『失踪日記』だぞ
書評である。
『失踪日記』吾妻ひでお(1140円 イースト・プレス)
青臭いことをいっぱい書いては消し書いては消している内に、少々日が経ってしまった。
実は、きわめて私的なことながら、神北は「しっぽ」だ。学生時代に、吾妻ひでおファンクラブ「しっぽがない」の名古屋支部のメンバーになったのだ。1980年代前半、77年のアメリカ映画『スターウォーズ』(日本公開は78年)を契機に一気に燃え上がったSFブームが最高潮に達し、吾妻ひでおさんといしかわじゅんさんが、それぞれの掲載誌上で、丁々発止の誌上合戦を繰り返していた頃のことだった。
その頃の吾妻さんは、神懸かっていた。その頭脳にSFの神が降臨し、筆先から産み出されるものは、ストーリー漫画、エッセイ漫画、そしてイラストまで、濃いSFファン達を喜ばせる。まさに、SF時代の寵児であった。
しかし、黄金期は、長くは続かなかった。80年代末、角川スニーカー文庫などを中心に燃え広がった『ファンタジー』という言葉が『SF』というピカピカのメタリックな世界を覆い隠した。そして、吾妻さんは、我々の前から消える。いや、編集さんやアシさんの前からも、家族の前からも、消えるのだ。
失踪であった。
この本は、失踪の発端から、ホームレス生活、いったん家に戻った後の二度目の失踪、肉体労働をした時期、その後、アルコール依存症に陥り入院した時期、それぞれの時代を後からマンガとして綴った、日付こそないものの、まさに「日記」である。我々がバブルの余韻と狂躁に振り回されていた十年間に、全く別のものに振り回されくたくたになり、それでも透徹な視線で自分と周囲を見続けていた、あるクリエイターの自分との戦いの記録である。
吾妻さんの怖い所は、それを、かつての傑作『不条理日記』と同じテイストに包んでいる所だ。自分の身をナマで曝け出すだけの劣悪カンチガイ私小説的な自意識過剰漫画ではない。ちゃんと笑いとオチが用意されている。漫画やSFや可愛い女の娘に対する捨てられぬ愛もちょこっと盛り込まれている。漫画を描く以上はちゃんと面白くしようと云う、漫画家吾妻ひでおの意地でも矜持でもあろう。裸の自分を曝け出すことに抵抗を感じる人間としての羞恥でもあろう。しかし、理由が何であれ、そのまま暗くとりとめも無く曝け出すより、一冊の面白い漫画として完成させる方がどれほど大変か。まさにそれは、誰の眼にも明らかである。成し遂げる吾妻さんの出力の太さに感嘆する。
とにかく、買うべし。まず読むべし。読めば判る。
ちなみに、この本を深く知るためのネット上の記事を2つ、ご紹介しておく。
秘密の本棚 連載第六十三回「失踪日記」 /いしかわじゅん(コミックパーク)
『失踪日記』売切続出!/竹熊健太郎(たけくまメモ)
| 固定リンク
« トップは厳しいぞ | トップページ | コナがクるぞ »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
わたしは「荒野の純喫茶」が発表された頃からの吾妻ひでおファンでした。ナマの吾妻さんが見たくて大泉学園駅前のカトレアに行ってみたこともあります。もちろん、見られました。ですから、「ななこSOS」あたりから神経のバランスが崩れてきたなあ、と感じて心配になっていたのでした。そんな吾妻さんが、ようやく自己を客観化できるようになったことをまず喜びたいと思います。早速、最新作を買って読みますよ。神北さん、嬉しい情報をありがとう。
投稿: だごん様 | 2005/03/12 12:50
だごんさま
実はお恥ずかしい話、当時私は、吾妻さんの作品中に隠されたシグナルを読み取れずに居りました。それが単なる日常描写ではなく、取り巻く環境に対する嫌悪感のシグナルであったと気付いたのは、自分が原稿を描いて編集さんにお渡しする現在の仕事に就いてからでした。勘が悪いですね(^_^;)。
投稿: 神北恵太 | 2005/03/12 15:22
金曜日、つまり、3月18日に池袋で買ってきました。
『One Piece オマツリ男爵と秘密の島』を観てから、まんがの森によってさがしたのだが、品切れ。
ジュンク堂によって、地下のコミック売り場で店員に声かけたら、
「永瀬さんっ」
花粉症マスクで顔をおおっていたので気づかなかったが、かねて知り合いのオタク店員であった。
で、
「昨日、増刷分がとどいたんです!」
なにはともあれ、ほとんど瞬時の刷り増し、めでたいことです。
自宅のすぐ近くに直行のバスに乗り込んで、読み始めて、
「夜を歩く」の警察のくだりで、不覚にも涙。
それにしても、相原コージの自虐たれながし「二十年前のオレ」あたりと並べてみると、ホント、吾妻さんの表現者としてのストイックなまでの律儀さには感動します。
個人的には、自分の現実への吾妻さんのこの距離のとりかたよりは、ほかならぬ『自虐の詩』の業田業家さんのスタンスにあこがれますけど。
いしいひさいちさんの、日本刀のようにぴりぴりする自分に対する客観性にもつらいもんがあります。
投稿: 永瀬唯 | 2005/03/20 01:47
永瀬さん。
吾妻さんの痛さは、材料ナマのままではないのでしょう。素材の風合いをどこまでも残しつつ、邪魔な雑味を綺麗に取り除き、絶妙に調理された一品料理。
そういう美味さがあります。
まあ、神北程度の舌では、その神髄まで味わえまいと、諸賢に笑われそうではあるのですが……。
投稿: 神北恵太 | 2005/03/20 02:11