« まるで「テレビまんが」だぞい | トップページ | 鎖国政策は末期症状だぞ »

2006/08/12

激走777だぞ

 2006年8月13日、いろいろあって、日曜日の昼前に突然、松本の女房の実家まで車を出す事になった。

 レンタカー屋に電話したら、辛うじて1800ccクラスが1台だけ残っていた。しかし、12時間が限界、次の予約が入っているので延長不可と言われる。11字に車を借り出し、浦和方面からは、埼大通りを所沢ICまで走り、関越道・上信越道・長野道と乗り継いで松本ICなのだが、お盆の大渋滞で関越の所沢から花園辺りまでで2時間程掛かって、大弱り。他は渋滞の「じ」の字もないのに、結局、12時間のうち4.5時間を往路だけで消費してしまう。

 夕方6時頃、5分ぐらい歩いた所にあるお墓まで提灯を持って行って、迎え盆。うちの実家ではそう言う風習が無いので、ちょっと不思議。
 その後、帰路。

 さすがに帰りは、関越に入ってから嵐山辺りで1〜2キロのノロノロが2度程あった程度で、殆ど渋滞無しに戻れたんだが、その代わり、松本のICを乗る頃、バケツをひっくり返したような雨。で、碓氷峠を抜けて横川のSA近辺でも、もう一度雨。

 なんとか走り切って、走行距離を見た所、511キロだった。8進数777、もしくは2進数111111111。8進数3桁で表せる最も大きい数字だ。(旧いUNIVAC系の1100シリーズ機を使っていた技術者は、1ワード36ビットを9ビット=1バイト×4で表すため、8進3桁の癖が身に付いているのだ)

 う〜〜疲れた。寝よ。

|

« まるで「テレビまんが」だぞい | トップページ | 鎖国政策は末期症状だぞ »

コメント

 お疲れさま~。

投稿: 羅門 | 2006/08/14 02:08

羅門さま
 1996年に小諸更埴間が開通するまでは、そこだけ下道を走るか、松本佐久間を三才山トンネルで抜けるかしないと使えず、関越経由で帰るのは結構大変でした。
 ましてや、1993年に上信越道が開通するまでは、松本から関東に出るには完璧に中央道しか選択肢が無く、あの高速道路も甲州街道も両方とも渋滞する悪夢のような休日夕方渋滞に身を委ねるしかありませんでした。
 それと較べると、選択肢が幾つかあるだけでも、随分便利になったんですけどねぇ。

投稿: 神北恵太 | 2006/08/14 08:37

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 激走777だぞ:

« まるで「テレビまんが」だぞい | トップページ | 鎖国政策は末期症状だぞ »