出雲爆走紀行だぞ-その1-
この日記の、一つ前のエントリーで書いた東京モーターショーに行った日、幕張で、熊倉家と待ち合わせた。
熊倉くんご夫妻のご好意で、ファミリーカーにしているステップワゴンを出雲行きの足としてお借りしたのだ。この日はその受け渡し。ちょうど我々が出発する11月4日に、熊倉家は休暇を取って東京モーターショー見学だったのだ。
それじゃあということで、神北も今期は行けないかなと諦めていたモーターショーへ行くことにした。で、昼過ぎに合流。わざわざ、このために車二台に分乗して幕張まで来てくれた熊倉ご夫妻と、巻き込まれた莉緒ちゃんに感謝。基本的に感謝の気持ちは美味しく顕わすことにしている神北としては、幕張プリンスのブッフェに誘う事に。このプリンスには、ランチブッフェをやっているレストランがいくつかあるのだが、イタリアンブッフェをやっているイグニスに決めた。わりと明るくてカジュアルなレストランなので、乳幼児連れでも顔をしかめられたりはしないだろうという公算。あと、子供が困らない味の物が多そうという気がしたのも大きい。はたして、イグニスでは、幼児椅子をサっと出してくれたり、非常に手慣れた対応をして戴けた。
莉緒ちゃん まだ、御飯を食べているのやら、食べ物で遊んでいるのやら、はっきりしない莉緒ひめ。この日の姫のお気に入りは、フルーツポンチだった模様。
食事の後、プリンスの駐車場で熊倉家から車を借り受けて、いざ出発。とはいえまずカーナビの設定から。北を上にしている熊倉セッティングから進行方向を上の神北セッティッグに切り替える。ついでに、自車表示を「車に乗ったポストペット・モモ」から「▲」マークへ。最近のちゃんとお金を出したカーナビって、カスタマイズ能力高いよね。
最近は、軽自動車〜1300ccクラスにばかり乗っていたので、2000ccクラスのステップワゴンみたいなワンボックスは久しぶり。最初は慎重に運転。徐々に身体を慣らして行く。とはいえ、別にこの歳になってこのクラスを生まれて初めて転がす訳ではないので、云っている間に側方感覚が付いて来る。最初は意識してちょっと広めに懐を取っていた左折も、集合地点の新宿に向かって走っているうちに自然に身に付いて来る。
途中でジャスコに寄って買い物をしたりしながら、新宿に着いたのは、そろそろ辺りが薄暗くなり掛かっていた頃。とはいえ、まだ同行者の面々は仕事中だろう。
今回の同行者は、神北、むらさき、塩坂、そしてマンガ家のすどおかおる君の4名。残念な事に、行きたがっていた竹内くんは、仕事の都合で断念。2週間先のチィナ★コンでは捲土重来を果たすという話。
サザンタワーに入れて、一息つくことにした。
新宿新南口 新宿新南口には、へんなビルが多い。
サザンタワーの駐車場に入れて、同行者を待つ。行けなくなった竹内くんと木原くんが見送りに来てくれたので、見送りのメンツと同行者、合わせて6人で食事。サザンタワーのインド料理。北インド料理マハラジャ、結構美味しかった。ちなみに、店からのサービスでサフランライスを戴いたりしてコイツもラッキー。
食事後、見送りの二人と別れて我々は地下駐車場へ。携帯電話と同じ胸ポケットに入れていた駐車券を落としてしまったらしくちょっと慌てたが、券無しでも係員の方が手動で清算して頂いて、なんとか発信。
塩坂くんと交代交代に走って、10時半頃足柄SAへ。「あしがら湯」という立ち寄り湯があるので、ここで入浴。神北はモーターショーの汗を、あとの三人は今日一日の仕事の疲れを流して、さっぱりしたところで再発進。静岡から愛知・岐阜・滋賀・京都・大阪と東名・名神を順調に抜けて、吹田JCTから中国道へ。さらに兵庫・岡山と抜けて、落合JCTから日本海に向って抜ける米子道へ。10年ぐらい昔は、この米子道が出来ておらず、落合ICから一般道で山道を越えて行ったものだが、今は随分と楽になった。米子から宍道湖を回り込むようにして、まずは出雲大社へ。
出雲大社入口 写真を撮っているのは同行者のすどおかおる氏。
今回、マンガ家のすどお君が同行したのは、この出雲大社などを取材したかったから。神宮作りの神社を見慣れている身としては、やはり大社造りの社殿というのは不思議な感じがする。が、それ以上に鬱蒼とした森の中を玉砂利を踏んでかなり歩かされる伊勢神宮に対し、出雲大社とはなんと見通しがよく作られているのだろうかという事が、最大の驚きだ。
奇しくも旧暦十月にあたる11月は出雲では神在月だった。
神コンの看板 出雲は神在月。「神無月」「神在月」というから、ひと月間神様が居るのかというとさに非ず。神様にだって、移動の時間が必要なのだとか。そのため神在祭は、七日間たけなのだ。われわれは一週間早かったので全国の神様には会えなかった。残念。
神在祭の看板に、ああ、出雲に来たのだなと実感させられる事しきり。他の国では、神無月になるといつの間にか神様が居なくなっていて、気がつくとお帰りになっているものだが、出雲では一週間続く神在祭の前の晩に、「わーい、全国から神様が御座ったぞい」とお祭りを開いていたのである。なんか出雲は、神話の神様たちも、それを祀って来た住民たちも、揃って豪快だなぁ。
出雲大社入口 全景
というわけで、正面入口から出雲大社へ入って行く。実際には、裏手の駐車場から、参道半ばに出る路があるののだが、そこから参道を鳥居まで戻って、ここから始めるのである。出雲大社は面白い作りになっていて、この入口がかなり高い地点にある。参道を来る途中に後で写真がある大鳥居を潜り、坂を上ってたどり着いた頂点が、この鳥居のあるあたりなのだ。この後、神殿目指して坂を下ってゆく。
出雲大社参道 入口から本殿へ向かう道筋
その下り終えた辺りに川が流れていて橋を渡る。橋を掃除しているおじさんがいたが、当然「お参りですか? れれれのれ」とは云ってくれなかった。この橋から神殿までは、神苑の中を松並木路を歩く。水舎(手水場)を経て、銅の鳥居を抜けると拝殿へと至る。
出雲大社拝殿 大社造りなので、屋根の山が前後に来る。
拝殿には、こんな風に書いた木札が置いてあった。
出雲大社の拝礼作法
二拝 (礼)
四拍手
一拝 (礼)
ほほう。ちょっと吃驚だった。出雲の作法は四拍手なんだ。
出雲大社拝殿のしめ縄 デカい。ひたすらデカい。
拝殿というのは、本殿の手前にあるわけで、ぐるりと裏に回ると本殿が見えて来るのだが、そこの石畳に不思議な図形が描かれていた。下の写真がそうだ。
ミッキーマウス? 実は、平安〜鎌倉期の本殿の柱のあった場所と大きさを標している。
ワザと角度を付けて撮っているが、3つの円は同じ大きさである。これは、古い神殿の柱の跡を象った物だと云う。かつてここで、古代(といっても、平安初期から鎌倉)の神殿の基礎部分が発掘されたその場所に置かれているのだとか。記録によると、当時の千木までの全高は47〜48メートル。ウルトラマン40メートル。闘将ダイモス45メートル。ウルトラマンタロウ48メートル、初代ゴジラ50メートルだから、まあ、そんなものということ。
それは、全体が大きいのではなく、巨木の柱の上に神殿を載せる超高床式で、階段状の参道がずーっと一直線に続いていたらしい。出雲大社の正面参道沿いにある古代出雲大社模型展示館「雲太」では、その太さの柱の模型が置かれている。呆れるから見てもらいたい。
基礎の見つかった巨大柱 3本束ねて一本の柱として使用されたと思われる巨大柱の復元模型。門の外に展示館「雲太」がある。
ただし、これは、随分と想像推察の加わった復元でもある。三本の柱が掘り起こされたといっても、基底部、基礎だけ三本を束ね、柱部分は一本だった可能性もあるし、当時の宮大工が作業に使ったとおぼしき絵図面は上面図のみ。側面から見たときの屋根の高さ、階段参道の長さや角度は、歴史の彼方なのだ。
シマネクス52という県の広報ページ(Page1とPage2)に詳しいので、ご興味がおありであれば、一度見て頂きたい。ちなみに、この展示館の「雲太」という名前は、出雲人の好きな言葉で、「雲太、和二、京三」といい、「太」は「太郎」の「太」(長男の意)で、「出雲大社が一番、大和(奈良)の東大寺大仏殿が次で、平安京(京都)の大極殿が三番目」という建物の巨大さ自慢の言葉で、元は源為憲の『口遊(くちづさみ)』(970年)にある記述だとか。
逆に云うと、高さ15丈の東大寺大仏殿がある以上、高さ16丈の社殿があっても、何の不思議もない訳で、平安の宮大工たちは凄かったというべきなのだろう。
大社の瑞垣をぐるりと回る。と、本殿の真後ろに攝社素鵞社(そがのやしろ)がある。本社・攝社(摂社とも)・末社という並びなので、主祭神ではないが非常に大事にしている神を祭る社という意味だ。本殿(本社)の大国主大神にたいし、この攝社素鵞社には、素戔鳴尊(すさのおのみこと「須佐之男尊」とも)が祀られている。云わずと知れた八岐大蛇退治の英雄神、後に日本武尊につかわされる神剣、草薙の剣を大蛇の体内から見いだした、日本神話のダーティーヒーローである。
出雲大社攝社 素鵞社 素戔鳴尊を祀った社。本殿の真裏に在る。攝社素鵞社(そがのやしろ) 本殿を護る玉垣、その外側のいくつかの建物を含む陣内を護る瑞垣とあって、その外、本殿の真裏に位置する。
その英雄が、本殿の真裏に祀られているというのも面白い。
さて、出雲と云えば、全国から神様が集まって、その一年の縁結びを決めるところ。出雲大社は、八百万柱の神々が参加する超大型コンベンション(会期7日間)の会場として知られているのだ。その神々が、会期中、滞在するのが、十九社と呼ばれる末社。それが、コレ。今後、聖地巡礼(や、ホントに聖地なんですケド、ここ)を目指すみなさま、ゆりえさまご愛顧の宿は、こんな形ですよー。
末社 十九社 神在月の間、全国から集まった神様がお暮らしになる社。19の扉が並ぶ。この扉は年間を通じ、神々の居られるたった1週間の間しか開かれない。この写真は本殿西方の西の神々のためのもの。反対の本殿東方には東の神々のための十九社がある。
さて、出雲大社に参ったら、蕎麦。出雲蕎麦である。ローカル・リフレッシュコンに行けば信州蕎麦、ガタコンに行けばへぎ蕎麦というのと、同じである。儀式である。
出雲蕎麦 呼び込みをしていたオバちゃんに声をかけられたからと入ってみた。縁結びの神様だからね。ご縁を大事にせねば。
車に乗って、参道を大鳥居の方まで走ってみる。コンクリ製・鉄製の大鳥居というのは、明治以降というか、主に大正〜昭和中期に、工法が確立した後、地元の大立て者が寄進した物が多いが、これもそういった例の一つ。
でも、カーナビが裏からの抜け道を指示するから、この参道をなかなか使わないんだなぁ…。ちょっと残念。
大鳥居 出雲大社南方の参道上570メートルに建つ大鳥居。
さて、かくして、聖地出雲大社を回った我々は、次に、もう一つの聖地、境港を目指す。あそこには、ヤツラが待っているのだ。
レポートは、まだまだ続く
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