良い物語だが酷いシナリオだぞ
『小さき勇者たち〜ガメラ〜』を見てきた。良いストーリーを、酷いシナリオときれいな映像で映画化した、嫌な所で子供だまし感のある映画だった。
とはいえ、『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』よりは、余程、ジュヴナイル・ムービーとしてよく出来ている。
今から33年前の1973年。伊勢志摩、志摩郡大王町〜現在で云うところの三重県志摩市大王町〜の大王崎付近の住民は闇夜の中を逃げ惑っていた。その上空では、人を襲い喰らう怪鳥ギャオスの群れとガメラによる壮絶な空中戦が展開されているのだ。しかし、いかに威力絶大な大火球を吐き出すガメラとは云え、一羽は火球の直撃で葬ったものの、地上に降り立ったガメラと、空中で連携をとり波状攻撃を掛ける複数のギャオスとの戦いは、かなり苦しかった。次々と超音波メスに切り刻まれ、追い込まれるガメラ。迫るギャオスの群。しかし、その最大のピンチは最後のチャンスでもあった。ガメラは自らの体を大爆散させ、迫る怪鳥の群を全滅させた。
人々は、闇の中、爆散したガメラと燃えながら死んでゆくギャオス達の、あまりにも凄惨な地獄絵図に言葉を失い、そして、ふと気づく。助かったのだ。ガメラが、自らの命を犠牲にして、自分たち人間を助けてくれたのだと。
それから30年以上、現在まで『怪獣』は現れていない。既に、実働組織とは言いがたくなった巨大生物審議会も、先日解散。日本は、怪獣の現れないことが当たり前の国になっていた。そんなある日。
大王町に住む少年、相沢透(あいざわとおる 富岡涼)は、港の沖に浮かぶ小さな島に、何かが赤く光っているのを見つける。ある日、ひと泳ぎして取りに行ってみると、それは赤い不思議な石に守られるようにして置かれた卵だった。と、赤い石ごと持ち上げた透の手の中で、卵にひびが。そして、パカリと割れた卵の中から顔を出したのは、小さな仔ガメだった。
透は、仔ガメを飼うことにした。拾った命を再び捨ててくるなんてことは出来ない、優しい少年だった。それは、母親を交通事故でなくしたばかりの寂しさがさせたことかもしれないが、彼は、仔ガメを可愛がった。
死んだ母親が幼い透のことを呼んでいたトトという呼び名を付けられた仔ガメは、透の側がよほど居心地が良いのか、常に彼の後をトトトト、トトトトと、ついて来るのだった。
しかし、トトを飼うにあたり、一つだけ大きな問題があった。透の家は、父の孝介(こうすけ 津田寛治 よっ、編集長!)が一人で切り盛りする食堂。で、孝介は、衛生面を考えて「生き物を飼わない」というルールを作っていた。
どうする、トト? 透?
ここから先、ネタバレしまくりです。
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さて、出だしは、なんとも気持ちのよい少年映画である。秘密を持つカメの仔を秘密にする少年。しかし、親友には自慢したいし、隣のお姉ちゃんにもちょっと教えたい。……というか、お互いの部屋の窓はほとんど向き合っていて、秘密なんて維持できるものではない。やがて、透のトトのことは、四人の子供たち共通の秘密に。しかし、一大事が発生。前にも、生まれたてのトトが一晩で急に一まわり大きくなってみせて、透が驚かされたことがあるんだが、今回はそんなものではなかった。12〜13センチだったトトが、一晩で70センチ近くまで成長しちゃった!
子供たちは、真夜中に連絡を取り合って、スケボーに乗せたトトを今はもう使われてない村はずれの漁師小屋に隠す。なんだか、ぐいん、ぐいんと、段階を追って成長するトト。子供たちだけの秘密の場所で、トトは暮らし始める。ある日、透が岬の上にトトを連れて行って二人で海を見ていると、トトは潮風に吹かれながら透が名前を呼んでも振り向きもせずに、海の彼方をじっと見つめていた。そこから来る何者かを察知したかのように。
実際、遥か太平洋の彼方から、この伊勢湾の方へ向かってやって来る凶悪な陰があった。それは潮流に乗り、深く静かに北上しつつ、海の底から海上を航行する船舶を狙い餌食とし、いつしか人間の味を憶えて、遂には大量の人が居る場所を求めて伊勢湾口の灯台のある町、大王町に姿を現す。
三十数年ぶりの怪獣出現にパニックになる大王町。人々は小学校へと避難。しかし、唐突な避難命令に訳の分からぬまま避難路を急ぐ透たちの前に、突然、灯台が降ってきた。上陸して来た怪獣に200m〜300m程、投げ飛ばされたらしい。恐竜然としたトカゲ型の怪獣が猛スピードで迫り、降って来た瓦礫の向こう側の、透の親友の弟たちが居たあたりの人々を喰らい始めた。あまりのことに唖然とする透たち。怪獣は、立ち竦む透たちを見つけ、襲いかかろうとする。
と、その時、怪獣の顔をめがけて、怪獣と比べればずいぶんと小さいが、それでも人間よりはかなり巨大なものが飛び込んで来て、怪獣の横っ面に激突し、はじき飛ばす。それは、また突然巨大化し、8メートル程に成長したトトだった。
トトが怪獣の気を反らしてくれている間に、孝介が、瓦礫の中から透の親友の弟を救い出す。4人は、必死に逃げ帰った。孝介もまた、透より幼い頃に33年前、ガメラが自分たちを守って爆散した現場を目の当たりにし、いつかガメラの恩に報いる機会を待って生き抜いた、かつての子供の一人だった。
かくして、トトは、小さいながらもガメラとして戦い始める。巨大な怪獣を相手に苦戦を強いられるが、養い主の透たちを守るために大奮戦。火炎を放ち、なんとか撃退する。
しかし、それは、透とトトの平和な日々に終わりを告げる出来事でもあった。
既に、隠せるものではなくなった8メートルのトト。トトは、自衛隊に周囲を取り囲まれ、透は近づけない。すべてを話した後、父の孝介は「もう子供がどうこう出来る問題じゃない」と冷たい。しかし、透にとってトトは、トト。卵から孵化するところからずっと育てて来た、透のカメなのだ。
やがて、自衛隊の手で、トトが名古屋に運ばれることになった。避難所になっている学校の下を通る県道を、先の戦いの怪我でぐったりしたまま、大きなトレーラーに乗せられたトトが通過する。透は、運ばれてゆくトトに付いて走った。その名前を叫びながら。
ここからは、しばらくB級怪獣映画である。
まず、巨大生物審議会の雨宮宗一郎(石丸謙二郎)博士。この人は、かつてガメラが爆散した翌年一年だけこの地方で採れた緋色真珠こそ、ガメラが、次のガメラに残した成長を促す特殊成分と見抜き、(何の確証実験も行われぬまま)ガメラの成長促進液を研究していた。つまり、マッドサイエンティスト。たった8メートルの小柄なガメラを、海へと逃げ去った巨大怪獣(ジーダスと命名された)に対抗しうる「一人前の大きさの怪獣」にしようと、成長促進液を注入する。
ちょっと待てよ、いきなり、この世に一匹しか居ないガメラを使って現場で実験かよと驚いてはいけない。この政府のお役人パートは最後まで、ほとんど丁寧に描かれた子供たちのドラマと混じり合うことも無く、説得力も無く、40年前の怪獣映画よりも強引に話が進むのだ。
『ガメラ 大怪獣空中決戦』でうまく言ったことに味をしめた『ガメラ2 レギオン襲来』や『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』の、他の怪獣に比べてやたらとガメラを敵視し続ける頭の悪い自衛隊もかなり辟易したが、この少年映画として十二分に説得力を持って作られていた前半部に対し、中盤に入った途端に「ゴリアスが来るからダイゴロウを巨大化しなさい」みたいな単純な作りの話で良いんですか?
「実績として、今回子供を守ってくれました」とかもなく、というより、「地域住民から聞き取り調査をするなんて無駄だ」とばかりに住民不在のまま、何の証拠も掴まぬままに「わーいガメラだ、人間の味方だ。もっと大きく強くしてやれ〜」なんていう、リアリティも思慮も分別も無い、うすっぺらのぺらぺら人間を脇に出されては、ここまでのお話が可哀相だろう?
さてさて、しかし、雨宮博士の成長剤が効いたのか、もともと成長期に来ていたのかは判らないが、湾内に入り込んだジーダスに呼応し、トトは遂に往年のガメラのサイズに成長。しかし、先代が平成ガメラの顔をしていたのに、今回はやはり、目のクリクリっとしたトトの顔のまま。まあ、うまい造形ではあるのだが、マンガチックにリアリティを欠く。
このまま、名古屋市内でのジーダスとガメラの激闘となる。それに、名古屋で手術を受ける隣のお姉ちゃんのために貸したトトの卵の乗っていた赤い石が、トトのエネルギー源じゃないかと気づいた透たち3人がガメラに赤い石を渡すために奮戦する人間パートが重なって、話はクライマックスへ。
だが、ナンダカナーな展開。
いや、赤い石がガメラからガメラへと引き継がれる力の源であることはOK! でも、それを、何も知らされていない子供たちが次々とリレーして運んでゆく展開が変すぎ。隣のお姉ちゃんから偶然傍に居た女の子へ、女の子から行きずりの子供へと、「この石をトトへ!」「トトへ!」と次々と手渡されてゆき、最後に見ず知らずの子が透に手渡してくれるのだが、なんで?
誰も、透のことも、透が飼っていた亀の名前も知らないのに、「トトへ!」と云われただけの子供たちがガメラの方へ走り、最後に透に赤い石が渡るの? 変でしょこれ!
たえば、大王町での戦いの後、志摩大橋の上でぐったりとしたガメラに近寄ろうとして警備の自衛隊員と揉めて、「あれは僕の飼っていた亀なんだ、トトなんだよ。ちょっと大きくなっちゃったけど、トトなんだよ。トトに会わせてよ!」と叫ぶ透の姿が生中継のテレビで流れる(なんてことは、プライバシー重視の現代の報道ではかなりタブーだが…)とか、透の顔とトトの名前が子供たちに認識される機会をどこかに作ってあれば、それで済むところなのだが、そういう描写は全く無く、突然ニュータイプみたいに勘良く子供たちのネットワークが働き出す。
これ、どう考えても、ガメラが子供との間に超常現象的なシンパシー網を作っているということでしょ? ガメラは、自分の身が危険な時に、人間の子供たちを操って起死回生策を講じれるってこと? そして子供たちは、危険な敵怪獣のいるエリアに向かって平気で走ってゆくの?
そう考えたら、ガメラって害獣ちゃうの? 「感受性の強い子供は、ガメラのシンパシー能力に操られて、手足のように使われ、危険なことをさせられます」てことなら、子供はガメラに近づいちゃ駄目じゃん?
このシナリオは、ガメラを子供の敵と言っているわけ?
なんだか、時間の制約が厳しかったのか、変更変更を重ねているうちに大事なシーンが抜け落ちたのか、ハナっから考えつかなかったのか判らないが、せっかく基本ラインが良い話に仕上がっているだけに、ツメの部分で思慮の足らなかった点が、かなりナンダカナーってお話。
でも、俯瞰を多用した絵作りとか、丁寧なロケーションが目を見張る程美しい。志摩市、その前の名前が志摩郡大王町、さらに前は波切村。三重県民が「なきりの灯台」として認識している大王崎灯台のある町。小津安二郎の「浮草」、木下恵介の「喜びも悲しみも幾年月」、近年では平山秀幸の「学校の怪談4」など、映画のロケ地に何度もなって来たこの地の美しさを、丁寧に引き出した映像美がすばらしい。
志摩大橋の上下の戦いとか、ビルのふちに手を置いたジーダスが、しっぽに食らいついたガメラを、前周りをする要領で旋回力でぶっ飛ばすシーンなど、怪獣バトルもハッとするような美しいシーンが多かった。
また、ジーダスが、エリマキトカゲのデザインであるところは、ものすごく良い。エリマキトカゲ怪獣と云えば、云わずと知れたアレである。で、ジーダスもアレと同じく、襟巻きをとれば、二足歩行で割としっかりした上肢を持つティラノサウルス系の恐竜型怪獣の形をしている。
そもそもジーダスという名前も、かの襟巻き怪獣に似ているではないか。
かくして、怪獣ファンがみんな見たがっていた『○○○対ガメラ』になっているのは、大きな見所。
また、こういう所こそ、雨宮博士の言葉として劇中に盛り込んでほしかったという設定が、「ジーダスは、ギャオスの遺骸を喰ったエリマキトカゲが巨大凶暴化したものと想像される。多分、ギャオスの細胞が、普通の生物を変えてしまうのだ。だから今後も、新たな怪獣が誕生する危険性は常にある」という話。せっかく良いトリガーを作ったのだから、後の作品のためにも、これをどこかに入れてほしかった。
ちなみに、名古屋市内のシーンで金曜会常連の名古屋是清くんの愛車が炎上していた。(^_^;) きっと、あそこまで逃げて来たものの車が事故を起こし、避難先に大量に持ち出そうとしたゲゲボドリンクを両手に抱えたまま、襲来したジーダスに喰われてしまったにちがいない。冥福を祈ろう。(エキストラご苦労様)
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コメント
うちの親分がよく言うセリフに「大きな嘘は、たくさんの小さなホントに埋めてこそ華」というのがあります。やっぱり、そういう地道な作業をきちんとしないといけないわけでしょうね。
投稿: 安達裕章 | 2006/05/04 06:19
これって、いわば本家ガメラに対するシェアウェア作品なんでしょうか? まだ見てないんで、作品に対するコメントはしないけど……。
せっかくだから、書き残しておこう(^_^;)。ジュブナイル映画で個人的に良い(子供に薦めたい)と思うのは、意外にも『河童』だったりします(^_^;)。あれは映画的に良くできていると思う。
投稿: 羅門 | 2006/05/04 08:32
安達裕章 さま
物語世界を構築するとき、一番大事なのは、「整合性」と見せ方の「公平性」だと思います。
例えば推理小説のラストで「密室に見えたが犯人は壁抜け能力を有していたから、殺人が出来て当然だったのです。この世界はそういう世界なんだもん」と言い出したら、『世界の整合性』は有るとしても、『見せ方の公平性』が無いために、総スカンを食うと思う訳です。
作り手たるもの、壁抜け男が普通に居る世界を読者に理解させた上で、それでも入れない密室を作り、さらにそれを破るトリックを作って見せろと思う訳です。
ありがたいことに、現実世界というシェアワールドは、説明の必要がないのでみんな忘れがちですが、これを超えることをする以上は、ちゃんとそうであることを事前に語っておいてもらいたいものですね。
羅門 さま
どこからつながっているということではないようです。いうなれば、世界の組み方は、昭和ゴジラやファイナルウォーズ的と言って良いでしょうか。
30年前のギャオスは、形は平成ギャオスなんですが、特に平成三部作の続きではないという感じ。
投稿: 神北恵太 | 2006/05/04 19:27
ウワーーー・・・・。
我慢出来ずに読み切ってしまいました。
しかし、これで ”なんだ この説得力のない展開は!?”と 戸惑う事なく 映像にのみ集中できるってもんです。
映像のかっこよさに 浸ってこようと思います。
投稿: やっとかめだナモー | 2006/05/04 23:18
まだ未見なので内容的にどうこう言うつもりはないんですが
「小さき勇者たち」の世界ってカメがいるんですよね?
それなら、昭和ガメラの流れを組む作品としてとらえるのがいいんじゃないかと思いました。
投稿: 大外郎 | 2006/05/05 03:05