ササモトのお祝いをしたぞ
ササモトとの縁は古い。最初は、1989年の第二十八回日本SF大会ダイナ★コンEXの何年か前に、ファンダム活動の先輩にして戦友のひとり、大和眞也嬢に紹介されたのだと思う。たぶん、もう20年近く前のことだろう。十数年前、神北が会社を辞め、フリーランス・システムオペレーターとなった頃から、連絡を取り合っては一緒に遊ぶようになった。90年〜91年頃の最盛期は、ひと月のうち、3〜4日は神北が上京してササモト宅に居候し、そのままどこかへ遊びに行って、返す刀で神北宅に戻って来て、一週間ぐらい一緒に居るとかいう生活が続いた。当時、仙台に住んでいた神代創さんたちと遊ぼうと、牛タンを喰いに行ったり、ちょうど神北宅の近所の歯科医院でインターン生活をしていた高木提督とか、神北の高校以来の親友いしたたとかと、行き来をしつつ、あちこちを旅して回ったり旅して回ったり、美味いモノを喰ったり美味いモノを喰ったり、いたスト(ファミコンゲーム『いただきストリート』)したりいたストしたりしていた。広島・大阪・松本・仙台、けっこう広く転戦したのだ。
その頃のササモトの執筆スタイルは、紙だった。まだ黎明期で、重たく遅く、電池寿命も短かったノートパソコンを信用していない彼は、原稿用紙とシャープペンシルというスタイルをわりと遅くまで続けていた。技術文明の申し子のような男だが、そうやって全国をフラフラと移動している身では、ノート以外の選択肢がなく、そのノートが性能的にまだイマイチ信用できない状態となると、紙の方が良いというハイ・ローミックスにキッパリ割り切るのである。この割り切りこそ、現在に至るササモトのサバイバビリティを支えているポリシーだろう。
それ故、神北がGショックだが、ササモトは絶対にクロノグラフなのだ。それ故、神北がブリジストンのマウンテンバイクだが、ササモトはホームセンターで1万円ちょいのマウンテンバイクで充分なのだ。(もっとも、神北が1万円ちょいのマウンテンバイクでは、体重ですぐにフレームをイわしてしまったであろうことは間違いないが。)
そんな、90年代初頭、ササモトが書いていたのが、既に巻数一桁の随分後半にはいっている『エリアル』だった。常に、既に書いたその巻分の原稿用紙の束と、二束程の白原稿用紙と共に、移動していたものだ。むろん、この原稿用紙がまた、日本全国どこでも買える、大手メーカーの普及品であったことはいうまでもない。これも、サバイバビリティである。
さて、笹本祐一は、ここのところ、星雲賞の常連である。過去、二年連続で『宇宙へのパスポート』(2003年度)・『宇宙へのパスポート〈2〉M‐V&H‐2Aロケット取材日記』(2004年度)が、それぞれ、ノンフィクション部門の栄冠を獲得している。その前にも『星のパイロット2 彗星狩り』(1999年度)でも獲得しているので、昨年までで計3つの星雲賞を得ていることになる。
そして、今年は、遂に『エリアル』完結による日本長編部門である。
だが、ササモトはその自分の半生を共にした小説がもたらした星雲賞の授賞式に来られなかった。その頃彼は、アメリカのフロリダ州で、スペースシャトルの打ち上げを待っていたのである。
かくして、ササモトには、「星雲賞と企画2本をスッぽかしてロケット見に行っちゃった」という理由で、暗黒星雲賞ゲスト部門までが送られることになったのである。
この暗黒星雲賞というのは、91年金沢のi-Con以来15年間続いている持ち込み企画で、大会の中で、良い意味でも悪い意味でもいいから、自分が気になったもの・面白かったもの、目立ったものに投票するという企画。だから、過去、大会の中で大ブーイングだったもの、笑えるもの、愉快な人、喜ばれたもの、面白かった企画、頑張っている人、何でもかんでもが対象になる。じつは、ササモトは、一人で数本という信じられない数の企画に出演して、この第一回の時に既にゲスト部門で受賞しているので、13年の空白の後、14年目の再受賞ということになる。
しかし、知っての通り、シャトルは、「再現性がないから、まあ良いや」と放ったらかしておいた現象が、本番で発生、でも、急遽取りやめの後の同一条件下でのテストではまた再現せずという、なんとも厄介なトラブルに取り憑かれて延期中。かくして、いつになるか判らないシャトルに見切りを付けたササモトは、帰国を決意、三〜四日前に、東京郊外の実家に帰着した。
日曜日は、そのササモトを囲んでの、悪友達による
「笹本祐一ダブル受賞祝賀会」だった。「笹本祐一帰朝報告会兼シャトル打上げ未遂残念会兼裏表星雲賞授賞祝賀会」という説もあったのだが…。
まずは主賓による「ええと、なんと挨拶して良いものやら、とりあえず俺に乾杯!」という、いかにもこの人というべき挨拶で陽気に幕を開けた会は、大騒動。先週終わったばかりの日本大会の話から、打ち上げ延期で時間を持て余したササモトが、ひょんなことからワシントンに出掛けたために見学することになったスミソニアン等の写真報告など、20人以上がいくつものグループに分かれてわいわいがやがや。
かなりの大人数なので、全員の顔と名前を把握してはいないが、楽しかった。
最後に、ササモトに「三年連続なんだから、ここいらで四年連続宣言を」とかいう話が出て、「どうせなら未踏部門で」「そうだ、アート部門が良いよ、ササモト絵ェ描けよ!!」なんて話も。いや、ワタシがしたんですが……。(^_^;)
4時間に渡る会は、陽気に終わり。神北・藤澤・竹内・塩坂の四人は別行動を取ったが、多くは歌舞伎町の方に流れて二次会だったらしい。
いいねぇ、こういう会。こりゃ、やはりササモトに来年もダブル受賞を狙ってもらわねば……。
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コメント
だはははは。SF大会乗りそのままのパーティーで、どうもありがとうございました。
次はもっとのんびりした宴会やりたいやね。
投稿: 笹本祐一 | 2005/07/25 10:23
笹本祐一 さま
お疲れさまでした。
行けなかった日本SF大会が、後になって向こうの方から勝手にやって来るというのも、人徳ですな。よかったら、神北やクマが毎月定例にしている駒八会にもご参加して下さいまし。次回は、8月第一週の土曜日です。(さすがに奥様のもとに帰っているか(^_^;)…)
投稿: 神北恵太 | 2005/07/25 10:33
旧い戦友同志のこういう気の置けない呑み会は本当に良いですね。ダブル受賞記念「狂乱酒場」出張版でした。
投稿: おでっさ | 2005/07/25 12:53
笹本祐一 さま、おめでとうございます。
「獅子王」で連載され始めてから20年以上ですかぁ、長かったですねぇ。
投稿: バウム | 2005/07/26 00:16
遅くなりまして済みません。
おでっさ 様
おつかれさまでした。また、なんかで集まって騒ぎましょう。
バウム 様
ササモトっちゅう男の凄いのは、ただ長かったなぁでは無く、その間、いくつかの別の話を挿みつつも、基本的にずっと書いていたという、着実性にあるのだと思います。
投稿: 神北恵太 | 2005/07/28 18:45
そして、ちゃんとケリつけて完結させたところがさらに偉いです。
おなじ「獅子王」にも掲載された某氏の小説は、どーなることやら。
こっちの歳が主人公たちを追い越してはるかかなた・・・
投稿: バウム | 2005/07/28 23:48