宮内国郎さん(1932年2月16日 − 2006年11月27日)、実相寺昭雄さん(1937年3月29日 − 2006年11月29日)の訃報が、相次いだ。
宮内さんは、『ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『スペクトルマン』等の特撮テレビ番組の音楽で知られた人。作品リストを眺めれば、イントロを聞くだけで身が引き締まる「科特隊の歌」など、名曲が目白押しである。
一方、実相寺さんは、『ウルトラマン』から『セブン』『帰マン』と来て、『シルバー仮面』で円谷を外れるというか古巣TBSに誠を尽くしたというか、まあ、ちょっと円谷と疎遠になりつつも、『ティガ』以降重鎮としてスポット復帰という、無頼の監督。 (事実誤認があるとご指摘戴きました以下に差し替え。2006.12.01-13:00)
一方、実相寺さんは、『ウルトラマン』から『セブン』『帰マン』と来て、『シルバー仮面』で円谷を外れるというか古巣TBSに誠を尽くしたというか、ま
あ、ちょっと円谷を離れつつも、73年の『タロウ』でシナリオ参加(惜しくもNG台本となった「怪獣無常!昇る朝日に跪く」。79年に板橋しゅうほうがマ
ンガ化した)。同じく79年、実相寺監督作エピソードを中心に再編集された映画『ウルトラマン』。90年には『ウルトラQ ザ・ムービー
星の伝説』と、折々にウルトラシリーズと関わり、支え、『ティガ』以降は重鎮として時々スポット復帰という、僕らから見てウルトラを支えた方。野長瀬三摩地
監督と喧嘩してまでハヤタ隊員にベータカプセルとカレースプーンを間違わさせたり、海外展開を睨んで日本色を避けたがったTBSの意向に逆らってダンとメ
トロン星人を畳の間で卓袱台を囲んで座らせたりと、トンがったツッぱった譲らなかったというエピソードの尽きない無頼派監督。
ウルトラ系の恩人がお二人、11月末に続けざまに亡くなった。まだ74歳と69歳。お二人とも、お若い。残念。
この11月は、はらたいらさん、石川賢さんというマンガ界の巨人の訃報も相次いだ。
今年は訃報が多い。いや、別に数で並べた訳ではないが、感覚的に有名人の訃報が続く気がする。これは海外だが音楽界ではポール=モーリアも亡くなっている。映画界では今村昌平監督が亡くなった。
何だろう。17年前の1989年、平成元年の、手塚治虫さん美空ひばりさんといった昭和に活躍した人々が次々と亡くなった年以来の訃報ラッシュと言う気がする。
最近のコメント