日本語は難しいぞ
日本語の難しさは、助詞や敬語にあると言う。たしかに、テニヲハは難しい。考えながら喋っている時に、ついつい、もう言ってしまった主語に付けた助詞とこれから云おうとしている文面がそぐわなくなって言い淀むことがある。また、敬語もちゃんと喋ろうと思うと、相手を上に置くのか自分がへりくだるのか、瞬時に判断に迷い、咄嗟に喋れないこともある。
しかし、テニオハなんていい加減なもので、デビューしたての作家の原稿なんて、テニオハや句読点が正しく使えているものの方が希だし、下手をすると直しもせずにそのまま出版されることもある。読者もいい加減なもので、読んでいる本のテニヲハのミスを指摘すると「だって、ストーリーが面白いから良いじゃないですか!」と反論されたりする。それを「その文意で、接続詞に「だって」はおかしい」と指摘しようもんなら、こちらが日本語屁理屈お化け扱いである。
敬語も、わりといい加減で何とかなる。過去、聞きかじった先達の言い回しを真似ていれば、結構許される面がある。「敬意がこもっていれば良いんだ」なぁんて乱暴な言い方をする人だってある。
しかし、それより厄介なものがある。同音異義語である。
日本語は、今、基本的に濁音・半濁音を入れて15の子音と、「ゃ」「ゅ」「ょ」を入れて8つの母音から構成されている。(本来は、小さい「わ」を使うが、JIS第二水準までにはない。)が、これは極端に整理が進んでこうなっているのだ。戦前まで「か」行の他に「くわ」行があったし、「が」と共に鼻濁音「か゜」(か行半濁音で表記)もあった。母音としても、英語の曖昧母音に近い「ゐ」「ゑ」といった発音が残っていた。このため、確か、本来「かいだん」と「くわいだん」だった「階段」と「怪談」が同じになってしまったそうだ。(ちと記憶怪しい。ツッコミ歓迎)
警視庁の刑事。神の啓示。告知の掲示。隣家の慶事。兄弟のように慕う兄事。タイムを測る計時。形の似ている形似。持ち歩くと言う意味の携持。周易を解説する繋辞。有形無形の概念を上下に別ける形而。その他、日本には啓司さんやら圭二君やら、いろんな字を使う「けいじ」という人名がある。
先日、名神高速を走っていて、「京都を避けてけいじバイパスに入ろう」と云われた。全く判らなかった。いや、云っている意味は解る。混雑する辺りを避けてバイパス—迂回路—を通ろうと言うことだ。しかし、そこから先が理解出来ない。
この時、頭に思い浮かんだ字は鮭児。北海道の漁港で鮭を一万本水揚げして一本混じっているかどうかのアムール産希少種で、まだ未成熟の為、卵巣精巣に栄養を取られておらず全身トロ状態という、幻の鮭である。こう一つ思考が浮かんでしまうと、なかなかその呪縛から逃れられない。多分違うと思いつつも、「なんで北海道で水揚げされる希少種の名前が高速道路に?」「でも、北海道の身欠きニシンや棒タラは、京都の味として欠かせないからなぁ」「むかしから、そこに、鮭児を運ぶことで知られた鮭児街道があったとか?」……そんなこたぁねぇと否定しつつも、「けいじ」という字を探して、脳内で周辺情報をひっくりがえす。
結局、けいじバイパスとは、京滋バイパス。京都府から滋賀県にかけての混雑エリア迂回のために造られた新しい高速バイパスだった。
ああ、日本語って難しい。
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コメント
初めまして。
「句読点」が正しい使えてないので、耳が痛いです。
で、トラックバックさせていただきました。
投稿: 木蓮 | 2004/11/10 12:27
木蓮さん、どうも。「いつかどこかで」読ませて戴きました。
僕は句読点が苦手で、何かと言うと文章を切ってしまいます。本多勝一さんの『わかりやすい日本語の作文技術』という本がありまして、この本の趣旨は「感性が無くては名文・美文は書けないが、誰も読み間違わない簡明な文章なら、理論的に書ける」ということで理論的な句読点の付け方、テニヲハ、漢字とカナの使い分け、段落の分け方等について詳説したよいテキストです。
本多さんというのは、賛同者も反発者も多いと言う厄介なジャーナリストですが、その経験を通して得られた技術論としての文章の組み立て方は、意見を同じくしようが反発しようが、まずは見習うべきものだと思います。
ネットや同人誌で発言・発信する人には、是非、アタマの『「修飾」の技術』と『「句読点」の技術』の章だけでも、読ませたいものです。
まあ、さすがに僕も、この本に書いてある通りには全然出来てないですが……。
投稿: 神北恵太 | 2004/11/10 14:05
いつも御世話になっております。
この話は、大いに頷きつつ、同時に耳も痛いお話です。
「鮭児」のお話に笑いながら、実は自分もよく似たような状況に陥るので、なんだか嬉しい。(爆)
ところで、最近、とみに気になるのが「けいじ」でもあきらかなのですが、単語、熟語の発音とイントネーションなのです。
特に、テレビのナレーションやレポーター、キャスター、果ては「正しい標準語発音」のプロであるはずのアナウンサーまでが、標準語の発音が出来ないように思います。
代表的なのは『はいけい』。「背景」と「拝啓」の区別が付けられないようで、
「この事件の拝啓には……」
今のアナウンサーのほぼ八割が、こう云っています。
情報網と交通網の発展で、いつの間にか関西と関東の発音が入り混じってしまった結果なのだろうとは思いますが、特に、報道関係の「しゃべりのプロ」さんがこれでは困るなぁ……と思うのですけどね。(苦笑)
でも、きっとこういう事を言うと、若いもんに「えーーっ? その「拝啓」ってぇ、「同友」「忌み」なんですかー?」とか、言われそうな気もします……(涙)
投稿: かざま | 2004/11/10 16:56
コメントをありがとうございます。
本多勝一さんの『わかりやすい日本語の作文技術』を、早速読んでみようと思います。
感性が無くては名文・美文は書けない。という一文を読んで、新井素子の文章スタイルを思い浮かべました。
やはり「奥深いぞ、句読点」です。
投稿: 木蓮 | 2004/11/10 19:27
○かざまさん、いらっしゃい。
イントネーションは難しいですよね。自分の経験や感性に頼れない所が特に怖いですね。。標準語発音の出来ないアナウンサーというのも、大問題ですね。
でも、逆にもっと怖いのは……、
関西弁イントネーションブック
 ̄ ̄ ̄___————— ̄\_
……が無いことです。もっというなら、正しい方言と言うものは方言指導が居ないと出来無いというシステム
アニメの声優さんで、かなりちゃんと関西弁喋っているのって、『おじゃ魔女』のアイちゃん一家と、『アベノ橋』なんですが、こういう「ネイティブスピーカー」でない偽関西弁って、一応、半分関西の放送文化圏に入っている東海地方で生まれ育った身としては、気色悪いんですよねぇ。本人はソレっぽく喋っているつもりでしょうが、「こっちは気ィ狂いそうになるわァ」ということが多くて・・・。
たとえば、浪速十三の関西弁とか、良く聞いてみると、標準語の語彙に語尾だけ「…やで」とか付けたエセ言葉がかなり混じっている気がします。(声優のせいではなく、脚本がそうなってるんでしょうが。)きっと、ヤクザの広島弁とか、幕末の志士達の土佐弁、長州弁、九州なまりなんてのも、それぞれのネイティブな人たちには耐えられない物がかなり在るんだろうなぁと思います。「それは博多弁、西郷ドンはそんな事ァ言わ〜ん!」とか、「一応土佐弁だけど女言葉で喋る龍馬、キショい〜」とか。自分が気付かないだけで、結構無茶な喋りになっているだろうなぁという気がします。
○木蓮さん、再びどうも。
面白い実用書なので、是非一読してみて下さい。目から鱗が束になって落ちます。
投稿: 神北恵太 | 2004/11/10 21:48
「句読点、ああ苦闘点、苦闘点。」
僕もダメなんです、句読点のつけ方。
嫁によると「旦那は句読点のつけ方がおかしいので何処で何かいても旦那の文章だと判る」んだそうです。
投稿: 名古屋 | 2004/11/12 09:37
名古屋くんのは句読点以前の問題だと思うぞ。
投稿: 神北恵太 | 2004/11/12 10:47
あえて反論はしませんが、むかつきました。
投稿: 名古屋是清 | 2004/11/14 00:35