モノの価値だぞ
中学一年になった時、我がクラスの担任教諭は、社会科も教えてはいたが、本業は美術教師で、画家として、展覧会に絵を発表したりもしている、江端先生、通称エバっちゃんだった。
美的感覚・デザイン感覚に優れた人で、たとえば、社会の地理の授業では、特に、白地図に色を塗る等の実践的な作業を通じ、視覚的に物事を理解させようと云う方向性が顕著だった。
思えば今、地図屋として地図図版や説明図を描いていられるのも、江端先生のお蔭かもしれない。我々が中学入学した歳にたしか30歳だから、もう教員は引退しておられるだろうが、今はどうしてみえるかなぁ。
さて、とはいえ社会科は、この先生にとって美術教師のついでのようなもの。本業は画家であり、美術教師なのだ。まず重視したのはデッサン。 ま、オイラはこれが下手で下手で大変だったのだが、スケッチブックと6色コンテを持たされて、人から風景から、かなりデッサンをやらされた。この時、江端先生がみんなに教 えた秘密兵器がサランラップ線。これは、今思い返してみても、何よりもの慧眼だった。
通常、人の形を写し取る時、ホネを置いて肉付けし、顔も正中線を置いてから眉・目・鼻・口の線を入れ、次第に細かくして行くような方法を教えられ
るのではなかろうか。本格的に云えば、骨格構造を理解して、筋肉の付き方と機能を考えれば、そのポーズをとる時に膨れ上がる筋肉、伸ばされる筋、目鼻の方向、手指の角度。
そういうものが決まって来る。
品物のデッサンもそうだ。その形が円筒だとすると、円筒には円筒を描くための図学があり、そこに遠近法の概念を取り入れることによって、デッサンを正確に行なう情報がものの内側からにじみ出て来る。
たとえばこの『デッサン基礎講座』の『トイレットペーバーの描き方(2)』を見ていただきたい。対象がどんな形をしているかを過たずに把握するために論理的にその形状・構成を解析するというのは、正しく見て取る・描くことの基礎である。
マンガやアニメの描き方講座によくあるみたいにだ。
しかし、江端先生のデッサン法はこれとは全く逆だった。「まずは、全体のカタチを取れ」と教えられた。そのための技法が「サランラップ線」だ。
これはシロウトにとって、画期的な方法論。まず自分の視点から見て対象物の突起・突出部を繋いで、線を引く。
で、こうやることで、描こうとしている対象物の全体像をいち早く掴むことができる。まるで、その対象をサランラップで包んだように、突出点を繋い
だ多角形。この中に対象物がぴたりと収まる。言ってしまえば、理論的に考えるのでなく直感的に感じる方法だ。こうして、別に美術を志す訳でもなんでもな
い、何も知らない田舎の中学生がササっとスケッチする技法として、江端先生はサランラップ線を教えてくれた。
じゃあ江端先生は、この手法でがんがんと人物画を描く人だったかというと、どうもそうではなかったらしい。
一度、先生が参加した展覧会があるというので、名古屋の栄まで出かけて行ったことがある。で、そこで見せていただいた先生の作品は、1.5m×1.5mほどのカンバスが8枚だか12枚だか並んでいたと思う。そして、その全てが、真っ白だった。
いや、何も無いから白いのではない。そこには、全て白亜の絵の具が塗られていたのだ。しかし、その塗り方は一枚一枚違った。あるものは半分まで刷毛筋が
横、半分から縦。あるものは、中央部に縦一列分厚く塗り重ねられた絵の具が盛り上がっている部分がある。一枚ずつ、一見白だけにみえて、実は、その中で
様々な主張・意志・苦悩・叫び・歓喜がぶつかり合うという、異様な空間が広がっていた。
さすがに中学一年生にはそれが何を意味するのかよくは判らず、30年以上経った今だからこそこれだけ語っているが、当時は何か、拍子抜けしたような、興奮したような、世界が広がったような、へんな感慨を抱いたんだったと思う。
抽象画という言葉を初めて理解したのは、この時だった。
さて、海外ボツ!NEWSの2006年3月2日の記事に『悪ガキ、1億7000万円の抽象画にガムをくっつける!』というエントリがあった。
学校の課外授業でデトロイト美術館を訪れた悪ガキ(12)が、クチャクチャ噛んでいたガムを展示していた絵にくっつけた。それを剥がす際にカスが残り、コイン大のシミができてしまった。
ただの絵ならまだ救いもあったが、作品は米色彩派のヘレン・フランケンサーラーが1963年に製作した抽象画「ザ・ベイ」。同美術館が65年に150万ドル(約1億7000万円)で購入したものだ。
オイラが展覧会でエバっちゃんの真っ白な絵を見たのと、ほぼ年格好の変わらぬ12歳の少年が「やってもうた」話だ。この話を読んで、中学生のガキどもに、生の美術家魂を、がんがんぶつけてくれた江端先生のことを久しぶりに思い出した。
んー。しかし、この絵「ザ・ベイ」、直に生で見ていないので何とも言い難いが、抽象画ってぇのは、難しいねぇ。
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コメント
購入後しばらく 上下間違えて展示していた美術館の話を思い出しました。<抽象画
先日オークションハウスのドキュメンタリー見ていたら、
抽象画の中にキャンバス裏に「↑上」と記載されているものが(笑)
みんな苦労しているものとみえます。
投稿: 大外郎 | 2006/03/03 21:08
大外郎 さま
ああ、カンバス裏に「こっち上」表示、必須ですねぇ。
変な漢字のTシャツを作ったり刺青を彫ったりするアメリカ人にも、時々上下を教えてやりたい奴いるけど……。(^_^;)
投稿: 神北恵太 | 2006/03/04 01:38
小学校の時の図工の先生は、四年生以上になると、授業の始めの十分間でクロッキーをやらせました。
モデルはクラスメイトで順番。
始めはサインペン、次に割り箸削り、最後は削らない割り箸(墨汁をつけます)。
で、何が凄いかって「手」から描いて行かなきゃいけないのです。
手から、腕、肩……と。
で、画面の中にちょいっとはみ出す位に仕上げるとOK。
思えば、結構高等技術ですよね。
おかげで、デッサンには全く自信がありませんが、不思議と「手」だけは、昔からわりと綺麗に描けます。(笑)
名画にガム……(^^;
向うの美術館は、傍まで近寄らせてくれますからねぇ……
投稿: かざま | 2006/03/04 02:17
かざま さま
小学校4へ6年生の3年間、多分図工の時間は週に3限、回数にして2回ぐらいでしょうか、毎回クロッキーをやるというのは、いい訓練でしょうね。特に手から描かせるというがもスゴい。いまだにどうやっても手が描けませんからネェ、私は。(^_^;)
投稿: 神北恵太 | 2006/03/04 02:42
モノの価値ってーと、トンボモノのプラスチックケースはそれなりに作りが良いので机の上に置いておくと見栄えは良いけど筆入れとして運搬して使うにはあんましよくないぞ、という意味かと思ったら違うんだね。
高校の時に校内写生をしていたら、校舎の輪郭を緩やかな曲線ではなく、直線に直されたとき、こちとら小学校のときからメガネの凹レンズで歪んだ世界の中で生きてんだよ、くそったれめ!と、心の中で叫んだ事を思い出しました。
世間の見る目のない馬鹿な大人どもはその天才少年がガムを付ける事によって芸術を完成させた事にまだ気が付いていないのだよ。
たぶん。
投稿: 森野人 | 2006/03/04 09:44