毎度お馴染み,ネタをよく頂いているX51の2005年3月8日の記事、「サッカーの試合で少女がゴール → 地雷で爆死」 - 国連の新キャンペーンに批判が集中 米が、ちょっと気になった。
サッカーでゴールを決めて喜ぶ少女 → フィールド内の地雷を踏んでしまう → 爆発,少女爆死、周りのチームメイトも吹き飛ばされて負傷 → 観戦していた少女の父、亡骸を抱き起こして号泣 → 「もし地雷がそこかしこにあったら、あなたはそれに耐えられますか?国連を支援してください」
このCM映像、確かに殺伐とした映像らしい。アメリカ人の普通の家庭でよくあるであろう、子供の試合を家族で応援に来ると云う光景が、直接、地雷の爆発まで繋がって行くのだ。ショッキングではあろう。日本で同じ物を作ったらどんな騒動になるかと考えると、否定論も判らなくもない。
しかし、全米のテレビ業界からノーを突きつけられる程、マズい映像なのかと云われると、神北はよく判らない。マズかろうがなんだろうが見ておくべき映像なのではないかと云う気がするのだ。
アメリカにおける問題点は、「テロが身近になっている昨今、子供達を脅えさせる」という理由だ。
しかし、本当にそれでいいのか?
実際に、子供が遊んでいる村はずれの空き地に、地雷が埋まっているかも知れないという国は、まだかなりの数に上る。
というのは、地雷は非常に安価で、しかも設置後は人件費も要らずに何年も敵の侵攻を邪魔できるという、非常にリーズナブルな兵器なのだ。このリーズナブルさの裏返しとして、戦闘が終わっても地雷原が残ったままになると、何年経ってからでも被害が発生することがあると云う、非常に厄介な兵器でもある。遠い過去の戦いの呪いに何十年も子々孫々祟られているようなものなのだ。
本来,地雷原とは、敵の侵攻を阻止するために一時的に設置するものだった。そのまま地雷原を残していると、戦況が変わって自軍の進撃の時に邪魔になってしまうことがある。そのため、地雷設置時に一つづつの地雷の埋設位置を記録したシートを作り、必要が無くなった時点でその記録シートに従って自軍で撤去処置をすると云う、慎重な使い方をする兵器である。
だから、設置部隊が潰走したり、全滅したりして、埋設記録が無くなると、その場に手の付け辛い地雷原が残ってしまうことになる。だから、地雷と云うものが開発された当初から、兵器運用の面から云うと、これはきわめて扱い辛い、そして慎重に運用すべき装置だった。
しかし、カンボジアなどにおける地雷運用は、そんな生易しいものではなかった。ポルポト軍と政府軍の戦いは、長年にわたり、激しく戦線を変化させながら、ほぼカンボジア全土を覆った。その上、教育が行き届いていない兵により、記録シートを作成せずに適当に作られた地雷原も多い。そういった地雷原の上に、さらに何年か後の戦闘で地雷原が作られ、さらにその何年か後にもう一層設置されるといった、多層地雷原すら存在するそうだ。
こういう国では、今でも地雷原は、きわめて身近な問題だ。地雷原の撤去は、つい先日まで、人の手と眼無しには進まないため、人手が得られないまま何年も「地雷原 危険 立ち入るな」という立て札を立てて、出入りを禁じるに留まっていた。日本で開発された地雷探知・除去ロボットも導入されつつあるが、数の問題もあって、カンボジア全土から地雷の脅威がなくなる日は、まだまだ先と云われている。
もちろん、こういう国は、カンボジア一国に留まらない。内戦のあった多くの国に共通した問題なのである。そういう国では、まだ、地雷などと云うものを理解することも出来ない子供から、安全とされていた範囲内で野良仕事をしていた大人まで、様々な人が、その被害に遭っている。
しかも、国連のCMではそこいらへんをボカして少女が死んでいるが、本当の地雷原の怖さはそこではない。対人地雷の目的は、兵を殺すことではない、負傷させることなのだ。負傷兵は当然前進できない。そのため、人員のマイナスが発生する。しかも、それだけに留まらず、野戦病院まで後送するために、足をやられて歩けなくなった兵一人に対し、担架をかつぐ兵が最低二人ずつ必要になる。これで、人員マイナスは、兵器にやられた人間の3倍に達する。
対人地雷とはそういう兵器なのである。しかし、何とか生き延びたとしても、足を失った人には、一生義足の生活が待っている。
こういう危険を抱えながら暮らしている人々が、世界にはまだかなりの数存在する。そして、内戦が続く地帯では、そういう地域が逆に増えてさえ居る。
この世界観に立つ時、くだんのCM映像は過剰に過激なものとは云えないと、神北は思う。CM放映に尻込みするのは、何だか、自分たちは大丈夫と云うアメリカ人の驕りが見える気がする。
自分が平和な生活を維持した上で、ありもしない理由をでっち上げてまで他国に兵を送った国にとって、このCMは、直視する必要のある映像なのではなかろうか。世界は、見えている程綺麗でも、安全でもない。その一端を自分たちや、自分の祖国が引き起こしているのだとしたら、その国民には、その脅威を直視する義務があるのではないのか。
今、本気で地雷に付いて考えないと、21世紀は、非常に暮らし辛い、南北問題を抱えた階層社会になってしまう気がする。この国連のCM、たしかに、スポーツの試合をしている少女が死んでしまう映像はショッキングだが、肝を据えて日本でも放送で流してもらいたいと思う。少なくとも、日本もイラクに関しては、他人事ではないのである。
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