寝屋川の小学校乱入教師殺傷少年が、小学生の頃からゾンビと戦うゲームが大好きで、級友達にクリア法を伝授する程だったと云うエピソードから、また、「ゲーム脳」という言葉が歩き出した。
べつに、定説と云う訳でもない、とあるオヤジが思いついただけの「ゲーム脳」と云う言葉が、さも厳密な定説・真理のようにマスコミを賑わし、報道している側は誰一人として、ホントに「ゲーム脳」があり得るという確証も掴まぬまま、決まり事・当たり前のようにこの言葉を使っている。
日本はいつから、こんな付和雷同型のマスコミしかいない、気味が悪い国になってしまったのだろうか?「ホントにそうか?」という目線を常に保ち続ける、あらゆることにウラを取らないと気が済まない記者根性と云うものは、もはやこの国には存在しないのだろうか?
「ゲームのために、脳(精神)が自由な活動を抑制され、本来働くべき公徳心や公共心が起こらず、平気で人を殺してしまうようになる」というのは、「遊ぶと人を殺したくなるゲームがある」と云っているのと同じではないか、これは「見ると殺人者になるビデオ」とか、「読むと人を殺す本」と同列である。普通,それは、ホラーと言うものだろう。
ちょっと、考えて欲しい。
たしかに、寝屋川の少年が「ゾンビと戦うゲームにのめり込んでいた」こと、「ひとを殺したこと」は事実なのだろう。(もちろん、マスコミが近い人たちの話としてそう言っているだけで、ゲームに関しては身近にそれを見ていた記者がいる訳ではない。)
しかし、今日日の少年の多くは「ゾンビと戦うゲーム」とか「宇宙人と戦うゲーム」とか「公国軍の赤いヤツと戦うゲーム」とかが、結構好きなのではないのか? ゲーム脳主義者たちが言うように「ゲームに脳の活動を抑制する力がある」のなら、どうして、大多数の同世代の少年達は、人を殺さないのだ?
同じぐらいの濃さでハマり混んでいる少年ぐらい、いくらでもいる筈だぞ。
因果関係を否定する事例件数の方が爆発的に大きくないか?
また、ゲームが怪しいのならば、それと同じだけの確率で、好きなテレビ番組、好きなマンガ,好きなネット上の場所、好きな芸能人……に、因果関係が結べるモノがあるのかも知れないぞ。では、何が問題かと云えば、もちろんそれは判らない。
どう考えても「判らない」とするのが、科学的な態度と云うものである。
でも、「ゲーム脳」という言葉を金科玉条として振りかざす「教祖さま」とその「取り巻きのマスコミ」によって、少年は「ゲーム脳だったから人を殺した」という世論が作られかけている。
これは、そんなに単純な怪奇事件なのか?
「ゲーム」なんていう、外挿された単なる一条件が人を殺人者に育てるなんて言うコトを、信じていいのか? もともと人格形成に大きな影響があるとされていた家庭状態・家族関係といった項目より、スクリーンの中の戦い方が、より影響が大きいと云う珍説に、どうしてマスコミは疑いの目を向けないのか?
ちょっと気味が悪い。マスコミが「ゲーム脳」脳に掛かって、「ゲーム脳」意外,考えられなくなっていることが気味が悪いぞ。
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