名人位確定だぞ
将棋界に於ける名人の規定。(Wikipedia『名人戦(将棋)』)
- 将棋の家元制の第一人者である九段が、江戸幕府から許されて名乗った称号。江戸時代には大橋家本家、大橋家分家、伊藤家の将棋三家が持ち回りで世襲した(初代~十一世)。幕府の瓦解とともに、家元名人制は終焉を迎えた。
- 明治・大正・昭和前期においては、将棋界の年功ある実力者が推戴されて名乗った名誉称号(十二世~十三世)。十三世名人関根金次郎の提案し、名人位を返上。これにより短期実力制名人戦へ移行した。
- 現代においては、プロ棋戦の1つである名人戦の勝者に与えられる称号。名人戦で戦うには順位戦でA級順位戦まで昇級しなければいけないため、名人になるには棋士になってから最低でも5年かかる。
竜王戦発足以降は、名人は竜王と同列の棋士の序列1位と定められている。ただし、竜王位と名人位の両方を1人の棋士が持つ場合、竜王、名人の順で称される。また、竜王位を持つ棋士と名人位を持つ棋士が異なる場合、棋士番号の若い方の棋士が序列1位となる。
また竜王と共に、免状の署名等、多くの業務をこなす必要がある。名人位を1期獲得すると九段へ昇段する。通算5期獲得すると、永世名人を名乗る資格を得る。
名人を失冠して他にタイトルを持っていない場合、1年間は前名人という肩書きで呼ばれるが、辞退して単に九段と呼称されることも可能である。前名人の序列はタイトル保持者、前竜王に次ぐものと決まっている。辞退した場合は順位戦による序列が適用されるが、名人戦敗退者はA級の1位となるため序列としては変わらない。
名人位を通算5期以上獲得した棋士は、引退後、永世称号である永世名人を名乗ることができる。
この規定による永世名人の資格を持つ棋士は、木村義雄(十四世名人)、大山康晴(十五世名人)、中原誠(引退後に十六世名人襲位)、谷川浩司(引退後に十七世名人襲位)の4名である。大山はその実績が認められ、現役のまま十五世名人を襲位した。
十三世名人までは世襲または推薦によって定められていた。
囲碁界に於ける名人の規定。(Wikipedia『名人(囲碁)』)
- 江戸時代、幕府の家元制度の元で囲碁界を統括する立場として作られた地位。一世本因坊本因坊算砂(日海)が織田信長から「そちはまことの名人なり」と称揚されたことに由来し、これがあらゆる分野で使われる「名人」という言葉の起こりとされる。名人の地位に就いたもののうち寺社奉行から許しを得て碁界の取りまとめ役となったものが「名人碁所」である。名人碁所は棋士全ての段位認定権を持ち、囲碁界の最高権力者であった。この地位をめぐり数々の死闘、暗闘が繰り広げられた。江戸時代から昭和初期に至るまでは九段が即名人を意味しており、天下にただ一人だけと定められていた。戦後、大手合による段位の認定が行われるようになってからは九段が多数誕生し、この制度は崩れた。
- 囲碁の棋戦の一つである名人戦に優勝した棋士に贈られるタイトル。
名人戦を五連覇以上した棋士は、60歳以降に名誉名人を名乗る権利を得る。
しかし、神北より10〜15歳若い当時小中学生だったファミコン第1〜2世代が、名人と呼ぶのは、こうした人たちである事は稀である。主に名人と言えば、ゲームメーカーハドソンの高橋名人(本人のサイト)達のことだ。
秒間16連射の指技で華麗なデモプレイを披露する高橋利幸さんは、当時のファミコンにハマった小中学生から観ると、カッコいいサラリーマンNo.1だった。
既に社会人になっている我々ですら、名前を知っている。その凄さは、ほぼ互角と言われた好敵手毛利名人とともに映画にまでなっている事からも、他にもいた橋本名人(バンダイ)・河野名人(ナムコ)・辻名人(テクモ)などは知らなかった神北も流石にこの二人は知っていた事からも、解ろうというもの。
で、高橋名人である。ITmedia +D Gamesの2006年11月6日の記事『ハドソンの高橋名人、役職も正式に“名人”に就任』によると、高橋さんの社内での役職が、正式に名人になったのだそうな。
ハドソンは、11月1日付の人事発令をもって高橋名人を正式に、役職として“名人”とした。
このハドソンの粋な計らいは、11月2日の高橋名人の公式ブログ「16連射のつぶやき」内でも発表されており、高橋名人は以下のように書いている。ところで、私ごとになりますが、昨日付で人事発令を受けまして……。
今までは、名人とは言っても、敬称や称号のようなものであったのですが、これからは役職として「名人」ということになりました(笑)。つまり、「高橋課長」とか「高橋部長」というのと同じように、「高橋名人」となったのです。
この記事には高橋さんの新しい名刺も載っていて、そこには確かに「株式会社ハドソン/コンシューマコンテンツカンパニー/C.E.事業部 宣伝グループ 兼 宣伝統括室/名人」と書かれている。
うむむ。やるな。流石、名人技。
ちなみに、高橋名人と毛利名人が互角というのは、秒間16連射で命中率80%の高橋さんと、14連射だが命中率90%の毛利さんが、ほぼ互角という計算だそうだ。それぞれ秒間12.8発と12.6発の当たり弾を出すのなら、たしかにほぼ互角と言って良いんだろうなぁ。もはや異次元の闘いだが……。
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コメント
和同開珎の話も書こうと思ったら、本人のブログに書いてありました(笑
投稿: 大外郎 | 2006/11/07 17:42
大外郎 さま
ご本人のブログの2006年11月4日のエントリに書いてあった、1992年の工藤社長からの挨拶で「会社の部署を決める法律はありませんので、明日から部署名を「和同開珎」とします。そこで、みなさん全員をいったん解雇して、新しい会社として雇い入れます」という話から、部署名が「和」「同」「開」……になったのやら、なりそうになったのやら……というお話しですね。
当時、ゲームの世界をはるかに飛び出して、X68000のOSなど、他分野での活躍でぎゅいぎゅい云わせていた、ハドソンの勢いを感じさせる、良いエピソードですよねぇ。
投稿: 神北恵太 | 2006/11/07 21:09