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2005/07/01

つける薬がないほど馬鹿だぞ

 

朝日新聞社会の2005年6月30日の記事に『国会図書館、情報保存はお堅いサイト限定 反対多く転換』というものがあった。

 インターネットのウェブサイトの網羅的な収集を検討していた国立国会図書館は、政府や自治体などのサイトに限って集める方針に転換した。当初は個人サイトも含む大規模の収集方針だったが、「違法なサイトがあふれている」と反対意見が多数寄せられたため。国会図書館法の改正案を今国会中にも提出する。

 うーむ。何を考えているのだろう。元々「.jp」全てを保存するという、壮大な計画だったものが、政府機関の「.go.jp」、地方自治体の「.lg.jp」、大学関係の「.ac.jp」、小中高校の「.ed.jp」、社団法人等各種団体の「.or.jp」だけに限ることになったのだという。

 本来案の、「全部集めて全部公開する」に関して言えば、神北も反対だ。さすがにそこまですると、問題が多い。無差別殺人の予告をしたサイト、自殺仲間を募集したサイトを誰にでも見れる所に公開し続けることが、政府の仕事とは思えない。その面では、「違法なものまで、国が集めて公開するのはおかしい」という今回寄せられた批判も、あながち間違ってはいない。
 しかし、である。おかしいのは、「国が集めること」「公開すること」を一緒にしていることにある。
 「この国で発行された書籍を全て集め、保管しよう」という国会図書館の方針から言えば、「この国で公開されたサイトを全て集め、保管しよう」という方針は、誰がなんと言おうと正しいのである。問題は、公開をどうするかというだけのことなのだ。
 だから、まず、集めることを止める必要はどこにもない。公開なんて後で考えれば良いから、まず、公開出来なくとも、出来る限りのページを保存すべきなのだ。今始めれば、100年先に、21世紀の社会・風俗・文化・思想・政治・経済・科学技術史……あらゆる事ごとを知るための最大の資料庫になっている筈である。歴史的資料として見られるほど先になってから初めて一般公開でも構いはしない、それまでは、許可を得た研究者や立法・司法・行政が、必要がある時だけ覗けるだけでもよいのだ。また、同図書館は、人権侵害などにあたるかどうかを個別にチェックできる立場になく、その能力もない。という人的リソースの限界を理由にしているが、それこそばかばかしい事だ。言っている内に意味解析の精度が実用に達し、その場で閲覧者の資格に合わせたフィルタリングが出来るようになるかもしれないではないか。
 そんなことは、いくらでも未来技術に頼れば良いのだ。今出来ないからと言って諦めてしまわなくても、10年先には容易な事になっているかもしれないではしないか。しかし、10年先になってからでは、拾えない情報がある。今残さないと消えてしまうページがあるのだ。
 とにかく、消えたモノは後から集められないのだ。

 同図書館企画課は「ネットには当時の人々の動きや考えが膨大な情報として載っている。すべて残したいが、理解が得られるところから始めたい」としている。

 本当にそうだ。全て残して欲しい。良い事も悪い事も、聖俗善悪関係なく、違法なモノであろうとも、あらゆるモノをまず、集めまくってもらいたい。これは、とにかく、良いことに違いない。まず、保存すべきだ。議論やフィルタリングの基準作りは、その後で追々やって、徐々に公開範囲を可能な所まで広げれば良いのだ。

 情報や歴史資料とはそうした性質のモノである。

 頼むよ。

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コメント

迷走ですね。

おそらく、この記事が50年後に

「昔の国会はアフォだった!」

ぐらいのネタになるかもです。

投稿: アーガマ | 2005/07/01 14:05

妖婦・高橋おでんの性器はどこかにホルマリン漬けにされているという。公開は前提に保存されていないことは想像に難くない。
明治の人たちのエッチじゃなかった、叡智に驚嘆する。

似たような話のような、そうでないような。
(御邪魔しました)

投稿: スポンタ | 2005/07/01 14:47

アーガマ さま。
スポンタ さま。

 そう、史料とはそうやって闇雲に溜め込み、後に整理する人が現れるまで眠らせておけば良いモノです。。眠っているのがもったいないのではなく、殺さずに置く事が大事だと、理解してもらいたい者です。

 ちなみに、「高橋お伝」ボクも久しぶりにこの名を聞きました。中学生の頃に初めてその名前を聞いて、「阿部のお定というのは、まだ人の名前っぽいが、オデンはどうよ!オデンは……」と思ったのを思い出しました。

「「作られた毒婦」高橋お伝」
http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/meiji/meiji32m.htm
……という記事を読むと、彼女の処刑は、斬首、なんと首切り朝右衛門最後の仕事だったそうです。その後、浅草の警視第五病院で解剖されたそうですから、もし標本化されているなら、ここの医者がやったという事でしょうなぁ。
 その後、(毎度おなじみ)仮名垣魯文さんが書いた絵草紙『高橋阿伝夜刄譚』が評判となり、河竹黙阿弥の狂言『綴合於伝仮名書』が尾上菊五郎の当たり芝居となって、色と欲とで手当り次第に男を殺して乗り換えた「毒婦」の代表にされたが、実際には借金苦に付け込んで言い寄る金満家を一人殺した以上の話ではないらしいということも判ります。

 こういうのも、当時の史料が在って、解析する後世の研究家が居てこそ。
 とにかくデータは残して欲しいものです。

投稿: 神北恵太 | 2005/07/01 23:20

首切り朝右衛門の子孫ではないはずの
「山田」です。

それはさておき。
当時軽んじられてがんがん国外に流出した春画が、
芸術的にも資料的にも海外で高く評価
されていたりする、という例もあるわけで。

まあ、本当に後世なんらかの役に立つかどうかは置いといて、神北さんの意見に賛成です。

ウン十年後に『トリビアの泉』みたいな番組で、「21世紀初頭、ネット上で……」というネタで
お茶の間が笑えるだけでも価値はあると思うし。

今更後世に向けて意地張らんでも、
というところですね。

投稿: どぶろく(本名山田) | 2005/07/02 01:38

どぶろく さま。

 ホント、消えちまったらおしまいです。

 今、Googleキャッシュが、ワリとそれに近いスタンスにあるような気がしますが、保存する事を確約したシステムではないので、「一縷の望み」程度にしか役に立たない事が悩みどころです。

 しかしこのシステムが「.jp」を全部保存し始めても、広範囲に広がっているけれどもクローズドな世界であるMixiとかのデータは、保管されません。かなり有用なモノがあるのに。
 これが、ボクがMixiに対して抱く、「イマイチ信用出来ない感」でもあるのですが、逆に、残す・残さないを明確に切れるのも良いのかも知れません。
 いずれにせよ、もう少し、みなさんに、ネット上の常識とかが醸成されないとね。

投稿: 神北恵太 | 2005/07/02 06:25

とりあえず全てのページを保存し保管しておく・・・
「秘密倉庫」のようになりそうな気もしますねぇ。
でも必要だな。

投稿: バウム | 2005/07/04 03:29

 指針は兎も角、一旦、大勢が見る場に向かって出してしまったデータは、著作権や文責の所在とは別に、既に、社会の共有物というべきもので、変更時にも、ただ消すのではなく、過去履歴として残した上で訂正版を載せて行くべきなのてしょう。
 1974年にテッド=ネルソンが概念を提示した「Project Xanadu」というシステム構想があります。詳しくはこのBLOGの2004年12月2日の記事『書きモノするぞ』にあります。(あんまり詳しくはないんですが)
http://kamikita.cocolog-nifty.com/kia/2004/12/post.html
 こうした、ちゃんとしたモノの考え方をして、思考や逡巡・変化の履歴を追えるようなシステムがあれば、世の中随分面白いのですが……。

投稿: 神北恵太 | 2005/07/04 04:23

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