懐かしき彼の地を訪ねたぞ
2005年12月29日。帰省の往路、東名高速を音羽蒲郡ICで降りた。今回は、時間的な都合で旅程に余裕ができたので、チョイと寄り道をしてみたのだ。
オレンジロードと名付けられた有料道路を抜けると、一気に蒲郡市。この市街の外れに、16年前、1989年に日本SF大会を開催した三谷温泉がある。
三谷への道は、なんだか体が憶えている。オレンジロードから市内に入ったあたりから、「たぶんあっち」という感覚で、ほとんどカーナビに頼ることもなく、三河三谷の駅のそばを抜け、三谷温泉方面へ。
道を跨ぐアーチ状の松風園と明山荘の看板が在る。それをくぐって急な坂を上ってゆくと、懐かしい明山荘が見えてくる。この旅館は、当時、ちょうどリニューアルを終えたばかりの真新しいホテルだった。
明山荘と松風園の間に挟まれたエリアが一種の広場になって居り、ここが、大会当夜、夜通し行き交うSFファンが途切れなかった場所だ。当時もう既に使わなくなっていた、ふきぬきの旧玄関もこの口を向いており、この広場(というか、空間というか)を通して、3つの旅館の間をビニールの敷物でつなぎ、スリッパのままぺたぺた歩いて行って良しと言う計らいを受け、全体で一夜限りの幻の超巨大イベント会場を形作った場所だ。
1989年に開催されたのダイナ★コンEXでは、基本的にこの松風園・明山荘・ふきぬきの3館と、狭い平地を挟んで対面する隣山にある松風園のグループホテルひがきホテルの4つの旅館を使った。その中でも、松風園は一番中核的な役割を果たしていた旅館で、どうしても断れなかったという一組だけ、別のお客様が入られた以外、ほぼ全館貸し切り状態で使わせていただき、大会本部も基本的にこのホテルに設置した。
海岸に増設を重ねた松風園とふきぬきは、構造的には複雑だが、それでも、豊富な座敷は、全方位指向・全時間対応という、ダイナ★コン独自の、そして11年後のゼロコンにまで受け継がれてゆく、企画を盛り沢山に用意し参加者に自由に好きな物を選んでもらおうという、企画の方針を十二分に受け止めるだけの余裕があった。
この三谷温泉。1989年に大会を終えて以来、遊びに行きたいと思いつつも、なかなか出向く機会が無かった。直近のインターチェンジ、音羽蒲郡は、車で東名を通るたびに通過していつつも、ついぞ16年間降りることが無かった。
この間に、バブル期の高級志向とバブル後のレジャー不況に三谷温泉も例外無くさらされ、一番古く格式があるという話だったふきぬきが敢無く廃業し、しばらく幽霊ホテルとして好事家の間で有名な心霊スポットとなっていたが、最近ようやく跡地の買い手が付き、とある宗教法人の研修施設としてなんとか再出発することになったというニュースは耳にしていた。が、赴く機会が無かったのだ。
今回、三谷温泉に行ってみたのは、ただただ、この土地が今どうなっているのか、自分の目で見てみたかったからだ。
松風園の玄関をくぐると、オーシャンビューの眺望が美しいロビーが変わらぬ姿を残している。これは大会の準備期間中にあったリニューアルで大きくレイアウトをかえた部分だった筈。懐かしいなぁ。ここに大会受付ブースを設置し、東京から飛んできてくれた竹内紳介が仕切ってくれたんだ。
フロントで、立ち寄り湯をやっているかと聞いてみると、1500円という話。もちろん、入ります。夫婦で3000円払って、タオルを貰う。なんと、普通サイズのタオルを頂く他に、バスタオルまで貸してくれるという親切さ。嬉しいねぇ。
1989年の大会の時、松風園の大浴場は、「ジャングル魚貝風呂」という熱帯植物が生い茂る中に魚や貝の形を模した浴槽が点在するというガラス張り天井の大きな物だった。1970年代の温泉ホテルで流行った「ジャングル風呂」の流れを汲むこの様式は、さすがに1990年代にはマッチしなかったのか、大会後しばらくのちに回収されたと聞いた。それが、今の大浴場だと思われる。海を一望できる巨大な露天風呂があり、なかなか気持ち良い。真っ昼間、絶景独り占めである。
目を海から陸に転じ、ふと横隣を見る。と、ふきぬきの跡地の旧館部分が解体されていた。すっかり建家がなくなり、土台の破砕工事がこのときも行われていた。松風園と明山荘の間にあったふきぬきの旧玄関を含む旧館部分は、一番老朽化が進んでいた部分でもあったが、ダイナ★コンEXの開会式を行った、三館を通じて最大の大広間などがあった場所。既に旧玄関付近は名山荘の駐車場になり、更地になっていたが、解体工事は、海岸へ向かって階段状に続くこの全体に及んでいた。施設を買い取って改修したという新しい経営者は、比較的築年数の新しい部分を再利用しているらしい。
よく見ると、なにか、コンクリの土台の中央に、石垣のような物がある。ん…? あんな所に中庭か何かあったかな? ……とおもってハっと思い至った。
あれは、ふきぬきの大浴場「水車風呂」の跡だ。
ふきぬきの大浴場は、巨大な岩風呂で、湯で水車が回っているという、通称「水車風呂」と言った。岩風呂内に山水画の風景を取り込んだような作りで、岩の上の方には、遠景として、小さく作った庵が乗っていたりした。
事前合宿の時、この庵の扉の中がどうなっているか確かめようとして……いや、扉の中に入ろうとしてという方が正確か……そこへ続く階段を4〜5メートルある天井付近まで登って行ったスタッフの一人が、映画のセットの要領で上に行くに従って次第に小さく作ってあるこの階段を踏み誤って降りる時に足を滑らしたのも、今となっては良い思い出である。
その、思い出の中では常に湯煙が立ちこめていた岩風呂が、日にさらされて、冬の風になぶられているのを目の当たりにすると、なんとも言えない寂寥感が去来する。
音羽蒲郡ICからラグーナ蒲郡への途中にある三谷温泉。16年ぶりの訪問を果たした冬の旅であった。
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コメント
三谷温泉、私もダイナコンEX以来行っていないんですけど、写真を見て、あのころの思い出が一気によみがえりました。ドアをあけたら、向こうが打ちっぱなしのコンクリートとか、松風園一階ロビーでラジオ体操したら床が抜けそうになったとか(笑)地下のフィリピンパブのねーちゃんが不思議そうに眺めていたりとか、またいってみたいなぁ。
投稿: もりた | 2006/01/01 00:55
もりた さま
あけましておめでとうございます。
いや、何もかも皆懐かしいですよ、三谷温泉。
投稿: 神北恵太 | 2006/01/01 11:45
あのあと、うちの嫁さんと一度だけ、泊まったことがあります>三谷温泉。海岸際まで降りて歩いたのも、良い思い出です。
投稿: ていとく | 2006/01/01 15:06
ていとく さま
あけましておめでとうございます。
海岸が、きれいな歩道になっているんですよね。
投稿: 神北恵太 | 2006/01/01 22:50