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2005/02/09

元年者だぞ

 元年者という言葉がある。本来は、ハワイ最初の日本人移民を指し示す言葉で、明治元年に3年年期の農場労働者として海を渡った百数十人の男達を示す。文化格差・言葉の壁等に悩みつつも、途中で帰国したものは40名にとどまり、100人以上が3年間を勤め上げ、さらにその内60名程はその後、北米に移民している。残った40名の多くはハワイ人の女性と結婚し、本当の意味での「移民」となったという。明治政府とハワイ政府の間で取り交わされた条約に基づく官約移民に先行すること約20年。現代日本最初の海外雄飛のパイオニアたちである。
 で、今日の話は、それとは全く関係なく、1989年の元年者、平成元年のSF大会、ダイナ★コンEXを開催した第二十八回日本SF大会実行委員会と手塚治虫さんの話である。

 1989年。激動の年。昭和64年である。まず、1月7日に、当時の今上が、吹上御所において崩御(御歳87)、後に昭和天皇と追号された。明治体制下において現人神とされた最後の天皇陛下がお隠れになったのだ。
 そして、ほぼ1月後の2月9日、つまり、16年前の今日。もう一人の神様が亡くなった。マンガの神様、手塚治虫さんである。
 息子さんの手塚眞さんのBLOG、手塚眞の絶対の危機の今日の記事、SEVENTEENTHにおいて、まる16年経った命日の今日、そのことに触れた記事を書いておられる。

 1989年の日本SF大会の産声は、1987年、昭和62年の晩夏に、数人の仲間と「よし、やろう」と盛り上がった事であった。高校の後輩である牧野君と二人で、まずは、地元において都市型コンベンションが可能かどうかと云う実地検分から始まり、実行委員会の組織化、そして、旅行代理店近畿日本ツーリストを巻き込んでの本格的な場所探しへと移行して行った。
 最初に上がった案は長島温泉。東海地方に限らず、関東から関西圏まで広く知られた三重県北東部にあるリゾート施設で、当時は、大きなホールを2つ抱え、ホテル、遊園地、大型のプール施設等も備えた総合レジャー施設だった。しかし、ホテル長島という名前だった当時の宿泊施設(後にリニューアルされて、ホテル花水木となる)は、かなり小さく、周辺は桑名市内のホテルを総動員しても、当時の例年参加者1500人を問題なく収容する事は難しいと思われた。
 次の矢は、長良川温泉である。昨年の第四十三回日本SF大会G-conの宿泊は、基本的にこの長良川温泉に集中したが、去年のメイン会場となった長良川国際会議場はまだ無く、市内のホールまで路面電車で移動すると云う案だった。しかし、ここも300人を越える大型ホテルが殆ど無く、長良川を跨いで中小の旅館・ホテルを幾つもいくつも借りて、合宿を行なわなくてはならなかった。合宿に重きを置くダイナ★コンの考え方では、この場所は使い辛かった。
 次に検討されたのが、名古屋市内のシティーホテルを使ったアーバン・リゾートコン構想。開催地が都市でありながら都市コンではなく、合宿中心のリゾートコンをやってしまおうと云う計画だった。幻に終わった名古屋オリンピックを見込んでいくつもの都市型ホテルが林立したものの、アテが外れた名古屋市内で、1500〜2000名規模の合宿ということならば、余裕で可能であろうと考えたのだ。しかし、代理店の西山主任も乗り気になってくれたこの計画は、「我がホテルのバンクェット・ホールは、通夜の貸し出しを想定しておりません」というタカビーなホテルマンの一言で、灰燼に帰した。国内ではそこそこに名の通った老舗ホテルのチェーンということで、ホスピタリティーを期待していたのだが、客より格式という匂いがプンプンする担当者で、なかなかそうは問屋が下ろさなかった。
 次に、近ツリ四日市支店の西山主任が持って来て下さった案が、蒲郡市郊外にある三谷温泉の、一つの場所にかたまった3つの600人級のホテルを繋ぎ、1500〜2000人まで対応可能な計画だった。最終的に、松風園ふきぬき明山荘、そして松風園の属するひがきグループの本丸ひがきホテルも使わせて頂ける事になって、4つのホテルを繋ぐSF大会が開催できる事になった。当日は、肩を寄せ合う松風園・ふきぬき・明山荘の3館の間に敷物が渡され、旅館のスリッパのまま3館どこに歩いて行ってもよいと云う形にさせて戴き、4館分宿と云う不利をあまり感じさせない形の合宿コンベンションが開催できた。

 88年の早い時期に、この三谷温泉に始めて交渉に出向いた時だったと思う、松風園の支配人さんから、こう言われた。
 「SF作家さんやイラストレーターさん、漫画家さんをゲストに迎えるとなると、手塚治虫先生もお越しになりますか?
 この時ほど、手塚治虫と云うSF界の大先輩の大きさを肌で感じた事はなかった。まず、SFとは何ぞや、ファン活動とは何ぞや、そもそもコンベンションとは何をするものぞやという話から説明しないと、理解してもらえない場で、『手塚治虫』は通じるのである。
 「これまでの日本SF大会には、何度となくお越し戴いてますし、もちろん我々の大会でもお呼びするつもりです」
とお話ししたところ、ことのほか喜ばれて、
「そうですか、僕は昔から手塚先生のファンで、当地にお越しいただけるならば……」
と、支配人の顔がパっと明るくなった。こうなればこっちのものである。
 しかし、1989年2月9日。年号が平成と改まってまだ間がないこの時期、手塚さんの訃報が入った。
 ちょっと、愕然とするものがあった。
 我々は、日本SF大会として始めて、手塚治虫さんを呼べなくなった大会なのだ。そう思うと気が重かった。
 ちなみに、この我々の年、日本SFファングループ連合会議は、その総会の席上,星雲賞の特別賞を手塚治虫さんに送る事を、決定した。この年の星雲賞の詳細は、Junk Yardさんの第20回星雲賞部門別一覧をご覧頂きたい。

 あれから、16年。既に21世紀である。未だ手塚人気衰えず。嬉しくもあり、少し寂しくもある。

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コメント

当時、竹内は大学受験の真っ最中でした。最後の共通一次で分野毎の難易度があまりに違い、是正策も酷いものだったのを覚えてます。
崩御とか美空ひばり死去とかありましたけど、どれもピンと来なくて、一番インパクトのあったのは手塚さんの訃報でした。「これで本当に一つの時代が終わったなぁ」と思ったものです。

投稿: 竹内一詔 | 2005/02/09 12:32

ダイナコンexは、それまで独立企画として、持ち込みで動いていたネットワーク企画が(ミグコンも実行委員でもあった土谷さんが責任者だったから、半オフィシャルだったけど)、実行委員長も一緒になって準備できた、最初の大会でした。
うちの妹の子供が、平成元年生まれなので、よく憶えているんです。この年に、最初の大学を辞めて、名古屋(芸術大学)で働く話があったんだけど、滝子さん(先代、親父の友人)が亡くなって消えたのでした。その準備で、名古屋へ何度か行ったときには、神北さんにはずいぶんお世話になりました。でも、ダイナコンではずいぶん企画やったので、それで勘弁を。でも、おかげで矢野徹さんとの最高の思い出も、名古屋の地にあります。
田舎に引っ込んでも、ニフティや各BBSのおかげで皆と連絡が取り続けられたのは、幸せなことでした。
手塚さんとは、漫画大会で会ったのが最初でした。凄くファンを大切にする、素晴らしい方でした。その後、ちょっと業界に関わって、アニメに関わるあまりに安価な報酬のレートや、制作者へ版権が存在しない不思議なシステムなど(代理店、テレビ局、美味しすぎ)、功罪もずいぶん見てしまったのだけど。手塚さんの、昨今のデジタル技術を使った作品も見たかったですね。3Dなら簡単に再現できる、実験映像的な作品もずいぶん残されてますし。でも、その場合デジタル映像制作の報酬も、アニメ並みに下がっちゃってたかなぁ。すでに、そうなりつつありますが。
漫画大会、何年前だったかと検索して、去年のSFセミナーの企画にぶつかりました。

http://www.sfseminar.org/arc2004/sfs-ad04-1.html

ちょうど自分が参加した漫画大会で、大喧嘩があったんですよね。アマチュア評論家集団を結成していた米沢さんのグループが、ファンなのになんで作品の悪口を言うんだといって、大会から追い出されたのでした。SFセミナーの企画の立案者は、その辺の事情をご存知だったのでしょうか。だとしたら、凄い豪気。でも、20年近く経って、もうお互いに同じパネルでにこやかに話せる年齢になったというのも良いことですよね。

投稿: R-A-Y(^o^) | 2005/02/09 15:29

もうすぐスカパーで「ダン対セブンの決闘」だなあと思っていたところなので、妙にタイムリーな話題でした(笑)。
ふきぬきは、今や愛知県を代表する廃墟マニアに知られたスポットらしいですな。心霊関係のサイトでもよく目にする名前になってます。
そういえば☆EXというと、F先生からのメッセージがペラペラの紙に描かれたドラえもんだったのを思い出します。
「うお! よくこんな紙に描けるなあ」というほどのものだったので、ネーム用紙かなんかだったんでしょうね。

投稿: 大外郎 | 2005/02/09 17:20

竹内くん

 あの年は、本当に多くの有名人が亡くなりました。まるで、昭和という時代が共に逝く人々を呼び集めているような一年でした。思えば共通一次試験すら、そういった流れの果てに消えていった物のひとつなのかも知れません。


R-A-Yくん

 手塚先生の言動には、毀誉褒貶さまざまな云われ方がありますが、ファンに対して失礼な行動を取ったという話は聞いたことがありません。仲間のマンガ家についてきついことを言ったというのは良く聞きますが、ファンの態度に対してきついことを言ったということも、少なくとも私は聞き及びません。
 マンガを愛し、自分の描くマンガを読むファンをも愛しておられた方だと思います。


大外郎くん

 さすがに、総務局長は、オイラも覚えていないようなことを良く覚えているな~。
 ちなみに、ふきぬきは今、仏教系のある宗派に買い取られて、研修施設として再生されました。

投稿: 神北恵太 | 2005/02/09 21:15

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