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2006/03/03

言葉の意味が変わって来たぞ

 シロクマの屑籠(汎適所属)さんの2006年2月21日のエントリ『オタク達は、もはや技能集団でなくなりつつある』を読んで、ちょっとショックを受けている。

 なんでも、古参のオタクが嘆いているという話。

 古参のオタクさん達から、最近よく聞くニュアンス。
 「オタクか否かの基準は、最近ではスペシャリストか否かを殆ど問われない」
 「オタクとしての基準に、濃さという尺度は殆ど関係ない」
 と。

 さもありなん。かつてのオタクは、マイノリティ中のマイノリティ趣味を、自分の力で開墾しなければならず、その敷居の高さ故に各ジャンルのオタク・マニアになるには積極的かつ相応の労力が必要だった。消極的になれるほど、当時のオタク界隈は甘くなかったと記憶している。例えばパソコンゲームをやるにしても、最低でもMS-DOSを何とかいじれるぐらいの技能は必要だったし、テープレコーダー時代はもっとひどかった(らしい。そこまで旧い時代は私は経験してない)。同様の傾向がアニメその他にも言え、オタクがオタクとして特化しアイデンティティを形成するには、コンテンツ探しやコンテンツ入手の段階から相応の努力・能動性・アクティビティが要求されていたと思う。

 え? そうなんですか?

 オタクという言葉が人々の口の端に乗り始めた1980年代中葉、オタクというのは、いわゆるマニアに成れない、通り一遍で突き詰めない、クリエイター側に回らない、受け手ひとすじの浅い人たちを表す言葉だった。
 受け手として、入って来る情報を何でも吸収するから、知識量は確かに豊富だが、それはどちらかというと、自分で工夫したことではなく、そういう工夫をした人から聞いた話とか、雑誌に載っている情報。かといって、当時既にプロ活動をしていたデータ原口さんのように、本当に幅広く膨大なデータを持ち、それを自在に利用して研究成果を産み出してみせるほどには、大所高所に立った体系的な知識は持ちあわせていない。どちらかというと、食いつきのいい柔らかい所だけ知識のつまみ食いする、興味の対象を定めたら表も裏も洗いざらい知ってやろうという探究心を持たない、自分に都合のいいことしかしないファンのことを、オタクと呼んだのだ。

 それが、肯定的に知識を持った人を意味する言葉になって来たのは、80年代末。たとえば吉岡平さんや武田康廣さん・岡田斗司夫さんといった、それまでのいわゆるオタクが言葉の発生時から抱えていた能動性の低さと言う枠を遥かに超えてクリエイティブな活動をするオピニオンリーダー達が同時並行的に何人も出現し、それだけのマニアックな情報体系を組み立て情熱を発揮しつつも、面白がって自分のことをオタクと呼んだあたりではなかろうか。
 実際に神北が誰かが「俺たちオタク」と、肯定的に語るのを聞いたのは、たぶんその時期、こうした誰かの口からだったと思う。

 どちらかといえばそれまでは、「意識の低い奴」「情報を貯めても使えない(使おうとしない)どうしようもない奴」という馬鹿にした言葉だったオタクが、この時期から様相を変えて来る。この人たちは、敏感なアンテナでそれを読みとっていたのだろう。

 だから、「美少女恋愛ゲームをやっていればそれでオタク、コミケに行っていればそれでオタク、服装が汚くて秋葉原を偶々歩いていればそれでオタク…。」とシロクマさんは嘆くが、「オタクという呼称の指し示すニュアンスはすっかり変わってしまったし、オタクという呼称で指し示される人間達の内実も変わってしまった。」なんてことはサラサラなくって、ただ単に、濃いファンの中では最下層を意味した言葉が、意図的な操作や勘違いで言葉の意味を二度ひっくり返したことと、情報過多で、誰でもいつでも好き者のオタクに成れる時代のお蔭で、言葉がひと回りしたのだ。最終的に、オタクという言葉は広く浅くファンと呼ばれていた層の意味に拡散して、元々、オタクという言葉が持っていなかった「専門家」というニュアンスを再び失うところまで、戻って来ただけという気がする。

 言葉は移り変わるものだなぁ。

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コメント

私にとって「オタク」という言葉自体が、ある意味「後発」の言葉ですが、だからこそ、自分は「ファン」や「マニア」ではあるが、オタクとは呼ばれたくなかったですよね。(笑)

その世界が大好きで、それなりに能動的にがんばっているけれども、それを人生の主軸にしているわけではないから「専門家」ではない。だから「マニア」。
応援だけしているなら「ファン」。
無責任に面白がっている世界の場合だけ、敢えて「私、○○オタク」と、ワライネタとして使ってしまいます。

勿論、自分が「スペシャリスト」だとか「技能保持者」と思っているわけではなく。
というか、この二つの言葉は、ファンやマニアの中にもそういう人が居る、というだけのことで、ちょっとくくりの次元が違ってしまう気がします。まして「オタク」という名詞の裏づけには使いたくないなぁ……と。(苦笑)

投稿: かざま | 2006/03/04 02:38

かさま さま

 「おたく族」なる呼び方が世に登場して来たのが、正確に何時なのかは知らないのですが、初めて聞いたのは、『ウソップランド』の中でした。多分84ねんですね。80年代後半までは、どちらかというと「あいつはオタクだから」というのは、「一人前じゃない」というニュアンスを含んでいた気がします。
 ただ、「マニア」という言葉も、実は元来あまり肯定的な意味ではなかったわけです。こういう言葉は、そう呼ばれる層の増加に伴い順繰りに肯定的な意味にのし上がっては、さらに下層を指す言葉を産み出し続けるものなのかも知れません。

投稿: 神北恵太 | 2006/03/04 02:52

 いまでも「おたく」は蔑称だという意識が抜けない、私は、「単なるミーハーなファンで、マニアなんて大層なものじゃぁない」が身上です。
 いわば「ミーハー全肯定主義」ですね。
 「おたく」はカタカナの「オタク」に変って敬称に変ったそうですが、ミーハーは死語になったようです。

投稿: うじthe駄目~ん | 2006/03/04 07:32

色んな定義があるもんだなあ。
私としては初期の頃は社会的コミュニケーション能力に欠陥があり、相手の迷惑なんざ全く考慮に入れない非常に鬱陶しい人間的にダメダメなマニアもしくはファンという印象だったのだが。

メジャー路線の人、あるいは一般人の間では、自分達が興味を持っていることを決して公言しないであろう恥ずかしい趣味に没頭している気持ち悪くて理解できないアンタッチャブルな連中、ぐらいの認識であったと思うが。

最初に敬称(@_@??)として使い出したのはカタカナではなく、Otakuとして使い出した勘違いな外人さん達だと思うがどうか。

私はSFのマニアでもなければ、ファンであるとも思ってないけど、アディクトだという自覚はあります。

投稿: 森野人 | 2006/03/04 09:33

オタクという言葉の元を聞いた時にイベントで「お宅は?」と聞くことだと知ったのだが、それを聞くよりもずっと前、ウォーターシップダウンのうさきだちの映画を(1980年日本公開だそうだ)見に行った時に「オタク」が居たのを思い出した。

それで「あ~あれか」と思ったのだが、当時はウォーターシップダウンのうさぎたちなんてのは本を読むのもごく少数、まして映画を見に行くなんてのは相当なモノズキだったわけで、モノズキの一形態がオタクであると理解したのだが、はっきり言って神北氏同様に蔑称といった雰囲気がわたしの中にはありますね。

リンク先を読ませていただいたが、オタクも含めて括られるモノズキの一団は本質的には消費者であると考えています。

問題は消費者が黙っていて与えられるだけの立場なのか?というとそれは違う。
消費者の暗黙の意向こそが新たな企画を創りだして、供給側に生産を促すことになる。と理解しています。

そして生産物は消費者が消費する。つまりは輪廻の輪のようなものであって、その輪をどこかで切って上流である、という論は間違っているし意味がない。

単に視野が狭い(短い)というべきなのだろう。
オタクは生まれたのだから消滅する時が来るのだろうけど、消費者が無くなることはあり得ないわけで、そうなるの名前あるいはカテゴリーとなるのだうけど、できたカテゴリにこの名前なのだからこの機能という議論は面白いけど、面白いだけでしょうな。

投稿: 酔うぞ | 2006/03/04 11:04

 僕は未だに「ヲタク」と呼ばれると「ち、違う、違うよ!」と涙目になって否定します。
 神北さんのと同じニュアンスでとらえて居るんでしょうね。

投稿: 如月@起床 | 2006/03/04 11:51

うじthe駄目〜ん さま

 お、そういえば、80年代初頭は、ミーハーという言葉の方が、普及していましたよねぇ。

森野人 さま

 私の知る限り成年男子が主婦の井戸端会議のように相手を「お宅」と呼ぶのは、神明(ウルフガイ)か犬神明(アダルトウルフガイ)が、修羅場でよく鉢合わせする敵対者に対して使う、ちょっと警戒しつつ「ご同輩、アンタも物好きよね」というユーモラスな風合いの言辞の中に登場します。
 相手に、一見親し気で、かといって絶対家族扱いではない、他家のモノとして突き放す、クールな言葉だったんでがねぇ。

酔うぞ さま

 うーむ。1980年にそれは、古すぎますよ〜(^_^;)。

如月@起床 さま

  まあ、言葉としての「オタク」が肯定的になる時代に生まれ育った人にそういう感覚はないというだけのことかも知れません。言葉は移ろいますからねぇ。

投稿: 神北恵太 | 2006/03/05 07:09

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