『死者の書』を観たぞ
「死者の書」というと、「エジプト?」「チベットだよね?」と帰って来そうだが、そのどれでもない。折口信夫(おりくちしのぶ)の小説『死者の書』の話だ。奈良平城京の昔、謀殺された大津皇子(おおつのみこ)の霊が蘇り、それを藤原南家(ふじわらなんけ)の娘、郎女(いらつめ)が鎮めるというお話しに、折口的な日本史観、日本文化観、日本人の生死観、そして恋愛観、人とは何ぞや、執心(しゅうしん)と解脱(げだつ)とは何ぞやという、人間の本質につながる問題を情念豊かに織り上げた、あでやかにして清楚なお話しである。それを、人形アニメーションの大家、川本喜八郎さんが70分の映画にした。公開は来年2月、岩波ホールにて封切りである。
2005年11月30日。松竹の試写室で行なわれたその試写に行って来た。
『死者の書』がどんな小説なのかという事に関しては、『松岡正剛の千夜千冊』さんの「第百四十三夜【0143】(2000年10月4日)折口信夫『死者の書』」あたりをお読み頂くのが良いのではないだろうか。また、『ソフィオロジー(叡智学)へ向けて』さんには「折口信夫『死者の書』」というテーマが設定されており、いろいろな分析が掲載されている。
ちなみに、著者、折口信夫に関するWikiはここ。
いや、他人がどう思ったとか、どう理屈をつけたかではない。自分で原典にあたり、自分で感じとりたいのだという方には、なんと、青空文庫さんに図書カード:No.4398『死者の書』があって、テキストも得られるし、HTML版でそのままネットで読める。青空文庫には、作者の死後50年を経て著作権の消滅した作品と、著作権者が「タダで読んでもらってかまわない」と判断したものの、二種類がおさめられています。という事だが、折口信夫は1887年2月11日に生まれ、1953年9月3日に亡くなられたので、2年ほど前に死後50年を超えていたようだ。
さて、映画『死者の書』の話だ。
川本喜八郎監督は、30年ほど前にこの作品に出会い、繰り返し読んでやっと理解出来るようになったのが10年ほど経った頃だったという。さらに映像化をするのに20年の歳月が流れている。稀代の思想家の集大成を人形に情念を宿らせる鬼才の手によって映画化ということになる。
映像ももちろん美しい。このために集まった役者さん達も、見事に声を当てている。しかし、そこに濃厚に流れ見え隠れする、仏教でなく神道でなく、世俗でなく神聖でもない、日本そのものの気配。奈良時代のおおらかで伸びやかな万葉人たちの死生観、信仰心。そして、そこからずうっと繋がって我々まで連綿と続く、形となって顕れる文化習俗を超えた、日本。日本人。日本的なあらゆるものの土台としてのそれ。その姿が濃厚に焼き付いているのが、この作品だ。
何か、魂が揺さぶられるモノがある。映像作品でここまで(上層の情動ではなく、どこか根底を)揺さぶられた経験は、もう随分としていなかった気がする。全ての日本人必見の作品である。
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コメント
お世話になっております。
TB重複してしまいましたので、お手数ですが削除していただけると幸いです。
ココログって、複数のココログへTB送ると、1つしか送れなかったり、2つ送れているのにTBのURLが残っているって仕様が改善されませんよね(i_i) てな訳で、あれやっぱり1つしか送れなかったかーと思って、こちらを確認しないまま再送信してしまいました(_o_)
投稿: しののめ | 2006/02/15 12:35
しののめ さま
TB、1コ削りました。
公開が始まったので、私ももう一度見に行かねばと思っております。あの喜八人形の妖艶さは、どれだけスチルを見ても判りませんからね。動いてこそのアニメーションだと思い知る事頻りです。
投稿: 神北恵太 | 2006/02/15 15:15