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2004/08/25

先乗りしたぞ

 8月21日〜22日(土・日)は、日本SF大会だった。G-con、岐阜大会である。岐阜と言えば、金曜会の吉光伝親分が、メイコンを主催した時だったか、メイコンIIを後見した時だったかに、大会の晩に合宿には出られず、仕事の接待で夕刻、長良川で鵜飼いをしており、今頃連中どうしているやらと思ったものだと言う回想録を読んだことがある。それからン十年経って、ついにSF大会は、親分を追い掛けて、岐阜に至ったという訳だ。

 神北が関東を出発したのは、2004年8月19日未明。本当は18日夜には出て、夜中の空いている東名高速を乗り切ろうと思ったのだが、準備に思わぬ手が掛かったのだ。
 最大のネックは、星雲賞の賞状だった。連合会議からの頼まれ事で、文面・デザイン等、細かく打ち合わせながら調整していたのだが、最後の最後になって文言や文字の最終確認に手間取り、出発の前日になってほぼイチから作り直す羽目に陥った。
 とはいえ、星雲賞と言えば、SF大会の根幹をなす行事の1つ。その賞状ともなれば、気合いを入れて、出来る限り良いものを作らなければならない。文言1つ1つに吟味を重ねる牧紀子連合会議議長の姿勢は重要だし、そのために時間がかかってしまったのは致し方ない。
 結局、この賞状にゴーサインが出たのが、18日になってから。実物を刷り上げたのは、18日夕刻。さすがに神北自前の出力装置ではこんなものを刷り上げるのは無理で、大きなプリンターのある出力センターまで行ってみる。星雲賞の賞状というものが、SF界に対して持っている権威を考えれば、単に文言が載った紙であればよいと云うことはあり得ない。デザインはもとより、手触りや、重さ、紙の張りまで、様々な感触、大きさ。いろんな要素が求められる。特に賞状ならば、持った時にヘナっとなる薄さは避けたかった。受賞者が手に持って、その厳然たる権威を感じ取ってもらえるようにしたかったのだ。というわけで、A3ノビが刷れるのは当然として、刷れる紙の豊富さが重要なのは言うまでもない。そのために、東京リスマチックオンデマンドステーション日本橋まで出かけた。
 紙は結局、持ってみて一番に張りがあった、コート紙の厚い(重い)ものに決めた。で、刷り出してみる。1部刷ってOK。では、それを1枚目として、残りも刷り出してもらうことに。時間を聞いてみると、2〜3時間。ぽっと真っ昼間の日本橋で身体が空いてしまった。しかたない。デジカメを手に、フラフラと街を歩き、面白そうな被写体を探す。真夏の照りつける太陽の下、綺麗な写真に充分な光量。しかも、日本橋と言えば、昭和初期から最近までの様々な建物が並ぶから、被写体を探すに不自由は無い。ま、問題は熱さなのだが……。
 喫茶店で休み、COREDO日本橋を冷やかし、刷り上がりの電話が携帯に入ったので、再びリスマチックへ。まあ、JPEGの簡易見本とはいえ、同じデータを連合会議に送ってOKを貰っているのだから、問題は無いはずだが、一応、一枚ずつ確認……ン?
 やばい……。ミスを1つ発見!
 一枚の原型の賞状を作り、それの部門名や作品名、受賞者名を1つずつ変えて行ったのだが、その時点で、変え損なっていたものが発見された。ヤバヤバやじゃん?……。その場で修正することになった。Photoshop CS のデータなので、文字をテキストデータとしても持っているから、簡単に修正可能と思ったのだ。ところが、客への貸し出し用のマシンは塞がっており、ブースの中のマシンで修正を行うことになった。座ってみて感じる妙な違和感。ん?このマシン、機械としては自分の使っている物より新しい上位機のクセに、OSはOS-9じゃん? しかも、Photoshop 4ですと!
 開いたデータは、完全にビットマップと化しており、文字修正ででチョチョイのチョイとは行かなくなった。
 うーむ・・・。
 だが、有り難いことに、部門名は、後の方にもう一度書かれているし、双方の文字サイズは、全く同じ。これなら行ける!
 幸い、レイヤーは維持されていたので、文字をコピーしても背景レイヤーに影響を及ぼすことは無い。しかも、異なる部門名だったが有り難いことに文字数が一緒。そっくり持って来れば、ぴったり納まる。よしよし、間違ったものを消しゴムツールで消して、コピー、あ〜んど、ペースト……。
うむむ。綺麗に修正終了。
 もう一枚は、20分程で刷り上がり。目出たしめでたし。

 飛んで帰ったものの、それからが大変。20時に閉まってしまうレンタカー屋から車を借り出し、メシを喰い、出かける前に確認することや、作っておくものの準備を進める。
 今回、自分のマシンを持って行かないため、向こうで使えるようにデータを持って行く。そのCD-Rを焼いていたのだ。刷り上げたとはいえ、更に何かあったときのために、星雲賞の賞状のデータも、持って行く。1つが120メガバイト程あるので、1つのCD-Rに5データぐらいしか入らない。11部門あるから、結局3枚のCD-Rに収める。
 もちろん、自分が今まで大会用に作ったデータも持って行く。
 何で大騒動しているかと言うと、すべては、シール企画を行なうためだ。シール企画用に借りた機材で、車内は満杯。借りて来たレンタカーのコルトが、見事には独り乗りになっている。
 結局、準備は朝5時ぐらいまで掛かって、それから出発。
 朝まだきの東京を眺め下ろしつつ、チョコっと渋滞に巻き込まれつつも旅は始まった。

 首都高・東名と乗り継いで、まずは7時過ぎに海老名へ。東名下り旅をするならば、海老名は外しては行けない第一のポイントだ。ここのブイトーニの店は、割とお気に入りで、どうせならここで朝食にしようと走って来た訳だ。しかし、残念なことに店は10時から。あきらめて、旅の食事らしく、吉野家の豚丼を食す。
 まずはそのまま走り続けて、由比ケ浜で休憩を取りつつカメラで風景を撮影。絶景ポイントで日差しも強い。これで撮らねば男ではない。
 そのまま、牧ノ原まで走る。流石に眠気が来たので、ここで一憩み。30分か1時間ぐらい寝る。うー。アイマスクぐらい用意して来るんだった。快晴の夏の日差しは明る過ぎて寝付き難い。
 しばらく眠り、トイレ。落ち着いた所でサービスエリア内をぐるっと見学して、呆れる。お茶処静岡の中でも有名な茶葉生産地の1つ、牧ノ原のサービスエリアは、お茶犬に占領されていた。一抱えでは利かないような巨大なリョクが座っている。デカい。牧之原SA限定お茶犬グッズコーナーまである。
 ここで、地元のお母さん達がテントで売っている、水出しアイス緑茶を1つ買い、再び走り始める。お茶がとっても美味しい。
 浜松を越え、無事、静岡県脱出。愛知県に入ると、まもなく音羽蒲郡インターだ。もう、15年もここで降りていないが、このインターで降りた先に、三谷温泉がある。第二十八回日本SF大会ダイナ★コンEXの会場となった温泉地で、開湯は、全国行脚の途中の行基によって発見された約千二百年前。良い温泉地なので、機会があれば訪問されることをお奨めする。
 そのまま走り続け、岡崎で東名を出る。岡崎から国道1号線で東進。伊勢湾岸道に遷る。CDに飽きてAMラジオに切り替えたら、CBCの午前のワイド番組は、つボイノリオが喋っているではないか。あの『金太の大冒険』のつボイノリオである。花のアナウンサ〜〜である。
 後でCBCのラジオ番組表を見てみると、朝のTBSで『森本毅郎・スタンバイ!』に対応する番組が『多田しげおの気分爽快!〜朝からP・O・N』。午前のワイド番組、TBSで『大沢悠里のゆうゆうワイド』に当たる番組が、この『つボイノリオの聞けば聞くほど』。夕方のTBSでは『 荒川強啓 デイ・キャッチ!』に相当するのが『小堀勝啓の心にブギウギ!』と、良く知った名前が並んでいる。なんだ、中学時代、『欽ドン』等と並んで 神北が好んで聴いていた、青少年向けの夜のラジオ番組のパーソナリティー、多田アナ・つボイ・小堀アナのCBC三羽烏は、そのまんま、対象が主婦層・勤労層になるのと同期して番組傾向をシフトして、CBCの顔として定着しているじゃないか。
 つボイノリオの声に乗って、湾岸道を快走。伊勢湾岸自動車道はとっても走り良い。あっという間に実家に至る。
 実家で軽く仮眠。その後、入院中の祖母を見舞う。
 祖母の病院を出て揖斐・長良川に掛かる橋から、中堤を遡上。中堤は、揖斐川と長良川の間の堤防ことで、河口辺りでは何キロにも渡って堤防だけしか無い背割堤になっている。ここに道路が走っており、桑名から岐阜に向う最短ルートとして、昔から重宝されている。暫く走ると、岐阜県に入る。千本松原。ここは、幕府から、全く関係のない遠方の治水工事を命ぜられた薩摩藩の義士たちが植えたと伝えられる松並木。近年、マツクイムシの被害で、名前通りの千本を割り込むと言う非常事態に陥り、再び薩摩からマツクイムシに強い新品種が導入されたそうだ。ちなみに岐阜と鹿児島は、この治水工事を縁として、今も姉妹県である。
 この千本松原を抜けると、やっと揖斐川・長良川は別れ始める。道は長良川西岸を上って行く。
 岐阜市内に入ったのは5時ぐらいだったか。間もなくSF大会の会場となる長良川国際会議場に到着。既に、この日の午後から、先乗りしたスタッフが会場に部屋を押さえ、最終的な準備を開始している。行ってみると、片腕にギプスをはめて佇む高木実行定員長が。交通事故だとは聞いていたが、聞いていたよりなお痛々しい。
 早めに現地入りした理由の1つは、デザインと印刷を頼まれた参加証のタックシールを渡すためでもあった。
 今年は、参加証に名前を印刷せず、参加者各自に書いて貰う方式だったので、Illustratorで台紙デザインを作り、一気に印刷した。また、それの色違いのデザインをマスター頁に置き、名前の欄を配置した頁をInDesignに並べて、ゲスト参加証も作った。InDesign CSを、名札印刷に使う奴は珍しいかも知れないが、これが一番綺麗に自分のデザインを形にする方法であるならば、使うまでである。
 一般参加証は当日参加や紛失等のトラブルを見込んで一週間前の参加者数プラス二百。ゲストは、全員の名前を入れたものを、ミス対応の安全策を執って二組と、不意に来てくれたゲストのために予備の白紙を2枚。最低限度の準備だが、これで問題になることはまずあるまい。必要充分という訳である。
 運んで来た荷物の半分をこの準備用の部屋に預け、宿へと移動。投宿先は、多賀旅館。大会当日の合宿企画の1つ、CON-PACKの山本ひろし君が取ってくれた宿だ。ここに大会終了後の日曜日の夜まで、4連泊することになる。残りの荷物を降ろし、Macとモニタ・プリンタを繋ぐ。旅館の人が呆れるような勢いで機材を搬入。がしゃがしゃと接続し、スタート。大会開始までの期間、このパソコンセットが、旅館内の部屋を点々としつつ、シールを始めとした細々としたモノの工房となる。
 早速、作製開始。
 8時頃、藤澤(弟)こと、辻堂くん(藤沢と辻堂はJR東海道線の隣の駅)から電話。9時には、国際会議場の閉館時間で追い出されるから、その後でメシを喰いに行こうと言う。
 予定が決まったので時計とにらめっこ。旅館の風呂は11時に終わるから、9時からメシを喰いに行っては入りそびれる。取り敢えず、風呂へ。1階大浴場は広くて気持ちいい。しかも独り占め。外の露天風呂(? 屋根があるから露天ではないかも知れない)が気持ちいい。
 9時になり、一緒に行こうと辻堂くんが迎えに来てくれる。とはいえ、遠くに出かけられないから、近くのバーミヤンへ。話しながら、なんとなくテキトーに中華を取って、みんなでツツく。
 今回は、広島の岡田くん(おかてん)、大阪の池田くん、永澤くん、東京の辻堂くん、竹内くん、藤原さん、滋賀の山本くんを初め、かなり多くの外の地方からのメンバーが実行委員会入りしている。こういう連中の多くは、何度も場数を踏んでコンベンション慣れしているから、自分たちの何が充分に準備出来ていてで、何が不足しているのかをちゃんと把握出来ている。だが地元である名古屋ファンダムの人間は、あまり外のSF大会に手伝いに行くということをしなかったから、自分たちの準備がどこまで来ているのか、間に合っているのか、ヤバげなのか、よく判らずに、割と不安げだ。
 だが、泣いても笑っても、SF大会は明後日にはやって来る。

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