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2006/07/13

日本SF大会の先乗りだぞ

 2006年7月8日〜9日(土・日)、日本三景の一つ松島のホテル壮観で、第45回日本SF大会が開催された。この大会に我々SEALSはシール企画を 持ち込む。その準備のため、元々7月7日(金)に前泊を予定していたのだが、実行委員会の企画部に居る塩坂君から、7日朝から働き出すために、もう一日早 く荷物を運んで行かないかという話があり、どうせなら、別々に走るより、互いに替えドライバーになった方が楽だろうと、一緒に出かけることにした。
 企画部長の竹内くん達は既に7月6日夜から会場に泊まって7日朝から動き出す。それに会わせてなんとか6日夜に走ろうと云っていたのだが、塩坂君が6日に休みを取れたので、昼間に動き出せることになった。

 2006年7月6日の昼頃、前日に出向いて依頼した星雲賞の賞状の印刷上がりを取りに行き、午後2時過ぎに新横浜の駅前で塩坂君と合流。近くのラーメン屋で昼飯を食って、かねて予約のレンタカーを借り出す。今回のレンタ神北号はトヨタのNOAH、積載量と搭乗人数から選んだ車。
 昔はブルバード乗りだったので、NOAHは経験上そう大きな車の訳無いのだが、近頃は年に何度か乗るレンタカーも殆どリッターカーから1300ccクラスにしか乗っておらず、往時と較べると側方感覚がひと回りふた回り小さくなっているので、ポッと運転席に座ると大きさにチョッちビビる。もちろん、昨秋、熊倉くんの車を借り出してみんなで出かけた時のように、実質そう大きな車という訳ではないから、すぐに慣れちゃうんだが。
 塩坂邸にて荷物を積む。が、塩坂くんは、大会の機材担当として前夜まで機材調整で大騒動していたので、まともに荷造りがしてある訳ではない。アーでもないコーでもないとしばし逡巡後、大量のLANケーブルを半分に削って、まずは後席1列を潰したラゲッジスペースに荷を積み込む。
 結局塩坂邸を出たのは午後4時頃。まずは東京都内へと侵入。池袋で古市くんと真庭くんの荷物を受け取り、さいたまで神北の荷物を積み、込み合う浦和ICへの道を避けて外環から東北道へと乗り継ぐ。真庭君の個人所有の台車も借りて行く。
 一年前まで、我々が持ち込む機体は、据え置き機とディスプレー、そしてブリンタが主流だったが、昨今リプレイスが進み、本体は一体型やノートが増えて容積が減り、プリンタは単機能機から複合機に置き換わり、体積を(スキャナ等の分)増して来た。プリンタとスキャナに限って云えば総じて心臓部が小さくなって軽くなってはいるのだが、構造的に内部にスキマを抱え込むために、かさ的にはちょっと増した感じ。
 今回、レンタ神北号に積んだプリンタ・スキャナ複合機は、塩坂・古市・真庭・神北の持ち込んだ4台。塩坂くんは裸で、古市くんはプチプチクッションを巻き、真庭君は箱に入れた。神北は、100円ショップで購入した椅子用座布団を6枚持ち込んだ。椅子に固定するためのヒモが1辺に付いているので、それで2枚単位に結び合わせた2連のもの2つと、そのままのもの2つ。これを色々と組み合わせて、複合機を守ったり、他の本体等のHDD搭載機がガンガン当たりまくったりしないように、間を埋めるのだ。
 途中、栃木で熊倉くんと晩メシ。大会で使う星雲賞賞状の作成・印刷等の費用を精算。これを早めにやっておくと、大会当日1本目のワクに入っている連合会議総会で、予算執行を全部報告出来るのが利点。
 その昔1990年頃、笹本くんとあちこち走り回って、仙台に来ると良く泊まった駅近傍の花京院に在った旅館はいかにも商人宿という造りで、確か二楽荘とか云ったと思うが、今や同じ場所にホテルJALシティ仙台という立派なモノに建て換わっている。で、2人で確か和室一部屋6,000か8,000円程度で泊まれていた宿泊料も、ツイン13,800円となり、ちょっと近寄り難くなった。その代わり最近の常宿は現代の商人宿、東横インだ。栃木からは仙台まで僅か260キロ程度。取り敢えず、塩坂くんが電話で東横インに予約を入れ、仙台駅西口広瀬通にツインを確保。なんとか日付が変わった頃に滑り込む。
 風呂に入って、ネットを確認。東横インはLANケーブルのコネクタがあるので、ザウルスでMixiとかを覗くにはとても便利。とはいえ、最近のココログは、ザウルスに乗っている純正Net Frontでは、トラックバックスパムとかを消せないのが困る。今最新のW-zero3とかなら出来るのかな?
 ちなみに、塩坂くんが持って来た無線LANルータで、神北の有線LANで繋がったザウルスと、塩坂くんのW-zero3とを並行して使おうとしたが、WebとMailしか許していない東横インのLANに嫌われて上手く繋がらなかった。ま、しょうがないか。

 7月7日朝、7時に起きた神北と塩坂くんは、取り敢えず東横インの朝食サービスのおにぎりを食べて、一路東、松島を目指す。国道45号線を東に向かい、仙台港北ICから三陸縦貫自動車道へと入り、松島の待ちの向こう側に出る松島北ICを目指す。9時頃にはホテル壮観着。
 竹内くんがロビーまで顔を出してくれて、取り敢えず荷を運び込めるようになるまで前々泊スタッフの寝部屋でしばし休憩と状況把握、情報収集。前々泊が思ったより多いのに関心。スタッフにやる気と危機感がある。こういう大会は失敗しない。
 旅館から宴会場を借りる時間に達したので、、シール企画で使う松観の間に荷物を運び込む。今回のシール企画は、30センチ程の座敷舞台の上に作成スペースを置き、舞台の前に受付・引渡等に使うカウンターを作る。基本的に松観の間の舞台側の半分は畳敷きで、PX(酒場)になる。向こう(床の間側)半分は畳を外して、ディーラーズルームになる。シール機材は、ともかく舞台の上に。
 運び終えると、その直後に自分のマシンとプリンタで仕事システムを組み上げて、作業開始。いろんな刷り物をせにゃならん。デザインが作ってはあっても実際に印刷していないシールを端から打つ。このMacOSX上のIllustratorCSとMP950の相性というのは、どうも悪く、A4用紙だとピッタリに出るのに、A6(ハガキ)サイズだと微妙にズレがある。それも、きっちり縦横に何ミリずつズレているというよりは、何パーセントか拡大縮小を掛けているような、変な案配。
 基本的な用紙2パターンについては、既に、ズレを計算した位置合わせひな形が作ってあるので何とかなるが、これはまいるなぁ。なんか、キチっと行かせ難いのは厄介。
 OSXとCSの組み合わせだと、ポストスクリプトプリンタでないMP950なんてヤボテンは、今式のIllustrator印刷ダイアログで細部を調整出来ずに、普段は使わないプリンタドライバの設定画面で設定してからIllustrator印刷ダイアログで印刷するという、妙に厄介な二度手間な手順を踏まされるのも、今、人にIllustratorによるシール作成をガンガン押せない理由の一つ。
 CS2だと、どうなんだろう?
 ちなみに、神北は毎年、シール用紙だけでなく、名刺用紙からタック用紙、その他、ちょっと遊べる用紙を多量に持ち込んでいる。ま、そうそうニーズって無いけどね。
 スタッフは昼飯に弁当が支給されるが、我々スタッフ外の者はそうも行かない。おでっささんが来ておられたので、昼飯をご一緒する。車で、大漁まで出かける。例のタワー天丼のお店。といっても、我々はそれを頼んで仕事にならなくなったら、先乗りの意味が無い。普通に穴子天丼とか、刺身定食とか。栄螺の刺身なのかな、割と柔らかくて甘い貝が美味しかった。
 午後は、大会のスーベニールバッグに入れる「シール企画からのお知らせ」をその場で作る。ちょうど、昨年の大会の実行委員長、半澤くんが居たので、プロ編の目で朱を入れてもらう。助かる。今年は、シール企画からの専属前乗りが神北一人だ。竹内くんや塩坂くんは、シール企画のメンバーではあるけれど、今年は実行委員会の中核に入っていて、当然、実行委員会優先であり、ほぼ全ての時間に渡ってそれが続く。これは致し方ない。ただ、誰か一人ぐらい、相談したり、分業したり、おつかいに出たり出来る仲間が居ると楽なのだ。一人というのは、意外としんどい。特に、持ち場を離れる時がしんどい。
 もともと、サンダルが欲しかったので、どこかに買いに出ようとしていたのだが、実行委員会の用意していたLAN用のルータがなんだか動作が怪しいというので、至近の郊外型商業施設の一つ、矢本のロックタウンまで、意を決して買い物に出る。ブルーインパルスの基地が、仙石線の線路を挟んで1キロぐらい向こうなので、巨大駐車場で車から出て爆音にふと空を見上げると、ほぼ直上をジェット機が背面飛行していたり、三機編隊が突如スモークを放ち、2機と1機に別れて左右に散ったり、宙返りしたりと、なかなかの目の保養。
 この矢本の巨大ショッピング施設「ロックタウン矢本」、別に屋内の中央通がある「モール」ではなく、巨大駐車場の周りに長屋式に大きな立て屋が並び、それぞれ駐車場向きに店を構えているというもの。ただ、駐車場の規模が350メートル×250メートルと、超巨大なため、どこに駐車するか、目的の店がどこにあるかで、運命は大きく変わる。結局、ホームセンターはあったが、コンピュータ関連のものはCD-RやUSBケーブル程度しか売っていない。店員さんも「LANの……」と云った途端に、ペンギン村の住民が遊びに来たトカイ島の子供でも見るような目で見られただけ。誘導尋問でやっと聞き出したトコロに拠ると、石巻方向に10キロ程行くとコジマかヤマダか、なにかの家電量販店があるらしいと判る。
 家電量販店への移動を考えていると塩坂くんから電話。「あ、もう買っちゃいました? 実はルーターの不具合、設定ミスでした」じゃ、買わなくて良いんだなということで、納得。「あと、やっぱ、サンダル買って来てください。オレと竹内さんの分も……」了解。
 同じロックタウン内の靴の量販屋に移動。入り口に400円ほどのビーチサンダルもどきが置いてあるが、これは材質的に脱ぎ履きがしにくいのでパス。日本大会クラスを収容する和式ホテルとなると、座敷の大広間、カーペット敷のホールや廊下、和式の自室、etc……の間を行ったり来たりする機会がどうしても多くなる。只の参加者なら、スリッパでも割と便利なのだが、必要に応じて、走ったり、踏ん張ったり、さっと脱いで座敷に上がり、パパっとはき直せることも必要なスタッフには、ペタペタとしたスリッパや脱ぎ履きに時間を食うスニーカーは却って使い辛い。畳と廊下の出入りを容易にし、しかも、履いた時に脱げ難く、脱ぎ履きはさほど面倒でない、さらにそのまま館外へ出てもおかしくないサンダルが、一番良い。
 この後、水分補給用にVolvicの1.5Lペットポトルを買えるだけ買って、下道で、ホテル壮観に戻る。
 この松島・矢本間というか、奥松島に向かう野蒜近辺と云うか、この辺りは頭の中に上道(高速)下道(一般道)共に脳内簡易地図が出来上がっている。
 ホテル壮観に戻って来て、靴を車内で早速サンダルに履き替えて、1.5Lの水10本と、サンダル2足を持って松観の間へ戻る。途中、小石川君に会うので、松観の間まで来てもらう。実は、半年程絡んでやっと先日、並木書房から刊行されたばかりの『オールカラー陸海空自衛隊制服図鑑』を、大会を手伝っている、日頃何かとお世話になっている自衛官の友人の分だけ持って来たのだ。さっそく贈呈。
 松観の間に戻ると、また、刷り物の続き。リソグラフが設置されたというので、「シール企画からのお知らせ」を人数分刷らせてもらう。時刊新聞社のシバタ元社長がいるので、捕まえて、刷り方を教えてもらう……というか、刷ってもらう。今のリソグラフは、製版から印刷まで自動的に1台でこなすから、ほとんど使う方としてはコピー機と同じなのだが、ニチャっとするインクで紙がドラムに巻き付くこともあり得るので、刷り速度を低速化するレバーがある。このレバー、逆に振ると、標準速度より早く輪転機を回すことも出来る。なかなか便利。さすがは普及度No.1の簡易印刷機だ。
 昨今のエコブームに乗って、リソグラフも大豆由来のソイインク使用になったり、いろいろとエコな会社になりつつあるらしい。ただ、このソイインク、従来のものより乾き難いのか、べた付きが多いのが難点とか。
 やがて、メシ。今回、このホテルでまともに晩飯が喰えるのはこの日だけなので、取り敢えず喰うぞ!
 「席は自由」というので適当に座ろうとしたら、実行委員長が「でも、ビールは、個人持ち。ただし、支払いは部屋単位だから、部屋ごとに纏まって座った方が良いよ」というので、仕方なく、部屋単位に声を掛け合ってい同じ位置に陣取る。85年のガタコンspの時の前泊合宿ように、横にビール売りブースを作ってその場で清算するのは無理だったのかな。しかし、実行委員会にせよ旅館にせよ、「部屋単位に座るのが良いよ」というのなら、ハナっから部屋単位に席看板立てといてくれれば良いのになぁ。実行委員会が小さくて、経験者が少ないから、こういう細かい気配りは無理か。残念。
 夕食は割と大騒動。知り合いと挨拶したり、連合会議の牧議長に星雲賞の賞状を渡したり、同室だったなんだか生意気な若造が実は同じサークルの男と判り、更にオイラの友人の割と馬鹿にしたような人物評をべらべら語っていて腹が立ったり、いろいろ。
 食事中、警備隊長の武田くんが、9時集合とか呼びかけていたが、スタッフ以外には特に指示がないので、後は良いんだろうと解釈。
 メシの後、部屋の人たちと別れてもう一度松観の間へ。色々やった後、部屋へ行って、浴衣を貰って風呂に。ついでに、玄関脇の次の間の寝床を「ここオイラの」と確保。たぶん、部屋に寝に戻るのは深夜だろうからね。
 風呂への道筋で風呂から戻る所らしい平田くん&小石川くんの海自コンビに出会う。
 「あれ、どこ行くんです?」
「今から風呂じゃよ」
「9時集合ですよ」
「警備隊長がスタッフに集まれと言うとったが、俺はスタッフじゃァねェ。スタッフの密かな楽しみを奪っては可哀相じゃないか」
「ああ、そんなご無体なぁ……」
 知るか! 広報段取りが悪いのはそっちじゃ。だいたい、このまま作業に突入していたら、大浴場の閉まる時刻までに、入浴時間が取れる訳が無い。ワシはフロに入るのじゃ。一日働いたから、風呂が呼んでいるのじゃ。何が何でも入るのじゃ。絶対なのじゃぁぁ!!
 とはいえ、こちらの刷り物も挟んでもらうので、10分程度の速風呂でササっと飛び出す。部屋に戻って、着替えとタオルを置いて、その足で本部経由で松観の間へ。まだまだスーべニール詰めは始まった所。
 端から1つずつ内容物を取って行くと、一番奥に待っている人がスーベニールバックを開いて待っていてくれるので、そこにホイっと放り込んで1回終わり。これを15人ぐらいがそれぞれ50回弱くり返すと、700人分ぐらいのスーベニールセットが完成する。割と良い調子。去年は、作業人数こそ多かったが、数も今年の3倍近く作らなくてはならなかったし、遅れて来た印刷物に対応しなければならなかったし、そもそも、挟むものが膨大に多かったし、更に云えば船頭多くして途中で方式が二転三転したので、桁違いに大変だった。それと較べると、参加人数の少なさもさることながら、全ての内容物が事前に揃っていたし、一度決めた方式でどんどん仕事が進んだので、割と早く終わったと思う。
 スーベニール詰め作業後、みんなが松観の間を去った後も、シール屋作業に復帰して作業継続。一人だと、どれだけ時間があっても終わらない。
 結局、1時過ぎか2時前に、見回りに来た竹内くんが、ステージ上で寝こけている神北を発見して「本番は明日ですから、今日はちゃんと寝ましょうよ」と云ってくれたので、諦めて寝部屋へ。同室の羽目仙人と小一時間ほどバカ話をして眠りに就く。
 明日はいよいよ大会当日。

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コメント

ソイインクの大豆は遺伝子組み換えじゃないでしょうねっ!そんなの恐くて使えませんっ!!!
とか言われないか他人事ながら心配になります。

投稿: 森野人 | 2006/07/13 19:09

森野人 さま

 でも、遺伝子が組み換えられていようと居るまいと、ソイインク共は、べたべたして、乾燥が悪くて、にじみを生じて、すべからく人類文明に挑みかかってくる存在です。
 彼らがその組成から心根を入れ替えて、もっと人類のために奉仕する存在となるまで、私はそいインクを憎み、その根絶のためにこの身をを捧げるでありましょう。

投稿: 神北恵太 | 2006/07/13 21:26

ソイインクわざわざ言ってないだけで、もうかなりの印刷物がこれで刷られてますよ。あと発色と耐性がよいので、同人誌でたぶん人気出ると思います。

それはそうと神北邸から東北道乗る時って、463バイパスをビューッと走って、150円払って新浦和橋渡って122号を北上し、岩槻インターに入るってのが一番早いよ。

投稿: 大外郎 | 2006/07/13 23:12

うーむ、ソイインクって乾きにくいんですか。
乾きにくいって認識は(乾いたものしか見たこと無かったので)あまりなかったんですが、スレやすいっていう認識は正直あります。

しかし、どのくらい意味があるのかとか考えるんですが石油由来だとまったく分解できないのかしらん。

投稿: おかてん。 | 2006/07/13 23:16

>どのくらい意味があるのかとか考えるんですが
使うとマーク表示することができます(マテ
乾かすのにパウダーがたくさんいるので、どのぐらい環境にいいのかに疑問は出されてますね。

投稿: 大外郎 | 2006/07/13 23:26

大外郎 さま

 463バイパスって、浦和ICに行くヤツですよね?
 割と夕方ラッシュとか酷い目に遭わされて、浦和IC使わないことにしていたんですが、最近は整備が進んだのかな?
 ちなみに、新浦和橋は今や無料化されてますぜ。

 ソイインクって、しかし、そんなに広がっているんですか。

おかてん さま

 スレるってことは、インクがまだちゃんと乾いていないと言うことだと思うんですが……。

 どちらにせよ、インク作るより、豆は食えと思います。
 まあ、ずんこんだけにソイインクってのも良いんだけど。

投稿: 神北恵太 | 2006/07/14 02:04

ぐぐってみると大豆の色素を利用してるんじゃなくて、大豆油をインクの溶媒に使ってるだけだね。
メリットとして「揮発性有機化合物の量が減少し、大気環境の保護や作業環境の改善」とあるので反面乾き難いのもむべなるかな。

飲むとビタミンEの補給になる・・・かどうかは知らん。

亜麻仁油、桐油、ヒマシ油、サフラワー油もインキに使うらしいねえ。
亜麻仁油は油絵の絵具にも使うよね。夏休みの宿題の絵がなかなか乾かなくてドライヤー掛けたのが懐かしい。

投稿: 森野人 | 2006/07/14 10:53

ああ、名前間違えた新見沼大橋の方ね<まだ有料
新浦和橋は毎週通ってます。

で、浦和インターはワールドカップでだいぶ改良されたけど、まだ渋滞は酷いよ。
岩槻インターまでの122は高速と大差ない速度で流れているので、岩槻インターを利用するですよ。
今までの経験からすると、外環周りより30分近く短縮できることもあると思います。

投稿: 大外郎 | 2006/07/14 18:42

森野人 さま

 うひょー、そう言う資料がネットにあるんですねぇ。しかし、いろんなとこに植物系油分が使われてるんですなぁ。

大外郎 さま

 ふむふむ。そんなルートがアルですか。知らんかったなぁ。借りた車のナビは古いのか、それではなく、新浦和大橋から浦和ICという、一番どうしようもないルートを指してました。ま、それだけは走りたくないからねぇ。(^_^;)

投稿: 神北恵太 | 2006/07/14 20:31

>一番どうしようもないルートを指してました。
新浦和大橋~新見沼大橋~浦和ICなら渋滞情報持ってないナビでは、それが正解なんだと思いますよ。

新浦和大橋~旧463~122~浦和ICならバカだと思います(マテ

122号は浦和から岩槻まではほぼ信号無し。高速の両脇に上り下り分離でそれぞれ2車線ですから、まず渋滞はなく、下手すると混んでる東北道より早いです(笑

投稿: 大外郎 | 2006/07/15 08:22

そか、ずんこんだけにソイインクでも良いんだ!

しかし、スレ易いって書きましたけど、印刷後だいぶたってからのものでもそうだったような記憶があるので・・・・

投稿: おかてん。 | 2006/07/15 11:35

大外郎 さま

 ふむむ。122号。憶えとコ。

おかてん。 さま

 インクの量や、インクと紙の質や相性もあるのですが、本来謄写版印刷用インクは、1週間ぐらいは平気で湿り気を保ち、スレるものだったように記憶しています。小学校の頃のテストとか、文集とかね。

投稿: 神北恵太 | 2006/07/16 01:56

確かに、平気ですれてましたねぇ。
ガリ切がぎりぎり実経験である世代だと思いますが、それ以降も謄写版印刷はしばらくあって、

話がずれた。(でも消さない(すいません))

インクについても進歩はしてるんでしょうけど、エコなことを考えると若干巻き戻しはいるんでしょうねぇ。

投稿: おかてん。 | 2006/07/16 02:02

おかてん。 さま

 実は、いくらインクがエコといっても、乾きが遅いようだと、擦れて汚れて刷り直し、結局紙もインクも却って大量に使ってしまうという可能性があるので、特に、日本SF大会の当日ような、短期決戦の場で「エコの理論」が通用するかと云われると、難しいですよね。

 ちなみに、私は、小学校の先生が鉄筆を持つのは見ていましたが、自分が触る物としては、卒業文集のボールペン原紙から使い出しました。しかし、大学時代のコピー同人誌時代を経て、社会人になった後に、コピー機以外の複製手段として、(既にプリントゴッコが普及していたにもかかわらず)プラスチック製のハガキサイズの謄写版印刷機を面白がって買いました。本来ボールペン原紙用の物だったんですが、謄写版原紙も問題なく使えるので、鉄筆と、やすり板——は高くて買えないので、金属用紙ヤスリをプラまな板の上に置くことで代用、このヤスリの番手を荒い物に変えて、金属さじのハラで擦ることで、スクリントーンっぽいザラザラ表現罫線とか、いろいろ変なこともやってました——で、84〜85年頃にハガキサイズの謄写版会報を作ってました。だから、ガリ切りをファンダムで一番最後までやっていた人種の一人だと思います。

投稿: 神北恵太 | 2006/07/16 06:06

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