『銭』が面白いぞ
叔父と会う用事があって、池袋に出かけたついでに、某書店の漫画専門店舗に寄った。注文していた本を引き取るためだ。シフトの関係で勤労青少年真庭くんの姿は無く、寂しく帰って来た訳だが、わざわざワゴン一台全部を使って壱巻と最新の弐巻だけを平積みを並べて、大々的に一押しされているマンガを買って来た。
『銭 』壱巻・弐巻 鈴木みそ(エンターブレイン 各巻620円+税)
鈴木みそという作家は、前から知っている。が、これまではどうもあまりオタクの深いところを突き過ぎていて、出力の大きさは判るのだが、イマイチ面白さのツボが自分と合ってないものを感じていた。いわゆるベクトルが会わないという奴だったのだろう。
だが、この作品は、そういうベクトルの差異を感じない。いいブレインが付いたか、本人に何か閃くものがあったか。的をズラしたのか拡げたのか。委細は判らないが、ともかく、ものすごく面白い漫画に仕上がっている。
自動車事故で死にかけた少年が気が付くと、銀行員みたいな格好のお姉さんが手術室の中空に浮かんでいた。で、そのお姉さんが言うのである。
「君はライプニッツ方式と新ホフマン方式のどっちがいい?」
なんだそれはと聞くと、死んだときの逸失利益の計算方法だと言う。逸失利益、つまり、命の値段である。お姉さんの名はジェニー。人生・美醜・才能・etc……現代の資本主義社会においてあらゆるモノを計る基準になっているお金と言うモノが気になって、この病院の手術室の中空にずっと漂い続けているのだと言う。
ジェニーによって、事故の時に頭のてっぺんに開いた穴が豚の貯金箱みたいだからと、チョキンと名付けられた少年は、悩み続けるジェニーを病院の外に連れ出す。かくして、二人のお金を巡る旅が始まる。
なんだか、よく判らないが、青木雄二等の、過剰にドロ臭いマンガの、とてつもなくドンくさい被害者見ているよりゃ、よっぽどユメもチボーもある感じがして来ないだろうか?
かくして、ジェニーとチョッキンは、ユメとチボーを求めて、漫画雑誌編集部、アニメスタジオ、コンビニ経営を、金と云う視点から見て行く。
青木雄二のお話しは基本的に、転落人生を歩む人とそれを眺める傍観者という観があるが、このお話しは、人生模様の点描が主目的ではないので、方向性が前向きだ。苦境にあって奮闘する人は、それでも何か希望を持ち、次を目指す。各話の後が明るく締めくくられているのが、このお話の良いところ。
壱巻が、人生・漫画雑誌・アニメ・コンビニと来て、弐巻では、ゲーセン・同人と、濃い業界の台所事情をジェニーとチョキン、そして途中から参戦のマンビの3人が巡って行く中で、お金というものを主軸にしながらも、人生を描いて行く。極めて健全かつ教育的なオタク漫画。あらゆる方に、これは是非お読み戴きたい。
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