんは浴槽のお湯を汲んで頭を濯いだそうだ。
「いやー、参りましたよー」とはいうものの、きっとコイツは懲りてないな……。
自主合宿企画の1つであるCON-PACKに、来年のHAMACON-2の大会実行委員長の半澤くんと、紅茶屋さんの熊崎くんが居た。熊崎くんは、紅茶ブレンダーとして売り出し中だ。以前、田中芳樹先生のパーティーの引き出物で、『カイザー・ラインハルト』等、三種類の紅茶を、新たにブレンドして貰ったこともある。
「今年は珍しく、紅茶を入れる企画をやってない、一般参加です」という熊崎くん。仕事の関係で、これから暫くの間、ちょっとばかし忙しいという話を聞く。新しい販路を拓く等、ちょうど商売の根幹を組み替える時期に当たってしまい、来年の大会の副実行委員長を勤める予定は、ちょっと一旦横に置かざるを得ないそうだ。こればかりはしかたない。大会の中核に入っていては、どう足掻いても時間が取れないのは目に見えている。趣味の世界の話は、実生活を確立してからだ。
実行委員長の半澤くんは、15年前のダイナ★コンEXの時に実行委員として手伝ってくれた男で、今は編集者。一緒に仕事をさせてもらった事もある。そのせいか、調整型のリーダーとして、多方面の意見を組み入れようとして、ちょっと自分の方向性を出す機会を失っているように見えたので、「調整型の委員長と、虻蜂取らずということは、別だよ」という話をした。実行委員長がやると思ったことは、間違っていたり、より良い意見が出て来ない限り、通すべきだというのが神北の持論なのだ。
ダイナ★コンEXの当時、宿泊費を含めてゲストの参加費を無料とする実行委員会が多かった中で、我々は、「ゲストの参加費は免除。ただし、宿泊費は面倒見ていただきたい」という方針を打ち立てた。当時としては、趨勢を外れた突っ張らかった意見だったが、これにより、宿泊必須のリゾートコンであっても、都市コンと比べてゲスト予算を増さなくても済むと言う、大会が大きくなるに連れて巨大化する経済的問題点をクリアすることが出来た。
当時、「そんな事しては、来てくれるゲストが激減する」という反対意見もかなり聞かされたが、300人規模の中規模旅館で何とかなっていた時代ではない。1500人からが合宿するとなると、旅館もそれなりに大きなホテルとする必要が在り、宿泊費が上がる事は致し方なかったのだ。かと言って、いくら安くするためとはいえ、毎年1000〜1500人が集まっているものを急に縮小し、規模300人の日本大会を開く訳には行かない。日本SF大会には、日本SF大会の規模があるのだ。
リゾートコンでそういう規模を維持して行くためには、規模に応じた大型旅館が必須で、12000円〜16000円程の宿泊費はどうしても掛かってしまう。規模を確保するためにはこれは必須要件だった。そのため、宿泊費が5000円ぐらいで済む安宿と同じようにゲストを扱う事はもう無理だと、誰かが方向性を転換する必要があった。
「だから、半澤くんも、やるべき事は、声に出してちゃんと言った方が良い。それで離れる人が居ても、それで逆について来る人も居る。今のメンバーと上手くやるために、際限なくポリシーを切り売りして行くのだとしたら、何のために実行委員長として中心に居るのか判らなくなるぞ」
と、ハッパを掛けた。
SF大会は、「察して譲る」などということをし続けていたら、絶対上手く行かない。意見はトコトンぶつけて、問題点を明らかにし、意見に優劣が見えて来て収斂の道が現れるか、どこまで行っても並行線なのでどちらを採用しても同じと納得出来るかの、どちらかの結論が出るまで話し尽くしてこそ、先に進めるものだ。
とにかく、HAMACON 2は、首都圏の大会となるので、規模もここ何年かより大きくなると予測される。早く方針が定まって、万全な態勢で臨んでいただきたい。そんな話をした。
その後もなんだかうだうだとあちこちでいろんな話をして、3時ぐらいに就寝した。いや、ブッ倒れたと言った方が良いのか……。翌日は、起きたらもう朝食時間だった。朝メシを喰って、しばらくぼーっとして国際会議場に出勤。また、シールを作り続ける一日が始まる。昨日、流石にアタマが飛んで上手く行かなかったバックオーダ−の残りを造り、新く来る注文をこなす。
それと並行して、突然来てくれたゲストの分の名札とゲスト用シールの注文が入る。ゲスト担当スタッフが口頭で言って、ツカツカと行ってしまう。「おい」と声をかけたが御構い無しだ。ずんずんと消えて行く。
一応打ったが、どうも、字に自信が無い。
暫く戻って来た件のスタッフが、そのまま受け取って行こうとする。
「おい、漫然とした仕事をしているが大丈夫か?」
「え?」
「お前さんが口頭で言って行っただけだから、確認対象が無い。漢字は仮名漢変換任せで確認してないぞ。今、ありがとうございましたと言ったが、ホントにそれで良いのか?」
「え、あ、確認して来ます」
慌てて飛んで行ったが、暫くして「やはり、間違ってました」といって引き返して来た。今度は、ちゃんと文字を書いて持って来たので、それに沿って作業。
なんか、相手の動きや状況が自分の意図から離れる可能性を全く考慮しないいい加減な運営をしていると云う感想を抱く。
ゲスト用のシールも、ゲスト担当スタッフは2枚と言って発注したが、後になって確認したら、他と同じく3枚作る事になった。結局、他の作業を停止して、割り込んでまで、再び追加作成することになった。
頼むから、時間を無駄にさせないでくれぇ。
11時のオーダーストップまでに、大量のバックオーターを抱えた。
昼ごろ、女房が、差し入れのお菓子を持って来てくれた。「信長うつけ餅」とかいうきな粉をまぶし、あんこの入った餅(牛皮?)で、割と美味しい。糖分と炭水化物なので、腹持ちも割と良く、昼飯代わりにみんなて1つずつ食べる。食べながら、バックオーダーの消化。
暗黒星雲証の加藤くんと奥くんがやって来る。
「ちょっと報告なんだけど、今、シール企画の台紙の誤植で2003年って書いてあるのが、現在のトコロ暗黒星雲賞トップなんだ。授賞式出演の可能性があるから宜しくね」
「げげ、オイラ、菱田継久や竹内伸介と並ぶんですか」
「どーせ、同じようなモノじゃん」
「ちゃう、断固としてちゃう!」
しかし、その2時間後ぐらいに奥くんが再びやって来て、「残念ながら二位でした」と報告された。なんでも、一位はSFヘキサゴンなんだとか。ってことは、柳澤さんは、去年の鉄人定食に引き続き、V2じゃんか。
一方、我々のシール企画でも、顕彰企画が動いている。シールデザインを競うシールコンテストだ。シール企画からはベストフォト部門と、ユニーク部門を選ばせてもらった。その他に、ゲスト三人にお願いして、長谷川裕一賞、笹本祐一賞、大和眞也賞の3賞を決めてもらった。
デジカメ写真に収めて持って行き、PCから、プロジェクターに流して巨大にスクリーン表示してもらう。最近は、こういう簡易な表示が出来るのでぎりぎりに決まった賞でも、様になるから良いなぁ。
クロージングの舞台袖で出番待ちをしていると、なんと、そこには、先日星雲賞を刷り出した東京リスマチックの封筒が。中を確かめるとまだ、誤植のあった賞状が残っているではないか。
クロージングの自分の出番は、次々と読み上げるだけなので、さっさと済む。続いて、暗黒星雲賞。加藤くんが、面白がって次点のシール企画の時に出て来ないかと誘ってくれたので、星雲賞のボツ賞状を持って、ぺこっと舞台に出て、少し話す。
「いやー、こんな一年違いなんて小さなものですよ。これ、気付いて差し止めた誤植のある星雲賞のボツ賞状なんですが……、「ロード・オブ・ザ・リング/2つの塔」、部門名が……『海外短編部門』になっているんですよ」
加藤くんと、しばし、あれ、短編ですかねぇと話し、引っ込む。
出番が終わったのでシール屋さん跡地に戻り、クロージングの終了を待つ。
クロージングがはねるのとともに、ゾロゾロと受賞者が賞品を貰いに来る。全部渡し終えて、終わりだ。
女房と、安達くん、ミツルんの三人は、当日これで帰るから、その足でタクシー拾って岐阜駅へと戻る。残った我々は、実行委員の一人が奢りますよと誘ってくれたので、大会実行委員会の当日打ち上げに出る事にして、一旦、多賀旅館に引っ込む。と、帰る道すがら、ポツポツと来た。大会が終わる迄は持ったのに、遂に雨かといいながら、旅館へ戻って一憩み。なんだか、知らない間にアテネ五輪で日本勢はメダル・ラッシュらしい。
云われた時間に会場に戻ってみると、すっかり強者どもが夢の後。静かなものだ。ただ、スタッフが、最終的に、会場の現状復帰のために走り回っている。「おーい、イスは全部元の部屋に戻ったけど、工具箱が見つからないそうだ」「会場の工具箱?」「そう、会場から借りたヤツ」てな話をしながら、まだ走り回っている。
とはいえ、打上げの予約が入れてあるから、放っておく訳にも行かない。先に半分程のメンバーが移動する事になる。ホテルのバイキング形式のレストランの一角を押さえたらしい。
ホテルはまだ、国際会議場よりはマシな設計のようだが、それでも、なんだか、判り難い造りだ。
更に、端っこに押し込められた観があって、料理までちょっと距離がある。
辻堂くんがやって来て、「会費は4000円です」と言い出す。
「おい、お前、奢るからと言って誘ったんじゃネーのか?」
「ええ、だから、神北さんと、古市くん真庭くんの分は奢ります。でも、塩坂くんは4000円な」
「おいおい」
5000円出して、「塩坂の分と、後は足しにしろ」と言って押し付ける。藤澤くんは、後輩である名大組の面倒を見たようだ。なんだか、シコタマ辻堂節炸裂である。
何だか、まったりとした現地打ち上げになった。なんとか大きな問題が噴出する事も無く、大会が終了したから、みんなホッとしている。実行委員長の高木くんや企画局長の名古屋くんが挨拶して回っている。事務局長の小崎くんも回っている。何だか、下っ端スタッフなのに「いやあ、有難う御座いましたァ、来年も宜しくお願いします」なんてデカい顔をして回っているワケの判らない輩も居る。何にも役に立っていないくせにデカい顔だけしてやがる。でもまあ、許そう。取り敢えず今日は上手く回ったのだから。
まあ、かくして四十三回目の日本SF大会は、スタッフの心の中でも無事終了して行った。
宿に戻って、風呂に入り、山本ひろしくんの部屋でバカ話をする。流石に疲れ果てたスタッフが一人、ちょっと複雑な形で寝コケる。
「こいつ、難しい格好で寝るやろ?」
「うん、二時間ドラマ開始2分目に出て来る、死体みたいななァ」
「これが、あと5分経つと、白いチョークの線と、番号札に切り替わるんですね」
突然「ウゴガッ!」と上体を起こそうとする。起きたのかと思ったらさに非ず、寝返りだったらしい。ますます難しい格好になって眠ってしまう。
「でもまあ、○○くんの寝相と比べると、まだまだ大人しいものだしなぁ」
「あ、○○さんの寝方は、語り草ですからねぇ」
などと話が弾む。と、その内、流石に疲れた山本ひろしくんと武田警備隊長が、窓際のソファでうつらうつらとし始める。フと気が付くと、その二人の向こうで煙草を吸っていた古市くんが難しい顔をしている。
「お前、出られないのか」
「ええ、脱出不能に陥りました」
「こっちっかわのソファの後を通れば……。あれあれ、ここで、テトリスみたいなクランクになって真庭くんが寝てるよ」
「真庭くんを踏んで出て行く事自身には、何の痛痒も感じないんですが、大声挙げたりすると回りに迷惑ですからねぇ……」
そのまま暫く話を続ける。
相変わらず古市くんは、熟睡する山本くん・武田くんを金剛力士像のように両脇に配し、煙草を吸っている。隅の方では、真庭くんが、金剛力士に踏みつけられた天の邪鬼のようにクランク型に眠っている。
「じゃ、古市、頑張れよ。ワシ寝る」
「俺も」
「私も寝よ」
「あ、ああ……」
SF大会後泊の夜は、更けて行く。
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