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2006/07/15

日本SF大会の帰路だぞ

 2006年7月9日、午後。我々は奥松島、宮古島大浜にいた。我々の今晩の宿泊地は、ここである。和風旅館あけみ荘。昭和40年代には既に民宿として営 業していたという、なかなか歴史と伝統の宿。今の女将は二代目で、旦那様は半農半漁の漁師さんで、取れ立ての魚介類と、自分の田んぼで採れた美味しいお米 が自慢の宿でもある。

 が。が、……である。そのあけみ荘を目の前にして、我々は考えあぐねていた。
 み……、道が、狭い。
 いや、そう思っただけと言えばそう思っただけなのだが、「入れないように見えて、意外とデカい車も入る」とは聞いてはいたのだが、ちょっと恐怖感を抱かずにはいられない路地なのだ。
 取り敢えず諦めて一旦引き返す。1日500円の駐車場がそこいら辺にあるので、ここに停めてしまおうかとかも検討したが、藤澤くんが「まずは、旅館に聞いて来ます」と偵察に出てくれた。しかし、「大逆転、こっちを回ると道が太い」という情報を期待していた我々にもたらされたのは、「やっぱり、あそこから入るしか無いそうです」という過酷な現実だった。しかし、良い情報も有った。「少し曲がっているので狭く見えますが、実際に歩いてみた所、割と困らない程度には広いです」とのこと。ふむ。そうか。
 取り敢えず、ファンカーゴのレンタ藤澤号から侵入。NOAHのレンタ神北号も続いて侵入。なるほど、チョイと路地がクネっているので、入り口から見ると余計狭く見えるけど、一番難しい堤防から入る角の所はあけみ荘の別棟が少し敷地を開けていてくれるので、かなり大きな車でも曲がれる。路地自身は普通の側方感覚があれば全く問題ない感じネ。最初一回はヒヤヒヤだったけど、慣れると割と平気。うちの実家の前のクランクより甘い。
 とりあえず、簡単な荷物だけ持って一度宿に。女性部屋と男性部屋で、男性部屋は二間続き。お互いは廊下を挟んで正面。取り敢えず、部屋に座り込んで……そのまんまみんな沈没。だって疲れたんだもの……。
 はっと気づくと、1〜2時間経っている。い、いかん、塩坂くんを迎えにいかないと! 今頃ひとり泣いているかも知れん。
 藤澤くんと2人で、身軽なファンカーゴで発進。なんだかもう、憶えてしまう程簡単な経路で、1カ所だけカーナビっぽい住宅地の中をへろへろっと通るものの、ほとんど主要道だけを通って松島・奥松島(ホテル壮観・あけみ荘)間を最短で移動。懐かしの……という程でもない、ついさっき離れたばかりのホテル壮観へと到達。電話で確認すると、大会スタッフは今、既に撤収を終え、有志による現地打ち上げに突入していた。このまま夕飯までぐだぐだ呑み続けて、後泊参加者達と一緒に晩飯も宴会して、地獄を見た二日間を忘れて実社会に帰る為のささやかな宴だ。
 藤澤くんとアイコンタクトで作戦決定。2人して後ろから回り込み、両腕を抱えて塩坂くんを無言で連行……しようとしたら、重くて無理だった。
 そのままずぶずぶと1時間あまり、プチ反省会&僕たちは頑張ったモードのスタッフ達にお付き合い。
 多くの、今回がほぼ初めてというスタッフ、初めての役職と言うスタッフが、たぶん、3日前の彼らには全く考えられなかったようなことが、ちゃんと考えられるようになっているようだった。ゲストや持ち込み企画はいろいろと困ったり怒ったりしたろうし、見るに見かねたスタッフスキルのある一般参加者は、困ったり怒ったりしながら手伝っていたにせよ、一般参加者はそれなりに満足していたであろうから、まあ、無事に終わった大会ということだ。
 もちろん、無事に終わればそれで良しでは無く、彼らにはこれから、反省も、成長も、次(来年という意味ではなく普遍的な「次」、人によっては来年だが別の人に取っては10年後かも知れない)への決意も、してもらわなければならない。
 大会後の当日打ち上げは、その第一歩。
 で、その場でシンマチくんだったと思うが、こう訊かれた。
「神北さん、この大会、成功ですよね?」
なかなか、大胆な発言である。しかし、「そうそう、大成功、君たちはよくやった」と無条件に褒めるようなことはしない。
「成功と言えば、君たち一般スタッフにとっては成功だと思うし任務を完遂したとも思う。死力も尽くしたろう。でも、『やろう』と言い出し、趣意書に署名捺印したメンバーはどうだ? 彼らは、一般スタッフほど死力を尽くして戦ってなかった気がする。俺も、一般スタッフ・部局長・(趣意書発起人たる)実行委員長まで、一通り実行委員会を上下から眺めたが、趣意書メンバーが戦線を離脱したり働いてなかったりする大会を、手放しで褒めることは出来ない」
 彼は、しゅんとなっていたが、これは神北の本心。趣意書の意気を感じて、連合会議は開催権を与えるのだから、趣意書を書いた者には、思い責任があるのだ。
 1時間ぐらい話し込んだ後、塩坂君を連れて奥松島のあけみ荘に帰る。
 帰って、風呂に入ったら、もうメシ。
 こ、このメシ聞いてはいたが凄いですねぇ。
 ひとくちホタテの刺身を食って……叫んでいた。「食ってみそ! あ、甘いぞ〜。これ」
 ムラサキウニもあま〜〜い。
 カッチり焼いたカレイもウマ〜〜!!
 この瞬間の為に生きていた〜といいう、「海産物のエレクトリックパレードやぁ」(彦麻呂風)。決して沼津の千本一的な量的飽和ではないんだけど、産地で喰う質的充足。満足満足。
 メシ喰って戻ると布団が敷かれている。あー、極楽極楽。既に、疲労困憊高いびきの塩坂くんと、仕事のため明日朝イチで出立する藤澤くんが早めに床に付くが、神北と古市くん、真庭くん、ドヴロクくんの4人は、藤澤くんのMacBookを貸してもらって、DVD鑑賞。ネタは『太陽の王子ホルスの大冒険』と『奇談』。
 東映のアニメ学校に行っていた古市くん・真庭くんは授業で、『ホルス』をデータ原口氏の解説付きで見たことがあるそうだが、ドヴロクくんは初見とか。とにかく見せる。悪役とその妹のヒロインの声優(悪魔グルンワルド:平幹二朗/悪魔の妹ヒルダ:市原悦子)の壮絶さ。脇を固めるのが角さんと黄門さま(岩の巨人モーグ:横内正/村の鍛冶屋ガンコ:東野英治郎)という凄さに増して、随所に見られる「あ、これ知ってる」感。神北が『ジブリのふるさと』と呼ぶ謂れである。演出:高畑勲/場面設計・美術設計:宮崎駿/作画監督:大塚康生という豪華さ。見どころ満載である。
 続く『奇談』は、昨秋あまり話題にならなかったが、非常に良質の押さえたホラーである。原作は諸星大二郎の『生命の木』つまり、妖怪ハンターのアレ、「オラといっしょにパライソさ行くだぁ」である。阿部寛/藤澤恵麻の主演もさることながら、ちすん/柳ユーレイ/神戸浩/菅原大吉/土屋義男/堀内正美/白木みのる/一龍斎貞水/草村礼子/清水紘治という脇役がみんな凄い。怪演怪演また怪演。みんなで草村礼子のお妙ばあさんのファンになって、喋り方から立ち居振る舞いまで真似してしまうようなノリ。
 さすがに、大会明けなので、この2本を見て、奇談のスペシャルディスクからいろいろ漁ったところで、12時過ぎに上映会はお開き。みんな死んだように眠ったのだが、それにしても異様な盛り上がりだった。
 翌朝、早めに用意してもらった朝食を食べて、6時半に出立する藤澤夫妻を見送った後、雨の中を、堤防まで出てみる。雨に煙った奥松島も風情が有って宜しい。思い思いに散策っちゅう火、バカ言い合いながら歩いた我々は、宿に戻ってゆっくり朝風呂と朝食。ここの流儀は一夜干しを固く焼き締めるタイプのようで、前晩のカレイも、朝食の切り身も、しっかりこんがりと焼けていて美味しい。じつは、油がジュクジュク云うようなジューシーな焼き魚より、こういうタイプの方が、好みなのだ。
 メシから戻ると、なんだかゴロリ、女房に起こされるまで、1時間以上、みんなで寝こけた。
 で、九時半頃に奥松島脱出開始。といっても、イッパツで出れはしない。後列が荷物で天井まで埋まっている車の使用可能席は5人分、人数は6人なのだ。先に、電車で戻る女房を最寄りの野蒜駅まで送り、折り返して残りのメンバーを乗せ、今度こそ本当に発車。鳴瀬奥松島ICから三陸道に乗り、仙台東部道路・仙台南部道路と乗り継いで東北道を南下。
 もちろん神北・塩坂・古市・真庭・ドヴロクというメンツだから真っすぐ帰っちゃったりはしない。目指すは南方200キロ。西那須野塩原ICである。
 見慣れたICで降りて、西に向かうとすぐにホウライ牧場。ここのレストランは、我々がよく変わった3年前とちょっと変わっていた。なんか、「ミレピーニランチョ」なんて名前がついて、ちゃんとしたファミレスっぽくなってる!
 迷うこと無く全員が、新メニューの「シュラスコ食べ放題」1980円。ええ、そらもう喰いまくりの牛祭りでございますよ。どんどん、ゲンゲン、ごんごん、びゅんびゅん。遠慮会釈無い五つの胃袋が、肉とサラダとその他諸々を蹂躙し尽くしたのでございます。
 「よーし、今日はこれで勘弁しといてやるか」ということで、再出発。車は更に西へ。更に山道へ。通い慣れたあの道をぐんぐん登って行く。
 目的地はもちろん、ホテルニュー塩原。3年前、我々が死力を尽くした激戦地。シール企画指定史跡である。第一駐車場が既に満車で、斜め向かいの第二駐車場に停め、車を降りると奥松島の雨が嘘のように晴れ上がっている。我々は200キロの南下で完全に雨雲を抜けたのだ。
 思わず口をつく「三年前と同じだ、何の補強もされておらん」。お、おまえはドズル=ザビ中将かっ!? じゃ、密かに補強された部分を見に行くぞと中へ。玄関くぐると、三年前に頼み込んで、譜面を渡してアニソンを弾かせた、ヨーロッパから来てもらっているピアニストとバイオリニストのコンビが居るではないか。なぜ?
 さて、ニュー塩原の西館玄関は2階ロビー。右手に折れて、廊下を進み、売店の脇を抜けると広い階段広場。そこで階段を1階降りると松・竹・梅の宴会場群が。午後、そろそろ今夕の宴に備えて準備が始まったところか、次第に活気づいて来る、いつものニュー塩原。さらにもう1階降りると、西館の岩風呂大浴場があり、反対側はゲームコーナー。ここまでは、内装を改めているものの、特に変わっては居ない。しかし、ここからは全く新しい姿にリニューアルされているのだ。
 箒川を跨いで西館と東館を繋ぐ虹のかけ橋は、Rainbow Bridgeと書かれたアーチを外し、橋手前の自動ドアの所には、和の趣きの「湯仙峡」という看板が掛かっている。「ここより湯仙峡」と書かれた電飾行灯や、「現代版湯治場/日帰り温泉」等と書かれた幟が置かれ、もうここから先は、我々の全く知らないニュー塩原なのだと思い知らされる。
 更に、虹のかけ橋を進む。着く先は東館4階。ここの変わり方にまずびっくりさせられる。まず、橋のたもとで口を脱いで下駄箱へ。4階は客室が無くなって、廊下の東側が温泉ランドのフロントになってる〜〜! ここで入浴料を払い、ロッカーキーを貰う。で、廊下の西側(箒川方向)の、旧客室を作り替えたロッカールームで湯仙峡専用の作務衣に着替える。そこからは裸足で歩いて、裸足でエレベーターに乗る。迷うこと無くエレベーターで地下1階浴場へ。
 うっ …… ひゃぁぁぁ〜〜〜〜〜!!!!
 地下1階は、私の知らない世界になっていた。
 二つの大広間、楓と牡丹が、大浴場・ラーメンコーナーごとなくなり、ラーメンコーナーはマッサージとかを受け付ける浴場階フロントに、そして、その奥のバックヤードだった辺りがマッサージコーナーに変わっている。一方、廊下の西側の大広間と大浴場は、すっかり姿を変えて、男女の浴室に変わっていた。
 うわー。藤原女史や場坂さんが戦っていたディーラーズルームが、今やお風呂になっちゃってるよ〜。
 きれいな脱衣場で作務衣を脱いで、ひとっ風呂。
 旧来の塩原の湯とともに、天然鉱石の発する放射線ホルミシス効果を取り入れたホルミシス温浴やサウナも併設し、箒川に向かって開放的な風呂場は、この季節、なかなか爽快。平日の昼間ということもあって空いているのも嬉しい。旧東館大浴場は、流石に古いタイプの温泉ホテルという風情だったが、これはなかなか良いですよ。
 他には、岩盤浴やヨモギサウナ(女性専用)などもあるのだが、そこまではこの日は回らなかった。まあ、今日二回目の風呂だしね。
 風呂から出たら、じゃ、一階を見に行こうということで、まずは1階へとエレベータ移動。おお、七弦・夢殿がリニューアルして、総タタミ張りの温泉ランドの休憩所に変身している。ほへ〜。
 しばし、「ご自由に…」のお茶とかを頂きつつ休憩。
 そのまま4階へ戻って着替えて、湯仙峡を出た我々は、戻って行くついでに、西館の1階をぐるっと歩いてみることに。松竹梅の階段広場から、廊下を通って右手に藤・栃・萩・桐、左手に桜・菊、そして大ホールオーロラへ至る1階は、大会の企画銀座。中心だった。ホテル壮観から帰って来た目で見ると、やはりこの西館の一直線の宴会場の並びは偉大だわ。判り易い。T-con 2003は、本当に良い会場に恵まれたなぁと実感。オーロラの脇からエレベーターで2階に上がって、玄関へ。
 せっかくだから、お世話になった飯沼さんがいらっしゃるか聞いてみる。と「今来ますから、お座りになってお待ち下さい」とロビーへ。待つことしばし、飯沼さんが変わらぬ笑顔でやって来てくれる。
 「ひのふのみ……、5人さまですか、じゃ早速お風呂の……」
「いや、今、湯仙峡に入って来たんたですよ」
「ええ、そんなぁ、じゃ、コーヒーでもゆっくり……」
「いや、すみませんこのドヴロクくんが今日7時の飛行機で九州に帰らないといけないので」
「ええ、じゃあ、私は何をすれば宜しいんですか?!」
いや、お顔を拝すれば、充分なのですが……。(^_^;)
 いろいろと話をしてみると、なんと、3ヶ月交代のピアニスト達は、あれ以来、何度か来塩し、子供受けの良いアニソンをかなりレパートリーに加えていて「飯沼サン、コレデイイデスカ?」と飯沼さんが演奏を聴いてチェックする役なのだとか。
 ええ話や〜。
 ちなみに、我々は今回、飯沼さんに怒られたことが……。
「今度からは、来る時は事前に電話してくださいよ。こっちにも準備ってものがありますから」
……ううむ。済みませんねぇ。
 名残を惜しみつつも、ドヴロクくんの新幹線の時間があるので帰る我々を、飯沼さんは駐車場から車が出て行くまでずっと見送ってくれていた。
 かくて、塩原を離れ那須塩原の駅にドヴロクくんを降ろしたのは、飛行機に乗る為の最後の新幹線の発車10分前。名残を惜しむ彼に「新幹線ホームは駅の反対側で遠いぞ急げ!」と声をかける。あと、帰り道だ。
東北道を走ってさいたま市で神北家の荷物と、預かった藤澤家の荷物を降ろし、夕食。その後、池袋で古市くん・真庭くんとその荷物を降ろし、竹内くんの所に寄って15分ほどプチ反省会というか立ち話。そして、塩坂くんの家で全ての荷を下ろして、塩坂号と並走して最終的に新横浜でレンタカーを返したのは、深夜2時。
 走行距離はちょうどキリの良い1024キロであった。
 その後、塩坂くんの車でみなとみらいまで移動。万葉倶楽部、万葉の湯みなとみらいへ。正確には日を跨いでいるが、この日三度目の、そして最後のお風呂。
 ゆったりしたところで、ちょっとココログとか見ておこうとパソコンコーナーに行ったら、作業する時間もなく、3時で閉まっちゃうでやんの。跡は有料コーナーだというので、諦めて、その日はリラクゼーションルームのリクライニングシートで寝た。
 翌朝、8時45分に目覚め、9時までというお風呂に3分だけ入って、万葉を跡にした我々は、一路中華街へ。朝の中華街と云えば、馬さんの店で朝粥。これっスよねぇ。その後、関内の駅で塩坂くんと別れ、京浜東北線を反対の端近くまで寝て凄し、北浦和に着いたのが2006年7月11日火曜日の11時頃。
 かくて、やっと私の日本SF大会行は終わったのである。

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コメント

 お疲れ様でした。
 おー、あのディーラーズルームの部屋もラーメンカウンターも無くなったのですか。それは残念。
「戦っていた」というよりは、あの3日間、私はあの場所に「棲んで」いました(笑)

投稿: 場坂 | 2006/07/16 18:09

場坂 さま

 あそこのラーメンが無くなったのが、ちょっと寂しいですねぇ。
 一度、みんなでゆっくり泊まりに行こうよという話をしています。また決まりましたらお誘いしますね。

投稿: 神北恵太 | 2006/07/17 01:25

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