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2004/09/30

HDDに溜め込むぞ

 昨夕、女房と二人で秋葉原を回って、買い物をした。遠回しに云うと、マシン二台ということになろうか。我が家のネットワークに新しくぶら下がる新鋭機2台という訳だ。
 といっても、二大とも、パソコンではない。
 一台は、AX300Lハードディスクレコーダーというヤツ、つまり、最近流行りの、ビデオデッキ代替機器である。機種選定ではいろいろと悩んだモノの、結局、NEC系のマシンということになった。理由は割と安かったこと。オリンピック商戦にあぶれたAV機は、今、比較的順調に値崩れを起こしている。しかも、我が家は、初夏に壊れて以来、稼働ビデオデッキが無い。あまつさえ、ガンダムシードデスティニーの放映が間近に迫っている。となれば、冬のボーナス商戦を待っているわけにはいかないではないか。
 このハードディスクに番組を録画して、DVD系のメディアに書き出すと言う方式の新しいジャンルのAV機器は、最近各社がはを競っている新ジャンルである。その中で、このNECの機体が、割と安価にWindowsのネットワークにぶら下がれるということが決め手だった。
 Windows からだと、マニュアル通りとはいかないものの、割とスムーズにいろいろな機能をパソコンと連携させることが出来た。
 さて、ではMacではどうかというと……。
 なんだか、悲しいぐらい、Macが無視されているNECの公式発表は脇に置いておいて、ネットを探すと、ネットワーク内のAX300の生のMPEG2データにそのまま触れるアップルスクリブトが出て来た。
 らっち〜。

 とはいえ、生のままのヤツぁバラバラに別れていて、オイラたちには手が出ませんぜダンナ。

 なんとか、この生データから、1本ムービーを救い出せるなら、今後、Macだけで、録画したデータと関わって行けるので、結構便利。どうしたモンかね・・・。

 で、次に何を買って来たかは、その内公開。

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2004/09/27

TNGのセミナーだぞ

 TNGプロジェクトという団体がある。(一部の方には)残念なことに、スタートレックの関係ではない。
 “TNG”は、「The New Generation」の略称。アドビアップル大日本スクリーンモリサワの4者によって進められている、新しいDTPスタイルを提案するプロジェクトのことだ。
 基本的に、MacOSX上でOpenTypeカラーマネジメントを利用し、PDF/X-1aを納入形式とする、新世代のDTPは、今年に入ってほぼ、その基礎となる技術が完成したものの、なかなかユーザは移行していない。
 何故かと言うと……
 現在主流となっているCIDフォントや、更に古いOCFフォントといったフォントセットをオープンタイプのものでリプレイスしようと思うと、かなりの費用が掛かること。(特に、何セットも導入している大きな会社ほど移行し辛い。)
 紙に刷って初めて色が判るという時代に経験を積んだ印刷会社・編集者が、カラーマネジメントシステムという概念を信用していない。また、仮に始めるとしても、いままでバラバラに調達したバラバラの機種のスキャナやディスプレイやプリンタといった各機器のカラープルーフを整えるのは容易ではない。
 既に、EPS形式による納品と云う作業フローが出来上がっている印刷システムにおいて、今新たにPDF形式に切り替えて使うことのメリットがよく理解されてない。
……まあ、つまりは、良い技術であろうことは判るが、まだまだ普及には時間が掛かると考えられる次世代システムを、如何にして普及するかというプロジェクトの、具体的活動としての、導入事例報告会というところか。

 9月24日に開催された、第7回セミナーで、事例として発表されたのは、以下の4セッション。

1. 新世代DTPワークフローのメリット
    JALのマイレージバンク会員向けの旅行案内と言う、ぎりぎりまでデータの変更が多
    発する
2. カタログ制作におけるXML組版とPDF/X印刷入稿
    株式会社リョーインは、三菱系のドキュメント会社。
    XMLの自動組版システムを開発した事例を発表。
3. 品質管理の観点からのノウハウとPDF/X-1a入稿
    ミスミと言うとよく判らないがマルチビッツと言えばデザイナーなら誰でも知って
    いる電子素材データからハードまで何でも扱うカタログショッピングの大手。
    このマルチビッツのカタログを新システムに移行した報告。システム移行を挿んでも、
    発行間隔を全く変えずにスムーズに移行完了したという。その事例の報告。    
4. 新世代、混在環境でのPDF/X-1aを入稿するための実践ノウハウ
    移行に関する不安解消の為のFAQ事例の紹介

 一本が30分づつの合計2時間ほどの無料セミナーだが、成功例と基礎的なノウハウを聞けて、なかなかにお得な経験だった。

 とはいえ、オープンタイプのフォントに関しては、まだイマイチ普及が遅く、未だにTrueTypeの新作フォントなんて物が出て来る始末。また、急いで対応した大手メーカーのフォントは、どれも高価で、そうそう飛びつけるモノではない。かくして、OpenTypeへの完全移行なんて、なかなか出来るものではない。
 また、カラーマネジメントに関しては、モニタの発色を計測するキャリブレータという機械が、最近では安価になり5万円台のモノが登場し始めたので、それを使い、自分のカラープルーフを作ることは出来なくも無い。だが、下流工程が対応してくれないことにはあまり意味が無いので、印刷屋さん、編集部さんが音頭をとってくれないことにはイカンともし難い。(もちろん、自分のスキャナ・モニタ・プリンタで色調を整えるという事にはそれなりに意味はある。が、別に、打ち出してみて直せば済んでしまうわけだから、自分の作業環境でカラーマネジメントが出来ていてもそんなに驚くほどの意味は無い。遠隔分業に於いて初めて真価を発揮する技術なのだ。
 ただ、それを超えて、PDF/X-1a形式の定着は、望ましいものだと感じる。今の出版に関するワークフローは、拡張に拡張を重ねて来た為、既に、何が何高理解し辛くなっており、正体不明の不具合でイラストが表示されなくって印刷屋で大騒ぎと言うコトが多々ある。逆に云うと、この業界、そうした問題に触れないように、無理をせず、新技術を使わず、軽く……、いかに小さく纏まったデータを作って納品するか?と言うことが、重要なノウハウになっているのだ。だが、こういう後ろ向きのノウハウを身につけないと一歩も動けないと言う後ろ向きの作業環境は、精神衛生上よく無い。

 ちなみに、カラーといえば、DTPで何かと問題になるのが、RGBCMYKに関する色の問題。コンピュータに画像を取り込むのは、スキャナにせよデジカメにせよ、基本的に光学入力だからRGBの光の三原色でデータ化される。しかし、出力は、紙にインクを塗って印刷する訳だから、CMYKの印刷用四色分解を用いることになる。だが、RGB→CMYK変換は、機械的に簡単に行なえば良いというものではない。光の三原色とインクの四色分解では、表示出来る色の範囲に差がある為、どうしても、CMYKに起き直した絵は、元のEGBのものと比べてくすんで見える。これをどうするかというのは、Photoshop使い永遠の課題で、写真毎の特徴をニラみつつ、彩度やコントラストをいじって、ベストの状態に色を磨いてやると言う大変な手間が必要なのだ。また、RGBの原画とCMYKに変換して調整を済ませた納品物の2つを管理して行かねばならない為、リソース的にも無駄が多い。
 これに関して、最近、面白いと思ったのが、大日本スクリーン製造のColorGenius DC2というソフト。このソフトは、RGBのものはRGBのまま管理しよう。CMYKが必要なときはRGBのソースを元に自動生成しよう。生成時の色調調整は「レシピ」と呼ばれる簡易な方針を指示するだけで、あとは自動的に機械にやらせよう。……というような概念のソフト。
 くすまないRGB→CMYK変換というだけで、なかなかに価値がある。更に、「レシピ」は保存されるので、どの絵をどんな調整変換したかという情報を後で得られる。パンフを読むに、同じ写真に違う調整を施すという例が書かれているが、神北にとってはこれは別の意味を持つ。
 仕事として、3DCGの絵を作ることが多いが、これの色調調整を行なった後でリテークが入ると、細かい微調整をもう一度やり直しとなる。細かい違いはあるとはいえ、同じ光源で同じ方向から撮影したシーンなので調整の仕方は(まず)同じでよいのだが、そのために「どんな風にした」というコトをメモっておいて、同じことをしなければならない。これが定型業務として簡素化出来るのであれば、CGクリエータにとっては、それはそれは大きな福音である。
 また、このColorGenius DC2と組み合わせて使える、YUKIMURA Ver.1.5というInDesign CS用のプラグイン・ソフトがある。InDesign CSでRGB画像を配置し、回転や拡大縮小などを掛けておいたものを、自動的に最適なCMYKの画像に置き換えるソフトだ。
 RGB形式の画像だけを管理し、CMYKにするのは、納品直前に自動処理で……というワークフローは、とてもステキだ。
 ただ、これ等のソフト、ColorGenius DC2最低99,750円YUKIMURA Ver.1.571,400円。なかなか財布に厳しい。こんな重要なソフトなんだから、アドビが買い取ってPhotoshopとInDesignに標準搭載してくれればよいのになぁ……。ハァ……。

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2004/09/24

ペンタブだぞ

 実は、先日の日曜日に、秋葉原で買い物をした。ワコムIntuos 3 PTZ-630だ。
 出た2日後に買っているから、釣られる魚としては、入れ喰いの類だろう。
 ペンタブレットとしては、同じメーカーのアートパッドIIという代物を持っているが、これは10年前の代物で、当然アップル・デスクトップ・バス(ADB)仕様であり、現在の神北のMacにはそのまま繋ぐことが出来ない。更に云えば、描画面がハガキサイズという、ミニマムな仕様であり、最近の表示画面が大きくなっていることを考えると、非常に実用度が低いと云わざるを得ない。
 だから、今回は、その反省を元に、描画面が倍のサイズのA5版サイズあるのものを選んだ。無論、細かいタッチの再現のみをを云々するのであれば、A4サイズの描画面を持つもう一段上位機を導入するに越したことは無い。しかし、敢えて、描画面A5サイズ(全体サイズは横長B4を少し左右方向に切り詰めた程)のPTZ-630にしたのは、ペンタブレットが入力の中心ではないということから、机の上をあまり広くとられたくなかったという欲求のせいだ。
 で、どんなものかというと、Adobe Illustrator CSのトレース作業に関しては、俄然スピードアップしたように思う。(新しいデバイスで張り切っているだけかも知れないが……。)無論、今迄そうしていたようにマウスでもそこそこのコトはこなせるのだが、マウスを持つようになって二十数年。鉛筆を持って四十年。やはり、微妙な線を描く時に、鉛筆型デバイスならではという微妙なラインを素早く取り出せることが強みだ。
 まあ、そこに留まらず、もっといろんな使い方をしてみたいのだが、取り敢えずは、修行あるのみ。

 ちなみに、このペン、吉井宏くんもBLOGで云っていたが、ちょっと太すぎ。太い絵筆や万年筆ぐらいあって、握るのが大変という気がする。また、ゴム質の滑り止めが柔らか過ぎて、指の中でペンが踊るのもちょっと難点。メンソウ筆や鉛筆といった感覚で使いたいユーザもいるのだ。アートパッドIIのペンの方が使い易かったのは厳然たる事実。機構の問題で太くせざるを得ないのかも知れないが、別売のものでも良いので、細いものを希望したい。

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パラダイムはうつろうぞ

 SFとか、マンガ・アニメと極めて近いジャンルのひとつに、ボーイズラブというものがある。いや、もっとも、近いと言ったところで、神北が読むジャンルではないので、詳しいコトは知らない。小説や漫画・アニメを元に、BL系パロディーマンガを書いている腐女子諸嬢が、コミケの中で大きな勢力を占めているげな……などと言う間接的な情報や、よく行く書店のマンガ・ライトノベル売り場の棚いくつかが、主人公もヒロインもみんな男と言う小説やマンガに占められていると言う実態は、毎日のように目にする。もちろん、1970年代に、アニメファンの女の子達がホモネタのアニパロで盛り上がった頃から見ているし、角川がルビー文庫なる分野に乗り出すのだと云う話が「世も末だねぇ」という感想とともに業界を走った頃も傍で見ていたから、そのジャンルの全体量は知りようも無いが、とにかく、BLというジャンルが、経済効果のあるジャンルとして出版社等の興味の対象となる程の市場を形成していることぐらいは知っている。

 ところで、全く別物でありながらもBL以外にももう一つ、なんか、主人公とその恋愛対象のシチュエーション(性別の割り振り)が非常によく似通ったジャンルがある。いわゆる、ホモとかゲイとかいう性愛ジャンルの嗜好をお持ちのみなさんの業界だ。それが、実践家達が大多数を占める業界なのか、小説やグラビアを楽しむだけのファン層が分厚い世界なのか等という情報は、BL以上に縁遠いのでよくは判らないが、確かにそこにそういうジャンルは存在する。

 昨日の2004年9月23日、毎日拝読している朝松健さんのBLOG 新・日記代わりの随想の記事、風雲千早城(263)を読ませていただいたところ、この業界の中心に位置して誰でもその名を知っている雑誌『薔薇族』が、ついに廃刊の憂き目を見たと言う。この朝松さんのBLOGから又跳びした先の南日本新聞社フラッシュ24雑誌「薔薇族」が廃刊 部数落ち込み低迷続くという記事によると、かつては、三万部を売っていたこの雑誌も、近年では、三千部程度に落ち込み、遂に力尽きたという話だ。

 もちろん、朝松さんのことだから、このホモセクシュアルジャンルの縮小をどうこうと云う話をしている訳ではない。広く高く視線を取って、どのジャンルであっても、同じことは起こりうるのではないかと言う話が展開している。

大半の作家はライトノベルや新本格ミステリーは官公庁のごとく永遠に不滅と信じているし、企画段階から読者を選んだ国書刊行会式大人買い差別化小部数出版をやっていれば、ずっと食っていけると信じているらしい。

 という朝松さんの感覚は、全くもって、正常かつ正統な意見だと思う。固定客の在るジャンルというものが、崩れる瞬間というものの怖さを知っていればこそだなぁ。

 たとえばである。ライトノベルというジャンルにしても、朝日ソノラマがSFなどをテコにソノラマ文庫を創刊した時、集英社が少女小説を母体としてコバルト文庫を創刊した時の、70年代中期のパラダイム。スターウォーズ・ショックの後のSFと名がつけば何でも良かった70年代末〜80年代初頭のパラダイム。角川のスニーカー文庫を筆頭に各社がよく判らぬままにファンタジーという言葉を叫びながら狂奔した1980年代末〜1990年代初頭のパラダイム。
 このどれもが一時はバブル的な大膨張を見せ、崩壊した。
 もちろん、始められたジャンルは無くなる訳ではない。パラダイム・シフトの後は、規模が縮小しつつも、かなり長期間、細々と続いては行く。しかし、往時の元気は無いのである。
 ライトノベルではないが、SFのアイデアの一つだった過去改変だけを取り出して作られた架空戦記というパラダイムも、同じような経緯を辿った。いや、辿りつつある。

 それを思えば、今、ライトノベルの中核をなしている萌えという最新の(?)パラダイムも、いつしか、起爆剤としての寿命を終えて、次のパラダイムにその座を譲り渡すことは確実だ。いや、というより、経済サイドから「萌え市場に注目」などと云われはじめた以上、崩壊は目前と思った方が良いのだろう。
 そして、この「萌え」崩壊の次のパラダイムがライトノベルの外から来たモノだった場合、ライトノベルという世界が吹っ飛んでしまうことの可能性は捨て切れない。
 朝松さんの日記を読んで、官公庁のごとく永遠に不滅と信じていてはいけないものがあることを、ちゃんと認識しておきたいなぁ。と思った次第だ。
 

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2004/09/22

映画村で『忠臣蔵』らしいぞ

 その昔、ゴーグルファイブとかが現役だった頃、大学生だった神北は、ヒーローショーのバイトをしていた。とはいえ、身体を使うことは苦手なので、音声担当などの裏方がほとんどだったのだが……。
 だから、ヒーローのライブアクションというものには、割と興味がある。
 とはいえ、今行なわれているほとんどのショーは、既製品だ。一般的なシナリオと、それに合わせた、テレビの役者さんの声の入った音声素材が、コスチュームと一緒にセットになっている。これを、そのまんまなぞれば、ちゃんとヒーローショーを構築出来ると言う、スグレモノだ。
 もっとも、劇団の外郭団体で、本格的に芝居をやっている役者さんも多かった我が巣山プロアクションクラブは、そういった既製品に一切頼らず、シナリオは書き直すわ、セリフも完全にPAによる陰マイクで変えてしまうわ、何世代も前の買い取った怪人の着ぐるみをオリジナル新幹部に見立てて登場させるわ、BGMも自分たちで作り直すわ、自由自在だった。なぜわざわざそういうことをするかと言うと、ライブのアクションにちゃんと息の合った言葉が入るというのは、ホンモノとはいえ録音の声を使うことより、迫力で大きく勝るのだ。
 ピンクを人質に取られたブルーが、「卑怯者め!」と叫ぶと、「それは私にとって褒め言葉だよ」と高笑いする怪人なぁんていう、燃えるシチュエーションを、掛け合いの中でほとんどアドリブでどんどんと作り出して行けるライブの感覚。それが、臨場感を呼び、迫力に繋がるのだ。
 だが、どうやってもかなわないヒーローショーというものがある。東映本隊が協力している、後楽園などのショーだ。もちろん、JAC(当時日本一と言われた、千葉真一さんに率いられていた、アクションクラブ)のメンバーが多数出演していること・テレビの役者達がゲスト出演することなど、とても贅沢な布陣を敷いており、会場も仕掛け満載の専用ホールが使えると、我々が主要な仕事先とした、スーパーマーケットの特設会場(ほとんどの場合が、店内の催事場か、屋上か、駐車場ということになる。メインの舞台からソデまで客の前を十数メートルは走らないと辿り着けないなんて言うこともあるし、下手をすると上手一方しか人が出入り出来ないということも多々ある)とは比較にならない。
 映画村オリジナルスペシャルショー『仮面ライダー忠臣蔵』というイベントがあったらしい。落ちるシュークリーム//Falling Cream Puffレポートが載っている。
 お話は、『剣(ブレイド)』の世界に『555(ファイズ)』とオルフェノクを登場させたようなもの。両方の番組をそんなに面白いとは思っていない神北は、かなり辛い点をつけちゃうけど、この2つの世界観をガラガラと崩すことはなかったので、まあまあ上手いお話しなんだろうし、ファンにとっては美味しいんだろう。
 お話は、キラー細胞を悪用しようとする吉良博士と浅野研究員、大石研究員が出て来る以外、特に忠臣蔵というスパイスはない。どちらかといえば、時代劇の故郷、映画村でやっているという地縁が、一番忠臣蔵に近いのかな。だから、陣太鼓の音に鼓舞された47人の仮面ライダーが敵基地に切り込み、みんごと大首領の首級を上げると言う話を期待してはいけない。

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特殊部隊に入りたいッスだぞ

 本を一冊紹介しよう。
 『軍曹! 特殊部隊に入りたいッス。 —これでキミもグリーンベレー?—』三島瑞穂×小峯隆生(並木書房 1500円)という本が出た。著者二人のうち三島ボブロスキー瑞穂さんは、元米陸軍軍曹で、グリーンベレー歴21年の超の付くベテラン。1959年志願入隊、ベトナムで戦い、その後、情報・作戦主任、潜水チーム隊長を歴任し、1980年に退役。以後、セキュリティーコンサルタントの傍ら、多数の著書もある、日本語で米軍の生の戦場を語れる第一人者。もう1人の小峯隆生さんは、三島さんが入隊した1959年に神戸に生まれ、海外に渡って経験を積む。銃や戦闘・特殊部隊に関する造詣が深く、小説もモノするマルチクリエイター。小峯さんが聞き役となって、三島さんの話を聞く形でまとめられたこの本は、米陸軍特殊部隊グリーンベレーが、いかにして力を蓄え、いかにして戦い、いかにして祖国に勝利をもたらすのかを、具体的に描き出して行く。
 全編が軽妙な会話体で書かれ、どんどん読み進むうちに、いつの間にか、ベトナムに始まり、アフガン・イラクまでのグリーンベレーとその闘いについての知識が入って来る。特殊部隊に造詣の深い人にとっても珍しい話がちりばめられ、バランスの良さにおいては興味を持ち始めた初心者の入門書としてよい。
 三島軍曹秘蔵の写真や、小峯さんが走り回って手に入れて来た貴重な写真が雰囲気を盛り上げる。所々に入る上田信さんのイラストがまた良い。ついでに言えば、説明にチョコチョコ入っている神北の地図は、広い心で見てやっていただきたい。
 

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2004/09/21

不揃いな真空管達だぞ

 『TV-g@me テレビゲームとデジタル科学』という展示会を、国立科学博物館に見に行って来た。うちの夫婦は、ふたりともこの科学博物館——最近では、自分から「かはく」と書いて、親しみ易くしようと努力中——が好きで、上野のお山に行く用事の7割は、ここ。残りの3割中2割が国立博物館で、その他の用事は1割程度と言う、かなりの科学博物館偏愛主義者だ。
 テレビゲームにかこつけているし、たしかにスペースも多く割かれているが、真の目的は、ゲームウォッチからプレステ2までを端から眺めることではない。
 劈頭の展示は、電子化される以前の「自動計算機」。つまり、パスカルの計算機(1642)とバベルの階差機関——つまり、ディファレンス・エンジン(1833)——(まあ、写真ですが……)。その時点で取り得るあらゆる手を使って、今は人間の頭でしている計算を、なんとか機械にやらせよう、やらせてしまおうと言う、人間の業が優美な形をなした、中世期の美しい工芸品。一番新しいところでは、タイガー計算機以前の日本製計算機中最大のヒット作矢頭良一の自動算盤(1902)。
 そして、それに続くのが、今回の目玉ENIAC(1946)だ。もちろん、日本に持って来られたのは、総重量30トン中、ごくごく一部で、真空管が一列に並んで28本嵌まった最小単位の計算回路ユニットが一つだったわけだが、それでも、それは先達の作り上げた夢の機械だ。無論それは、核兵器開発の為の基礎計算をさせると言う悪夢でもある訳だが、電子的な動作でプログラムを組み込んだ機械に何かをやらせると言う考え方が最初に形を成したということは、あらゆる背景を消し去ってなお、余ある金字塔と云える。
 ちなみに、これは、真空管のフリップフロップを使った10進1桁を記憶するリングカウンタだそうで、それを10個合わせて1ワード(10進10桁)分のアキュムレータを構成するという話だ。ということは、アキュムレーターひとつで今のパソコンラック一台分ぐらいは占拠してしまいそうだ。
 そういや、IBMの古いコンピュータを使うために、パック変数とか習ったよなぁ。当時のコンピュータは、基本的に2進数ではなく、10進で一桁づつモノを考えていた訳か。
 この、ほんの小さなENIACの一部分の展示の周囲には、1940年代のアメリカ人男女が大勢、その調整やプログラミングのために電子計算機の周囲で立ち働いている写真が多数掲示されている。そのどれもが、薄暗い部屋の中で厳然と佇む黒光りする電子計算機と、ハリウッド映画に出て来そうな1940年代ファッションのアメリカ人男女であり、「ああ、このコンピュータは、きっと人類に対して叛乱を起こしてくれるに違いない」と確信するに足る、威風堂々たる姿をしている。

 そのアメリカにおける誕生から10年。1950年代の中頃から、日本でもコンピュータの試作や運用が始まる。通産省電気試験所のETLシリーズは、ENIACが真空管でやっていたことを、トランジスタにリプレイスし、極めて小さく作り上げた。実に、ソニーのトランジスタラジオの誕生とほぼ同期して、日本のコンピュータはトランジスタ時代に入る。小さく造るトランジスタ化、少々速度は遅くなるが極めて安価に造れるパラメトロン方式など、小さい・安い・安定運用という、そこからこっちの日本製品を象徴するような進化が、この時代に始まった。その取っ掛かりのコンピュータが、いくつも展示されている。

 かくして、60年代は、戦略商品としての大型コンピュータが多数開発され、大企業の電子化が始まった。この大型コンピュータの時代を経て、1971年。嶋正利さん等によって、集積回路、インテル4004が誕生する。
 ここからが、今回の展示のメインとなる。
 4004・8008・8080・6502・Z80・6809、そして、8086・68000。CPUの急速な進歩に合わせて、1974年のアルテア88001976年のアップル、日本製TK-80等と進み、77年のアップル][へと至るパーソナルコンピュータの流れ。
 ニューヨーク集プルックヘイブン国立研究所のウィリー・ヒギンボーサムが、1958年にアナログ回路で電圧を調整して造ったオシロスコープ上の対戦テニスゲームを皮切りに、有名なPONG(1972)を経て、ファミコン(1983)に至るアーケードゲーム&家庭用ゲーム機の流れ。
 そして、alto(1975)に始まり、Macintosh(1984)X68000(1987)等を経て現在に至る、高機能パーソナルワークステーションの流れ。

 こういう、いくつもの流れが、怒濤のように加速する中で、ゲームという需要、ゲームをする為のスペック要求、対戦・通信・新デバイス等々の新しい提案が、デジタル科学をいかに押し上げて来たかということが、ジンワリと判って来る。

 まあ、テレビゲームで子供達の気を引きながらも、コンピュータの歴史を学べると言う。なかなか欲張りで、良い展示だった。

 ちなみに、一番感心したのが、ENIACの28本の真空管。じつはこれ、かなり不揃いなのだ。もちろん、当時の写真を見ると、綺麗に揃っている。だが、現物には、いろんなメーカーのものが混ざって挿されているようだ。ということは、寿命で切れて行く真空管を使った機械ををちゃんと稼働状態に置いておく為に、電気的に同等であれば、別タイプのものや別メーカーのものを遠慮会釈無しに挿して行った所為と思われる。目に見える技術屋の執念。これを見ずしてコンピュータ社会は語れない(?)。

 この展示、2004年7月17日〜10月11日なので、先が短い。まだ、ENIACを見たことの無い諸君、是非、エニー(の一部)に会いに行ってやって来て欲しい。

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2004/09/19

納涼船に乗ったぞ

 東京湾納涼船と言う東海汽船の船を使った日ごとのイベントがある。7月1日から9月20日までの間、毎晩19時15分に竹芝桟橋を出航。約2時間で、東京湾の奥の方をコリっと回って来るミニクルーズだ。デッキに簡易なテーブルや椅子を満載し、生バンドやダンサーを乗せ、早い話が、水上ビアガーデン。
 2004年9月18日。もうあと3日で今年の航海も終わりと言う、どん詰まりの納涼船に乗った。有り難いのやら罰当たりなのやらよくは判らんが、9月も半ばを回ったのに、まだ日中30度の夏日が続き、この日も、風に心地よい乾きを感じつつも、もうお馴染みになった摂氏30度を超える熱さに身悶えると言う、平成16年の九月らしい日だった。絶好の納涼船日和と言わずして、何と云おうや!
 乃木坂で従妹の結婚式に出席し、銀座まで出て一息付いた後、神北夫婦は竹芝桟橋を目指した。
 桟橋まで着くと、納涼船を目指す善男善女の列が、もう何百人も並んでいる。とりあえず、G-con東京企画局の中核で、納涼船の首謀者、辻堂くんに連絡する。程なく迎えに来てくれて、みんなと合流。
「全部で19人。大所帯ですよ」
「場所取りは大丈夫なのか?」
「雑魚寝用の二等船室が宴会座敷になっていて、一角押さえてありますから、場所はバッチリです。あとは食い物は場所取りの為の最低のオードブルしか用意してないので、各自で……。飲み物は、ビールもソフトドリンクも、フリードリンクですが、これも各自で取りに行かないと行けません」
「どっちにせい、中入ってからだな。」
 結局、神北家の参加費は、先週の秋葉原ワシントンのホテル代と相殺ということになる。
 しばし待つ内に何人もの参加者が。とりあえず、一塊になって、遅れているメンバーを待っている。
「よし、じゃ、後は案の定遅れている武田警備隊長以外全員ですね」
「並ぶか」
「並んでいてください。僕は、今、ゆりかもめで駅まで来る武田隊長を捕まえに行って来ます」
 だが、既に千何百人の待ち行列が出来ていて、うねうねと広場中に、のたくっている現状、とても、列の最後尾を探しに行けるような状態じゃない。列のノタくるカーブのところで、最後尾がやって来るのを待つ事にする。10分程流れて行く人を見ていると、武田くんがやって来る。
「あれ、辻堂は?」
「いま、電話で話しましたよ」
「それできみを迎えに駅まで行ったんだけど」
「え?」
 武田くんが電話して、もう自分はこっちに来たからと伝える。が、なかなか辻堂が戻って来ない。おかしい。
「辻堂どうしちゃったんだ? もっぺん電話してみそ」
 電話で確認してみると、辻堂は既に船に乗っているとのこと。
「何がしたいんだ? ヤツは……」
「さあ……」
「まあいいや、あと二うねりほどで最後尾だから、その後に着くぞ」
「OK」
さらに10分ぐらい掛かってやっと列に入り動き出す。と、改札口が近付いて来たところで武田くんが聞いて来る。
「で、ぼくのチケットは誰に持っていていただいてるんですか?」
「辻堂だろ」
「入口で待っててくれるのかな?」
「彼奴のことだから、中入って、寛いでるんじゃないか?」
「ええ?」
「電話してみそ」
びぽば……。
「うわぁ、ツナガラネぇ」
「またかい!」
 辻堂の電話は、繋がらないと、やたら長い留守電録音を促すメッセージの入った留守録センターに取り次がれてしまうのだ。
 仕方ないので、武田隊長を改札前に残し、残りのメンバーで乗り込む。長い乗り込み用通路を歩いている中で、辻堂を呼び出す船内放送が。船に入ったところに辻堂が居た。
「おい、武田をどうするんだ?」
「みんなと合流したって言うので、一緒に乗船するよう云いましたが、何か?」
「何かじゃねぇ。お前が武田のチケット持ったまま入っちまったから、彼は改札の外で置いて来た」
といったとたん辻堂の顔色が一変。
「改札まで行って来ます」
「当然じゃ」「走れ」「たわけ」
 罵声を背に人波を押し分けて走って行く辻堂を見送った我々は、取り敢えず船室へ案内される。高校の修学旅行で乗せられた昔の客船の二等船室って言うのは、艦内図で壁として描かれているのが、手すり程度の高さまでの欄干のようなもので、がーっと広い場所を形式上区切っただけだったのだが、二等船室と言う認識を改めた方が良いみたい。この船のは一応ちゃんと区切られた独立した部屋になっている。
 とはいえ、部屋はあるものの、とりあえず、場所確保の為に辻堂が買っておいてくれたオードブルだけでは、あまりにも貧弱。
 まずは、フリードリンクをある程度取って来たものの、肝心の辻堂が戻って来ない。
 「もう待てネェよ」
「じゃ、乾杯の練習っちゅうことで」
 まずは乾杯。う〜〜。なんだか、船がターンを切っているのか、船室がナナメになっているぞ。ま、いいや。
 しばらくすると、やっと武田隊長を連れた辻堂が戻って来る。当然乾杯。
 しかし、どう考えても、食い物も少ない。
「千円か二千円づつ集めて、買い出し部隊を編制してだな……」
「わかりました。じゃ、千円づつあつめ……て、一万円しか無いや……」
「つ、辻堂先輩。ごちそうさまです」
「あー、えー、くそ。おごるよ、奢りゃ良いんだろう」
「有志からも集まった幾ばくかを持って、辻堂買い出し部隊出動。

 今回、岐阜からは、研修があって出て来ていた加藤くんとともに、実質上企画の中核としてふんばってくれた森田くんも来てくれている。陣容を見るに、かなり本格的なご苦労さん会だ。まあ、うちの嫁や佐々木家の家族など、直接企画には関係していない参加者も多いが、基本的に関東勢で企画のMLに呼ばれた人が中心ということか。
 ネット上のレポートなどを読む分に、なんとかG-conも参加者からは比較的良い感想を貰っているようで、ここに集まった人たちの尽力が、その何割かを支えた訳だ。神北個人としては、企画こそ2つ持ち込んだものの、企画局としての手伝いはあまりしておらず、目につくところでは、どちらかと言うと事務手伝いのような仕事が多かったが、まあ、何かしら手伝った大会が何とか終わってご苦労さんと言う集まりに出られるというのは嬉しいものだ。

 いつも、SF大会で警備を担当している武田くんが、2006年の大会では企画部長を務めると言う。実は、神北は、しばらく前にこの人事を聞いたときから、非常にいぶかしんでいる。何故かと言うと、彼は、ゲストと交渉して企画を作り上げたことも、企画担当者として司会して企画を回したことも、企画張り付きとして企画番をしたことも、ほとんど無い筈だからだ。もちろん、フロア長として各担当者をコントロールして何本かの企画を並行管理したことも、多量の機材の調整をしたことも、ゲストの管理をしたことも、タイムテーブルをいじったことも、何一つ経験していない。なぜなら彼はずーっと、1992年以来十何年間連続して警備担当を勤めて来ていて、準備作業を手伝ったことはあっても、中核になって企画を組んだり、ましてや当日に回したりした経験は無い筈だからだ。
 SF大会の企画を纏めるというのは、大変な労力と、ノウハウと、判断力と決断力、そして責任能力が必要となる。
 まず、企画一本一本を組み上げる能力。これが必要だ。むろん、素人でも、コケの一念さえ在れば、年に1本2本の企画であれば組み上げることも出来よう。準備期間も潤沢に取れる。しかし、日本大会ともなれば、大会実行委員会側で50本〜100本程度は企画を用意しなければならない。日本大会の企画局員の多くは、こうした企画を5本から10本、多い場合は30本近くも、1人で抱え込む。電話で連絡を取るだけのことでも、ゲストをはじめとする企画協力者全員との信頼関係を構築しつつ企画数本分の電話を掛けるとなると、それだけでも相当の時間を取られるし、それぞれの交渉内容を管理するためのメモやリストを作っていれば、実際に話をしている以外にも、どれだけでも時間はかかってしまう。しかも、日本SF大会は、専属のプロイベンターがやっている訳ではない。普通に仕事を持っている人間が、日々の仕事を終えてから、または休日に、少ない時間を使って活動しているのだ。更に、企画局員にも経験差があるから、慣れた企画局員は、経験の浅い新人にノウハウを教えながら、自分も多くの企画を担当することになる。当然、この時、「教えるより自分でやった方が速い」と言っていては人は育たないから、手慣れたベテラン企画局員というのは、いろんなノウハウを抱え込んだ上で、二歩も三歩も先読みをしつつ、「ああやってみたらどうだ?」「こう対応してみたら良いんじゃないか」とアドバイスを入れて行く。普通の日本SF大会の企画局というのは、局員全体で20人〜40人程度、その中で中核になる何度も大会を経験しているベテラン局員が5〜10人。それ全体を纏めるのが、企画局長ということになる。
 次に、資源管理能力。持込企画の立案者にはあまり必要ないが、大会で企画を纏める立場になると何より大事なのが、この能力だ。例えば、会場。部屋数は有限だ。ということは、ある時点で行なえる企画の上限は自ずと決まって来る。しかも、この企画はこういう特質の部屋でなければならないということも多いから、単に割振れば良いというものではない。次に機材。最近ではビデオ機材を必要とする企画も多いし、ホワイトボードひとつ取っても全企画に行き渡らない場合だってあり得る。また、クイズ企画の早押し装置など、企画によっては特殊な機材を必要とするので、どこかで借りて来るなり自作するなりと云う調達法を含めて機材をコントロールしなければならない。造るとしたら誰に頼むか、借りるとしたらどこから借りるか、という人脈も重要になる。そして、お越しいただくゲストをはじめとする企画出演者。こうした様々な条件を勘案し、最も効率よく、もちろん同一出演者の出演企画がバッティングすることないように、タイムテーブルを組み上げなければならない。更にこれに、会場の電力容量や、機材移動・人的移動の動線の勘案。伸びそうな企画は後の時間枠を空けておくような配慮、仲の良いゲストはお互いの企画を覗きに行くことが多いから、バッティングは避けた方が良い等と言う、書かれただけのデータリストには顕われ難い、肌で感じて憶えなくてはならない経験則等まで含め、数多くのことを逐一チェック・判断しながらタイムテーブルを組む能力が必要となる。更に云えば、企画全体のバランスや、同じ方向性の企画が出来うる限り重ならず、ストレス無く好きなものが見に行けるように、企画内容全部を把握した上で傾向を考慮することも必要になる。
 無論、これは、すぐに出来るようになる話ではない。
 たとえば、準備段階の話をすれば、5本程度の企画を立案し、インスパイアするだけでも、大変な労力がかかる。普通の企画一年生では、このぐらいがどんなに頑張っても、行き着ける限度となろう。次に、何人かの面倒を見るようなベテラン企画局員。知る限り最も早い例で、スタッフ二年目でここまで到達した友人も居るには居るが、普通は四〜五年は日本大会や地方大会で企画担当の経験を積んだ人たちが多い。また、こういったラインスタッフに情報を提供するゲスト管理・機材管理・タイムテーブル管理等のバックアップ・スタッフの仕事もある。総数200人程度の小さな地方コンベンションならともかく、日本大会規模となると企画数も規模も大きく、パッと見に全体が見渡せないから、企画局内で情報を整理整頓して管理し、企画局員に広報するための企画事務という部署すら必要になる。そうした組織全体を見渡し、組織の中で遅れている部分を確認しては、その仕事を分割して負荷を軽減する等の、全体を見通した判断と処置を行なう管理も必要となる。
 実行委員長というのは、存外簡単な役職で、こんな大会をやりたいという強固な意志と、それのための方法論さえあればすぐにでもできる仕事だ。事務局長というのは、ちゃんとしなければならないことを理詰めで理解出来ていて、事務能力があれば、できない仕事ではない。アドバイスをくれる人さえ居れば、社会人を数年経験している人ならば、たとえ突然スタッフになったとしても何とかできる仕事だ。しかし、現在の日本SF大会の企画局長というのは、他に類のない仕事だし、経験してみないとどうしても読めない膨大な仕事量がある。また、当然ながら、状況を説明出来るプレゼンテーション能力と、様々な事態に対して(出来れば瞬時に)解決策を考えて指示を出す指導力と、その後ろ盾となる豊富な経験も必要だ。一種、職人の頭領のようなものである。理屈や理詰めで何とかなるものではなく、相当量の経験と時間が必要となる。
 こう云われても、どんなものやらよく実体は判らないかも知れないが、とにかく一朝一夕に到達出来る境地では無いということは、お解り戴けることと思う。
 スキンヘッドの警備隊長として有名な武田くんが、前々から企画をやりたがっているという話は、聞いているし、その意気は非常に買う。買うのだが、ほとんど未経験から突如として企画局長と言う人事で回せる部署とは思えない。彼が云うには、来年は警備も担当しつつ、少し企画を受け持って経験を積むのだと言う。しかし、少しで大丈夫なのか?

 結局、もし日本大会で企画というものをちゃんと回そうと言うならば、何年もかけて、何度かの一般参加を挿みつつ、企画スタッフ。企画群責任者。企画事務。等を歴任して、ひとつづつ仕事を憶えるしか道はない。
 しかし、もう武田くんには、2006年大会までの二年弱の時間しか残されてない。これを何とかする方法は2つしか無い。
 1.武田くんが企画局長を辞して適任者を据え直す。
 2.武田くんが猛烈な勢いで修行して適任者に成長する。
なんか究極の選択をしいているように思われるかも知れない。だが……、
 3.武田くんがこのままたいして成長もせずに企画の中核に居座って、結局、企画局が回らない。
……という最低の結果は避けて欲しいのだ。過去の例で実際にそのようなことが在ったのだ。それを同じ大会のスタッフとして傍で見ていた1人でもある武田くんが、最後にどういう判断をするのかは重要だ。
 その、企画がガタガタになって大騒動になったという過去の大会の事例を引いて、同じことを繰り返すなよというコトを、折角の機会なので企画のキモをわきまえた何人かの企画系スタッフとともに、武田くんに話をした。

 で、どーなったかというと、神北は、「なんでこんな場所まで来て、湾景を楽しむでもなく、いつもと同じような話ばーっかりしてるかなぁ、この人たちは」と女房に呆れられたのであった。
 マイッたなぁ……。

 あ、しまった。辻堂から相殺分の残り金額を取りっぱぐれてるじゃネェか!

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お前、へべれけだぞ

 話は先週の土曜日に遡る。
 2004年9月11日、世間が3年前のニューヨーク貿易センタービルの惨劇の記憶にうめいていた頃、我々は、秋葉原の駒八で大騒ぎをしていた。2000年の日本SF大会『ゼロコン』の実行委員会の有志が、その後もなんとなく集まり続けて、いつの間にかオープンなSFモノの宴会として定着した駒八会である。
 この日は、ただでさえ、いつも使わせて貰っている、大人数入る奥の席の方が予約が入って埋まっていて、いろり式の一般席になったというのに、SFファン交流を考える会のメンバーが、突然。会合流れで合流して来て、予想以上に人が増えてしまった。一応「この日」と予約を入れているとはいえ、参加自由のフリー宴会は、こういう時に弱い。なんせ、人が来ててみるまで誰が来るなんて全く解らないのだ。ちゃんと人数を決めて予約を入れて来た他の団体の方がいい席に優先されるのは致し方ない。
 とはいえ、厨房と座敷席の間にある囲炉裡席から通路の方まではみ出して、通行の邪魔になりつつも大騒ぎをしている我々と、お店と、どちらが大変だったかと言えば、まあ、文句の云える立場ではない。
 いつもありがとう御座います。駒八さん。

 で、この駒八で、帰ろうとしたら、へべれけになっている男がいる。今年の岐阜で若手企画有望株三羽烏と呼ばれていた新人三人の内の一角、加藤くんだ。
 「いやあ、会社の研修で東京既ていたんで、偶然、辻堂さんに誘ってもらったて初めて来てみたんですが、話が面白くって、お酒美味しくって、どんどん呑んじゃいましたァ」
「で、辻堂は?」
周囲から「しばらく前に、明日仕事だって帰っちゃいましたよ」という声が……。
「で、加藤くん、今日の宿はどこ?」
「やど? いや、僕、帰れますから」
 この時間だと、大垣行き夜行列車ムーンライトながらか、名古屋行き夜行ドリーム号か……。
「鈍行コミケ号(大垣夜行の別名)で帰るのか?」
「え〜、あんな時間のかかるの嫌ですよ」
……ったってお前、もう11時。それより早く名古屋に行く手段は、もう残ってないよ。バスの方が更に遅いからね。
 だがなお、彼は「大丈夫ですよ」と云い続ける。
 なんとか店の外まで出したものの、ふらふらふらふら。このままでは、秋葉原の駅(200〜300メートル先)ですら行き着けまい。
 「しかたねぇな。秋葉原ワシントンに放り込もう。こっちも終電があるから、そうそうゆっくり安い宿を探している閑はねぇ」
 とにかく、場所が確実に判っているホテルということで、何人かで、彼をワシントンに連れて行くことに。しかし、これがなかなか大変。
 今年のG-conを手伝って、加藤くんとは顔馴染みの福薗くん、塩坂くん、神北で、歩くだけでぐわらんぐわらんスイングする加藤くんを交代ごうたい抱え込んで、夜更けの秋葉原を護送。女房のむらさきを走らせて、ホテルにシングルルームを取らせて、後から行列は静々と(?)フロントへ。
 しかし、ここからが大騒ぎ。
 「じゃ、加藤くん宿代は払ったから、あとは君、住所と氏名を宿帳に書いてくれ」
「ち、ちょっと待ったぁ。こんなに親切にしてもらえる筈が無い。みんな、何かを企んでいるんでしょう。俺はどこかに売り飛ばされるんだぁ」
「ンなわけねーだろ、早く書け!」
「いやだー、ころされるう〜」
「良いから書けよ」
「うわ〜」
「あの、お客様。ご本人でなくても良いので、とにかくお書き戴けますか?」
「あ、苗字だけで良いですか?」
「フルネームでお願いします。何かあった時に対応取れなくなりますんで」
後では更に「うぎゃー、た〜すけてくれぇぇ」と叫んでいる酔っぱらいと、宥めている三人。こりゃ、何かありそうだと思われてるなぁ……。
 「加藤くん、フルネーム居るんだって、君、下の名前は?」
「そんなもの教えたら、外国に売られちゃう〜。いやだー。俺は岐阜に帰るんだぁ〜」
こんな酔っぱらい、買った方が困るわい。
「こりゃ、本人からは聞けんな。塩坂くん悪い。あのバカに電話して加藤のフルネーム聞き出してくれ」
あのバカですね。了解しました」ピポパ……。「だめです。あのバカは、例によって留守電です」
「ちっ。辻堂くんは捕まらんか、仕方ないちょっと加藤くんを見ててくれ。」
 塩坂くんと福薗くんに加藤くんを任せて、岐阜の森田くんに電話。
「どうしました?」
「君んトコの加藤くんな」
「はい」
「今、へべれけに酔ってるんで、秋葉原でホテルに泊める」
「はい。すみません」
「で、ついては、宿帳にフルネームが要るんだが、知ってるか?」
「本人は?」
「これは自分を外国船に売り飛ばす為の罠だと言って、口を割らんのだよ」
「何んスか、そりゃ……。ちょっと待ってね。あー、漢字は不確かですが、たしか……」
「ん、ありがとう。で、すまんが君。今、加藤くんに替わるから、金は神北が出したから、何も心配せずに、今日はここで泊まって明日帰るように云ってやってくれんか」
「はい」
 電話を加藤くんに渡して神北は宿帳を書く。住所までは聞き出せないので、住所と電話は神北宅を指定。
電話を切った加藤くんが、電話を返して来た。
「森田なんて云ってた?」
と聞く。
「今日はここに泊まれって云われました。でも、俺、そんなお金……」
「お金は払ったから」
「そんな、親切な人が居るワケが無い〜」
……堂々巡りである。

 やっと鍵を貰って、10階のシングルへ。とにかく、「殺される〜」「売られる〜」「そんなにまでして、俺の何を奪うんだ〜?」と、逃げ出そうとする加藤くんを男3人掛かりで連行。部屋に入れ、ベッドに座らせる。
「こんな良い部屋に泊まらせてもらえる訳が無い。何か企みが゜あるんだー」
「いいから寝なさい。いいね。僕らも終電があるから、帰るからさ。判るだろ?」
「えー。あー」
 とにかく、酔っぱらいは少し静かにしていれば寝てしまうだろうと、4人は帰ることに。

 「やー。お疲れさまでした」
「いや、なに」
気のいい仲間である。
 で、エレベーターホールでエレベーターを待っていると、福薗くんと塩坂くんが「あっ!」
「どうした?」
「今、加藤くんがむこうの廊下を変な方向に歩いて行きました」
「へ?」
「あ、ヤバいぞ。鍵を閉め込んだんじゃないかな……」
 塩坂くん、福薗くん、むらさきが飛んで行く。神北はフロントへ電話。
「すみません、今、酔っぱらいを部屋に入れた○○○○号室ですが、外に出て鍵を閉め込んじまったようなんですよ。マスター持って来ていただけませんか」
「はい、承知いたしました」
呆れられている。明らかに呆れられている。言葉は丁寧だが、完璧に呆れられている。
 慌てて云ってみると、三人に拘束された酔っぱらいが……。
「今、ホテルの人がマスターキー持って来てくれるから」
「うわー。また閉じ込められるぅ」
こいつは……。

 五分か十分待って、やっとホテルマンがやって来てくれた。鍵が開いて、元の部屋に。
「おい、塩ちゃん。もっぺんあのバカに電話入れてみてくれヤ」
「了解、もうそろそろ帰り着くだろうから、家の方にかけてみましょう」
 辻堂くんがやっと捕まる。
『もしもし、辻堂です。すみません、加藤くんがどうしたんですか?』
「お前が酔わせて放って帰った加藤くんが帰れなくなって困ってるんだよ」
『いやだって、ボク明日仕事ありますから』
 なんだ、コイツは。仕事だっていうのが、ナニか、友達を放ったらして帰ったイイワケになっているつもりなのか?
「お前の仕事の都合なんか、俺たちの知ったことじゃねーよ。お前が誘った友達を放り出して行ったからこうなってんだぞ。」
『じゃ、僕、今から車でそっち行きます。…………だいたい1時間半ぐらいで着きます』
「それまで待ってられねぇよ。(だいたいお前、さっきまで一緒に酒呑んでて、まだアルコール抜けてないだろう?)……こっちにも終電があるんだ。もう11時半回っているんだから」
「僕、自分で帰れますよ」
てめーの酔い方では、どうやっても帰れねぇよ! この酔っぱらいがぁ!
「なあ、辻堂くんよ。そういう訳で、こっちゃ時間が無いんだ。頼むから、バカなこと云ってないで、この酔っぱらいを今日はここに泊まるように、費用の心配は要らないって説明してやってくれ」
『ハイ、判りました』
辻堂の説得……。
「はい……ええ。でも……はぁ」
なんとか説得が始まった途端。
「んぐっ!」げろげろげろげろ……。
わわ、やっちった。受話器をひったくり、「つ、辻堂、いっぺん切るぞ」
 マトモに喰らったシャツを脱がせ、トイレで残りを吐き出させる。ベッドのシーツカバーはまったくだめになっているから、ひっぺがし、フロントにかわりを持って来てくれと頼む。部屋のバスからタオルを湿らせて持って来させて、チノパンを拭きつつ、シャツは洗面所で洗う。
 濡れシャツは下たる水気を絞った上で、乾いたバスタオルに包んで更に絞る。それを衣紋掛けに通して、換気扇を回したバスルームの中に干し掛ける。
 腹の中のモノを出したら、冷や汗でも出たのだろうか、ちょっと落ち着いた加藤くんに、また辻堂くんから電話。
 辻堂くんにハナシを付けてもらいつつ、後始末。フロントからホテルマンが来たので、じゃ、シーツ換えてくれというと。
「あ、やっていただけますか、では宜しくお願いします」
とか何とか云って、そそくさと撤退。面倒臭かったんだなぁ。そりゃ嫌だろこんな客。
 なんとか加藤くんが理解してくれたので、我々も帰ることに。乗り継ぎの関係で終電が早くなる塩坂くんはちょっと先に帰っているので、福薗くんと神北夫婦の三人がホテルを出たのは、12時丁度ぐらい。地下鉄の駅の方へ行く福薗くんと別れて、へろへろになって歩いていると辻堂くんから電話。
『あ、どうも。どうですか?』
「今、とりあえずおちついたみたいだから、置いてホテルから出て来たところ」
『すみませんでした。で、ホテルの支払いはどうしました?』
「取り敢えず出したよ」
『あ、じゃ、すみません。銀行の振込先教えて下さい。明日にでも振り込みます』
「来週の土曜日、また会うだろ」
『あ、そうですね。』
コイツ、本当に、自分が何をしてるか判ってねぇし、振りまいた迷惑が判ってねぇ……。

 ちなみに、翌日の日曜日、無事岐阜に帰った加藤くんから電話があった。打って変わって恐縮していた。
『いろいろとご迷惑をおかけしまして』
「あ、心配内心配ない。これに懲りずにまた遊びに出て来てよ」
『ありがとう御座います。で、領収書は取ってありますが宿泊費はどうしましょう』
「辻堂からとるから君は心配しなくていいよ」
『ハイ。すみません。』
「また、これに懲りずに遊びに来てやっちくり〜」
『あ、いや、また来週、研修で東京出張なんですよ。来週、辻堂さんの計画している、G-con東京企画局&関係者ご苦労さん会に参加予定です』
「ンじゃ、来週会おうぜぇ」

 辻堂くんからも電話があった。
『すみませんでした』
「まだ済んでネェよ」
「お金は加藤に出させますから……」
『昼間っから寝言云ってんじゃねぇ。お前が、出すんだよ』
『ええ?ぼくが、そんなヒドい!』
「ひでェのは、お前であって、俺でも塩坂でも福薗でも、ましてや加藤でもねェぞ」
『うひゃぁい』
 コイツは本当に懲りてない。

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2004/09/17

秋来たりなば反省会だぞ

 2004年9月16日。この夏、SF大会で好評だったシール企画のメンバーが集まり、反省会をした。
 平日の夕方からの反省会と、夜に入ってからの打上げだったが、有り難いことに、遠隔地在住だが、この日仕事でちょうど東京に出て来ていたメンバーが何人かいて、その人達も参加してくれた。
 反省会は、池袋西口の喫茶フラミンゴ。かつて、クリコンの月例会が池袋だった頃、毎月毎月集まってはワイワイやった、古くからある喫茶店。僕の知る限り、20年前からあまりイメージが変わってない。かつては、こういう集まって話のし易い喫茶店が東京中に溢れていたが、最近は、ドトールとかスタバとかのような、独りで本を読んでいる分には良いが、なんか大人数で話し込むのが憚られるような妙な雰囲気のコーヒースタンドが増えて、話し込める店が減っているのが寂しい。
 6時半から始める予定なので、ちょっと前倒しして6時に店には入って他の人たちを待つ。まず、安達くん・古市くん・真庭くん登場。しばらく雑談をする内に、藤澤くん・ミツルん・塩坂くん登場、なんとなく話し始めたところに、程なく竹内くん登場、と、その後に熊倉くんが。連日研修でこの日は東京宿泊だったそうだ。新技術がどんどん増えるから、ちゃんと現役で付いて行こうとすると忙しいよね。ネットワーク関係の仕事って。
 反省会では、今回のシール企画での問題点の洗い出しや、困った注文・困ったデータ・ミスなどを端から点検。次はああしよう、こうしようという解決案までいろいろと話し込む。どうも、ちゃんとした仕事をこなして行くためには、現状の倍近い人数が必要なのではないかという結論が出て愕然。ただ、今年と比べて倍以上の人数を集めようとしている来年の参加者数を勘案するに、シール屋さんも、大きくならざるを得ない。
 機材に関しては、今年、割と問題になったのがメモリースティックDuo。カード自身は普及しているものの、それをパソコンで読むための装置はあまり用意されていない。ただ、これは形は小さいもののデータ形式としてはメモリースティックと同じなので、一回り大きいメモリスティック型のソケットを被せてやることでメモリースティックとして、言用のメモリカードリーダー・ライター等で使用可能と判った。このソケット自身は1000円程度なので、来年には導入しようと決定。(いや、1000円ならすぐに買えるけど、あんまり小さいアダプタなんで、自分で使う用事がないとなると、それこそどこかへ無くしちゃいそうなんですよ……)
 各自の持っている経験を並べて、みんなで策を練ると、原因究明や改良点の提案など、かなりいろいろなデータが纏まる。これこそが経験と実績。やってみないと手に入らない最高のデータだ。しかし、それより一番重要なことが、今回この企画を手伝った全員が、今の時点でまだ来年、そして再来年と、先を積極的に目指していること。これは上り調子の企画だと言う証拠。ま、もちろん去年から始まったばかりの発展途上の企画だから当然なんだが……。

 反省会で二時間程話し込んだ後、打ち上げに移行。場所を池袋にしたのは、打ち上げを中国茶館本館にしたかった為なのだ、実は。
 前にも今年の3月23日に池袋は美味しいぞというタイトルでここは美味いと書いているが、今回は10人と大人数なので、お茶を一度に二種類取るなど出来て面白かった。
 仕事で遅れて最後に駆けつけてくれた池田くんも、開宴15分程度で追い付き、みんなで食い捲る食い捲る。とはいえ、神北・藤沢くん・塩坂くんと3人並んでいたこっち側が反対側と比べてやたらと食い物の減りが早かったのはなぜだろう。ナゾだ。きっと、横の二人、古市くん・真庭くんがどんどん喰ったせいだな。
 台湾系中華料理とSF大会のいろんな話を肴に、大いに盛り上がる。かくして、お茶を飲んだり台湾ビールを飲んだりしながら、好き放題喰らって、3500円程度。やはりこの店は良い。

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2004/09/16

『銭』が面白いぞ

 叔父と会う用事があって、池袋に出かけたついでに、某書店の漫画専門店舗に寄った。注文していた本を引き取るためだ。シフトの関係で勤労青少年真庭くんの姿は無く、寂しく帰って来た訳だが、わざわざワゴン一台全部を使って壱巻と最新の弐巻だけを平積みを並べて、大々的に一押しされているマンガを買って来た。
『銭 』壱巻・弐巻 鈴木みそ(エンターブレイン 各巻620円+税)
 鈴木みそという作家は、前から知っている。が、これまではどうもあまりオタクの深いところを突き過ぎていて、出力の大きさは判るのだが、イマイチ面白さのツボが自分と合ってないものを感じていた。いわゆるベクトルが会わないという奴だったのだろう。
 だが、この作品は、そういうベクトルの差異を感じない。いいブレインが付いたか、本人に何か閃くものがあったか。的をズラしたのか拡げたのか。委細は判らないが、ともかく、ものすごく面白い漫画に仕上がっている。

 自動車事故で死にかけた少年が気が付くと、銀行員みたいな格好のお姉さんが手術室の中空に浮かんでいた。で、そのお姉さんが言うのである。
「君はライプニッツ方式と新ホフマン方式のどっちがいい?」
 なんだそれはと聞くと、死んだときの逸失利益の計算方法だと言う。逸失利益、つまり、命の値段である。お姉さんの名はジェニー。人生・美醜・才能・etc……現代の資本主義社会においてあらゆるモノを計る基準になっているお金と言うモノが気になって、この病院の手術室の中空にずっと漂い続けているのだと言う。
 ジェニーによって、事故の時に頭のてっぺんに開いた穴が豚の貯金箱みたいだからと、チョキンと名付けられた少年は、悩み続けるジェニーを病院の外に連れ出す。かくして、二人のお金を巡る旅が始まる。

 なんだか、よく判らないが、青木雄二等の、過剰にドロ臭いマンガの、とてつもなくドンくさい被害者見ているよりゃ、よっぽどユメもチボーもある感じがして来ないだろうか?
 かくして、ジェニーとチョッキンは、ユメとチボーを求めて、漫画雑誌編集部、アニメスタジオ、コンビニ経営を、金と云う視点から見て行く。
 青木雄二のお話しは基本的に、転落人生を歩む人とそれを眺める傍観者という観があるが、このお話しは、人生模様の点描が主目的ではないので、方向性が前向きだ。苦境にあって奮闘する人は、それでも何か希望を持ち、次を目指す。各話の後が明るく締めくくられているのが、このお話の良いところ。
 壱巻が、人生・漫画雑誌・アニメ・コンビニと来て、弐巻では、ゲーセン・同人と、濃い業界の台所事情をジェニーとチョキン、そして途中から参戦のマンビの3人が巡って行く中で、お金というものを主軸にしながらも、人生を描いて行く。極めて健全かつ教育的なオタク漫画。あらゆる方に、これは是非お読み戴きたい。

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2004/09/10

裁くぞ

 被告の量刑、コンピューター任せ 山東省で「電脳量刑」という記事がasahi.comに掲載された。
 電子頭脳に裁かれるという訳である。アクダマンの裁判マシーンである。いや、あんな格好はしていないか……。
 この裁判マシーン、山東省のある街の人民法廷で導入されたそうだが、人間の裁判官より公平感を持たれているようで、3月からこっち190件の量刑を下し、控訴は出ていないとか。
 機械が人の量刑を判断することに関して、まあ、それで本当に良いのかどうかは誰にも判らないだろう。が、第一審であり控訴審は別にある訳だし、簡素化とスピードアップが図れるのであれば、これはこれで、 司法と言う公共サービスにとっては正解の1つなのだろう。
 このマシーンに、地域の祭のためのカレー鍋に毒を入れたケースや、宗教の教祖として信者に命じて毒ガスをまかせたケースを入力したら、何分ぐらいで、何と判断するであろうか? 許可された以外にこっそりと政治献金を受け取る政治家は、どう裁かれるのだろうか?
 基本的に、1300例程の刑事事件と判決を、分類、データベース化したものがあり、その裁定の上に、人間の裁判官によって対象懸案の情状酌量の度合いを入力すると、量刑が決定されるらしい。
 チョコっと、法学部の学生かだれかが、日本版を作ってみないかなぁ……。

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2004/09/09

マシンの調子が悪いぞ

 先週、祖母の葬儀から帰ってきて以来、マシンの調子が悪い。
 まず、ネットスケープのブックマークが吹っ飛んだ。吹っ飛ぶだけではなく、どこかちょっとおかしくなったらしくて(前にも陥ったことがあるが、)ユーザー設定ツールバーによく使うデータを入れておけなくなるのだ。これだけでも困ったことだが、更に困ったことに、ネットスケープの設定は、同じ仲間のMozillaでも共用しているから、これも使えなくなる。こいつはちょっと困る。まあ、同じエンジンを使うブラウザは他にも、FirefoxやCaminoがあるから、そう困るものではないが、このMozilla派生系のブラウザを自分のシステムの中核に組み込むのは、ちょっと躊躇われる。FirefoxやCaminoは、AppleScriptに対応していないのだ。まあ、普通は手で使っているので問題ないのだが、FileMaker等のアプリ内から直接ネットを開くこともワリと多いため、AppleScriptに対応していないブラウザに全てを委ねるのはちょっと恐い。
 次に、かな漢字変換が調子悪くなった。なんだか、Finder上でファイル名を変えようとすると、1歩2歩テンポが遅い。どうも、テンポが遅い原因は、インプットメソッドの方ではなく、Finderの動作がのろくたしてきた所為のようだ。
 そういうわけで、今日は全力を上げて、修復を行っている。まずは、ノートンアンチウィルスにウィルスの有無を見て貰う。続いてノートンディスクドクターで健康診断。最後にノートンスピードディスクで整体を掛ける。最近のハードディスクは80ギガとかあるから、これがまたとっても時間が掛かる。一晩がかりは必須。しかも、このノートン先生、時に落ちることもある。スピードディスクは、少しずつ進んでゆくから、落ちてもイチからやり直しということはないが、それでも、実作業に入る前の検査作業は掛け直す度に毎回同じだけ時間をとるから、どうしても時間が無駄になって行く。
 しかし、こういう一日二日がかりのノートン掛けまくり大会をたまにしないと、マシンパフォーマンスは確実に下がってくる。
 7時頃から動かしているノートンスピードディスク。一度は不正終了したが、二度目のRunのプログレスバーが今、半分ぐらいに達しつつある。まだ先は長いなぁ……。

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2004/09/05

三たび、スットコ商売(架空請求)だぞ

 これまでも、スットコドッコイ、オトトイ来やぁがれ!と云いたくなるような間抜けな架空請求詐欺を紹介して来たが、新手が顕われたので、報告しておこうと思う。
 これまでの記事は、以下に上がっているので、宜しければご覧戴きたい。
エッチサイトの課金を踏み倒したらしいぞ
スットコドッコイ、オトトイ来やがれだぞ
またまたスットコ商売(架空請求)だぞ

作品ナンバー6 「管理センター」
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作品ナンバー7 「有効期限」
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このURLの有効期限はメール到着より約12時間とさせて頂きます————————————————————————————————————————

 上の作品ナンバー6 「管理センター」は、どちらかというとまだ普通の詐欺メールだ。ただ、振り込ませるのではなく、アクセスを要求しているのが謎だ。
 下の作品ナンバー7 「有効期限」は、神北が把握している中では新手かも知れない。有害広告をハジくメールフィルタの勧誘を装った有害広告という、なんだか、押井アニメの定番シナリオのような、多層的詐術にクラクラ。しかし、3時間と期限を切ったメールの中で12時間といいだしたり、頭の悪さはナカナカのもの。

 だが、この作品ナンバー6・7の凄さは、文面ではない。実は、このメール、同じメールアドレスから発信されているのだ。

 何考えてんの?>悪い人

・・・・失礼。文面が間違ってました、 上の分を訂正。

 何考えてんの?>頭の悪い人

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それは魔法ではなくて……だぞ

 みなさんは毎日、どれほどのメールを受け取っておられるだろうか。神北の場合、毎日、購読しているメールマガジンが少々、参加しているメーリングリストが全部合わせて最低2〜3から通常20〜30通ぐらい、個人的なメールがまあ、1日1通在るか無いか、そして約100通程のダイレクトメールである。
 先日、こんなメールが届いた。一種のスットコ商売である。

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ジャパネットたかだか

内容に関するご意見・ご質問は、それぞれの企業に直接お問い合わせください。
配信停止と広告希)はコチラ
kyohi@starline.ee

……お判りだろうか有料チャンネルもケーブルテレビ会社と契約せずに無料で視聴できる魔法のようなチューナーを、僅か三万円足らずで譲っていただけると言う、夢のような広告である。スゴい。スゴすぎる。
 だが、そのチューナー、決して、広告の文言で云うような魔法ではない。こういうものを、日本語では、違法というのである。
 ジャパネットたかだかというネーミングが、泣かせるねぇ。

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ワ〜レ〜ワ〜レ〜ハ〜、ウ〜チュ〜ウ〜ジ〜ン〜だぞ

 金曜日の新聞記事だから、もはや旧聞に属する話ではあるが、英科学誌ニューサイエンティスト電子版によると、カリフォルニア大学などの天文学者チームが、プエルトリコのアレシボ電波天文台の観測で、知性体からの通信の可能性を持つ、謎の電波信号を受信したことを、明らかにしたそうだ。9月2日のことだ。

 1.未知の天文現象・電波望遠鏡自体からの雑音の可能性も高い
 2.電波は昨年2月までに計3回観測され、次第に強くなる傾向があった
 3.現在、電波は消えている
 4.電波の周波数は水素が放つ周波数と同じ1420MHz
 5.うお座とおひつじ座の間の方角から来ている

 と云うようなところが、新聞記事などに載ったこのニュースのあらまし。かぁ〜〜っ!おめえ、すっげえなぁ、オラ、ワクワクすっぞ〜!(cv 野沢雅子)という状況である。

 ま、かなり高い確率で、未知の天文現象か観測装置由来の情報、もしくはイタズラということになりそうだが、それはそれで良いのである。こういう自然現象、こういう装置の誤動作現象、こういう欺瞞発信……という、今まで予想されていなかった状況を認識出来たとすれば、なんであれ科学の進歩の1つなのだから。
 しかし、本当に知的生命体からの発信だったとして。電波漏れでなく、発信の意思のある電波であったとして、どうして、停まっているのだろう。3回あったと言う発信の間隔が判らないので何とも云えないが、三度の発信で停まっている理由も、知りたい。

 もしや、非常に時間感覚の速い種族で、彼等の体感時間としては、人の一生分程の期間を使った、とっても長い発信で、もう何世代も前の電波発信計画に予算が取れなくなって、休止してしまったのでは?
 いや、なにか、迫り来る危機に関する警告で、その危機を乗り越えられなかった彼等の文明は潰え、同時に発信も停まってしまったのでは? 次第にパワーを上げ、警告をで来うる限り広範囲に行き届かせようとした努力の顕われではないか?
 その場に何らかの世界があるのではなく、母星から遠く離れた宇宙船が定時連絡を行なったり、転進を行なった時のエンジンノイズだったため、位置がずれていったため、その方向からの発信が3度で途絶えたのではないか?
 ……てなことを考えてしまう。SFファンだから。

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2004/09/04

スイッチを入れたぞ

 2004年8月31日、夜。通夜。
 昼間は準備のために走り回る。実家は、四日市近郊でさほど田舎という程ではないのだが、農村の風習として隣組20軒の中で葬儀があると、残り19軒から、一人づつ手伝いに来ていただく。仕事は、葬儀の受付・会計と、出棺後、集落内の火葬場まで運ぶこと、骨上げまでの間、火葬場で機械の傍に付いていることだ。こういうお手伝いをして戴く人たちに、飲み食いの手配をする必要が在る。
 16時頃、通夜を数時間後に控えて、家から近所の共同葬儀場に棺桶を移す。葬儀場と云っても、神北が子供の頃は公民館として使っていた施設で、新公民館の建設後、葬祭用の祭壇を常設し、集落内各家の葬儀費用軽減・ひいては華美な葬儀の抑制のために使われるようになった建物であり、専用の葬儀場として建てられた、最近の小洒落た葬儀場とは一線を画す。
 通夜には、企画集団TDFの森岡くんや石田くんと、東京から仕事仲間でもありSF仲間でもある安達くんが飛んで来てくれた。本人は戻れないからと、地元の母上が東京に勤める本人に替わって参列して下さった友人も居る。
 喪主というのは、SF大会の実行委員長と同じで、全く自由に動けないので、あまり話すことも出来なかったが、駆けつけてくれた皆さん有り難う。
 特に、来たのを良いことに受付を頼んだり、駅までの送迎を頼んだりした森岡くんに感謝。
 その夜は、葬儀場で、祖母のお棺の番をする。企画集団TDF大代表の石田くんと、メンバーの森岡くんが、通夜の後残ってくれて、夜半過ぎまで話し相手をしてくれた。
 お婆さんの線香とろうそくを絶やさぬように夜を明かす。いわゆる通夜だが、うちの地方ではこれを夜伽という。とはいえ、10時間近く萌え続ける渦巻き状の長燃香と、最近の葬儀には付き物の巨大ロウソクの組み合わせのお陰で、せわしくは無い。

 結局、二晩、お婆さんの傍で寝ていたため、夫婦揃ってまともに眠っていないまま、2004年9月1日、葬儀当日。
 後手後手に回りながらも、フォローを当てつつ、11時から葬儀。大阪から永澤くんが参列してくれた。今年のSF大会のスタッフ活動で有給休暇を使い果たした後だろうに、本当に申し訳ない。
 葬儀の後、組の人を先頭に、花いけ・香炉・蠟燭立てをそれぞれ持つ親類3人と棺桶を乗せたリアカーを中心とした葬列が、集落の外れにある火葬場まで静々と村内を進む。行列は、死人のための行列なので、普通は前から引くリアカーを後から押す。棺桶の前後に付く灯籠を持つ人も、先頭方向の人が棺後の灯籠、行列後方の人が棺前の灯籠と呼ばれる。女が前、男が後から歩く、など、いろいろと、普通とは違える。そして六道と言って六つの角を曲がるようなコースを選んで、火葬場へと進む。本来は、この筋ごとに、道の脇に計6本の蠟燭を立て、行列が通り過ぎると抜き捨てて、亡者が戻って来れないようにするという呪いの意味があったらしい。しかし、昨今はどこでもいろんなことに文句を付ける人が居るようで、つい先日引っ越して来た人が「そんな気持ちの悪い物、我が家の脇に立てるな」と猛抗議して来た。おかげで古くから続いたこの風習を止めねばならんのだと言う。
 葬儀屋がどうも平身低頭して六道の蠟燭を止めさせてくれと言うと思ったので、後で訊いたら、我が家の葬儀が、「途中から止めた」のではなく、「最初から蠟燭を立てなかった」最初の葬儀だったらしい。前に揉めた葬儀のときの隣組の人たちの中には、抗議をして来た家に殴り込まんばかりの剣幕で、大荒れに荒れたそうだから、葬儀屋が神経質になるのもしたたないかな。
 最近は、古くからの風習が端から消えて行く。
 火葬場では、棺桶の上に参列者全員で一本ずつ線香を乗せた後、火釜に棺桶が入り、蓋が閉まる。神北は、喪主の責任として、この重油火葬施設のスイッチを入れなければならない。火葬場の機械室に入り、隣組の人に教えられて、スイッチを押す。ボッという音がして種火が付き、火釜の温度が上がり始める。機械室から釜口の方に戻る頃、ゴォッっという音に替わり、本格的に火葬がスタートする。
 父親・祖母と、二人の葬儀でこの役を執り行っているし、隣組の人間として、他家の葬儀でも何度かその場に居合わせているが、このゴォっという音には、毎回ハッとさせられる。

 祖母の骨は綺麗だった。ほぼ純白のお骨が上がった。ガンや成人病で長期間薬を使用し続けた人だと、骨に色がつくことが多いが、それがなかった。骨折部位に入れた人工関節はあったものの、ほぼ全身の骨が白かった。
 我が家の風習では、お骨は、2つに分け、数年後に京都の本山に納骨する分は自宅へ持ち帰り、火葬場からの帰りに、すぐに、ほど近い寺の中の墓に入れる。半紙に包んだお骨に祖母の名前を書き、墓に納骨する。この納骨のため、前日に墓掃除に行って、細かいブラシを使って磨き上げたのだ。
 納骨を終えて自宅に戻る道でポツリと雨が降り始めた。なんだかちゃっかりと要領のいいお婆さんだったが、葬式まで、うまく時間をやり繰りしたらしい。
 その後、隣組のみなさんに読経していただいて、葬式の全日程は終わる。
 だが、この日はそれでは終わらない。

 最近の葬式では多いことだが、この後、初七日の法要が行われた。もう、この日何回目か判らなくなっている正信偈である。
 かくして、長い長い一日は、まだ続いた。
 
 この記録の最後に、葬儀にお越しいただいた方、香典・弔電・夜伽見舞などご心配戴いた皆さんに、再度、感謝の意を表させて戴きたい。
 有難う御座いました。今後ともかわりなくお付き合いの程、宜しくお願い致します。

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