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2004/11/25

ハウルを観て来たぞ

 『ハウルの動く城』を観て来た。言わずと知れた宮崎駿監督の最新作。こないだの土曜日に封切られ、一気に日本中を席巻した今年の邦画界イチオシの劇場版アニメだ。(ま、このトコロの劇場版アニメは、『イノセンス』を皮切りに、ずらりと大作揃いなのだが……)
 とはいえ、神北的には、『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』ほどの期待は寄せていなかった。なんか、何年も前に見せられた殆ど動く部分のない速報のような予告編に始まり、折々のリーク情報、雑誌などに載っている事前情報をそこそこ耳目に入れても、同じ宮崎アニメの上に上げた二作と比べて、そうまで燃えるモノが沸き上がって来ないのだ。
 更に、今TVCMで流れている、ぐにゅわり、ぐにゅわり、ぐにゅわり、と各所を伸び縮みさせながら歩いて来る城の絵に、ちょっと嫌気が挿していた。
 たしかに、部品部品を別け、しかもそれぞれにハーモニーで写実的な陰影を施し、コンピュータ上のモーフィングを取り入れながら、複雑な城が動くシーンは凄い。そして、大変なシーンなんだろうとは思うのだ。だが、その効果がよく伝わって来なかった。凄い絵なのだが、これは写実的に作り、リアルげな霞に隠さずに、もっとセルっぽさのあるアニメ絵で描いた方が、感動があるんじゃなかろうかと言う気がしたのだ。

 さて、そんな事前情報への感想を抱きながら、『ハウルの動く城』を観に行った。

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 さて、2004年11月24日。祭日が明けて、子供の居ない平日、水曜日に、いよいよ『ハウルの動く城』を観に行った。

 舞台は、『天空の城ラピュタ』と同じぐらいの、架空の19世紀末〜20世紀初頭の欧州。ただし、この世界には『魔女の宅急便』のように魔法や魔法使いが実在している。各国が王の下で覇権を争って戦争を繰り返すこの時代において、闘いの趨勢を左右するものは、強大な魔法使いが悪魔と契約し、自らの身体を魔物と化して敵と戦う、魔法戦だった。
 この国、キングズベリー王国も同じだった。国王と、摂政の魔女サリマンは、戦争を決意していた。歓呼の声に送られて出征する兵士達。戦場から次々と入って来るのは、勝った勝ったと景気のいい戦況報告と手柄話。軍隊は力を持ち始め、街々には威張りちらす兵隊達がひしめいていた。
 そんな騒然とした町で、親から継いだ帽子屋を護るソフィーは、兵隊に絡まれたところを、美貌の魔法使いに助けられる。だが、彼も追われていたのだ。人ならぬ不気味なゴム人間達に追われる魔法使いとソフィー。魔法使いは、咄嗟に魔法を使って空中を歩き、ゴム人間の包囲を逃れる。
 つかの間の空中歩行。美しい金髪の青年と共に、危機と秘密を共有した密かなときめき。しかし、ソフィーにとって、この事件はそれで終わった訳ではなかった。
 その夜、ソフィーは、荒地の魔女の訪問を受け、呪いを掛けられてしまう。ゴム人間を操って、あの魔法使いを追わせていたのは、恐ろしい荒地の魔女だったのだ。
 荒地の魔女が去った後、ソフィーは自らの異変に気付いた。18歳の娘が一瞬にして90歳の身体にされていたのだ。しかも、その呪いのことは口にできない。
 しかし、嘆いているわけにはいかない。老骨に鞭打ち、ソフィーは魔法使いや魔女達のテリトリー、荒地へと向かった。自分に降り掛かった呪いを解けるのは、魔法を使うもの以外無いと知っているからだ。
 荒地に入ったソフィーは、頭が蕪でできたカカシを助け、礼がしたいなら宿を探してくれと言ったところ、その手引きで、あの、美女の心臓を喰らうと噂される悪名高きハウルの動く城に潜り込むことに成功した。
 だが、潜り込んでみると、噂に聞いたような恐ろしいところではなかった。ひょうきんな火の悪魔カルシファーがカマドを護り、弟子の幼い少年マルクルが老人に変装しては様々な偽名を使う師匠への伝言を言付かる。
 やがて帰って来た師匠、魔法使いハウルは、先日、一緒に空中浮遊した魔法使いだった。当然、何者かと聞くハウル。何を思ったかソフィーは自分を、この城の掃除婦だと紹介する。何かを感じ取ったハウルはそれを受け、城に住むことを許す。かくして、ハウルマルクルカルシファーソフィーの、奇妙な生活が始まった。

 ハウルのCVは木村拓哉。言わずと知れたスマップのキムタクである。ただし今回は、よくドラマなどで見せるこだわってトンガッた青年ではなく、素直でナイーブな少年のようなハウルを好演している。驚くことに、鑑賞中に木村拓哉を意識させることは一切無い。見事に役を演じている。さすが、超一線クラスの芸能人は格が違うということか。
 その木村拓哉がオギャーと生まれる11年前に20歳でデビューを飾っている倍賞千恵子が、ヒロインのソフィーのCV。こちらは、最初の登場のシーンで、18歳にしては老成した声だと云う気がした。さすがに御歳63歳に18歳の娘は無理かと思ったのだが、気になったのはその一カ所だけ。不思議なことに、途中にもたくさん、夢の中などで一瞬若返ってみせるシーンがあるのだが、そちらの若々しい声は気にならない。ということは、これは、地味で自分を押し殺してでも生真面目に生きて来たこれまでのソフィーと云うキャラをワザと婆さん声で印象づけたのだな。侮れねぇ芸達者。アニメCVとしては、かつてアムロ=レイの母親カマリアのCVを劇場版ガンダムで演っているのだが、歳相応だったカマリア役とは全く別の、芸の凄みを見せて戴いた。聞き惚れよ!
 だが、もっと侮れないのが、荒地の魔女のCVの美輪明宏。途中までは、前に出演したジブリ作品の『もののけ姫』のモロの君と同じテイストだったのだが、途中で魔力を失って老衰し切ったあたりから、美輪明宏であることを完全に忘れてしまうような、完璧な老け声。これも見事。
 カルシファーのCVの我修院達也(旧芸名:若人あきら)は、『千と千尋の神隠し』の青蛙から連投。イタズラ好きのカルシファーに適役。ただ、神北にはどう聞いてもこの人の声が、古川登志夫に聞こえてしまう。
 怖いのは、ハウルの師匠でもあり、現在このキングズベリー王国を動かしている王宮内の実力者でもあるサリマンのCVの加藤治子。寺内貫太郎一家の里子お母さんとして、優しい女性の印象が強かったが、今回は、国のためならばかなりのムチャも押し通す、冷徹な魔法界の指導者の役。普段の加藤さんの優しげなニュアンスを常に残しながらの、優しさと厳しさの使い分けが凄い。
 一番謎なのは、犬のヒンのCVの原田大二郎。ケンケンのようなヒンッヒンッ!という鳴き声だけのキャラになんで原田さんが? と思いつつも、ワリと美味しい役なのよこの犬。
 その他、神木隆之介(『千と千尋の神隠し』の坊をやった子役、現時点でまだ11歳。いわゆる花伝書に曰くっちゅう奴ですか? 天才少年です。ホント等身大に役をこなしていて上手いのなんのって、)や大泉洋(『水曜どうでしょう』の人なそうな。どこからこんな人見つけて来るんだろう…)というジブリ映画常連陣。

 とにかく、こういう芸達者な人たちにも支えられて、1時間59分は飛ぶように過ぎて行く。子供が見ても、まず中ダレしないだけのお話しなんじゃないだろうか。お話しとしても、アニメーション映画としても、存分に楽しめた映画だと思う。

 ただ、どうなのかなぁ。原作を読んでないので何とも云い難いが、元の話に引かれたようなところがあるのかも知れないけれど、この映画、『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』『天空の城ラピュタ』等と比べて、ハウルとソフィーの主人公の二人が、あまりにも受動的な気がする。
 たとえば、『ラピュタ』では、パズーが空賊に志願し、軍からシータを助け出しに行く決意をするところ。たとえばもののけ姫では、アシタカが、自らの命を賭してシシ神様に首を返そうと決意するところ。『千と千尋の神隠し』では、千がハクのためにゼニーバのもとへ出向くことを決断するところ。
 そうした、主人公達の明確な心の動きを見せる瞬間と云うのが、どうにも弱かった気がする。困難→決意→突破というストーリーの展開点が、よく見えないのだ。強いて云えば、ハウルは帰って来たら知らぬ間に城にソフィーが居た時から護ろうと思っているし、ソフィーも疲れ果てて帰って来たハウルに接した時から助けてやりたいと心を固めている。主人公達の心がずーっとそのままで、起承転結のブロック構造ではなく、薄いエピソードを幾重にも積み重ねて、無段階にいつの間にかお互いのポジションが決まっている感がある。
 それはそれで、魅せ切ってしまっている以上、よいのだろうが、今イチ、不満と云うか、何が彼を・彼女をそうさせたのか見え難い気もする。

 もっとも、そうやって日々の積み重ねの中で、いつの間にか人の居場所はできて行くものだよと語るのが、今回の宮崎駿マジックなのかも知れないが……。

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