横山信義さん15周年だぞ
2007年4月14日、作家の執筆サポート・版権管理などを引き受ける編集プロダクション「らいとすたっふ」の主催により、四谷のホテルニューオータニにおいて、『横山信義作家生活15周年感謝の集い』という素敵なパーティが開かれた。
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会場入り口の生花 徳間書店さん、C★NOVELS編集部さん、中央公論新社の早川社長などからの花がエントランスを飾る。 |
横山さんは、田中芳樹さんの二次版権の管理を行なうということから始まった「らいとすたっふ」が、会社として立ち上がった最初期に徳間書店との橋渡しを行なった、いわばプロデュース第1号作家。
当時、作家もプロデュース側も素人、編集さんがひとり手練の戦巧者だったが、架空戦記(という名前もまだ定着しておらず、IF戦記とか仮想戦記とかいろいろ云われていた)なんていう戦場は誰も初めてと云う、初めて尽くし。ビギナーズラックだけに頼ったような有様の中で唯一確実だったのは、今に至るまで一切ブレることの無い横山信義の作家性のみという状態だった。
当時の神北の感覚から行くと、大学SF研出身の横山さんは架空戦記ジャンルに留まり続けるのではなく、かなり早い段階でスペースオペラなどをきっかけに本格的なハードSFへも積極展開を図ることになるだろうと思っていた。
が、架空戦記市場、架空戦記読者は、そうそう易々と転進を許さなかった。次作を求める強い声に応じて、近未来パニックもの等を少しずつ挟みながら、横山さんは一貫して鋼と硝煙、戦場の風と鉄の男たちの話を書き続けて来た。
その積み重ねの15年。会場に並べられた全著作、展示台2面分、約70冊。初期の兼業作家時代にはどうしても執筆時間がとり難く寡作だったことを脇に置き、単純に年月で割ってすら、平均年間約5冊。その減衰することの無い着実な人気が伺い知れる。
以下、パーティの模様の簡単なフォトレポート。
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デビュー時担当編集、小島浩郎さん 現フリー編集者。当時、田中芳樹さん・井上祐美子さん等の担当で、横山さんデビューの最大のキーマン、小島さん。当時の思い出を語る。 |
最初のスピーチは、デビュー当時の担当だった小島(おじま)さん。続いて先輩作家である田中芳樹さん。田中さんに憧れて自分でも小説を書き始め、小島さんに見出されて世に出たのだから、この2人は作家横山信義を形作った人達とも云える。
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師と仰ぐ田中芳樹さん べつに弟子入りしたという訳ではないが、横山さんがデビュー前から大ファンで、作品を通して多くの影響を受けたと公言する田中さんは、先輩作家として「ジャンルにこの人あり」と云われることの凄さを語る。 |
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サウス・シー・フリート ホテルニューオータニのチーフバーテンダーの小森谷さんが、横山作品の主戦場、南洋の海をイメージして考案したカクテル。下戸の神北が思わず飲み干すぐらい美味しかった。 |
乾杯は、作品をイメージした特製カクテルで。乾杯の音頭は、戦史研究家と編集者のふたつの視線で横山作品にサゼスションを与えておられる横山さん。「同じ横山ですが、親戚ではありません」とのこと。
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横山恵一さんの音頭で乾杯 横山さんのブレーンのお一人。『八八艦隊物語』を読み、ロジスティクスまで考えた戦争の描写にいかに興奮したかを力強く語って頂いた。 |
宴もたけなわという頃、IF-CONのメンバーと横山さんが屏風の前で記念撮影。横山さんの向かって右手、薄い色合いのジャケットを羽織っているのが高木くん。彼が同人誌に掲載された短編を見出したことが、『鋼鉄のリヴァイアサン』でのデビューへと繋がった。
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組閣? お祝いに駆付けた架空戦記コンベンションIF-CONのメンバーとの記念写真……なんだが、内閣組閣の記念写真みたい。これまた戦争をしたそうな内閣だ。 |
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