モノガタリの作り手のお話しだぞ
こうして暫時「いま『嵐』をリメイクするとしたらどうなるか」というアプローチが新番組のベースを模索していくうえでの基本となっていった。とはいえ『嵐』のリメイクそのこと自体が大事なのではない。むしろ『嵐』のリメイクを真剣に考察してみることを通じて、〈仮面ライダー〉とは違う新しいヒーロー像を模索する、そのための依り代・導きの糸として『嵐』を使う、そこに眼目があった。
本文23頁より
『仮面ライダー響鬼の事情 ドキュメント ヒーローはどう〈設定〉されたのか』
片岡力(五月書房 ¥2,400+税)
面白い本である。まだ記憶に新しい、一昨年のテレビ番組『仮面ライダー響鬼』、あの絶賛で迎えられ、みんなが首を傾げたまま終わっていったヒーロー番組を作るために、ほぼ1年前から始めて放映直前まで企画を練り込み続けた文芸スタッフの1人、片岡力さんの目を通して纏めたヒーロー番組を作り出す“産みの苦しみ”の記録だ。
なお、神北はこの情報局に、響鬼のファーストインプレッションと、改変の違和感を感じた時、その方向転換の失敗が決定的となった時に、それぞれ記事を書いている。
ちなみに、片岡さんは、放映開始直前に文芸チームから離れているため、秋に起こった『響鬼』路線変更の時点では完全に部外者であり、この本にはその件は載っていない。「すわ、テコ入れ大失敗に対する守旧派の暴露本か?」などと色めき立っては行けない。これは、そんな付け焼き刃的な改変の是非ではなく、『仮面ライダー響鬼』が、まず生まれ、歩き、走り出すまでの、記録である。
最初に片岡さんが、高寺成紀(たかでらしげのり)プロデューサーから翌年の日曜朝8時枠の番組の、コンセプト・プロットの作成チームに誘われたのは、2004年2月下旬。つまり、まだ前番組の『仮面ライダー剣(ブレイド)』が始まってひと月経つか立たないかの頃だという。新番組と云うのは、なんとも早くから企画されるものである。
で、最初、まず彼等が考えたのは、「『仮面ライダー剣』の次の番組」、つまり「『ライダー』の次」の番組であった。決して「次の『ライダー』」ではなかった。とはいえ、バンダイ提供で原作・原案という形だとしても石ノ森作品であるということは外せないということなのか、キックオフの会議における高寺プロデューサーの一言目は、「石ノ森作品をリメイクするならどれがやりたいですか?」というものだったそうだ。
その会議で片岡さんが提案したのが、『変身忍者 嵐』だった。もちろんそれは、コンセプトの取っ掛かりにしか過ぎない。そして、そのコンセプトを元に、和のテイスト、妖怪という人間の天敵を含む(人類の気がついていない部分を含む)自然のシステム、主人公を若い少年にしヒーローをその師匠とするバディものという設定等々、様々なアイデアを積み上げ、削り、叩き潰し、再び取り上げることを繰り返し、一歩一歩、忍者から妖怪、そして鬼へと、企画が進歩して行く流れが、克明に記録されている。
しかし、『響鬼』視聴者ならば、「魔化魍」退治をする戦士「鬼」の数が不足した時代に使われた、普通の人間が「魔化魍」と戦うための「鬼の鎧」を思い出さずには居られないだろう。それは、誰の目にも「変身忍者 嵐」そのものであった。単なる出発点、「非『仮面ライダー』」をテレビ朝日サイド・バンダイサイドに印象づけるハンマーだった筈の大元のコンセプトが、提案者が番組を離れて後、思わぬところにひょっこりと顔を出す。テレビ番組とは摩訶不思議なものだ。
とはいえ、『変身忍者 嵐』でも、途中で検討された『鳥忍戦記(ちょうにんせんき)ハヤテ』でもなく、結局は『仮面ライダー響鬼』という仮面ライダーシリーズの一角に収まる番組になってしまった。その保守的圧力の大きさや、「ライダー以外」にするための企画を考え続けていたのにいざ看板がそうなってみると意外と素直に『ライダー』として収まってしまうことで思い知る石ノ森章太郎の怖さとか、現場での丁々発止をやった人間でなければ知りようが無い皮膚感覚が、この本には詰まっている。
もちろん、現場以外では経験せずに済むような苦さと痛痒感もだが。
『仮面ライダー響鬼』を愛する人、そんな番組は知らないが番組の格を作る現場に興味がある人は、是非一度、手に取って見て頂きたい。
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