善光寺から戸隠詣でだぞ
神北家は毎年、白馬の岩岳スキー場に面したセブンロッジで開催される、ローカル・リフレッシュ・コンベンションに参加している。というのは、これは所属
サークルである「Φの会」の主催であり、結婚してこちらに出て来るまでは女房もスタッフの一員だったという、極めて近しいSFイベントの一つなのだ。
いつもは、こちらで車を借りて、関越・信越と乗り継いで、善光寺に詣でて……というコースを取るのだが、今回はちと違う。コンベンション明けの日曜が、シール企画の代表を務める藤沢くんの結婚式で、友人を集めた二次会が夕方に行なわれるのだ。
だから、長野まで新幹線を使い、長野駅からレンタカーを借りるパターンを使った。
2006年6月3日土曜日。まずは、実家に止まった女房と長野駅で合流してから、レンタカーで善光寺さんへ。裏手の駐車場に車を置いて、本堂を詣でてから仲見世を下り、門前町へ。目指すは藤木庵。
ここのそばが美味しいと言うことは、神北自身は小学生の時に家族旅行で訪れた三十数年前から知っているわけだが、この蕎麦屋の歴史はそんなものでは済まない。
江戸後期十一代将軍家斉の時代、文政十年(一八二七年)に現当地に在ったそば処麻屋広吉宅の跡地に、夫善蔵 亡き後そば店を開業したのが現在の上高井郡高山村奥山田出身の藤澤ワノと申す女主人でした。おかげ様をもちまして、創業以来百七十余年に成り現在七代目に 至っております。
……とサイトにあるから、神北の知っている5倍ぐらいは歴史がある。なんと言っても狙い目は「ごくらく」の三段。くるみダレ、トロロ、蕎麦つゆの3つでそれぞれ1枚ずついただく。蕎麦は白がちの更級系。つゆも美味しい。
本来の参拝ルートというものがあるとすれば、我々夫婦はいつも、その逆を言っていることになる。というのは、裏手の駐車場から入り、本堂を回り込んで表側で参拝。そのまま仲見世を下って門前蕎麦。その後、もう一度境内をずっと本堂の方へ戻って行って、脇を抜けて裏手の駐車場に行くのだ。まあ、これが一番車で行って効率の良い参拝方法なので、車で行く以上致し方ないのだが。
で、食事をしてホッとした状態で参道を上っていると、お坊さんが悠然と歩いている。さすがは宗教都市長野の中枢である。この善光寺界隈は、オリンピックの時も大いに賑わい、まだ記憶に残っている方も多いだろうが、現在、三門(山門)が数年掛かりの大改修に入っており、囲いに覆われていて、残念ながらその姿を見ることは出来ない。
ちなみに、善光寺は何派という細かい括りをしないお寺なので、全国に善光寺詣でのための「講」があったりする。江戸期に流行った伊勢講なんかと同じで、 遠くの寺社仏閣を拝みに行くという崇高な目的を掲げつつ、その実、観光旅行としてセッティングされた、一種のパック旅行である。伊勢講だけでなく善光寺講 も、わりと多い。ちなみに、伊勢講から発達した旅行会社として日本旅行さんがある。2003年行こうの日本SF大会の多くがここでお世話になっている訳だが、まぁ、SF大会と云うのも、一種の宗教的情熱から参加するものかもしれないので、日本旅行さんにとってはお得意のジャンルかもしれない。
この善光寺講の一行だと思うが、日傘をさし掛けられたいかにも高僧と言う雰囲気のお坊さんを先頭に、脇に一人若いハンサムなお坊さんが付き従い、その後を数十人がゾロゾロと連なって行くという一団を見かけた。ここがいわゆる「祭祀センター」というモノである以上、こういう光景は千年単位で前から行なわれ、この後も続いて行くのだろう。
さて、長野から白馬へ至る道はおおむね2本ある。一つは、出来るだけ安楽に走れるオリンピック道路。これは、国道19号線を西進し、白馬長野有料道路(日高トンネル)経由で県道31号線から美麻村で33号線に乗り継ぎ、JR飯森駅のやや北で国道148号線に乗る南ルートで、観光道路である。今ひとつは国道406号線で鬼無里村を抜けて行く少々急峻な北ルートである。
しかし、今回我々は、そのアレンジとして、更にもう1本北側を回り込む戸隠ルートを取ることにした。
善光寺西から横沢町を抜けて、往生地から山間部へと入り、七曲の坂を上って北上。大峰山を右手に見ながら高原地帯へと出る。大座法師池の脇を回り込み、飯綱高原へ抜けて戸隠へ。戸隠からは、県道36号線で西進し、国道406号線に復帰することになる。
しかし、今回は戸隠で素直に36号線に乗らず、そのまま北上。戸隠神社の奥社を目指す。
何故かこの善光寺に詣でた後は、まるで対ででもあるかのようにどこかの寺社仏閣に詣でることが多い。豊科の玄蕃稲荷だったこともあるし、実家経由で豊橋稲
荷だったりもする。別にお稲荷さんに限定と言う訳でもなく、何年か前に一度、このコースを通り、なんだか本当に呼ばれでもしたように戸隠神社の宝光社に到達。これは何かの縁であろうとここに詣でた。
二百余段の石段を上った上にあるこの宝光社は、なかなか荘厳な趣きがあるのだが、今回は宝光社には詣でなかった。今年も同じそのコースを走ったのだが、宝光社で止まることなく、そこから更に一里半というから約6キロ。日之御子神社(ひのみこじんじゃ)・中社(なかしゃ)の脇を抜けて奥社へと向かう。(詳しくは長野市商工会 戸隠支所の戸隠神社マップをご覧あれ!)
奥社は、観光道路の脇から参道が伸びているのだが、これがまた驚く程まっすぐと伸びていて、気持ちがいい。杉並木と書かれているが、入口付近は特に杉があると言う風情ではない。雪解け水と思われるせせらぎが道の両脇を流れ、ミズバショウが花開き、可憐な高山植物が花をつける。
参道の起点に置かれた先ほどの鳥居が、観光道路から約100メートル程の位置にあるのだが、そこから見て、参道の先は全く伺い知ることが出来ない。ただただ、緩やかに上りつつ、まっすぐに道が延びているだけなのだが、目指す奥社本殿がどこにあるのかなんて、全く見えない。が、入口から300〜400メートル行った辺りかな、しばらく進んで行き、出発点がもう見えなくなってかなり来たと思った辺りに立て看板が。
「奥社まで1480メートル」
うぎゃ? まだまだあるなぁ。
振り返ると、500メートル無い筈の出発点も、既にかすんでいる。そして、行く手も何かあるようだが、まだしかとは見えてこない。
更に400〜500メートル行くと、赤いものが見えて来る。阿吽の狛犬に守られた随神門である。
この奥社の狛犬は、なかなか迫力満点。たてがみも勇壮でゴージャスな作りになっている。なんと言っても、顔付きが凛々しいではないか。あごを引き力を溜め込んだ阿の形相も、静かに口を閉じた吽の形相も、神獣の躍動感に満ち満ちていて、それはそれ、一つのリアルさがある。普通に立った男がカメラを構えてこの見上げ角度となる高さから、大きさを判ってもらえるだろうか。ぐいと睨みつけて来るこの迫力がまた良い。ちなみに、この戸隠神社は、最初から神社として創建されたものではない。本来ここは信州修験道の霊山で、9世紀末に奥の院が開かれ、11世紀後半に宝光院・中の院が創建された。平安末期には戸隠十三谷三千坊と言われたそうで、比叡山・高野山・戸隠山を三千坊三山と呼ぶ程の大きな勢力だったという。
中世には、武田・上杉にとって戦略拠点に当たるこの僧院は、両軍勢から狙われ、据花川を越した南向うの筏が峰(現小川村)に疎開したこともあったとか。まあ、それは30年ぐらいで戻っているらしいのだが、そうまでして戻るだけのものが、戸隠山にはあったと言うことなのだろう。
しかし、霊山戸隠は、明治維新によって大きく揺れる。もともと神社であった日之御子神社などはそのままとして、それ以外の仏教寺を全て寺院から神社に切り替え、僧侶は還俗して神職に変わったのだという。
徹底した廃仏棄釈である。神仏混淆とはいえ修験道と言うのは、神道によって天皇支配の正当性を主張する明治政府にとって、仏教の眷属であり邪魔物だったのかもしれないが、現代から振り返って眺めるに、さまで弾圧せいでもと思うわけだ。が、家康の庇護により千石の朱印状を受けていたというから、徳川憎しあまりの方向違いの弾圧だったのかもしれない。徳川とて、自由に諸国を旅する修験者の勢力を削ぐため、霊山の寺が修験道抜きで自活できるように所領を与えていたわけで、けして修験道の聖地を優遇したための施策ではなかったと思われるのに、次の明治でこの大弾圧。時に反抗勢力の起爆剤となりうるだけに、なかなか宗教と言うものは大変なのである。
かくして、霊山は修験道の拠点から荘厳な神殿へと姿を変えた。僧侶は神職に変わり、修験者は姿を消した。
参道の起点から奥社までのほぼ半分の位置にあるのが、随神門である。
草葺きの立派な山門であり、かつては三千坊の入口であったらしい。狩衣の武人像と思われる木造が左右に鎮座する朱塗りの門は、神仏どちらのためのものか非常に判り辛い。しかし、その凄さは、行ってみれば判る。
この門をくぐると、周辺は一変する。17世紀だから江戸前期に広い広い神域の真ん中を通る参道を整備し、杉並木を作った。それが21世紀の今、三百数十年の時を経て、荘厳な参道を形作っている。元々参拝する人がすれ違うだけなので、さほど広くない参道だが、縦に高い杉並木に囲まれると、山の中の小道に見えるが、それでも3〜4メートルはある。あきれる程の杉並木である。
後で地図を確認してみた所、この杉並木に入るあたりで1キロほど歩いている換算だが、この参道、まっすぐではあるけれど、わずかに勾配があって、また石がゴロゴロして、一歩一歩踏みしめて歩かないといけないので、都会で1キロ歩くのとは全くワケが違う。しかも、この杉並木の終わるあたりから、道は坂になり石段になって、どんどん勾配がキツくなるのだ。
この辺りですれ違った帰り組の皆さんは、みんな結構にこやかな顔をしてみえるので、これはもうそろそろ奥社本殿が近いのかなと思ったらサにあらず。後になって下って来ると判るのだが、こんな平坦な道に戻ると歩き易くて楽しくなるじゃないですか。そういうことなのです。
この後、がんがんと高度を上げ、気がつくと遠くに見えていた山が割と近く見える。しかし、山なんか見ていられるのはまだ最初のうち。その内、それどころではなくなって、足下を見定めて踏みしめて、一歩一歩登るようになる。そして、もうええ加減登って来たなと思う頃に、顔を上げると、九頭竜社と奥社が見える。流石は霊山中の霊山。うまいコト出来ているのである。
奥社のところから覗くと、森の上に峻険な岩山が見えている。これが戸隠の山なのか。なるほど、ただの山ではない趣き。
ちなみに、この奥社の主神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)である。天照大神の岩戸神話に関わりが深く、勇壮無比の怪力の持ち主であるこの神様は、多分大日如来をまつっていたであろう修験道の寺院を改宗させた時に、一番座りが良かったということか。
他の神社に祀られている神様も、日之御子神社には元々、岩戸の前で踊った天鈿女命(あめのうずめのみこと)がおわし、岩戸神楽を思いついた天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)であることから、一定の神仏史観が見えてくる所が面白い。
ちなみに、この山をアップで撮ってみた。凄い。カッコいい。忍者映画みたい。
さすがは戸隠である。
九頭竜社と奥社に詣でた後、おみくじを引く。ここのおみくじは、最近ハヤリの街の大きな神社によくあるスピード勝負のヤツではない。神職の方が受け付けて、満年齢を訊いてからいったん裏に入って、やがて袋に入ったおみくじを持って出てこられるという代物。
来年にお守りを帰しに来れるアテがないので、お守りは頂かなかったが、これも結構素朴で質実剛健な感じのする物。こういうのもいいにゃー。
ゆっくりと山を下ること30〜40分。われわれは、出発点でもある鳥居の所まで帰って来た。急峻な部分は帰りとてスピードが出ないが、杉並木あたりからの道は、石まじりの土の上を随分歩きなれて来たことと軽く下りであること、達成感で紅葉していることで、割とするすると戻って来れる。
鳥居を出ると、川を挟んですぐに、食い物屋さんがある。そこの脇にソフトクリームを売る窓があって、クマザサアイスと書いてあったので、食してみる。
なんだか、笹団子の笹の薫りがするソフトクリームが、1時間以上の上下行に疲れた体に心地よい。
ソフトクリーム売り場の脇に置いてあったネコベンチ。なんか可愛い。しかし、自然を満喫しているここは、リアルに熊出没注意の看板が架かっている場所でもある。
信州の緑の濃い所で軽く汗をかいて甘い物を頬張る。ああ、信仰って素晴らしい。
車まで戻ったら、ほぼ4時であった。いくら夏至ちょっと前、一年で一番日の長い時期とはいえ、ここは信州の山あい、そろそろ急がないと、薄暗くなってくるのは山の陰に入って結構早かったりする。戸隠の街の方に降り、郵便局のあたりから県道36号線に入り、国道406号線を目指し、ひたすら走る。まだまだ白馬までは遠い。
406号線の分水嶺を超えた先だと思うのだが、長野方面から白馬方向に走っていて、トンネルを抜けた先に、急に右カーブをしているところがある。真っ暗なトンネルを抜けた先、ほとんどガケになっていて、正面に大きく空が広がり目が眩む中、黄色と黒の注意標識が大量に立っている。
トンネルのちゃんとした名前は知らないが、神北はこれを「やるー、やるー、やるー、やられるぞきっと、なっなっ」のトンネルと呼んでいる。『ゼンダマン』の悪玉トリオ『アクダマン』が最終決戦の時に使うファンファーレのカラスだ。いや、判らなかったら忘れてください。
ちなみに、横矢印が「やるー」、一本だけ混じっているつづら折れが「やられるぞきっと、なっなっ」である。こりゃまったアクダマン〜〜、とならないように注意して運転しましょう。
かくして、5時半頃、神北とむらさきは、セブンロッジに入った。
さあ、23回目のローカル・リフレッシュ・コンベンションである。
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コメント
いいなあ、戸隠……(^_^;)。
じつは、松本へ引越しする以前、引越先の候補として戸隠村(合併したっけ?)も候補にあんっていました。
でも子供の学校とか、上京する時の利便さとか、雪かきの問題とか……いろいろな条件が積み重なって、結局、松本になったんです。
だから、純粋に住みたい場所としては、戸隠のほうが上だったんですよね~(T_T)。蕎麦もウマいし(^_^;)。
投稿: 羅門 | 2006/06/06 00:14
羅門 さま
戸隠は今や長野市ですね。鬼無里もそうです。
松本や長野だと、交通の便が良いのが利点ですね。特に長野は、新幹線が通って便利さに拍車がかかりました。
しかし、温暖な季節に遊びに行くのなら、ほんと戸隠とか楽しいです。長野と比べても、格段に空気が気持ち良くって。
投稿: 神北恵太 | 2006/06/06 01:09
>「やるー、やるー、やるー、やられるぞきっと、
>なっなっ」のトンネル
…「”お約束のパターン”で事故」は避けたいですね(^_^;)
(ひょっとして、狙ってるんでしょうか>標識)
投稿: たかや・まね | 2006/06/07 17:20
たかや・まね さま
これ、本文にも書きましたが、かなりいい調子に走って来て、トンネルを抜けた先が、急カーブというか、出口すぐで直角に曲がっているんですよ。ブラック魔王のゼロゼロマシーンなら、100パーセント間違いなく「あのシーン」をやる場所です。
投稿: 神北恵太 | 2006/06/07 22:08