危険なエグゼンプションだぞ
ホワイトカラーエグゼンプションなる新語が世を賑わせている。詳しいことは、Wikipediaの項目でも読んで頂きたいが、一言でまとめると「出世を餌に、本来法律で守られているはずの労働者の権利を労働者自らの意思で捨てさせ、サービス残業を合法化する制度」だ。
もちろんこれは極論。本当のところ、ホワイトカラーエグゼンプションは、「「ホワイトカラー」は、その働き方に裁量性が高く、労働時間の長さと成果が必ずしも比例しない部分があるとしており、このため、労働時間に対して賃金を支払うのではなく、成果に対して賃金を支払う仕組みが必要」ということから始まっている。
上の文面を見ると、なんだか、何も悪いことは無いように感じられるかも知れない。「ダラダラ残業をするより、ギュッといい仕事をして見合った報酬をキッチリ貰う」「会社内の仕事人」カッコいいじゃん。……と思うかも知れない。
我々のような図版作家・イラストレーター、作家、ライターと言った商売は、基本的にこの状態に近い業態だ。仕事を受ける→上げる→報酬を貰う……という最低限のルールだけで出来上がっている世界だ。仕事を受けた以上、ユーザが納得するだけの品質の品を規定の日付の内に納品しなくてはならない。そのため、仕事を受け過ぎると徹夜続きになるし、品質に問題が多くて仕事を貰えなくなるとどんどんの身入りが減って行く。
まあ、一匹狼の仕事なんてそんなもの。覚悟の出来ないものは食って行けない業種だ。とはいえ、神北でも、腕の方はともかく覚悟一つで既に15年ほどこの業界にしがみついていられたのだから、それはそれやろうと思えば誰でも出来なくもない一つの生き方でもあろう。
昨日も、ここ8ヶ月ほど、毎週、もしくは隔週で、集まって相談して来たチームのその間何本か上げて来た企画案のうち、最新の企画が流れた。当然これは仕事になる前の準備である。どれだけ時間を使おうが、知恵を絞ったり企画書やページ案を作製しようが、流れた企画には何の報酬もない。それが我々の仕事である。
もちろん、企画料としてアイデア段階で報酬の発生する場合もあるし、成果物完成までに1年以上などの長期に渡る作業の場合に月給制で分割支給されたりと、雇用形態は一定ではないのだが、基本的に我々は、本を作り、その売り上げから報酬を得る商売。本が出なくては、話にならない。
我々のような請け仕事制は、云うまでも無く、普通の会社の従業員制度とは整合性が低い。たとえば、ある特定の業務を得意とするホワイトカラーエグゼンプション対象社員が居たとする。で、その業務は年間十数回発生するとしよう。と、奇麗に均すと月に1〜2回、彼の出番が来ることになる。しかし、ある月は5つほど固まって発生するが3ヶ月ほどは1件もない時期があるような案件だったらどうするのか? ある月は5倍の成功報酬を貰い、案件のない月はその蓄えでしのぐのか?まあ、会社員である以上、収入ゼロということはなくて幾許かの最低賃金はあるんだろうが……。
普通、我々のような商売だと、そういう時は伝手を辿るなり、見本帳を持って営業したりと、新しいクライアントへと販路を拡げたりする。
しかし、会社にその業務がないからと言って、他社から受ける訳にも行くまい。
また我々は、出来た時間を僥倖として環境整備や新ソフトの導入・習熟など、次の戦いに向けて牙を研ぐこともある。
しかし、社内でホワイトカラーエグゼンプション対象者となった社員が、「今日は仕事無いから、帰るね」とか「次の為にパソコン屋に新機種とソフト見に行って来るね」としょっちゅう席を空けていることが、ちゃんと他の社員に了解できるのだろうか?
旧来云われた日本型組織は、阿吽の呼吸を旨とする集団戦を得意とする——もしくは得意とした——組織である。その阿吽の呼吸を得る為に、互いをとことん知る必要があり、朝礼やら昼飯をまとまって食いに行くやら付き合い残業やら、上司のおごりでお疲れさん会やら、その上司への愚痴を肴に部下同士の横の呑みニケーションやら、とっても面倒な手間ひまを掛けているが、「同じ釜の飯を食った」チームの有機的な結びつきは、昭和中期の高度成長を支えた日本的経営の基本要素であり、この有機的組織のスムースな連携があってこそ日本企業は大きな経済発展をなし得たと言える。
会社が、江戸時代で云うところの藩であり、藩への忠義を尽くせば、自身の身を捨てても残った家族は取り立てて貰える。こういう感覚が、実に明治維新から100年を経た昭和中〜末期の日本人にとって、ポピュラーなものの考え方だった。
しかし、次第にアメリカ的な個人主義が定着し、この方向性はわずか四半世紀ほどで一気に崩れ落ちた。アメリカ的組織は、ルールを細かく決め、役割分担を明確にし、その中で担当部署を如何に守るかという、非常に野球的な——もしくはアメフト的な——雇用制度に立脚している。ルールによる役割分担が確立しているので、日本的組織のような阿吽の呼吸を育てることなく、個人単位に人材を取り替えられるこの方法は、組織の部品となる人材一人一人がバラバラになっても一定の力を発揮し得るから、組織のリストラクチャリングが容易である。新しい組織に切り替えても、その組織用・役割用のルールが用意され、それに従えば仕事が成り立って行くからだ。その代わり、ルールに反する人間は簡単に入れ替えられてしまう。
この日米二つの経営法を比較する最もたるものは、自動車産業に於ける超絶技巧職長、いわゆる「治具屋の親爺」の活躍である。
たとえば「電線を切り揃えて、端を定格に剥き出して、それぞれの先端にプラグを着け、束にまとめてテープを巻く」という何段階にも渡る工程を、本来ケーブルを切るだけの単純な機械を改造することで、ほぼ一作業で実現してしまうような複雑なマシンに改造してしまうようなおじさん達。その工場で、工場長より影響力を持ち、工員全員から神様のように慕われている職人の鏡。それが「治具屋の親爺」である。
TQC(トータル・クオリティ・コントロール)と、この「治具屋の親爺」の存在が、日本の自動車メーカーが先進国に伍して戦って来れた大きな原動力だった。
こういった親爺達が有機的に結びついた職人集団を率いていた日本では、マザーマシン・工業用ロボットと言った新技術も、使いこなすべき道具の一つとして受け入れた。もちろん『鉄腕アトム』や『鉄人28号』というフレンドリーなロボットのイメージがロボットと言う物に抵抗を無くさせた要因でもあった。
しかし、アメリカでは、プログラムに従ってモノを作るマザーマシンや工業用ロボットは、ルールに従って作業をする作業員を直接リプレイスするものとされ、労働組合が反発し、日本に大きく遅れをとることになった。
しかし、1980年代の「新人類」世代の社会進出以来、日本も急速に個人化が進んだ。ある程度裕福になり、自分の時間や世界を持つことを覚えたバブル期の日本人が、第二次世界大戦直後の復興期の日本人と較べて、全く別物のように変わってしまったのは、当然のことであろう。それは人材集約的な産業の終焉を告げる物でもあったが、環境が変わった以上、それに見合った価値観や制度が求められるのは致し方ない。
だが、その変化はルールやマナーが整備・周知された上のことではなく、個人主義的な信条・志向を持つ社会人が増えただけでしかない。新規採用のプロパー社員と中途採用社員の擦り合わせや、年功序列に関してや、パート・派遣・嘱託と言った雇用形態に対する対応ですら、社則の整備や社員の意識の整っている企業はまだ少ない。既にこういった一般社員以外の人材の導入がかなり一般化しているにも関わらず、会社の規則や、社員の感情的には、終身雇用を常態として、中途採用やパートという勤務形態をイレギュラとし、過剰に畏怖したり軽侮したりする時代から、あまり進んでいない。
で、そんな中でのホワイトカラーエグゼンプションである。やれ、成果給主義だと言って、すかなり新制度に日本の会社が移行できるのだろうか?
もう何十年も制度の中に組み込まれている有給休暇ですら、仕事の忙しさのせいで使い切ることが出来なかった分を(昔は休日出勤として買い取ってくれたのだが、それでは労基局から睨まれてしまいかなわないから)、しかたなく出勤しつつも帳簿上休んだことにして誤摩化しているというこの日本では、ホワイトカラーエグゼンプションも、まともに機能するとは思えない。
みんな気分に流されて横並びに申し出て成果給制度に移行したものの、みんな一人だけ帰り難くて横並びにサービス残業をして、でもみんな揃って残業代は出ない。しかし、役員ではないから会社の運営に関して声を上げられる立場ですらない……という、やっていることは今までと変わらないのに給料だけ減る結果が、眼に見えるようだ。
ホワイトカラーエグゼンプションというモノの考え方は、アメリカ的な労使観の中で、しかもアメリカの制度のように年俸10万ドル(1180万円)以上で適用できると言う制度なら、有効な面を持つだろうが、日本的な労使観の中に、年俸400万円以上の者に適用できるという敷居の低さで唐突に運用するのは、やはり、無理の方が大きいと感じる。
企業のうち労資の「資」側に取っては、金銭的に良さげに見えるかも知れないが、これではその利はかなり短期的な物となるだろう。一時のブームが過ぎた跡には、一所懸命頑張る中堅社員がいなくなって、みんな給料分だけ働く社員になってしまい、企業としての伸び代を無くすだけと言う気がする。
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コメント
あれ、800万ぐらいからになったんじゃなかったっけ?
400万だとナニだから、こりゃシャツを色物に替えなきゃと慌てたけど、よく考えればいつもTシャツで仕事してるから襟はないのであった。
・・って白衣にあるか。だめじゃん。
投稿: 森野人 | 2006/12/28 18:58
森野人 さま
とりあえず、参考にしたWikipedia等では、
2005年6月21日付けで公表された日本経団連の提言。
適用対象者(年収条件は例示)
・現行の専門業務型裁量労働制の対象業務従事者(賃金要件を問わない)
・法令で定めた業務の従事者で、月給制か年俸制、年収が400万円か全労働者の平均給与所得以上の者
・労使委員会の決議により定めた業務で、月給制か年俸制、年収が400万円か全労働者の
平均給与所得以上の者
・労使協定により定めた業務の従事者で、月給制か年俸制、年収が700万円か全労働者の
給与所得上位20%以上の者
……に対し、厚生労働省の2006年末最終報告書では、「対象労働者は管理監督者の一歩手前に位置する者」「管理監督者一般の平均的な年収水準を勘案しつつ、労働者の保護に欠けないよう、適切な水準を定める」とはいうものの、数値的水準はよく判りませんでした。
ちなみに、青シャツを着てブルーカラーに偽装するより、赤シャツを着て通常の三倍働く方が得かもしれません。
投稿: 神北恵太 | 2006/12/28 19:26
チーム戦だと面倒なので、個別撃破するための欧米や中共の謀略かもしれませんw(ウソウソ)
投稿: 神明寺 | 2006/12/28 20:06
神明寺 さま
いや〜、最近は、すぐキレれる若者とか、すぐキレる中年とか、すぐキレる老人とか、なんかチームワーク悪くしそうなヤツばかりなので、日本はチーム戦、極端に下手になって来たんですよねぇ……。
投稿: 神北恵太 | 2006/12/28 23:07