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2005/01/17

先達の凄さを垣間見るぞ

 パソコンユーザ、ネットワーカとして先輩のすがやみつる(菅谷充)さんが、新しいブログを立ち上げた。すがやみつるのネットライフという。

 1988年、神北が、会員数3万人を誇るニフティサーブに入会し、初代シスオペの多摩豊からSFファンタジー・フォーラムを引き継いだ時、既にニフティは、10万人と云う日本では空前の大規模ネット化しており、あらゆる趣味嗜好の持ち主が寄って集まっていた。
 当時は、同じくらいの規模のPC-VANや、無料のASCII-NETをはじめ、草の根ネットまであわせると多士済々、様々なパソコン通信ホストが林立していた。神北が、その中から商用ホスト(有料)であるニフティサーブに行ったのは、富士通のマシンをずっと使っていたこと(当時のニフティサーブは、NIF(正しくは株式会社アイ・エヌ・エフ)という会社によって運営されていた。これは日商岩井と富士通の合弁会社である)と、MacのコミュニティーならニフティーサーブのMAUGだよと薦めてくれる仲間が多かったからだ。
 結局、ニフティのSFファンタジーフォーラムを中心とした生活に入って行くわけだが、この、シスオペを引き継いだ頃、神北が力を入れたのが、リアルタイム会議室(RTC、リアルタイムチャット)だった。
 後には、1分間に60行とか言われるほどの高速チャットに育って行くFSFのRTCだが、はじめは、1行誰かが書くと、2〜3分間を置いて「そうだね」と発言が上がる。また2分ぐらい立たないと次の発言が上がって来ない……という、極めてゆっくりしたものだった。それでも、「今年のSF大会のことを話そう」とか、テーマを決める形で何週間に一度かはチャット企画を催した。

 本格的にSFフォーラムのチャットが動き出したのは、1989年の日本SF大会が終わった後だ。10時ぐらいからフォーラムのチャットルームに待ち構えていて、来た全ての人に「チャットしませんか?」と声を掛けて回った。
 声を掛けた中には、今、女房になっているむらさきもいたそうだ。パソコン通信というものにやっと入れてSFフォーラムと云う所に来れたぞと思った途端に突然、SDI00464というユーザから「よろしかったらチャットしませんか?」というメッセージを受けて面喰らったらしい。
 しかし、こうして増やしたチャット人口は、徐々に定着し始める。むらさきなんかは、1週間も経たない内にチャットの常連になっていた。
 定着したチャットメンバーは、さすがにチャットをやろうと思うぐらいだから、アクティブな人が多かった。その中には、パソコン通信で初めてアクティブなファン活動を始めたという人も多かったが、もう既に他の世界で一定の評価を得ている人、SFファンダムで活躍して名の知られている人たちも多かった。
 後にサブシス(フォーラムのスタッフ)をお願いすることになる佐藤正明さんのキャッチコピーは、超革中のマチャアキ。そう、『超革命的中学生集団 (平井和正)』の登場人物のモデルになった一人で、古参のSFファンだった。(超革中に関してはココ
 そして、そのころ、よく、他のフォーラムをメインにしつつもSFフォーラムに遊びにお越し頂いていたひとの一人が、すがやみつるさんだ。
 今の人には、『ゲームセンターあらし』というマンガをどのぐらいご存知なのだろうか。15年前、20歳代のSFファンであれば、大抵、そのマンガの存在は知っていたし、しばらく前にアニメ化されたときの主題歌がサビくらいは歌えるというのが、通常だった。その後、小説もお書きになるようになり、今は小説家としても活躍されている。
 その、すがやさんが、毎夜毎夜、フラっと現れてはしばらく話をして行かれる。舞い上がっちゃってサインを貰った会員もいた。いや、サインといっても、ただ、「すがやみつる」とチャットで打ってもらうだけなのだが、その同一時間を共有したという感覚が、面白かったのだろう。FSFは、このあたりから、爆発的な発展をする。
 菅谷さんは、その前夜というか、エンジンに火が入る瞬間を、一緒に見届けてくれた会員の一人と云っていいだろう。
 そのすがやみつる(菅谷充)さんが、これまでの日記などとは別に、先日、新しいブログを立ち上げた。すがやみつるのネットライフという、こちらは、長文エッセイを中心としたBLOGだ。
 ここで語られる菅谷さんのパソコン遍歴、ネット遍歴は、日本のパソコンユーザー、そしてネットワーカーの最先端を常に歩いて来られたすがやさんならではの、パイオニアの記録であり、すがやさんの半生記でもある。
 パソコンにのめり込んだ1980年代と、『ゲームセンターあらし』の時代、そして、通信と、レースの情報を求めて、アメリカのネットを飛び回った時期、ノート前夜、ハンドヘルドパソコンを持って国内レース場を飛び回り、アメリカのネットに速報を送りはじめた、「情報発信者すがやみつる」の誕生など、話は時代に沿って徐々に進んで来る。

 この時代にパソコンを触っていた人は、絶対読んで欲しい。時を越えて、あの時代の匂いがするから。
 当時まだ、パソコンなんて触る機会が無かったと云う人も、是非読んで、先達の切り開いた道の上に、今、自分が立っているのだということを知って貰いたい。

 読み逃すべからず!

 読み始めはここからどうぞ!

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コメント

ミステリー・推理小説フォーラムがTTYフォーラム廃止に伴ってへいさになってしまう。

わたしもFSFで多摩豊氏がSYSOPだった時代に入って、小城則子に誘われて冒険小説フォーラムを手伝うようになったのがネットワーク管理者経歴のスタートだ。

当時、何をやって良いのか分からないし、そもそも会員が少ないから勝手に書評を始めてみた、そうしたらすがやさんは「こうするべきだ」という注意が来た。
その結果、オンライン書評の形が定まって今でもあっちこっちでやっている。

今になると常識のように見えるけど、オンライン書評の形を定めたのはすがやさんの一言だったのだ。

投稿: 酔うぞ | 2005/01/18 09:57

 人生のいろんな部分で、先頭集団を大きく引き離して突っ走って行って、パッと見ると、そこは、随分前にすがやさんが踏み分けた道だったということが、多々ありますね。
 バイタリティと実行力が本当に凄い。そのうえ、理論家でもある。この人の力で日本のパソコン通信は、何年か無駄な逡巡を節約出来ていると思います。

投稿: 神北恵太 | 2005/01/18 10:27

>酔うぞさん

 おひさしぶりです。こちらのサイトから逆リンクをたどって飛んできたら、ここに来てしまいました。神北さんもありがとうございます。

 ところで書評のスタイルについて、ぼくが何かアドバイスしたんですか? まるで記憶にないもので。老人力のせいかなあ?

投稿: すがやみつる | 2005/01/19 22:14

あ、すがやさんいらっしゃい。
 『すがやみつるのネットライフ』は、すがやさんの記録として以上に、日本パソ通界全体の思春期日記として、とても楽しみに読ませて戴いております。
 読ませて戴いて、僕が最初にFM-7用のRS-232Cインターフェイスカードとクロスケーブルを購入した日,まず、FM-7とFM-16βを直結して、隣に並んだ機械どうしでBASICのコマンドで"Hello"とメッセージを送り合ったことを、久しぶりに思い出しました。
 思えば遠くに来たような、同じ所を同じように周っているだけのような、せつない気持ちになります。

投稿: 神北恵太 | 2005/01/19 22:56

>神北さん

 通信速度と通信料金は、まるで天国みたいな状態になっていますが、人間のやってることは、あまり進歩しないなあ……というのが実感であります。

 連載のほう、もう少し続く予定です。

投稿: すがやみつる | 2005/01/20 02:20

すがやさん

ごぶさたしています。

>ところで書評のスタイルについて、ぼくが何かアドバイスしたんですか? 

細かい話しではなくて、書評とはどういうものか、読む人にとってどういうものか、
という説明を頂きました。
全くの素人にとってこれは大きな道しるべで、その後はわたしが書いたような雰囲気であっちでもこっちでも続いていますよ。

そういう場を共有しなかった、全くの個人HPの方のページは「書評を読んでもらいたい」という気持ちが伝わってこないから「あんた趣味を並べられても分からん」という雰囲気があります。

今になってみると、大きかったと思いますよ。

酔うぞ拝

投稿: 酔うぞ | 2005/01/20 11:59

>酔うぞさん

 ごぶさたでした。あれ、いつ以来なんだろ?

 書評の件、了解です……が、いまも、どんなことを言ったのか、まるでわかりません。何かナマイキなことを言ったんじゃないかと不安です(笑)。

 ぼくも自分のサイトで本の紹介をしてますが、本当に紹介であって書評は、ほんのわずか。題名、著者(訳者)、出版社、出版年月、値段などの最低限の書誌データは、必ずつけることにしています。最近はAmazonにリンクしているので、紹介も楽になりました。

投稿: すがやみつる | 2005/01/20 15:21

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