末期症の匂いだぞ
ウルトラマンとガンダムと仮面ライダーという、巨大ヒーロー・巨大ロボット・等身大ヒーローが、シリーズとしてそろい踏みをしている昨今。膨大な先行作、先輩ヒーローを背負ったこの3作の末裔も、それに対抗しなくてはならない新作陣も、独自の色を出すためにいろいろと難しいのは判る。だが、ちょっと間違っているんじゃないのと云う作品が多すぎないだろうか?
あるアニメ監督が、「最近は、作品ごとにチームが変わり、しかも1チームが継続する仕事が1クール・2クールと云う短期ばかりなので、チームワークという勘働きのネットワークが構築される前に終わってしまう。4クールあれば、気も合って来て、ツーカーの仲になって来る監督・脚本・絵コンテが、一体感を持つ頃には最終回が終わってしまう」というようなコトを仰ったとか。
映画にしてもそうだ。昔は、本数も多かったし、会社に所属しているスタッフ・キャストが、会社の枠内にひしめいていたから、何かと云うとチームを組むことが多かったし、チームの中核層は監督名を取って「○○班」「○○組」なんて呼ばれながら、結構長いことチームとして動いていた。
しかし現在、劇場に掛かる本編映画もテレビアニメも、短期・単発というケースが多い。製作チームもその度に集めると云う形らしい。少なくともそう云うことが増えていると聞く。それは確かに、よい才能がよい才能と組むチャンスなのだろう。チームの枠、会社の枠、業界の枠が薄れ、異業種参入を含めていろいろな人がいろいろな業界で結びついて作品を残す。これは面白い。神北のようなヘッポコ地図描きですら、面白いチームの本作りに参画できると嬉しいし楽しい。誰だってそうだろう。
だが、こういう新造チームが、こなれて来て円熟期を迎える頃にはまた解体して別の新造チームへと形を変えていると云うのは、よいことばかりではない気がする。
何が言いたいかと云うと、「「「監督の意向を過剰に汲んだ脚本」の意向を過剰に汲んだ演出」の意向を過剰に汲んだ……」という、過剰・過剰…の繋がりで、「バランスを取る」ことを仕損なっているのではなかろうか、間に立ってバランスを取る人が居ないのではないか、と言うことだ。
そうした過剰の繰り返しが、最終的な映像になった時点で末梢の演出ばかり肥大させ、全体としての構成を掴み損なっているという説を取る方が理解し易い作品が、最近多見されると思うのだ。
まあ、こういうコトも、多少であれば、面白いエッセンスでいいのだろう。しかし、いつもいつもパッツンパッツンに張りつめ続けていては、視聴者の興味の意図の方が、先にプッツリとイってしまうのではなかろうか。そして、そうなってからでは遅い。
だからこそ、中核にデンと座って、交通整理とか、各員の間のバッファ役の出来る人が居なければならないのだと思う。それが、スーパーバイザーなのか、監督なのか、演出なのか、シリーズ構成なのか、進行チームなのか、そこは判らない。が、そういう潤滑油が無くなり、視聴者からの手触りまでガサガサしているような作品が、今期も比較的多い気がする。
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コメント
同感でございます。
一人一人は有能でも、それぞれが見ている方向がバラけていては、結果的には『?』なものしか出来ません。
作り手も見ても「俺○○」なご時世、冷静な視点で「みんなの○○」を判断、理解して、説得調整できる能力が、今の業界にはあまりにも不足していると実感しております。
投稿: かざま | 2005/02/14 16:20
かざまさん
1970年代から現場を見て来られた方に同意して頂いて、嬉しいやら、ちと悲しいやら、難しい心境です。
調整能力の持ち主が払底しているのか、そのキャパを越える程の不整合がチーム内に遍在しているのか、調整力を発揮するにはチームを組んでいる時間が短過ぎるのか、そこはよく判りません。が、少なくとも、このアニメ・特撮大量投入(一週間に約百本だそうで……)の騒ぎが治まって来ないことには、少々荒れた脚本を書いても、整合性のない演出をしても、次の仕事があるし、批判も聞こえて来ないと云う状態なのかも知れません。
でも、確実に押さえるところは押さえて、大向こうを唸らせる作品を作っているチームも多々ある訳で、単に今の状況が諸悪の根源と言うワケではないようです。難しいですね。
投稿: 神北恵太 | 2005/02/14 17:04