出雲へ向ったぞ
雲魂16に行って来た。ほぼ毎年出雲で開かれている地方コンベンションで、山陰を中心とした中国地方SFファンの、定期的に続いている活動としては、今、一番名の知られたものだろう。
その昔は常連参加者で、毎年必ず参上していたのだが、三重の実家から東京や埼玉に移り、結婚して二人分となった時間調整や費用捻出が侭ならなくなり、それでも90年代中頃までは頑張って通っていたのだが、ここ暫く足が遠のいていた。
今年、頑張って行ってみようと言う気になったのは、おかてんこと岡田氏が実行委員長だったから。ホントのことを言うと、山本浩之くんが実行委員長だった昨年も行きたくてしようが無かったんだが、夫婦の交通費や、時間を考えると、なかなか出られなかった。
今回は、地元の大会で金曜会の仲間の多くが動いていたにも関わらず、自分が実行委員会にも入らずに外に居たG-conを、広島から通って積極的に動かしてくれたおかてんのコンベンションということで、神北家がコンベンションに参加するパターンとしては珍しく、女房を自宅に残し、単身出かける事にした。
飛行機を使おうか、列車を使おうかと、さんざん考えた揚げ句、結局、ダイナ★コンでいつもPX店長をしている岡田くんが、みんなで車で出かけると言うので、名古屋からそれに便乗させてもらう事にした。さすがに決定が遅れて夜行チケットが取れなくて、名古屋までは往復新幹線移動となってしまったため、抜群に安いということは無かったが、それでも、親しい仲間と車でわいわい出かけると言うのは楽しいものだ。
2004年11月6日土曜日、早朝3時過ぎに起床。一時間程ブログのコメントのレスつけ等をして、4時半頃に出かける。最寄り駅を5時ちょっと前に出る京浜東北線に乗車。5時40分に東京駅着。朝飯用の弁当を買い込み、6時の新幹線へ。のぞみ1号。うわっ、500系だ。カコイー! とはいえ、豊かな旅ライフを楽しむわけではないので、ただでさえ数の少ない自由席列車(先頭1〜3号車)の、更に云うなら、500系の車体の曲面の関係で狭くなった3+2の5列席へと向う。
元々の新幹線の東京←→名古屋120分を、二割近く縮め100分に短縮したのぞみなので、そう長時間になるわけではないが、とにかく狭い。
だが、狭いからって遠慮することなく、弁当を拡げて朝メシにする。え?迷惑? そんなことはない。隣のおじさんも、同じように弁当喰っているんだから。東京駅の目の前に住んでいる人なんて、ごく僅かなんだから、この列車に乗り合わせている多くの人は、その1時間程度は前に家を出ているわけだ。まだ便もまばらな始発近くの電車に乗って東京駅までやって来て、やっと落ち着けた新幹線の席。そこが朝食会場になるのは必然なのだ。
メシを喰ってしばしウトウト。三河安城を通過したから、10分程で名古屋だと言うアナウンスで起こされて、降り支度。もう時間は7時半。土曜日とはいえ、街はすっかり起き出している。
のぞみ車両がすう〜っと名古屋駅に入る。1970年代になってやっと戦後のドヤ街からビル街に変貌した名古屋駅新幹線口(西側)は、まだどのビルもそこそこ新しかったため、建て替えの嵐が1990年代から今も続く東側のエリアと違い、大規模な再開発こそ無いものの、それでも、生活倉庫アピタと呼ばれていた駅前の名鉄系ショッピングビルが、ビックカメラに取って代わられるなど、驚くような変貌ぶりを果たしている。
到着したのでまず岡田くんに電話。「8時に名駅に着くように今移動中。待ち合わせは、旧壁画前の時計の生えている所」とのこと。壁画と言うのは、名古屋駅に昔あった壁画の事で、1990年ごろの駅の改装工事でどこかへ持って行かれてしまった。しばらくは、工事の目隠し用化粧壁の上に壁画の同寸写真が貼ってあり、「工事が終わった暁には戻って来るんだろうなぁ」と誰もが信じていたのだが、工事が終わってみると、ブラウン管を縦横に積み重ねた、情報発信ブースのような、ゲージュツの用な、まあ、あんまり心も和まないし役にも立たない、メディアワンと言う、どうしようもないモノに置き換わっていて、みんなガックリしたものだ。しかし、そのテレビの群も、今や無くなり、なんということはない、2つの新幹線改札に挿まれたただの空き地が出来ている。公共の通路になってはいるが、一応扉の中ということで、風雨がしのげる場所として、ここは壁画時代からずっと待ち合わせのメッカだ。
今、そこに、床から高さ2.5メートルぐらいの時計が生えている。銀の時計というやつだ。ちなみに、名古屋駅の主な待ち合わせ場所は、基本的に7つある。詳しくは名駅ドットコムの名古屋駅待ち合わせ場所をご参照あれ。
時計の前で待っていると、市野くん発見。2〜3分立ち話をしている所に、今回車を出してくれる事になった小崎くんも登場。
「お、そろったね。じゃ行こうか」
「そうですね」
「行きましょう」
と言っている所に岡田くん登場。チっ!(チっ!じゃない!)
岡田くんは、万宝くんの車に乗せて来てもらったそうな。万宝くんとも顔を会わせて、8時過ぎに出発。
名古屋から名岐バイパスを岐阜方面へ走り、名神高速一宮I.Cへ。
「割と調子いいですね」
「なんだか、普通の日よりずっと障害が少ないという感じだよね」
「かくして、天気よし,車の調子良し,道路状況よし」
「うん」
「このとき我々はまだ,彼方に広がる暗雲に,気付く事は無かったのであります」
「な、なんでそぉ言うかなー」
そこからひたすら西進。京滋バイパスでよく混む京都周辺をパス、吹田JCTで中国道に入り、落合JCTから米子道へ。途中、簡単な休憩を挿みつつ、とにかく走る。最初一宮から高速に乗った辺りで少し込んでいたが、そうは問題なかったらしく、云っている間に流れ始め、そのあともほぼ渋滞知らずで米子I.Cまで着いてしまった。
前にここに来たのは2年前の第四十一回日本SF大会ゆーこんの時だった。その時と比べ、山陰自動車道の工事が格段に進んでいる。
まずは、岡田くんの希望で境港へ。真っ先に境港へ。境港の水木しげるロードへ行きたいと言う話なのだ。神北はゆーこんの時に一度行っているが、前回訪問後に竣工なった水木しげる記念館も見たいし、じゃ、行くベェということで日本海を右手に見ながら境港へ。
途中、皆生温泉を超えた辺りで、ガソリンを補給。ドライバー諸氏によると、名古屋市内より断然安いそうだ。だが、安くするために古い施設を無理屋の動かしてますと言う感じではない。かなり新しい綺麗なガソリンスタンドである。従業員もちゃんと数揃っている。
「ええっと、右? それとも左?」
と岡田くんが助手席に座るこの車のオーナーの小崎くんに聞く。と、
「え? どっちでもいいですよ。右で良いんじゃないですか?」
と、左右の給油機を見比べて答える小崎くん。
「あ、あの〜。(この車の)給油口の場所を聞いているんだけど」
「え? あ! 左ですよ」
飛んで来たおネェちゃんに、ガソリン現金満タンでお願いする。給油を開始するとおネェちゃんは再び駆け足で運転席の窓の所に飛んで来て、元気よく窓ふき用の濡れ雑巾を貸してくれた。
「内側をこれでどうぞ。外側をお拭きしても宜しいですか?」
良く出来たマニュアルだと思う。外に液体ワイパー(水を弾く高分子化合物)を塗布している車の、折角の樹脂膜をケズり落としては行けないから、確認している。OKをダスト、おネェちゃんはきびきび動いて窓を拭いて行く。その間、車中では、今後のルートに着いて相談。
「おい、境港からの戻り道、玉造温泉方向へ行くのには、どのルートが良いか、聞いてみた方が良いんじゃないか」
ちょうど、窓を拭き終え、請求書を持って来たおネェちゃんに聞いてみる。
「すみません。これから境港まで行って、その後、玉造温泉方面へ向うんですが、中海北岸の美保関町方面から国道を走るのと、中海に浮かぶ大根島を抜けるのと、米子経由で南岸を走るのと、どれが速いですかねぇ?」
「そうですねぇ、やっぱり、米子から行く方が道は広いですねぇ」
「そっちの方が速い?」
「ええ」
お姉ちゃんに礼を言って,国道431号に復帰。
走り出して,小崎くんが「あっ」と声を上げる。
「ど、どした?」
「こ、これ……」
彼の指差すのは、フロントガラスの脇、そこには、さっきおネェちゃんが貸してくれた窓ふき用の濡れタオルが……。
「持って来ちゃったね」
「小崎は,濡れた雑巾を手に入れた。 ちゃちゃちゃちゃ〜〜、ちゃ〜ちゃ〜、ちゃんちゃちゃ〜〜!」
かくして一行に,今回の道中の最重要キャラクター、ボロぞーきん様が加わった。
男4人とボロぞーきん様の旅は,まだまだ続く。
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