『仮面ライダー響鬼』と『…7人の戦鬼』だぞ
毀誉褒貶喧しいとはまさにこの事。先週9月4日より、人気TVシリーズ『仮面ライダー響鬼』の製作陣が、大幅てこ入れされ、作品方向が大きく変わってしまった問題で、多くの人がネット上で失望・苦悶・諦観を表明している。それまでの好評価が近年のライダーとしては『…クウガ』以来の高さだっただけに、安直なシナリオに対する評価は厳しい。
- 密かに人知れず、人数少ない山奥や海辺で人を襲い生息していた筈の魔化魍が、どういう訳か徐々に街に出るようになって大変というここ半年の流れを無視し、田舎町を抜かして、一気に東京市街のバトルばかりになったこと。
- キャラクター同士のふれあい・連帯・友情や信頼の通い合いを丁寧に仕草や表情と言った芝居で描いて来たものが、ここ2週、直接キャラクターが説明セリフで心情を語って、それで終わりにしてしまうようになったこと。
- ちゃんとした年長の指導者が見守り、示唆を与えるのでなく、若者ばかりが勝手な思惑で動くようになって来たこと。
これでは、少なくとも、これまでの『仮面ライダー響鬼』の目指していた方向ではない。生活の中で起こる様々なよしなしごとを通じて、ちょっとした心のふれあいを丁寧に描く事で、戦士たりとも一個の人間であり、その暮らす環境に活かされ、だからこそその安寧を守るために戦ってゆけるという彼等の成り立ちを、完全に置いてきぼりにしている。現代に生きる一個の人間として、夢も悩みもあり、生き生きと描かれていた鬼たちが、ここから先、単なる戦闘要員として、バトルをするための道具立てとして描かれるのであれば、それは既に我々が注目して来た『…響鬼』ではない。
ライダー同士が、つまらん意地から意味のない戦いをするそれまで3年間の『…龍騎』『…555(ファイズ)』『…剣(ブレイド)』のような無味乾燥さが、今までの『…響鬼』の、まるでNHKの朝の連続ドラマであるかのような、丁寧な生活活写に取って代わるのだとしたら、最悪である。
しかも、残念な事にその最悪のコースを進んでしまいそうな、悪い予兆が、あちこちに見えている。
たとえばである。キャラクターファンムービーとして割と楽しめた『仮面ライダーヒビキと7人の戦鬼』という現在公開中の映画がある。この脚本が、このTVシリーズで9月からシナリオを引継いだ井上敏樹氏である。しかし、映画の楽しめた部分は、半年間かかって『仮面ライダー響鬼』が描いて来たキャラクターの面であり、楽しめなかった部分は、この井上シナリオの特徴的な部分であった。
これまでの『…響鬼』の良さとは、とにかく、登場人物が、プロであり、大人であるという事。ちゃんとしたバックアップの組織が在り、その中で人間関係を深く結んで確実な信頼を持ち合う同士が、どんな時も互いを尊重してちゃんと意見を交換し、事に当たることだ。それは、これまで放映された中に、ちゃんとした日常というものを土台に組み立てられたドラマがあったからだ。映画では、限られた尺(上映時間)の中でそれを丁寧に描くことはできなかったが、テレビにおける設定や連携が見えている観客には充分だった。
しかし、今回、何を思ったか数だけ出して来た『鬼』たちは、そうはいかない。全部で八人出る鬼のうち、四人は、テレビにも出ているキャラクターたちで、テレビ版の斬鬼さんだけが、劇場版では蝦夷地からやって来た凍鬼という新しいキャラに転じてはいるが、ストイックな性格などは受け継がれており、違和感がない。それに対し、新登場の残りののご当地鬼とでもいうべき四人が、やはり描きこみが薄く、印象に残り難いのは致し方ないのか。しかし、井上シナリオで登場した、大声で喚き合った挙句すぐにバトルで勝ち負けを決めようとするようなあらっぽくて浅い『鬼』の描写は、まさに『…龍騎』『…555』『…剣』を思い起こさせるような、ミットモない大人の典型である。
そして、それを助長するように、立花勢地郎こと籐兵衛は、映画の中で役に立たず、テレビの中では熱を出して寝込んでいるだけ。大人の視線でチームを引っ張っりまとめる善意の精神的指導者の不在。それが井上シナリオの特徴であろう。
すべての『仮面ライダー』シリーズの始祖である『仮面ライダー』の主役、藤岡弘、氏(誤記でした、正確には、2作目『仮面ライダーV3』の宮内洋氏でした。指摘をいただいた畏友イシイマコト氏に感謝)は後に「子供番組とは、教育番組である」という名言を世に標している。それは、彼個人の思いであるばかりではなく、彼自身を育んだ『仮面ライダー』という番組シリーズに関わった、プロデューサーから監督、脚本家、役者仲間、全ての思いを形にしたものであろう。
しかし、ロクに仲間同士で話も出来ず、意思疎通できない事を拳で解決しようとするライダーばかりが横行する、荒れたシナリオは教育であろうか?
少なくとも、「こういう大変なことなんだよ、大人が生きて行くという事は。でも、そうだからこそ生きてゆけるんだよ」と範を示す、キリっと引き締まった気持ちいい描写がウリだった『仮面ライダー響鬼』は、9月に入ってからこっち、鳴りを潜めてしまった。
残念である。
まだあと後半戦半年。いくらでも面白くできると思うから、決別を宣言する気はない。これからも、割と毎週日曜の朝に早起きをして見続けてゆくと思うから。だが、たった2週分の変調と映画1本で、これまでの半年ほど熱心に観れなくなっているのも事実。
割と冷めた目で、大好きだったヒビキさんや明日夢君たち(特に日菜佳ちゃんのおデコ)を、見守ってゆきたい。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
事実誤認ではないかと思い書き込みました。
「ヒーロー番組は教育番組である」と語ったのは、宮内洋さんだったと思います。本人の著書である『ヒーロー神髄』で書かれたのが最初だったような……。
投稿: イシイマコト | 2005/09/12 15:08
イシイマコト さま
ホントだ。済みません。勘違いしてました。本文も修正させて頂きました。
どうも、ありがとうございました。
投稿: 神北恵太 | 2005/09/12 16:02
おかしい。いつも鍛えた「つもり」なだけだった明日夢が鍛えられてる…。
周りが無条件に明日夢を褒めてない…。
子供が見たいんじゃなく一部の大人が見せたい響鬼じゃなくなってる…!!
投稿: グエウン | 2005/09/17 02:15
グエウン さん
けして、荒れた極限状態ではなく、ちゃんと自分の仕事・自分の役割に打ち込む真面目な大人を見る事で、少年を成長させられるかという、ヒーロー番組始まって以来の壮大な実験が、(少なくとも、今、一時)頓挫しているのは、残念でしかたありません。
明日夢は、ヒビキの弟子になるかも知れないが、ならないかも知れない。しかし、ちゃんと人間として何が大切な事なのかを経験によって知っている頼れる大人、社会の中でちゃんと生きれる人に育つ。その生き方を学び、そうある事が、鬼の跡を継ぐ事・継がない事より、もっと大事な事なんだという結論を見たかったのですがね。半年後、いったいどうなっているのでしょうかねぇ。
投稿: 神北恵太 | 2005/09/17 04:00