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2006/11/27

みんな帰ろうお家に帰ろ!…だぞ

大山蒜山 2006年11月19日。雲魂拾八からの帰路は、雲魂で大阪まで同乗してくれることになった池田君と友にスタートした。
 池田君がわざわざ取ってあるバスをキャンセルして乗ってくれたので、とっても助かる。まずは、松江駅で彼のバスをキャンセル。なんでも、池田君がキャンセルし終えた直後に「大阪行き空き無いか?」と飛び込んで来た人が痛そうで、なかなかいいタイミングだったらしい。

 で、松江駅のカッコいい駐車場から発車。安来道路経由米子道、蒜山SAで昼飯。そのまま、池田君にハンドルを預け、大阪から先の長旅に際して仮眠を取らせてもらう。大山蒜山辺りは雲がかかり、折角の紅葉もあまり奇麗には映えない。ウトウトとしている内に車は米子道から中国道へ、岡山から兵庫へと進み、太陽の塔の横を過ぎて吹田Jctへ。
 池田君の家の前まで行って枯れの荷物を置き、この後、境三保くん関西壮行会に出席する池田君を送って梅田へ。梅田で池田君と別れて、適当なところに車を一旦停止させてカーナビをセットしよう……と思ったトコロで、今降ろしたばかりの池田君から電話。

 「ハイな」
「あ、すんません、サイフを車内に置き忘れたみたいで……」
「ふむ。ちと一旦停止できそうにないんで、少し進んで停まれたら位置を電話します。」
 ほどなく、なんとか停車できるところを発見。池田君を呼び、来て貰う間に財布を捜し、カーナビを西名阪天理ICにセット。大阪から名古屋まではなんといっても名神高速が早いのだが、それは渋滞してない時の話。日曜夕方は、滋賀県八日市辺りから岐阜県を通り越して愛知県の名古屋まで110キロほどが混み捲る。スっと通れば約1時間半なのだが、3〜4時間は覚悟しなくてはならない。

 そこで、近畿道経由、西名阪、名阪国道、東名阪と乗り継いで、四日市から伊勢湾岸道を乗り継ぐ道を選択した。

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雲魂拾八だぞ

雲魂拾九の刺身盛 さて、雲魂拾八である。一昨年までみんなに愛されていた麗雲荘が無くなり、新しく移った四季荘。麗雲荘のあの濃厚なもてなし料理の包囲網とくらべると、今イチ通り一遍の感があるが、それにしても、この刺身盛りは御見事。
 面白かったのが、醤油が、なんかとっても甘みのある溜醤油で、とっても美味しかったこと。これはびっくり。

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境港と出雲の聖地だぞ

麒麟獅子舞  雲魂に参加となれば、まずは、聖地巡礼である。まずは、妖怪の聖地境港。

 右の写真は聖地の比較的新しい聖像の一つ。麒麟獅子舞。鳥取・島根に広く根付いた神事で、麒麟とその案内役の猩々が登場する。この猩々、ご当地でロケされた映画『妖怪大戦争』の猩々役近藤正臣さんの顔に似て見える。この近藤さんの猩々は、美少年趣味があって、主人公の正のことが大好きという(なんと、近藤さん自身が勝手に付け加えた)キャラクターで、映画の中で良い味を出している。

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2006/11/23

中国の宵と闇と朝、そしてたハワイだぞ

夕景 2006年11月17日、まだ神北は車を走らせ続けていた。舞鶴港を出て、天橋立を回るとあまりにも遅くなりそうだったのでそこはスルーして、城崎温泉を目指す。

 しかし、そこそこの時間に着くことは無理。既に日は暮れて来ている。日本海の夕景は、なかなか奇麗で、走っていても楽しい。国道312号線に乗っている間に既に当たりは真っ暗。久美浜湾から城崎温泉へと走り込んだのは、18時頃だった。

 城崎温泉は昔々泊まったことがある。たぶん三十数年前の家族旅行だ。昔、出雲大社や鳥取砂丘を見に、親父が車を走らせて連れて行ってくれた。玉造温泉に泊まり城崎温泉に泊まったと記憶しているから、今回神北が走っているコースとは逆だ。当時はまだ高速道路網も殆ど発達していないから、今よりも格段に性能の悪い1600ccのブルーバードで今よりも格段に整備されていない一般道を、オヤジは頑張って走ってくれたんだろうなぁ。

 で、その頃の記憶では、たしか城崎温泉は外湯がウリだった。温泉内にいくつも銭湯式の外湯があり、宿泊客がそれに向かってブラブラと歩く温泉街なのだ。今回、城崎温泉を目指したのは、この外湯で旅の汗を流そうと思ったからだ。

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激走!若狭湾だぞ

三方五湖 美浜町と西隣の若狭町の間に広がる三方五湖は、この若狭湾の中で最も景色の良い観光地。2006年11月17日昼過ぎ、原発を後にしたレンタ神北号は、久々子湖(くぐしこ)を回り込んで日向海水浴場にほど近い美浜町の側から入り、日向湖・水月湖を回り、常神半島周辺の豪快な海山を眺めつつ、徐々に梅丈岳の展望台方向へと登って行く。

 一番上の展望台は高度もあって奇麗に周りが見渡せそうだったが、雹混じりの雨の中、スキー場にあるような、むき出しのリフトに乗って登る気にもなれず、展望台下の駐車場で諦めて昼飯。へしこ茶漬け定食。
 最上部ではないとはいえ、この第一駐車場でも相当に気持ちがいい。景色がいい。カッコ良い。残念ながらの曇天だったが、紅葉が奇麗だ。

 レインボーラインを下り、水月湖・三方湖を回り込んで、国道162号で田鳥へ。しかし、田鳥から先、道路が通行不能になっていたので、JR小浜線に沿うように国道27号線で小浜へ。そして小浜から舞鶴へ。舞鶴で港を眺めて更に西へ。

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みーちゃんはまちゃん美浜原発だぞ

海雲 さて、金沢で大浴場(露天風呂)付きビジネスホテル、キャッスルイン金沢に一泊した神北は、翌2006年11月17日の朝7時からの朝食の後、ホテルを辞し、再び北陸道に乗って一路若狭湾方向を目指す。

 敦賀湾最奥、敦賀ICで北陸道を降り、国道8号線・27号線と乗り継いで若狭湾西岸の町、美浜町に至る。

 敦賀湾はどよどよよんと雲がうねり、薄暗く陰鬱な冬の顔を見せ始めている。

 と、美浜町の美浜東小学校のちょっと東側、国道27号線から県道33号線が生える三叉路の案内看板に、『美浜原発』の文字が。たしか、見学者施設があった筈と、目的方向ではなく、敦賀湾東岸を北上する形に走り始める。

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目指せ金沢!旅立ちの朝だぞ

三菱コルト 2006年11月16日木曜日朝9時、いつものニッポンレンタカーで車を借り出す。例によってコルト(右写真)だ。今回の行程は一人旅なので本当はもうひと回り小さなリッターカーでも充分だったかも知れないが、移動距離を考えると少し心許ない。この大きさ・安定感・操縦のし易さが大いに助かる。荷物を積んで、所沢ICより関越道に入る。
 朝11時、藤岡Jctで関越道から信越道へ。

 今回の旅の目的地は、出雲。土曜日に島根県斐川町の四季荘で開催される雲魂拾八に参加すること。

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2006/11/21

馬鹿だぞ

 週末……というより、木曜日朝から月曜日の昼まで、2011キロに及ぶ長大な自動車旅行をしていた。そのレポートはあとで載せるとして、昨日帰り着いて、荷を揚げたまま倒れ臥していたら、電話が……。

RRRRRR……RRRRRR……。がちゃっ!
「はい、神北です」
「あ、私、NTTから委託を受けております○○社の△△と申しますが……、ご主人様でしょうか?」
「はい、そうですが……、すみません、セールス関係はご遠慮願っておりますが」
「あ、セールスではございません。」

 にこやかな声でその男はこう言った……。

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2006/11/16

リュックを代えたぞ

 2006年11月14日に、秋葉原のヨドバシカメラで新しいリュックを買った。ロープロ(Lawepro)コンプデイパックというヤツだ。

内寸法: (上部収納部) W320×H290×D140mm
     (下段収納部) W295×H140×D135mm
(ノートパソコン収納部) W310×H405×D45mm
素材:  840Dポリエステル、600Dポリエステル
     420Dネイルヘッドナイロン、210Dナイロン
重量:  1,340g

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2006/11/13

戦況は悪化しておるぞ

 出先で使う電子機器として、ザウルスSL-C760を導入したのは、2003年8月のこと。128kbps使い放題とそこそこ低速だが代わりに年間21,000円と激安のKWINSという通信カードを載せたのは2005年の1月のこと。

 以降、画面は小さいし、遅いし、CGIやCSS・JAVA-Scriptなどへの対応があまり宜しくないので、あまり大量のページを読み書きするのには向かないものの、最低限のデータを読み書き出来るモバイル端末を、なんとか頑張れば使える環境として使って来た。

 しかし、ここ半年ほどで、急速に状況が悪化して来た。

 まず、ココログ。このサイトを読む読者は、別に遅い事さえ我慢すれば、神北と同じSL-C760で標準ブラウザの NetFront v3.0 でもなんとか使える。読んだ記事に対してコメントも書ける。
  だが、舞台裏となるとそうはいかない。ココログの記事入力ツールでは、必須機能が割り付けられているサブ・パレットが、ミニマムな機能しか載っていない NetFront では表示出来ない。また、トラックバックスパムやコメントスパムを削除する機能も、同様に使えない。これ等の機能は、前は同じ環境から可能だったのだが、 前回の機能強化から今まで出来た事が出来なくなってしまった。
 つまり、ザウルスだけではココログの十全な管理は不可能なのだ。

 次に、Google。もちろん、検索ページは使える。というより、便利に使っている。
 しかし、Googleパーソナライズドホームは一筋縄では行かない。
 ましてや、Gmail GoogleカレンダーといったPIMツールや GoogleNoteBook などのネット文具は、全く使えない。

 折角のモバイル環境が、意外とWEB2.0から見放されているこの現実。新しいサービスが使えないのは諦めるしか無いとして、特に「前は使えていたのに今は使えない」というのは痛い。 

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2006/11/09

引退だぞ

 ショックが大きい。

 デイリースポーツの2006年11月9日の記事『桂米朝が復帰高座で“引退宣言”』にがっかり。

 人間国宝の落語家・桂米朝(81)が8日、突然の“引退宣言”をした。大阪市天王寺区の大阪国際交流センターで行われた「互助寄席」(主催・大阪府教職員互助組合)で、約3カ月ぶりに高座に本格復帰した米朝は、終演後に一線を退く考えを持っていることを告白。時期などは明確に決まっていないが、落語界の “至宝”の決断に、ファンから驚きの声が上がることは必至だ。

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卒業だぞ

 アキバBLOGの2006年11月8日の記事『パソコン発祥の地」ラジオ会館から、パソコン屋が消えそう』は、予感は会ったものの実際にここまで早くその日が来てしまってびっくり。

 「パソコン発祥の地:ラジオ会館」から、パソコン屋が消えそうパソコン発祥の地として知られる秋葉原ラジオ会館から、『パソコン屋』が無くなりそう。ラジオ会館は、MYCOMジャーナルによると『数多くのパソコンショップが出店する、現在の秋葉原へとつながっているのだ』というBit-INNが、かつてあった場所。ラジオ会館で唯一『パソコン屋』だったファーストポイントが移転のため、7日が最終日だった。

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2006/11/08

ハマり歌だぞ

 Escapismさんの、2006年11月6日の記事で知った⊂⌒⊃。Д。)⊃カジ速≡≡≡⊂⌒つ゚Д゚)つFull Auto さんの2006年11月5日の記事『ちょwww何この電波ソングwwww』の『路上のギリジン』にハマった。

 元は、ラーメンズのネタというか持ち歌らしいのだが、こっちは兄ちゃん(片桐仁)のペーソスソング。しかし、ボーカルのこみやまおさんの歌声と相まって、アレンジの妙でミョーにシュールなハイテンションソングに仕上がっているのだ。

 いっぺん聴いてみそ……。

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2006/11/07

名人位確定だぞ

 将棋界に於ける名人の規定。(Wikipedia『名人戦(将棋)』

  1. 将棋の家元制の第一人者である九段が、江戸幕府から許されて名乗った称号。江戸時代には大橋家本家、大橋家分家、伊藤家の将棋三家が持ち回りで世襲した(初代~十一世)。幕府の瓦解とともに、家元名人制は終焉を迎えた。
  2. 明治・大正・昭和前期においては、将棋界の年功ある実力者が推戴されて名乗った名誉称号(十二世~十三世)。十三世名人関根金次郎の提案し、名人位を返上。これにより短期実力制名人戦へ移行した。
  3. 現代においては、プロ棋戦の1つである名人戦の勝者に与えられる称号。名人戦で戦うには順位戦でA級順位戦まで昇級しなければいけないため、名人になるには棋士になってから最低でも5年かかる。

 竜王戦発足以降は、名人は竜王と同列の棋士の序列1位と定められている。ただし、竜王位と名人位の両方を1人の棋士が持つ場合、竜王、名人の順で称される。また、竜王位を持つ棋士と名人位を持つ棋士が異なる場合、棋士番号の若い方の棋士が序列1位となる。
 また竜王と共に、免状の署名等、多くの業務をこなす必要がある。名人位を1期獲得すると九段へ昇段する。通算5期獲得すると、永世名人を名乗る資格を得る。
 名人を失冠して他にタイトルを持っていない場合、1年間は前名人という肩書きで呼ばれるが、辞退して単に九段と呼称されることも可能である。前名人の序列はタイトル保持者、前竜王に次ぐものと決まっている。辞退した場合は順位戦による序列が適用されるが、名人戦敗退者はA級の1位となるため序列としては変わらない。
 名人位を通算5期以上獲得した棋士は、引退後、永世称号である永世名人を名乗ることができる。
 この規定による永世名人の資格を持つ棋士は、木村義雄(十四世名人)、大山康晴(十五世名人)、中原誠(引退後に十六世名人襲位)、谷川浩司(引退後に十七世名人襲位)の4名である。大山はその実績が認められ、現役のまま十五世名人を襲位した。
 十三世名人までは世襲または推薦によって定められていた。

囲碁界に於ける名人の規定。(Wikipedia『名人(囲碁)』

  1. 江戸時代、幕府の家元制度の元で囲碁界を統括する立場として作られた地位。一世本因坊本因坊算砂(日海)が織田信長から「そちはまことの名人なり」と称揚されたことに由来し、これがあらゆる分野で使われる「名人」という言葉の起こりとされる。名人の地位に就いたもののうち寺社奉行から許しを得て碁界の取りまとめ役となったものが「名人碁所」である。名人碁所は棋士全ての段位認定権を持ち、囲碁界の最高権力者であった。この地位をめぐり数々の死闘、暗闘が繰り広げられた。江戸時代から昭和初期に至るまでは九段が即名人を意味しており、天下にただ一人だけと定められていた。戦後、大手合による段位の認定が行われるようになってからは九段が多数誕生し、この制度は崩れた。
  2. 囲碁の棋戦の一つである名人戦に優勝した棋士に贈られるタイトル。

名人戦を五連覇以上した棋士は、60歳以降に名誉名人を名乗る権利を得る。

 しかし、神北より10〜15歳若い当時小中学生だったファミコン第1〜2世代が、名人と呼ぶのは、こうした人たちである事は稀である。主に名人と言えば、ゲームメーカーハドソン高橋名人本人のサイト達のことだ。

 秒間16連射の指技で華麗なデモプレイを披露する高橋利幸さんは、当時のファミコンにハマった小中学生から観ると、カッコいいサラリーマンNo.1だった。
 既に社会人になっている我々ですら、名前を知っている。その凄さは、ほぼ互角と言われた好敵手毛利名人とともに映画にまでなっている事からも、他にもいた橋本名人(バンダイ)・河野名人(ナムコ)・辻名人(テクモ)などは知らなかった神北も流石にこの二人は知っていた事からも、解ろうというもの。

 で、高橋名人である。ITmedia +D Gamesの2006年11月6日の記事『ハドソンの高橋名人、役職も正式に“名人”に就任』によると、高橋さんの社内での役職が、正式に名人になったのだそうな。

 ハドソンは、11月1日付の人事発令をもって高橋名人を正式に、役職として“名人”とした。

 このハドソンの粋な計らいは、11月2日の高橋名人の公式ブログ「16連射のつぶやき」内でも発表されており、高橋名人は以下のように書いている。

ところで、私ごとになりますが、昨日付で人事発令を受けまして……。
今までは、名人とは言っても、敬称や称号のようなものであったのですが、これからは役職として「名人」ということになりました(笑)。つまり、「高橋課長」とか「高橋部長」というのと同じように、「高橋名人」となったのです。

この記事には高橋さんの新しい名刺も載っていて、そこには確かに「株式会社ハドソン/コンシューマコンテンツカンパニー/C.E.事業部 宣伝グループ 兼 宣伝統括室/名人」と書かれている。

 うむむ。やるな。流石、名人技。

 ちなみに、高橋名人と毛利名人が互角というのは、秒間16連射で命中率80%の高橋さんと、14連射だが命中率90%の毛利さんが、ほぼ互角という計算だそうだ。それぞれ秒間12.8発と12.6発の当たり弾を出すのなら、たしかにほぼ互角と言って良いんだろうなぁ。もはや異次元の闘いだが……。

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2006/11/06

痛えェぞ

 この3〜5日(金〜日)は三連休だったが、先週ダイナ★コン19に出かけて疲れ果てたせいもあって、今週末はずっと家に籠っていた。女房の体調が良くなかった事もあり、金・土はすぐ近くのコンビニに行く程度でほぼ籠り切り。日曜日になって、随分と女房も復調して来たので、やっと夫婦で、家から徒歩で15分ほど離れたファミレスでのんびりと昼飯を食い、その足でスーパーマーケットまで買い物に出かけた。

 我が家はマイカーが無いので、日々の買い物は、エツミのキャリアーL(E-6094)というカタログ耐荷重40キロのキャリアをコロコロと引いて、1キロほど先のサティに出かける。
 で、ここで、買い込んだ食糧を、持ち帰り用にスーパーが用意している段ボール箱につめて、キャリアにくくり付けてコロコロと持ち帰るのが、日常である。
 このキャリア、我が家のお気に入りで、ここ10年ほどで既にこれで4台目。……ということは、かなり大きな車輪を持つ、割とがっしりした造りのこのキャリアを、これまでに3台程、使えなくなるまで、買い物ですり潰したという事だ。

正面 で、今日も今日とて2リットルペット飲料6本を収める段ボールの空箱3つ分程の食品やら日用品やらをこのキャリアに載せて、付属のキャリーベルト(壊れた前のカートの分も残っているので、2本使える。)でカートに縛り付けていた。……ら、このキャリーベルト(E-6088)が伸び切ったところで……ツルっと手から滑った。で、パチンコの要領で跳ねた樹脂製のフックが、鼻筋にバチンっ!

 うーっ! 痛ってぇ……。いわゆる『ゴムゴムのぉ、デコピンっ!』(CV.田中真弓ってヤツである。この樹脂製フックって、何年ハードに使っても傷はついても割れたり裂けたり変形したりは全くして来ない、極めて頑丈なものである、きっとルフィの指より数倍固いに違いない。

 一瞬にして、鼻筋に血が……。鼻と眉間の下の方、2カ所をヤラれました。ティッシュで拭いても拭いても、結構出て来る。サティのレジ脇の荷造り台の横で、突然、鼻と眉間から血を流しているオッサンの登場ですよ。マイったなぁ。

ななめ とりあえず応急に、女房がカバンに入れているオロナイン軟膏を塗って、ガーゼ付き絆創膏(カットバンとかバンドエイドとかリバテープとか云う人が居るけど、今もって神北にとってこれの固有名詞はサビオです。)を貼って、家まで帰って来た。帰り道で汗もかいたので、出血が治まってから、サビオを外した。と、わりとくっきりと傷が残っているぅ。
 うーむ。なんだか、いい歳こいて喧嘩にでも巻き込まれたみたいじゃぁ。

 というわけで、なんだか知らんが今しばらく神北は、鼻っ柱をへし折られた状態である。

 鼻骨、痛ぇ〜…。

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2006/11/04

クエストだぞ

 もう1週間ほど前のニュースだが、毎日新聞まんたんウェブの2006年10月26日に『愛知県警:防犯ゲーム「キッドナップクエスト」を制作 子どもの意識向上に』という記事が掲載された。

 子どもの連れ去りを防ぐために、愛知県警は、防犯意識が身に付く子ども向けのパソコンゲーム「キッドナップクエスト」を製作した。キッドナップは日本語で「誘拐」。ゲームは、下校時や塾へ向かう途中、公園で遊んでいるときなどの場面で不審人物から連れ去られないための行動を選択して進める内容。今月下旬から県内の小学校全985校に配布、パソコンの授業などで使用される。

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