パラダイムはうつろうぞ
SFとか、マンガ・アニメと極めて近いジャンルのひとつに、ボーイズラブというものがある。いや、もっとも、近いと言ったところで、神北が読むジャンルではないので、詳しいコトは知らない。小説や漫画・アニメを元に、BL系パロディーマンガを書いている腐女子諸嬢が、コミケの中で大きな勢力を占めているげな……などと言う間接的な情報や、よく行く書店のマンガ・ライトノベル売り場の棚いくつかが、主人公もヒロインもみんな男と言う小説やマンガに占められていると言う実態は、毎日のように目にする。もちろん、1970年代に、アニメファンの女の子達がホモネタのアニパロで盛り上がった頃から見ているし、角川がルビー文庫なる分野に乗り出すのだと云う話が「世も末だねぇ」という感想とともに業界を走った頃も傍で見ていたから、そのジャンルの全体量は知りようも無いが、とにかく、BLというジャンルが、経済効果のあるジャンルとして出版社等の興味の対象となる程の市場を形成していることぐらいは知っている。
ところで、全く別物でありながらもBL以外にももう一つ、なんか、主人公とその恋愛対象のシチュエーション(性別の割り振り)が非常によく似通ったジャンルがある。いわゆる、ホモとかゲイとかいう性愛ジャンルの嗜好をお持ちのみなさんの業界だ。それが、実践家達が大多数を占める業界なのか、小説やグラビアを楽しむだけのファン層が分厚い世界なのか等という情報は、BL以上に縁遠いのでよくは判らないが、確かにそこにそういうジャンルは存在する。
昨日の2004年9月23日、毎日拝読している朝松健さんのBLOG 新・日記代わりの随想の記事、風雲千早城(263)を読ませていただいたところ、この業界の中心に位置して誰でもその名を知っている雑誌『薔薇族』が、ついに廃刊の憂き目を見たと言う。この朝松さんのBLOGから又跳びした先の南日本新聞社のフラッシュ24の雑誌「薔薇族」が廃刊 部数落ち込み低迷続くという記事によると、かつては、三万部を売っていたこの雑誌も、近年では、三千部程度に落ち込み、遂に力尽きたという話だ。
もちろん、朝松さんのことだから、このホモセクシュアルジャンルの縮小をどうこうと云う話をしている訳ではない。広く高く視線を取って、どのジャンルであっても、同じことは起こりうるのではないかと言う話が展開している。
大半の作家はライトノベルや新本格ミステリーは官公庁のごとく永遠に不滅と信じているし、企画段階から読者を選んだ国書刊行会式大人買い差別化小部数出版をやっていれば、ずっと食っていけると信じているらしい。
という朝松さんの感覚は、全くもって、正常かつ正統な意見だと思う。固定客の在るジャンルというものが、崩れる瞬間というものの怖さを知っていればこそだなぁ。
たとえばである。ライトノベルというジャンルにしても、朝日ソノラマがSFなどをテコにソノラマ文庫を創刊した時、集英社が少女小説を母体としてコバルト文庫を創刊した時の、70年代中期のパラダイム。スターウォーズ・ショックの後のSFと名がつけば何でも良かった70年代末〜80年代初頭のパラダイム。角川のスニーカー文庫を筆頭に各社がよく判らぬままにファンタジーという言葉を叫びながら狂奔した1980年代末〜1990年代初頭のパラダイム。
このどれもが一時はバブル的な大膨張を見せ、崩壊した。
もちろん、始められたジャンルは無くなる訳ではない。パラダイム・シフトの後は、規模が縮小しつつも、かなり長期間、細々と続いては行く。しかし、往時の元気は無いのである。
ライトノベルではないが、SFのアイデアの一つだった過去改変だけを取り出して作られた架空戦記というパラダイムも、同じような経緯を辿った。いや、辿りつつある。
それを思えば、今、ライトノベルの中核をなしている萌えという最新の(?)パラダイムも、いつしか、起爆剤としての寿命を終えて、次のパラダイムにその座を譲り渡すことは確実だ。いや、というより、経済サイドから「萌え市場に注目」などと云われはじめた以上、崩壊は目前と思った方が良いのだろう。
そして、この「萌え」崩壊の次のパラダイムがライトノベルの外から来たモノだった場合、ライトノベルという世界が吹っ飛んでしまうことの可能性は捨て切れない。
朝松さんの日記を読んで、官公庁のごとく永遠に不滅と信じていてはいけないものがあることを、ちゃんと認識しておきたいなぁ。と思った次第だ。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
前半部をボーっと眺めて、神北氏が薔薇族を欲しがってると勘違いして、その方面に造詣の深い知り合いに連絡を取るところでした。
まぁ、栄枯盛衰は世の習いってことで。
投稿: kemo | 2004/09/24 11:28
それなら、プロ野球問題の解決の方向が当初とはほとんど正反対の方向になってしまったことなども同列じゃないかい?
さらに言えば、三菱自動車なんかも同じね。
プロ野球は競合他社が無いから分かりにくいが、三菱自動車は自分が気づかない内に自動車会社という仲間から、仲間はずれにされていたわけよ。
だから、リコールの文章を子細に比較して読んでみると、同じ事を説明するのにほとんど正反対の印象を与えてしまう。
確かにパラダイムシフトなのかもしれないが、業界全体が一斉にというのが一般化できないところは、自由経済だからということだろう。
CCCD だって一瞬のことだったし、HDDウォークマンも仕様変更だ。
こういう幅広ところでおおきく波打っていると感じる。
投稿: 酔うぞ | 2004/09/24 15:58
kemo さま。
オイラにそういう趣味は無ぇ! 頼む。早まらないでくれ〜。
酔うぞ さま。
野球に関しては、相撲と並ぶ二大国民的関心事スポーツだったところへ、新たにサッカーが入って来た十数年前に、既にパラダイム・シフトが始まっていたのでしょう。それの大きさに気付かないで、やれ巨人包囲網だ、長島監督再登板だと、小手先のワザでお茶を濁しているうちに、J1・J2制などでのチームサバイバルを構造そのものに遺伝子レベルで取り入れたサッカーの「選手≒チーム≒応援するファン」の、ニアリー三位一体構造と比べて、チームとファン、チームと選手の、如何に離れてしまっていたことか。
このサッカーなど別のスポーツが、競合他者だったのでしょう。
三菱自動車に関しては、たしかにちょっと事情がちがうかな〜という気がします。あの会社(というか、あの会社を含む三菱の機械工業系各社)の体質は、ここ80年ぐらいは一切替わっていないと言う気がします。
零戦を設計し、生産していたが、全社で工夫を繰り返した他社の方がナニゲに生産台数が大きかったりする、親方日の丸感覚。その裏返しとしての御上ぺこぺこ体質。自社プランド信仰。こういう、固定した自社パラダイムを持つ会社は、パラダイムシフトには弱いということでしょう。
ただ逆を言うとこの体質、たしかに、目標を増産にを単純固定化して、大量の人間をそこに向ってオーっとつっぱしらせる、1960〜70年代の重厚長大万々歳のモーレツ時代には、向いていたのかもしれません。
これに、話に登ったCCCDやHDウォークマンのことを含めて考えてみると、全ての答はみえて来る気がします。ぶっちゃけ、いまの社会生き残りたかったら、顧客優先を忘れるなというコトなんじゃないでしょうか。
顧客が居辛いと感じ、未来の顧客たるみ加入者が入り辛いと感じるようになった途端に、あれだけ隆盛を誇っていたニフティのフォーラム文化が一瞬にして瓦解したのと同じなんだろうなぁと思います。
投稿: 神北恵太 | 2004/09/25 06:46