歩いたぞ
昨日の昼時、なんとはなく8キロほど歩いた。昼メシを食いがてら、まあ、散策というか、散歩というか、何か素材になりそうな景色はないかとカメラ片手に近所をぶらぶらと2時間半ほど散策したのだ。
秋たけなわ。まだまだ、さいたま市では木々が色づいたりはしないが、それでも、そろそろ秋の実りがピークを迎え、ひんやりとした空気と日ざしの中で、立ち木の葉の色が深く、徐々につやを失い、冬支度が始まろうとしている。
汗をかく訳でもなく、風邪を引く訳でもなく、わりと歩き易い気候である。
この秋には、カメラの買い替えを検討しているので、そろそろこのPowerShot SI 1Sともお別れなのだが、たいていのことがオートフォーカス一つで済んでしまう、とても便利なカメラだった。
まあ、便利と云っても、機能の半分もうまく使いこなしていないので、本気になって使った便利さと較べると、通り一遍しか試していない訳だが。
てなわけで、この記事は、写真レポートである。
さいたま市には、6つの姉妹都市および国際友好都市がある。そのうちの一つが、トルーカ市(メキシコ合衆国)で、当時の浦和市と1979年10月2日に姉妹都市提携をした。その関係からか、特に旧浦和市だった地区には、メキシコ的なモノがあちこちに唐突にある。
そのモットモたるものが、このケツァルコアトルの像である。
ケツァルコアトルの像 前から見ると、腰帯を締めた割と普通の像のように見えるが、横に回ってみて驚くのが、その口。嘴になっているのだが、唇を置き直したというよりも、あご全部が下の嘴になっているのだ。ちょっと異様な印象があるが、現地の祭用の仮面かなにかに原点があるのかも知れない。何年か前には、2chの連中が集まり、この像の周りで「サイタマ」「サイタマ・サイタマ・サイタマ」とサイタマ祭をしたらしい。
ケツァルコアトルのいる広場 棕櫚(シュロ)を植えるなど、太陽の国メキシコの暑いイメージを再現しようとしているここは、アステカの祭壇広場を象っているようだ。とすると、遠足に来ているらしい数人の子供たちと二人の引率の先生が座っているのは、生け贄を捧げる供物壇だと思うのだが……。
残り花 この木でこの花だけ残っていた。この写真は下から斜め上に向かって高い仰角て撮っている。ちなみに、オイラに何の花だとか云うことは訊かないで欲しい。
キッカイくんの家 歩いていたら、斜めに建っている家を発見した。永井豪の傑作マンガ『キッカイくん』の発明一家が済んでいた家が、こんな風に斜めになっていた。あの家は、玄関が斜めになっていて、時々ドアを開けた途端にお爺ちゃんが転げ落ちたりしていたが、ここのお宅はどうなのであろうか?
ヘリコプター ヘリコプターである。西簿の三丁目の鴻沼排水路沿いの公園にある。ところで、『ファイトだ!! ピュー太』ってアニメ、ご存知ですか? 私は、このヘリコプターを見て、なんだか、ピュー太を思い出しちゃいましたよ。
歩いていると、なんだか、ゴミ集積場があった。よく見てみると、なんか面白いものが。Sankyo 8 vp と書いてある。8ミリフィルムの映写機である。調べてみると、1960年製(まあ、その年から数年は作られたのだろうが、)らしい。40年以上前のものだし、保存も悪い。まあ、ゴミだよなぁ。よく今まで残していたと思う。
ゴミ捨て場に佇む 写真では判り辛いと思うが、各所の劣化を見るに、少なくともここ20年は(屋内の押し入れとかではなく)倉庫に、いい加減に放り込んだままにしてあったと思われる。でも、老兵には申し訳ないが、どう見ても、周りのゴミと分別種類が違うんじゃないかな?
青木製造餡所の煙突 建設時期とかはよく判らないが、突端付近に細工がしてあったり、なんとも格好が良い。歩いていて偶然見つけた。この製餡工場が現在稼働しているかどうかを含め、ちょっと知りたいなぁ。
ちなみに浦和駅から、約800メートル、徒歩10分少々のところに、調神社というお宮さんがある。「調」と書いて「つき」と読ませるようだ。地元では「つきのみや」さんと呼ばれている。江戸時代には月読神社ともいったそうだが、本来は、「租傭調」の「調」として伊勢神宮に送る物資倉庫群の中に建立されたものだと云う話だ。
この「月の宮」は、兎だらけの神社としてしられており、兎スポット「調神社」というサイト等でいろいろご覧頂きたい。
狛兎 調神社の入口に狛犬はいない。かわりに狛兎が迎えてくれる。また、入口に鳥居がないのも、この神社の特長らしい。
調神社の手水場 一見、普通の神社にある手水場に見えるが、吐水が、龍とかではなく兎である。兎スポットの面目躍如というところか。ところで、ボーパルバニーって知ってる? 境内には、この他にも、多数の兎が居る。ちなみに、境内のお稲荷さんは、この神社の旧本殿なので、ここにも兎が居る。お稲荷さんに兎って、ちょっと不思議。
調神社から浦和駅に向かって歩いていて、見つけた看板がある。「小学生のための理科実験教室 サイエンスクラブ」。ふむふむ。ゆとり教育で、理科社会をあまり教えないから、こんな塾が出来たんだな。
サイエンス倶楽部の看板 いや、「サイ」エンス倶楽部だからってのは判るけどさ。このサイの先生、いい味出してるなぁ。
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コメント
風の神の像(こう書くと改元の風神様みたいだな)は、もらった当時そこに近代美術館が確かあったんだよ。今、別所沼会館になってるやつ。なので、そこに設置されてるんじゃないかと。他にも中野四郎のセメント像とかがあるよ。
ちなみにそこの向かいあたりにある、弁天島にはどういうわけか深川の州崎神社の分社があります。
ヘリコプターは懐かしいな。そこから30mくらいのところに住んでました。今、近くに娘々ができたので、腹減ったときにはそこがオススメ(笑)
調神社は卯年のときは、そらもすごいことになるよ。ちなみに12/12には十二日まちって祭りがあるので、自営業の方は「かっこめ」を購入するとよろしかと。(熊手の露店もいっぱいでるけどね)
投稿: 大外郎 | 2005/10/26 13:45
大外郎 さま
へぇえ、あのケツァルコアトルは、そういう歴史があるんですか。現代美術館って、今、北浦和公園に移っているアレですよね。
別所沼に浮かぶ弁天様は、辰巳芸者縁の州崎の弁天様でしたか。まあなんなせよ、湖・沼・海岸なんかの小さな島は、弁天様をまつることが多いですな。
調神社から駅に向かって中山道を歩いて行く途中に、旧いお茶屋さんの屋敷の庭の、物置小屋を改装して倅がやっているらしき日本茶喫茶室があって、たんま〜に行きます。
普段、浦和駅付近で日本茶というと、駅前のコルソ近く、さくら草通りの「ちゃちゃ」なんですけど、調神社からの帰りには、何故かそこに寄ってしまう。
投稿: 神北恵太 | 2005/10/26 21:23
>今、北浦和公園に移っているアレですよね。
そそ、あれです。
あそこらへん玉突きで移動しました。
かつて、北浦和公園は埼玉大学がいたのですよ。その跡にやってきたのが県立近代美術館。
なので、北浦和公園には旧制浦和高校跡の碑があります。
美術館移転時にケツァルコアトル像は、設置して2年ほどしか経っていなかったので、取り残されちゃったんだと思います。
投稿: 大外郎 | 2005/10/26 22:33
お……面白い。
ケツァルコアトルが埼玉にも!
しかしそれ以上にサイの先生の慈悲深い顔。
いい仕事してますねぇw
投稿: ドヴロク | 2005/10/27 20:35
ドウロク さま
小学生の頃は、理科の実験とか大好きでしたから、親の金使ってこんな課外授業受けられるんなら、小学生のオイラなら喜んで行ったと思うんですがネェ。今の子たちはどうんなでしょうかね。
投稿: 神北恵太 | 2005/10/27 22:17
>>北浦和公園
で、その埼玉大学に通っていました。かんがえたら四半世紀以上過ぎています。
北浦和(公園の前)-埼大のバスは、運が悪いと新大宮バイパスの信号を10回くらい待つこともありました。あの道が所沢に抜ける線なのですよね。
当時は新幹線も通っておらず、バイパスの上には何もありませんでした。
与野に住んでいたカミさんの所に行ったら、様変わりしていることに驚きました。
ちょっと懐かしいです。
投稿: 八潮 | 2005/10/28 08:12
八潮 さま
埼大通りと新大宮バイパスというと、ロジャースの角ですな。あそこは今も、遠慮会釈なく混みます。というか、浦和・北浦和あたりから新大宮バイパスに向かう路は、すべからく混んでいるんですよね。
投稿: 神北恵太 | 2005/10/28 08:53
県道浦和所沢線は日本一長いケヤキ街道らしいですが、あまりの落ち葉の多さに「切っちゃえ」という大胆な対症療法が提案されているそうな。
しっかし、来週からはロジャースの新装オープンであそこがまたひときわ混むんだろうなあ。
投稿: 大外郎 | 2005/10/28 17:32
大外郎 さま
あれ、日本一長いとか云ってますが、途中でなくなったり、他の樹に変わったり、いろいろしながら続いて行く、かなりの「なんちゃってケヤキ並木」なので、ま、「間引く」程度なら、充分にありではないかと思います。
投稿: 神北恵太 | 2005/10/29 05:41
ロジャースの上にはボーリングのピンが看板として掲げられ、中ではレーンの上に商品陳列棚がありました。
とのかく、ロジャースボウル立ったときのなごりを色濃く遺していましたね。
とにかく、埼大から荒川までの間にはなにもありませんでした。
お話しのけやき並木もありませんでした。そうなんですか、(自称)日本一長いんですか。
投稿: 八潮 | 2005/10/29 14:44
>八潮さん
戸田店は未だにロヂャースボウルの時代の
構造を色濃く残してますよ。
あそこも老朽化激しいので、次はあそこが
全面改修になるんでしょうね。
埼玉大学から荒川の間は、今はロードサイド店がいっぱい並んでます。
投稿: 大外郎 | 2005/10/30 02:48
神北恵太 さま、ご無沙汰しております。FSFにてお世話になっておりました とみじ です。
娘を「サイエンス倶楽部」(@東京中野)に通わせておりますが、教室の日をとても楽しみにしておりますし、同じクラスの子供達も嬉々として実験しているようです。
もっとも、体験授業を受けてから入る入らないを決められるので、科学離れしている子はその時点で振り分けられるのでしょうね。
それ以前にSF者の血を引く子供では標準サンプルにならないという声も、、、
投稿: とみじ | 2005/11/01 19:34
とみじ さま
ご無沙汰です。
「理科の実験」という言葉にワクワクする世代が、ちゃんと育っているのは良いですねぇ。
学校の調理室クラスのものを揃える料理学校は多いけど、理科室クラスのものを持っている学習塾というのは、なんか凄く見えます。
投稿: 神北恵太 | 2005/11/01 19:58
作者です。お褒めの言葉、いまごろ発見しました。ありがとうございます。
右手の虫眼鏡は好奇心と知恵、左の本は探究心と知識を表しています。両方が呼応しあって叡智が育つと考えました。サイエンスのサイ、才能の才、最初の創業地である埼玉の埼、キャラクターはサイ以外にありえなかったのです。
投稿: 作者 | 2018/01/08 14:31