スイッチを入れたぞ
2004年8月31日、夜。通夜。
昼間は準備のために走り回る。実家は、四日市近郊でさほど田舎という程ではないのだが、農村の風習として隣組20軒の中で葬儀があると、残り19軒から、一人づつ手伝いに来ていただく。仕事は、葬儀の受付・会計と、出棺後、集落内の火葬場まで運ぶこと、骨上げまでの間、火葬場で機械の傍に付いていることだ。こういうお手伝いをして戴く人たちに、飲み食いの手配をする必要が在る。
16時頃、通夜を数時間後に控えて、家から近所の共同葬儀場に棺桶を移す。葬儀場と云っても、神北が子供の頃は公民館として使っていた施設で、新公民館の建設後、葬祭用の祭壇を常設し、集落内各家の葬儀費用軽減・ひいては華美な葬儀の抑制のために使われるようになった建物であり、専用の葬儀場として建てられた、最近の小洒落た葬儀場とは一線を画す。
通夜には、企画集団TDFの森岡くんや石田くんと、東京から仕事仲間でもありSF仲間でもある安達くんが飛んで来てくれた。本人は戻れないからと、地元の母上が東京に勤める本人に替わって参列して下さった友人も居る。
喪主というのは、SF大会の実行委員長と同じで、全く自由に動けないので、あまり話すことも出来なかったが、駆けつけてくれた皆さん有り難う。
特に、来たのを良いことに受付を頼んだり、駅までの送迎を頼んだりした森岡くんに感謝。
その夜は、葬儀場で、祖母のお棺の番をする。企画集団TDF大代表の石田くんと、メンバーの森岡くんが、通夜の後残ってくれて、夜半過ぎまで話し相手をしてくれた。
お婆さんの線香とろうそくを絶やさぬように夜を明かす。いわゆる通夜だが、うちの地方ではこれを夜伽という。とはいえ、10時間近く萌え続ける渦巻き状の長燃香と、最近の葬儀には付き物の巨大ロウソクの組み合わせのお陰で、せわしくは無い。
結局、二晩、お婆さんの傍で寝ていたため、夫婦揃ってまともに眠っていないまま、2004年9月1日、葬儀当日。
後手後手に回りながらも、フォローを当てつつ、11時から葬儀。大阪から永澤くんが参列してくれた。今年のSF大会のスタッフ活動で有給休暇を使い果たした後だろうに、本当に申し訳ない。
葬儀の後、組の人を先頭に、花いけ・香炉・蠟燭立てをそれぞれ持つ親類3人と棺桶を乗せたリアカーを中心とした葬列が、集落の外れにある火葬場まで静々と村内を進む。行列は、死人のための行列なので、普通は前から引くリアカーを後から押す。棺桶の前後に付く灯籠を持つ人も、先頭方向の人が棺後の灯籠、行列後方の人が棺前の灯籠と呼ばれる。女が前、男が後から歩く、など、いろいろと、普通とは違える。そして六道と言って六つの角を曲がるようなコースを選んで、火葬場へと進む。本来は、この筋ごとに、道の脇に計6本の蠟燭を立て、行列が通り過ぎると抜き捨てて、亡者が戻って来れないようにするという呪いの意味があったらしい。しかし、昨今はどこでもいろんなことに文句を付ける人が居るようで、つい先日引っ越して来た人が「そんな気持ちの悪い物、我が家の脇に立てるな」と猛抗議して来た。おかげで古くから続いたこの風習を止めねばならんのだと言う。
葬儀屋がどうも平身低頭して六道の蠟燭を止めさせてくれと言うと思ったので、後で訊いたら、我が家の葬儀が、「途中から止めた」のではなく、「最初から蠟燭を立てなかった」最初の葬儀だったらしい。前に揉めた葬儀のときの隣組の人たちの中には、抗議をして来た家に殴り込まんばかりの剣幕で、大荒れに荒れたそうだから、葬儀屋が神経質になるのもしたたないかな。
最近は、古くからの風習が端から消えて行く。
火葬場では、棺桶の上に参列者全員で一本ずつ線香を乗せた後、火釜に棺桶が入り、蓋が閉まる。神北は、喪主の責任として、この重油火葬施設のスイッチを入れなければならない。火葬場の機械室に入り、隣組の人に教えられて、スイッチを押す。ボッという音がして種火が付き、火釜の温度が上がり始める。機械室から釜口の方に戻る頃、ゴォッっという音に替わり、本格的に火葬がスタートする。
父親・祖母と、二人の葬儀でこの役を執り行っているし、隣組の人間として、他家の葬儀でも何度かその場に居合わせているが、このゴォっという音には、毎回ハッとさせられる。
祖母の骨は綺麗だった。ほぼ純白のお骨が上がった。ガンや成人病で長期間薬を使用し続けた人だと、骨に色がつくことが多いが、それがなかった。骨折部位に入れた人工関節はあったものの、ほぼ全身の骨が白かった。
我が家の風習では、お骨は、2つに分け、数年後に京都の本山に納骨する分は自宅へ持ち帰り、火葬場からの帰りに、すぐに、ほど近い寺の中の墓に入れる。半紙に包んだお骨に祖母の名前を書き、墓に納骨する。この納骨のため、前日に墓掃除に行って、細かいブラシを使って磨き上げたのだ。
納骨を終えて自宅に戻る道でポツリと雨が降り始めた。なんだかちゃっかりと要領のいいお婆さんだったが、葬式まで、うまく時間をやり繰りしたらしい。
その後、隣組のみなさんに読経していただいて、葬式の全日程は終わる。
だが、この日はそれでは終わらない。
最近の葬式では多いことだが、この後、初七日の法要が行われた。もう、この日何回目か判らなくなっている正信偈である。
かくして、長い長い一日は、まだ続いた。
この記録の最後に、葬儀にお越しいただいた方、香典・弔電・夜伽見舞などご心配戴いた皆さんに、再度、感謝の意を表させて戴きたい。
有難う御座いました。今後ともかわりなくお付き合いの程、宜しくお願い致します。
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