身震いするほど腹が立つぞ
最近は、簡単なネットツールが増え、いろんな人が簡単に文章を書き、公開出来るようになって来た。
かつての日記ツール時代から思うと、ネットに文章を書くことに関し、何も考えずに済む時代になって来た。このココログをはじめとしたBLOG系システムは本当に便利だ。
また、閉じた中に入るSNSサービスも、全体的には数で言えばMixiの一人勝ちとはいえ、いろいろバリエーションを持つサービスが始まっており、面白くなって来ている。友人にも、何人か、完全に行動の場をMixiに移し、BLOGの方は殆ど——もしくは全く——更新しなくなった人も多い。
しかし、これは、ホントに良い傾向かどうかというと、非常に疑念を持つ。
公共の場に文章を発表するということに関し、ちゃんと考えられていないというコトが極めて多いからだ。
- 個人
- 本人
- 家族すら入れない「個」
- 身内
- 家族・親友・盟友
- 秘密を共有する仲間
- 知合い
- 遠めの友達・親族
- 互いに誰だか知っている人
- 世間
- 直接意見を交換しない人
- 世界
- さらにその外
- 全世界
その連なりを認識していないで文章を書く人が、最近特に多いように思う。言い方を変えると、自分の発言が誰に向けられたものか、誰の所まで聞こえて行くものか、ちゃんと認識出来ない。もしくは、認識として伝えたい対象のことは考えた発言でも、伝えるべきでない人や、伝えられても意味のない人にまで伝わってしまうような、副次的な伝播までは全く考えない短慮な人だ。
また、世間をおもんぱかったような振りをすることで自分が周りに気を使っていると思いたがっているようなバカ発言にも腹が立つ。
どういうことかというと、「なんだか怒っているようだが、どんな対象に対し何を怒っているのか誰にも判らないような省略や伏せ文字だらけの文章を載せて、その後一切フォローしない発言」だ。
「仕事で理不尽なことを言われて腹が立った」程度にでも書いてあれば、まだ大向こうを意識した文章にもなろうかと思うが、「ああ腹が立つ!! ……理由は、聞かないでください」なんてことをBLOGやMixiの日記にちょくちょく書く奴が、悲しいことに、私の知合いにもいる。文章が稚拙なのは別にかまわない。プロじゃないんだから。しかし、雑なのはいけない。他者の目に触れる場に置くのだから。
こういう雑な書き込みを公の場に書いてしまう奴がいると思うだけで腹が立つ。しかもそれがよく知った相手かと思うと悲しくなる。単なる自分の感情のはけ口を公の場に造るんじゃない、自分のマシンのHDDの奥深くに仕舞っておけ、と言いたい。
こういうと、「BLOGは個人ツールだから……」という人がいるだろうが、それは、一見正しいようで、実は完璧に間違っている。
BLOGは、個人が誰かと繋がるためのツールである。だから、読むのにパスワードが必要な読者限定のBLOGだってあるけれど、少なくとも、自分以外の誰かに公開されることを前提とした場所を取っている。で、当然、公開を前提とした文章を書き込む場だ。言い方を変えれば、自分が、他者に対して、プレゼンーションする場なのだ。BLOG上に載る全ての文章は、最終的には誰かに読まれることを前提に、書かれねばならない。
極論すれば、自分以外の他者が、誰か一人でも見るようならば、それは、読者を意識した文章であるべきだ。そして、それは、読ませたい対象だけではなく、読むかもしれない人全てを読者対象として考えるべきである。だから、稚拙でもいいし技巧を凝らした美文でなくても全く構わないが、少なくとも、丁寧で親切な文章であるべきだ。
「BLOGは、個人ツール」だからこそ、それを使いそこねると、当人が恥ずかしい。つまり、「個人ツールであること」は、書きたいことを何を書いてもよいという権利ではなく、書いたことの責任は自分が持たなければならないという自分に発生した責任なのだ。
言葉を換えれば、「日記は個人のものだが、公開された日記は読者を考えるべきもの」なのだ。
また、どんな所に、どんな論旨で、どんな文章を書くか——ということは、自分自身をアピールすることでもある。
どんな良い論旨でも、TPOを外していては始まらない。「アホちゃうの?」で終わってしまう。
たしかに、雄弁は銀だが、誰もいない所で一人でぶつぶつ言っているとしたら、それは石見銀山が脳に回った以外の何ものでもない。
で、身震いするほど腹が立った話である。
ある人が、書きちらしている日記が某所にある。そこそこの人数に読ませている(読まれている)らしい。そこに先日、仲間内の悪口が乗った。まあ、キャラ的に毒を吐く人なので、その書き込みの口調が厳しいのとかは基本的に問題ない。だが、“奴はここを読んでいない。だから、今読んでいるアンタたちのことではないから、「僕のことですか?」とかマヌ〜なこと聞かないように”とかいう意味のことを書いてているのに、気分が悪くなった。
自分が、相手の知らない所で何かやっているのが、無意識のうちに嬉しいらしいのである。なんか、それが優越感なのだ。そしてそのことを、結構な人数が読む場で思わず書いてしまう精神。文章への神経の行き届かなさ。これに腹が立った。
人間、優越感とか、上昇志向とかを否定しては始まらないと思っている。だから、そういうのを満たしてくれる場は、どこかには必要だろう。が、肥大した自我とか、歪んだ優越感が公に見えているのは、少々鬱陶しい。とくに、その価値観の論拠がどこにもないとなれば、尚更だ。
神北は、ネットで書かれていることに対する意見とかは、何を書こうがかまわないと思っている。もちろん、なんとか、元の文章の書き手に自分の意見をフィードバック出来ることが一番ではあるが、書き込み自身はネットに上がった時点で、不特定多数に公開されたものなのだから。
たしかに、上司とか取引先とか、絶対面と向かっては文句の云えない人のことを、仲間内の場で「くっそ〜」なんていう憂さ晴らしは、誰しもあることだろう。しかし、別に普通にフランクに話せば伝えられるであろう仲間内に対し、完全オープンではないとしても、相当数が覗いていて、かつその対象者が見れていないという、絶妙な場で悪口を言う。ちょっと、この感性、卑怯な感じが、読んでいて堪らない。
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コメント
反省です。。
投稿: アーガマ | 2005/06/22 11:30
ブログ初心者の私には大変ためになるお言葉でした。自分も気をつけねば。
投稿: たちばなゆに | 2005/06/22 14:27
さて、当の本人もここ覗いているはずだが、神北氏の言っていることを、きちんと理解してくれるか?出来ることなら理解してもらいたいけれど、どうだろう。
投稿: 岡田 PX店長 | 2005/06/22 15:26
むかーしのSFファンダムでは「背中を向けたら、その人はいないものとして批判してよし!」っていう、ものすごく漢らしいローカルルールもありましたな。
批判とか悪口は、その本人に伝わらないと面白くないと思う根性悪の古参者でした。
投稿: 大外郎 | 2005/06/22 17:23
耳が痛いです。肝に銘じておきます。
投稿: 八潮 | 2005/06/22 18:09
該当する日記にコメント付けたの私だけだったんですが、今確認したら日記そのものが削除されてました。
しかし、今回の件は見事な反面教師でした。「人の振り見て我が振り直せ」この言葉の意味を、自分自身再度認識しておかないといけませんね。
投稿: 岡田 PX店長 | 2005/06/22 18:49
非常にためになる話だなと思いつつも、
タイトルで「宇宙猿人ゴリなのだ」を思い出して
しまった私なのでした。
投稿: いしたた | 2005/06/22 20:00
わたしも他人にわからないことを時々日記に書いてしまうので、注意せねばと思いました。
投稿: 池田武 | 2005/06/22 20:46
「絶妙な場で悪口」というのはかなりカッコ悪いですね。
でも読者の側に読まない自由がある以上「日記は個人のものだが、公開された日記は読者を考えるべきもの」には反対します。
もちろん「書いたことの責任は自分が持たなければならない」は当然のことなので「読者を考えない」日記が誰からも読まれない日記になっても仕方ありません。
投稿: ãµããã | 2005/06/22 20:57
すいません、名前欄が文字化けしてました。
投稿: ふじさわ | 2005/06/22 20:59
アーガマ さま。
まあまあ、神北みたいな奴の云うことですので、話半分に聞いていただければOKですよ。
たちばなゆに さま。
ホントの話、自分が何をしようとしているのか自覚がなく、慌ててよけい悪い方に舵を取る人というのは、いるものです。が、ちょっと、ディープな話で驚かしてしまったかも知れません。すみません。
岡田PX店長 さま。
どうでしょうね。
大外郎 さま。
懐かしいですね。筒井さんや豊田さん眉村さんあたりのエッセイによく書いてあったような気がします。しかし、居ない風を装って「こりゃいかんぞ」とちゃんと伝え合う美風は、互いに頭が良くないと続かないんですよね。タケシが軍団の連中に「てめぇバカやろう」というのと同じ、相手が受け止められないと意味をなさない単なる罵声になっちゃいますから。
八潮 さま。
外の日記も書きましょうね。
再び、岡田 さま。
ぼくの考えとも合致するのですが、ネットに一旦公開した意見は、消してはいけないという説があります。一旦書いたという事実を隠蔽するのではなく、それが間違っていれば、追記として謝ればいいし、間違ってないという自信があれば、やはり追記やコメント等で持論を展開し、ちゃんと反論すればいいのです。しかし、そうまで深く考えない浅慮な人達によって、ネット内は、消失した文書で溢れています。
ちゃんと、自分が書いてしまった事実が有り、その内容を撤回する旨を残すというような、意見撤回ではなく、元発言ごと消して、はじめから問題が無かったかのように誤摩化してしまうのは、極めてミットモない行動だと、神北は思うのです。
が、こういうひとたちは、まず間違いなく、こんな単純な道理を判ってくれません。自分が「消し逃げ」という卑怯なことをしているという認識すらないことが多いようです。残念ですね。
いしたた さま。
こういう素養がないと、神北が本気でかんかんになっているように読めるタイトルです。無論、そういう狙い目です。(^_^;)
よくぞ気づいたっ!! やっぱり、互いの祖父の代から3代約80年の付き合いは濃いか……。
池田 さま。
ふじさわ さま。
たしかに理論上は、読まれることを思慮しないスタンスの公開日記があっても、よいのかも知れません。でも、あまりそれがよい策・よい方向性とは思えないのも事実です。
神北としては、折角、自分の文章を世間・世界に向かって公開するのならば、愛され、読まれる、面白く、公正なものでありたいと思います。
投稿: 神北恵太 | 2005/06/22 21:59
>いしたたさん、神北さん
すまーん 同世代のこともあり
表題はそれ以外の意味には取れませんでした。
つーか、麻雀するときにかぶると歌ってたしな<うちのクラブ
投稿: 大外郎 | 2005/06/22 22:30
読んでて心臓が痛くなりました。と同時に、筒井康隆氏の「大いなる助走」を思い出しました。
やはり誰かに読んで欲しいからこそ他人様の目に見えるところに置いとくわけですから、きちんと他人様に向けた文章を書かなければいけないわけです、よね(^^;)
投稿: 玲 一文 | 2005/06/23 01:14
大外郎 さま。
ま〜、Pプロ系は、ココロにしみますからね。(^_^;)
とはいえ、こんな、TVで歌われない番手まで覚えているのは、70〜80年代に活動していた世代なればこそかも……。
玲一文 さま。
筒井さんの言葉で好きなのは、「作家は裸だ」というのがあります。90年代初頭に、パソコン通信に乗り出して壮烈なバトルに巻き込まれた時に仰った言葉です。僕は、「逃げも隠れもせん。俺はここにいるぞ」というような意味として理解しています。その伝で行くと、シスオペって仕事も裸でした。クリエイター商売ってぇ奴も多くの場合、裸です。少なくとも、僕はそうあるべきと思っていますし、そういうスタンスでありたいと思って来ました。(諸事情あるから完璧にこなしたとは言い切れないけど)
パソコン通信という文化が、市井の人々全てを発信者側に出来るようにした頃、発信者の先輩としての筒井康隆さんが語った心構え。それは、数年のシスオペ業務を通じて自分が得て来た感覚を、遥かに端的に、遥かに鮮烈に、短い言葉で語り切っていました。なにより「このオヤジ怖ぇ……」と思った瞬間でした。
投稿: 神北恵太 | 2005/06/23 03:05
初めまして。
トラバさせていただきました。
僕はmixiをつい昨日退会したんですが、こちらに書かれている違和感と似たようなものをずっと感じていたのが原因です。
日常よりも多人数に触れる事が出来るという意味では、個人レベルではblogもmixiも同じだと思います。ただ、その全くの他者に触れられているという"気づき"が感じられないのは、blogよりはmixiの方が強いと思います。
もちろん、愚痴を言いたい気持ちだとかは解るんだけれど、不特定多数に読まれているという感覚がないと、それに対する配慮とかが感じられないと、書いている当事者が結局は孤立してしまうと思うんですよ。
その光景は見ていて痛い。それも親しい人間だと余計に。
それとmixi日記のコメントを連ねていく人達に、気味の悪さを感じたりもしました。
自分が上の内容で批判した文章を書いたら、一斉に批判し返されまして。自分の立場を振り返らない方々ばかりが連ねていくのを見て辟易してしまった(苦笑)。建設的な意見なんて全くないんだもの。
嗚呼、知らない内にこうやって徒党を組んでいくんだなぁと、怖くなりました。一切の批判も許されないような環境、それが知らず知らずに構築されていく事にも不安を感じました。
長文、失礼いたしました。
投稿: kikka | 2005/06/23 12:20
kikkaさま。
トラックバックを戴くほど、何かいいことを言っているかどうかはよく判らないんですが……(^_^;)……、ご挨拶ありがとうございます。
Mixiであれ、BBSであれ、MLであれ、もちろんオープンなBLOGであれ、どんなクローズドな場でも、ポロっと守秘義務を破る構成員がいるし、どんなオーフプンな場でも、判断を誤る人もいれば、間違ったリードを続けるトリックスターにどこまでも引っ張られて行く人達もいます。
だから、どこにあっても、その場の雰囲気は、ある程度、誰かが規定し続けなければならないと思います。
その意図を明示し易いようにMixiよりBLOGという判断は、とても見通しがよい策ですね。
ただ、私はまだMixiにも居るつもりです。結局、場は場であり、ありようを定義するのは人だと思うからです。それは、ある程度の軋轢を乗り越える要があるのかも知れませんが、僕に取って人と交わるということは、そういうことだと思うからです。
百年とは言いませんが、お互いに、もうしばらくは、ネットワークの一角に陣取って、頑張りましょう。
投稿: 神北恵太 | 2005/06/23 16:14