芸術の「病み」だぞ
2005年11月26日土曜日。上野駅のすぐ傍、上野の森美術館で大盛況の、ガンダムをモチーフとした、現代美術の展覧会『GUNDAM GENERATING FUTURES 来るべき未来のために』——通称『ガンダム展』——を覗いて来た。夏に大阪の天保山サントリーミュージアムで行なわれたものの東京版である。
行った誰もが難解、理解不能、思考停止と、かなり否定的な見解を示す、ナゾの展示会だ。
ある、古手の方の「オレ達アニメファンがファースト・ガンダム放映当時からやって来たリスペクトに四半世紀も懸かったゲージュツ」という言い方が、全てを語っている気もする。
音声解説が、この展覧会の企画者の東谷隆司さんと、古谷”アムロ=レイ”徹さん、池田”シャア=アズナブル”秀一さんの二人(まあ、池田さんはごく一部だが)というので、音声解説を借りてみたのだが、これが無ければ、ハッキリいって何が何か判らなかったんじゃないかと思う。リスペクト(尊敬)という概念とはいかに広大かと思い知らされるような作品群だ。ハっとさせられるモノがあるかと思えば、「なんでもガンダムに結びつけたら展示出来ると思ってんじゃねーぞ、おじさん怒っちゃうぞ!」という以外のリアクションの取り辛いモノ、「それは芸術ではなく、工芸とかパロディセンスで語るべきものだろ?」としか評しようの無い悪ふざけまで、少なくとも、ファースト以来四半世紀の芸術運動の精果と呼ぶには、いささか玉石混淆の観が否めない美術展だった。
んー。
「GUNDAM 来たるべき未来のために」 | |
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会期 | 12月25日(日)まで開催中。会期中無休 |
会場 | 上野の森美術館(東京都台東区) |
開館時間 | 月〜木曜=11〜17時 金・土・祝日=11〜20時 日曜=10〜18時 ※入館は閉館の30分前まで |
入場料 | 一般1300円、大高生1000円、中小生500円 |
展覧会公式HP | http://www.gundam-exhibition.jp |
主催 | 産経新聞社、上野の森美術館、ガンダム展制作委員会 |
見た順に覚えている訳ではないので、買って来た公式カタログ(B5版総144ページ、ハードカバーのかなり重いもの。)を見ながら、気になった作品を上げておこう。
Breathe upon the Universe & コアファイター1/1SCALE
話題になっていた1/1コアファイターは、生西康典×掛川康典×ククナッケ×マジックコバヤシ×永戸鉄也の手に因るBreathe upon the Universeと組合わさった作品。周囲のスクリーンに投射されるこの映像は、最終回ラストシーン近くの要塞脱出中のアムロの心象風景、もしくはニュータイプ覚醒のイメージらしい。さほど長くなく、上手くまとめられており、世代間の共通認識と共感の最大公約数として割と良く出来ているのではないだろうか。映像の最期のメタボールで構成されたスプラッシュが湧いて来る中に居る、同じくメタボールで作られたララァ=スンが、この時点のアムロにとっての安らぎの象徴なのか苦悩の根源なのかを、いい意味で見分けさせない映像の勢いが、良い。
だが、そのアムロが載っているコアファイターの方は、パッと見良いんだけど、ちっと作り込みが甘くて残念至極。フレームを留めるためのボルトがまんま見えていたり、わざと作ろうとした溶接痕が不揃いで稚拙なレプリカ感を醸し出す。最も酷いのが後部ノズル。アルミのフレームにノズル部品を固定している。これって、実際に稼働するかどうかは別としても、ノズルの首が振れるようなギミックなしに直付けしてたら、いくらコクピットが作り込んであってもダメなんちゃう?
まあ、下手な映画撮影用プロップよりはリキ入ってるんだが、ガンプラのストリームから離れた所でゲージュツやってた人の造形力って、それが何のための形状であるかを見極める技術センスの面で、何かを置いて来ちまってる気がした。
ザク〔戦争画RETURNS番外編〕
会田誠さんの高さ200×幅320センチの大きな油彩画は、無慮数千のザクが描かれた地獄絵図。世界大戦中、軍部が戦意高揚のために描かせた戦争画のスタイルだというが、ちょっとどうでしょうという感じ。敵が一兵も描かれず、ザクだけが山野に溢れ、ヒートホークを振り上げて戦っている姿は、戦場ではなく地獄にしか見えない。ただ、何に見えるかは別としても、見るに値する迫力は間違いない。
crash セイラ・マス
これは、高さ2×幅4×長さ6メートルの這いながら片手を振り上げる、恐ろしげな顔をしたセイラさん。作家の西尾康之さんは、民間人のカイを叱咤し、躊躇するアムロを激励して出撃させてしまうセイラさんが、男を戦場に送り込む恐ろしい存在に見えたという。そのセイラさんのイメージとして、部屋一杯の大きさで、拳をり上げた姿の石膏像。
普通、鋳造物は、原型を粘度で作り、それを型に撮って、型から起こすのだが、この巨大な作品はそうではない。陰刻鋳造という、粘度型を直接造形し、そこから取り出す。だから陰刻。しかも、へらを使うのでなく、親指で粘度を押して型にしたらしい。押したものが型になる訳だから、出来た作品は、内奥から爪の付いた指で押し出したそのままの形になっている。それが、情念というか、悪夢というか、一種ギーガー的な、デビルマン系の永井豪的な、醜悪で、力強くて、怪しい玄妙さを醸し出している。
戦争に、戦場に、男達を無理矢理送り出してしまう恐ろしい存在を、セイラさんという楚々とした美少女に重ね、確かな造形力で描き切った力作。
ガンダムが神話なら、これは、神像であろう。そこに描き出されるエピソードが受け入れたいものかどうかは別だが。
ちなみに、サンスポ.com記事「なりきりシャア!石坂ちなみがガンダム展をコスプレ訪問」に、この作品の写真が出ている。よかったら、見て怯えて欲しい。
「戦争」墨雨〔黒〕 & 「最終防衛ライン」ア・バオア・クー
書家といっても、名古屋芸術大学で洋画を学んだという変わり種の横山豊蘭さんの「戦争」は、縦に黒い線が無数に入れられた巨大なもの。一種の抽象画なのかな。難し過ぎてよく判らない。
同じ作者の「最終防衛ライン」は、千字文(重ならない漢字4字×250句からなる中国の一種の「いろは」)で、ア・バオア・クーが描いてあるという掛け軸。東洋的な静謐さの中に、激戦のア・バオア・クーが浮かび上がるという、なかなか異様な作品。
ただ、この同じ横山さんが作った、バズーカ形やジオングの頭形の大筆や、ビームサーベル形の筆などは、現代芸術であろうか? 工芸品だったり、パロディとして見るべきものまで、無理矢理現代アートとか言っている姿勢に、疑念を感じる。
尤もこれは、出展者のセンスか、キュレーターの資質の問題化なのか、スポンサーの意向か、何が原因か判らないから何とも言えないが。
アムロとアムロたち
これは、ホワイトベース内のアムロの居室という設定の、ベッドが一つとその脇に通信パネルがあるだけの、わりとガランとした殺風景な部屋と、その壁の一部を切り欠いて、アムロと同世代の少年達のポートレイトが次々と流れるという、不思議な空間。「芸術だ」と言えば何でも芸術になるという見本かも知れないし、何かの突破口なのかも知れないが、少なくとも神北には理解不能。
サイコ・コミュニケーター・システム
フラガナン機関内のニュータイプテクノロジー・ラボを名乗る創作集団による作品らしいのだが、芸術作品というより、偽論文が中心。このカタログ買わないと全文が読めない。なんだか意味不明の展示。「……先頃サイド6でニュータイプ研究に関わる資料および論文が数点発見された。」という設定で、実験風景の記録写真、概念図などを含む、実験記録と研究論文、兵装の転用提起書などが綴られているが、こりゃ、美術展よりG20にでも載せておけよ!
RX-78-2 傾奇者 2005Version
天明屋尚さんの上半身に入れ墨の入った和風(?)ガンダム。開いたコクピットから出て来た龍が、胴体を一周巻いた上で吠えている。
緻密に描かれているが、妙にデッサンが悪いというか、ガンダムに躍動感が無い。同行したむらさきに言わせると、「細部のギミックを見れば、どのガンプラをモデルにしたか一目瞭然」だそうで、200×200センチの大作なのに、迫力のハの字も無い玩具テイストあふれる作品。そういうアンバランスさに、意味があるのかも知れないけど、いかにも、ガンダムを「自分のモノに出来ていない」感がある。着想のわりに、ガンダムに迫力が無く、「この人本当にガンダム好き?」と思わせてしまう。
”せめて惑星らしく”
ちょっとこのタイトルなんとかならんかったんかいという、安村崇さんの写真作品。自然物をとても美しく撮った写真集だが、どう足掻こうが理屈を用意しようが、『新世紀エヴァンゲリオン』の第弐拾弐話「せめて人間らしく」がチラついて、ガンダム展に持って来るモノとしてどうよ? と思う。
Space Camp Site
篠田太郎さんの展示物は、どう見ても、雑誌て言う所の埋め草である。だからというわけではないが、植物を閉鎖環境の中で育てる実験という名目で、大きなビニールのバルーン内で苔を育てている。
カタログを読むとわりと面白い事が詳しく書いてある。宇宙に暮らすという事それ自身が大冒険なのに、それが日常となると次第に倦んで来る。それを打破するために、ちょっとした冒険として人工の緑化内で疑似冒険敵に、キャンプをする……という、入れ子構造の人間心理を描きたいという、ものの考え方は非常に面白い。だが、実際にやって見ている作品はどうかというと、んー。なんとも、意味不明な……。
《From First》
こういうものを見せられて出て来ると、この東京の展示会にあわせて富野さんがプロデュースした《From First》という作品が、いかにストレートかつ大胆に、ガンダムというものを象徴しているか判る気がする。
1/12ザクを何体も使い、その中心に、1/60パーフェクトグレードのガンダムを置いた作品なので、まあ、言ってしまえば「ガンプラを組み合わせた情景モデル風作品」なんだけど、1/12ザク(全高約150センチ)の持つ迫力が、白一色という大理石像のようなカラーリングによって神話的な趣きに転じている。
その数多の巨大なザクを背景にして、中央の赤い台座の上で腰を落とし天にライフルを向ける、これも全身真っ白のガンダムが、これだけ1/60と小さいにも関わらず、その場を支配しているのが、インパクトだ。
じつは、この作品、富野さんが出品、とはいえ、監督業が多忙を極める中で実作業まで出来るワケないから、プロデュースだけして、バンダイかどこかに作り上げてもらったんだろうと予想し、そんな単なる組み合わせに意味があるのかと思っていたのだが、実物を見ると、たしかに伝わって来るものがあった。
上で書いた会田さんのザク〔戦争画RETURNS番外編〕に相通ずるような気もするが、白で統一されたそれは、より、神話性というか、象徴性を強めていて、さらに会田さんの作品には無い、真ん中に置かれたガンダムが発する、強い強い気配が、印象を全く別のものに変えている。
やはり、このオヤジただ者じゃねぇ。
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コメント
そうですか。やっぱりヘタレでしたか、、。「誰に対して見せたいのかさっぱり判らん」とは聞いていましたが。物欲的に会場限定発売のコアファイター用ステッカーは気になっていましたが「セイラさん」写真でトドメを刺されました。行かない事に決定です。
投稿: 名古屋是清 | 2005/11/27 12:37
名古屋是清 さま
あー。うー。理解してもらえなかったか。
オイラは、この「Crash セイラ・マス」、判り易くて気に入っている作品なのだが……。大阪から持って来た展示の中では一番、しっくり来たんだよな。
しかし、前へ行こうとするアーチストの試行錯誤は、自分に合うか合わないかであって、決して「ヘタレ」とかそういう一言の評価で片付けるべきモノではないと思う。その姿勢は、『機動戦士ガンダム』放映時に「たかがテレビまんが」と嗤った世代と同じだと思う。でも、たった四半世紀で「たかがテレビまんが」が二本の主要輸出品目、少なくとも文化面では最大輸出品目にのし上がったことを考えれば、なめてかかるべきではないと思うよ。
僕は、この「crash セイラ・マス」というグロテスクだけど極めてエロチックな、そして作家の内面までさらけ出したような思い切った作品の在り方に、納得出来るだけのモノを感じたよ。
あと、この展示会のカタログは、後半分モノクロページは、藤津亮太さん・巽孝之さんに始まるかなりの数の現代の論客達が、ガンダムと時代性やアートに付いて語っていて、読み応え充分だよ。
投稿: 神北恵太 | 2005/11/27 16:23
すみません。ソレほどガンダムに思い入れが無いのと、、、あのセイラさん、目が怖いです。
言っちゃってる目なんだもん。
投稿: 名古屋是清 | 2005/11/27 18:47