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2006/05/20

酋長の訃報が届いたぞ

 チューク諸島。我々、架空戦記に係わる人間にとっては、帝国海軍の拠点基地トラック錨地のあったトラック諸島(もしくはトラック環礁)と旧称で呼んだ方がしっくりくる、太平洋最大級の環礁である。

 ここで、日本人の父とミクロネシア人の母を持つ、75歳のある酋長が亡くなった。36人の酋長からなる酋長会議の議長を務めていた、相沢進さんである。1950年にプロ野球の新設球団、毎日オリオンズ創設メンバーとして入団した投手、1954年に高橋ユニオンズへ移籍。4年間通算93試合登板、8勝17敗、防御率4.20。1957年引退後、母親の出身地の太平洋西部・ミクロネシア連邦チューク島に渡って集落の長となった。

 たった1ヶ月前の2006年4月13日、来日し、千葉マリンスタジアムでロッテ・ソフトバンク戦の始球式で投げておられるから、最後まで健康に過ごされたのだと思う。

 ちなみに、彼の移籍した先の高橋ユニオンズ(トンボ鉛筆と業務提携した1955年だけトンボユニオンズ)は、彼の引退後の1957年オフに、大映スターズと合併して1958年から大映ユニオンズとなる。さらに、相沢さんのもう一つの古巣、毎日オリオンズと合併(現在、球団史としてはオリオンズ系の記録を採用し、ユニオンズ系の記録は傍系扱いとしされているらしい。)して大毎オリオンズ、そして、1966年に東京オリオンズ、1969年にロッテオリオンズと名を変え、1991年に千葉ロッテマリーンズとなって今に繋がるチーム。オリオンズ・ユニオンズの2チームの先輩である相沢さんは、誰よりも始球式に相応しい人の一人だったのだろう。

 神北は全く野球は詳しくないし、相沢さんの選手としての記録が、当時の選手としてどうなのかなんて全く読めない。だが、戦前、日本が南方圏に委任 統治領を持っていた時代に、海外雄飛した日本人と現地の女性との家庭に生まれ、終戦時に父に連れられて日本に帰国、やがてプロ野球の選手として活躍の後、 母の住むチューク島に戻ってその土地に溶け込んで暮らした。そこに、太平洋戦争が広い範囲に及ぼした影響のスゴさを感じるし、戦前、あまり正確でない教育 のせいもあって多くの人は随分とカンチガイをしていたものの、それでも希有壮大に世界に飛び出して行った日本人たちの息吹も感じる。相沢さんは、それ等を 今に伝える人だったと思う。

 ご冥福を御祈りする。

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» 訃報 [千葉ロッテマリーンズ日記2]
チューク諸島の酋長で、毎日オリオンズが創設した1950年から4年間在籍していた相沢進氏が2006年5月18日にお亡くなりになりました。享年75歳でした。 相沢氏は2006年4月13日の『旅チャンネルデー』で始球式を務めており、健在な姿を見せていただけに非常に... [続きを読む]

受信: 2006/05/20 08:16

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