コンビナートだぞ
コンビナート
コンビナート(「結合」を意味するロシア語 kombinat、комбинат から)とは、企業相互の生産性の向上のために原料・燃料・工場施設を計画的・有機的に結び付けた工業地域または企業集団のことである。 元々は旧ソ連で計画的に配置された工業地域のことであったが、石油化学工業や鉄鋼業などで、原料や製品を有機的に結び付けた工場の集合を指すようになった。
なお、日本ではその代表は石油コンビナートである。石油コンビナートとは、厳密には石油化学工業・石油精製工業に関する上述の工業施設の集合体をさすが、石油精製工場(石油化学工場が近接していないもの)や石油貯蔵施設など、概観がそれに似ている石油関連施設も、「コンビナート」または「石油コンビナート」と俗称されることが多い。
日本の主な石油化学コンビナートの所在地は、市原市姉崎地区・五井地区、袖ケ浦市、川崎市、四日市市、堺市、高石市、倉敷市水島地区、大竹市、岩国市、周南市徳山地区、大分市鶴崎などである。
四日市付近で生まれ育った神北にとって、コンビナートとは、子供の頃から見慣れた、普遍的に身近に存在してしかるべき産業の礎だった。なんせ、四日市のコンビナートは中核となる塩浜の第一コンビナートから霞の第三コンビナートまででも8キロ以上。その更に外側に位置する、鈴鹿川河口の南側河岸の昭和四日市石油のタンクヤードから朝明川河口の北側河岸の川越火力発電所まで考えると、実に11〜12キロ、四日市市の海岸線ほぼ全てに相当する長さにわたり、いくつもの漁港や積出埠頭などを挟みつつ、ほぼずっと、視界のどこかにガスタンクや精油塔や巨大な煙突が入り続ける。
この石油工業地帯に起因して、四日市という街には、今も四日市ぜんそくとか公害の街とか言う負のファーストインプレッションがつきまとう。硫黄酸化物に対応する脱硫装置が各工場に設置され始めて既に35年以上。同じ石油コンビナートを擁しながら、川崎がちゃっかりと「コリアンタウンがある街」「焼肉のおいしい街」なんていう明るそうなイメージに衣替えしたにも拘らず、なんか四日市と云うとまだ「空気が悪い」と思っている人が多いみたいなのにちょっと腹が立つが、しかしそんな事とは別に、コンビナートとともに暮らし、立ち並ぶ煙突や夜空に明々と灯るフレアスタックを故郷の景色として、神北は育った。
そういう、工業地帯っ子の魂を鷲掴みにして、マグニチュード7以上に揺さぶる美麗な写真集が出た。
石井哲写真・大山顕文の『工場萌え』(東京書籍 1900円(税別))である。
(ついでに、同じ石井さんのDVD『工場萌えな日々』も紹介しておこう)
艶かしい。金属の血管に熱い油が通い、銀色の肌が鈍く光る。夜の暗さともうもうと立ち上る水蒸気、キラキラ光る数々の電灯、闇の中に浮かび上がる複雑なパイプの群。んむ。これが石油コンビナート。これぞ現代文明。
ちなみに、地元で生まれ育った神北も行った事の無い四日市コンビナートの観賞スポット情報は、なかなか「その道のプロ」の調査力が滲み出て素晴らしいものだった。これだけ近くに寄れるポイントがあるとは、恥ずかしながら知らなかった。
だが、四日市コンビナートを堪能するための本当の観賞スポットは、他にある。
夜、通勤車両が途絶えた22時以降、自動車で名泗国道(めいしこくどう:国道23号線のこと)を桑名・川越方面から塩浜を抜けた楠まで行って、その辺りで折り返して出発地点辺りまで戻る。
たぶん、この国道23号線(四日市の海沿いの要所要所で高架になり広大なコンビナートを堪能出来る)の往復ナイト・ドライブが、四日市コンビナートの最高の観賞ルートである。
運転手はゆっくり見れないのが難点だが、そこはそれ、往路復路で交代するとか、2往復するとか、手を講じて欲しい。
ただし、深夜02時を過ぎたらこのルートは、慣れた地元民以外にはお薦めしない。四日市辺りの名泗国道は深夜にはトラック街道と化し、大量の長距離トラックがスタンピートするバッファローの群の如く、あらゆるものを蹴散らして走り抜けて行くからだ。
あと、もう1点。この国道23号線、四日市市街のど真ん中、JR関西本線四日市駅の裏手あたりに、路傍の写真家(オービスともいう)が立っているので、要注意!
ちなみに、東海地方には他にも、三菱のロケット工場まである名古屋市の沿岸工業地帯や、東海市の鉄鋼団地など、夜に映える工場地帯が目白押しなので、次は是非あそこら辺のかっちょええ夜景も、宜しくお願いしたい。
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