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2007/09/10

ワールドコンを思い返すぞ

 もう、大会の閉会式から一週間目が来てしまった。第65回ワールドコン(世界SF大会)/第46回日本SF大会 Nippon2007の感想を、そろそろ纏めて書いておこう。
 今回の大会は、その萌芽の頃、井上博明実行委員長と会い、スタッフに誘われたことがある。だが、「知恵はいいから手を貸して欲しい」と云われ、この年になって手だけを動かす気にはなれず、外から見ていることにした。

 とはいえ、全く何もしないと云うわけでもなく、2003年から始まったシール企画を、この2007年のスタッフ・トレーニングとして行なわれた2005年のハマコン2に持ち込んだり、大会の雰囲気造りに協力する気満々だった。ハマコン2に関しては事前準備の『なんだか細かくて大変だぞ』から感想をまとめた『ギブミーギブミーだぞ』あたりまで、この神北情報局の2年前の記事を読んでもらうのが宜しかろう。

 この書き込み群の一つ『『ガンダムが好きだから』だぞ』に私はこう書いた。

 ただ、2007年のワールドコンを目指す予行演習である2005年に、こういう実行委員会がイベント開催を甘く見た事のツケのようなミスが噴出して良かったと考える、前向きな思考法もある。もちろん、今から実地で試す機会はない訳で、それだけ、よほど精緻なシミュレーションが必要にはなるのだが、実行委員会、特に企画局、更に直接企画を担当するスタッフは、このことを真摯に受け止め、二年後のために今後、対応していただきたいものである。

 このハマコン2で我々シール企画は、大会側企画担当者の池田くんから許可を得て、事前設営を行なっていた所、大会幹部I氏から「この場所は明日朝から借りる部分やから、作り込みは止めてくれ」と注意された。池田くんはちゃんと事前に会場側と連絡を密に取り、うちの企画は事前構築に時間がかかることを説明して許可を得てくれていたのだが、池田くんからの報告を受けて失念していたその幹部I氏は、こちらの説明をまるで取り合わず、「許可してへん」「認められへん」の一辺倒。
 「機材規模が大きいから前日から用意しないと当日開幕一番は間に合わない」と説明したが、「別に構わんよ」の一言。
 「大会側担当者から正式に許可を頂いているのだから、まず大会内で確認・調整してから言って来て貰いたい」というこちらの言い分に対しては「その担当者は誰や?」とこちらに聴く始末。大会幹部、しかも企画部門の総責任者が、部下の割り振りも把握していない模様。
 このとき、別の実行委員会幹部I女史から「事前に企画者に入ってもらっているMLでそれを告知している、あなたはそれを覗いていないのか?」と叱責されたことも未だに謎だ。後に池田くんに聞いた所、「そんなMLはありませんよ」とのこと。我々SEALSは、在りもしないMLの所為で攻められたのか?

 この時は、通りかかった池田くんが、その場で会場の担当者に連絡を取り、許可が出ていることを再度確認し、この大会幹部二人に説明してようやく事無きを得たが、場所を用意してやっている企画をやらせてやっているという意識の滲み出る、企画持込者をずいぶんと下に見る態度に、その場に居たもの全員があきれ果てた。

 ちなみに、許可が下りていることが判ると、この大会幹部二人は「あ、そう」とあっさりと帰っていった。結局、唯一部内の連絡ミスを詫びてくれたのは、被害者と云っても良い立場の池田くんだった。しかし、もちろん「謎の在りもしないML」の件は謎に包まれたままである。
 その後も大会の都合で閉会式にほとんど時間が貰えなくてシール大賞の部門を削り込む等の色々な目に遭いつつ2005年大会が終わった後、シール企画の藤澤代表は2007年の参加断念を決意し、私も賛成した。今考え直すと、それでもワールドコンなのだから、やれば良かったかもしれないという気もするが、装置産業であるシール屋さんを運営するために、5日間一定量のスタッフに身体を空けてもらったり、機材を管理したりしながら、同じ人たちが運営するコンベンションにもう一度企画参加しなくて良かったような気もする。

 さて、それから2年。プレ大会から本大会に向け、実行委員会はどう動いたのだろうか?

 神北が会議室企画を見たのは、3日間に3つ程。一つは土曜日の『SF化する軍事 〜「MOONLIGHT MILE」はどこまで現実か〜』。高貫布士さん・横山信義さん・佐原晃さんの作家三人とイラストレーターの長谷川正治さんが「MOONLIGHT MILE」からどんどんはみ出して、現代と近未来の宇宙戦闘を語る企画。次が日曜日の『日本SFファンダム史』。柴野拓美さん・梶尾真治さん・難波弘之さんが、日本ファンダムの事始めを語る企画。もう一つが『田中芳樹の全仕事』。田中芳樹さんを迎え、秘書の安達裕章くんとの絶妙の掛け合いで、田中さんの本の表紙を通して全作品とその変転(単行本→新書化→文庫化……など)を総まくりする企画。
 さらに、日曜日には、メインホールの『第38回星雲賞授賞式』と小ホールの『空想音楽大作戦2007 / 串田アキラ ヒーローソング ライブ!』も、会場の一番端からだが見ることが出来た。なんで一番端かと云うと、ちょっと遅れていったので、前の方にある空席まで入って行くのが大変だったのと、なんだか、SF大会のステージイベントは入り込むより最後遠位置から客席なめにステージを望遠する方が落ち着くと云う、ミョーな性格の故。
 そーいえば、このワールドコンには、『“難波弘之&‘87 Sense Of Wonder”ライブコンサート』『空想音楽大作戦2007 / 串田アキラ ヒーローソング ライブ!』という2つのライブ企画があったが、どちらも若干ずつ空席を残しつつもかなり盛況で、聴きに行った者にはベストな環境だったようだ。

 日英通訳の男性と、日本語ナレーションを主に担当した女性の男女一組の司会者が行なう星雲賞授賞式の演出は、最後に日本長編を持ってきて、盛り上げようと云う演出だったらしい。これは一つの方法論で、神北個人としては、最後に向けて盛り上げるやり方よりは、日本長編から始まって自由部門へと淡々と進んで行く方が好きだが、まあ、これはこれでありかなと思う。が、各賞の発表の仕方は最悪。まず、パワーポイントかなにかを使っているらしい画面表示が酷かった。星雲賞では、SF大会参加者に対して提示する資料で事前に何作か代表的な対象作を上げるが、それを「ノミネート作品」とは呼ばない。上げられた作品以外がも選べることで厳密では「ノミネート」ではないということで、「参考候補作」と呼んでいる。ま、言い方の問題とかコダワリの問題ではあるのだが……。で、この各賞の発表時に、司会者が参考候補作を読み上げるのに対応して、舞台上の大スクリーンにその作品の名前が出るのだが、それだけ。1画面に1行、ポツリと作品名が出るだけ。画面切り替えが読み上げとずれて失笑を買ったりもする。返って一度に全作品を出した方が綺麗で楽だったのではないのか? その方が一覧性もあるし。
 また一枚ずつ見せるのであれば別に、タイトルの文字だけでなく、映像で訴えても良いのではなかろうか。昨年出た本や雑誌、公開された映画等なのだから、本屋で買ってきたりネットで探してくれば、また、出版社や映画会社に事情を話して許可を取ったりすれば、全参考候補作の表紙写真等のビジュアル素材を見つけることは可能だ。しかも、参考候補作は、星雲賞の投票用紙が参加者の元に届く時から公表されているのだから、素材収集期間は4ヶ月以上あった筈だ。
 で、その後の手順もちょっとどうかなーと云う感じ。受賞者を発表して、受賞者と授与者が登壇、賞状の文言を読んで、授与、受賞者の挨拶。この流れは鉄板だろう。だが、そこに英語翻訳が絡むから問題になる。受賞者は、さっさと日本語で受賞挨拶をし、日本語の聴ける観客からの拍手を受けて、さっさと下がってしまう。で、その後、通訳の男性が行なう挨拶の英訳は、誰もいない舞台に流れることになる。当然、舞台に誰もいないから、どんな感動的な挨拶でも拍手なんか起こらない。通訳の方が日英英日どちらも流暢にこなす方だけに、この演出は酷い仕打ちなのではないか? 受賞者が壇上で手持ち無沙汰になるのは判るが、せめて英訳が流れ終わるまで壇上に留まって、一礼して拍手で去って貰いたかった。

 こういう、ちょっとした気遣いの足りなさが、今回のNippon2007の端々まで蔓延していたように思う。
 たとえば、参加者の多くが移動の度に通る交通の要所に館内案内図やタイムテーブルを貼り出しておいて評判の良かったT-con2003などをよく見ていれば、もしくはスタッフとして入って準備しているところから経験すれば、気がつくことはかなり多かったと思う。だが、そういう過去の大会で普通になされていたことの多くが、この大会では活かされてなかった。一括して1日分を見れるタイムテーブル、一括して会場内を一望出来る会場図といったものも無かった。ポケットプログラムは確かに便利に纏まっていたが、版型の小ささが災いして、同時に行なわれる分科会企画を一望して次に見たい企画を選ぶことは出来なかった。情報はただ出せば良いのではなく、使い易くすることが重要なのだなと思う。だがそういう努力を怠ったため、Nippon2007には、事前も参加している最中も事後も、「見通しの悪いイベント」という印象がどうしても付き纏う。

 また、当日に思い立って善意から手伝ったボランティアスタッフなのかもしれないが、スタッフの人たちのスキルがあまりにも個人差が大きく、また権限が無くて対応出来ない人間しか居らず責任者に連絡が取れないという事態に遭遇したと、何人もの人から聴いた。
 どんな大会でも人手不足という問題は付き纏う。だから、当日になって、善意の人たちに集まってもらい、ボランティアスタッフとして動いてもらうことは毎年のことだ。1980年代に地方コンを回すようになって以来何度となく、この当日スタッフや、事前から手伝っていても経験の少ない若いスタッフのためにスタッフマニュアルを作ってきた。前晩に作った物も多い。しかし、指揮系統や、責任者の連絡先など、常に対応の取れなくなることを想定して対応は取ったし、基本的にやるべきことは読めば判る程度には盛り込んでいたものだ。

 そういったマニュアルがあれば避けられたろうと思う例の代表が、『日本SFファンダム史』にいた「叫ぶタイムキーパー」だ。
 最近の日本SF大会の場合、企画立案・作り込みを担当する企画スタッフと同じことも別になることもあるが、当日の「部屋付き」と呼ばれるスタッフがいる。基本的に企画主催者・出演者と大会を結ぶ、現場で大会の顔となる仕事で、企画機材の確認から出演者にサーブする飲み物の手配や時間管理を司る。機材不足や故障・消耗品切れや開始時間に出演者が来ていなければ企画室群の統括責任者を介して捜索チームに人探しの依頼したり機材担当に早急に持って来させたり、開始時間なのに観客の入りが少なければ出演者と「5分待ちましょう」とか話した上で、廊下に出て「○○先生と△△先生の対談、○○企画始まりますよ〜! ○○企画はこちらで〜す!」なんて呼び込みをすることもある。そして最大に重要なのは、コマ企画の終了時間を管理するタイムキーパーだ。
 最近の大会では基本的に企画終了時間の10分前、5分前に、タイムキーパーはまず、出演者たちに見えるように、客席の脇や後側で「後10分」「残り5分」といったタイムリミットを大きく書いた紙を掲げ、密かに合図する。基本的に企画立案・作り込み担当から企画時間を聴かされている出演者は、それを見て、そろそろ纏めに入る。10分あれば、出演者全員が一応最後のまとめを話す時間ぐらいは取れる。上手く行けば、5分前ぐらいから質疑応答に入ることも出来よう。遂に時間がなくなったら、そこで「終了時間」の紙を掲げ、議論が伯仲して終わってくれなさそうならそこで始めて声を出し、終了を告げる。これがタイムキーパーの仕事の基本中の基本。だが手慣れた部屋付きだと、事前に出演者のこの企画後の予定を掴んでおいて「この時間でこの企画が本当に終われそうかどうか」を判断し、企画室の統轄責任者を通じて、この場で企画を伸ばせるか、場所を移るとしたらどこの部屋が相応しいかを詰めて、企画主催者や司会者を通じて出演者や観客に伝えるなんて云う八面六臂の大活躍……なんて手練も居る。
 で、この神北の見たタイムキーパーだが、企画も佳境、出演者も話にノってきたという頃に、「10分前」の紙を掲げ、司会者を含む何人かの出演者が頷いたにも拘らず、「10分前ですっ!」と大声で叫んだのだ。当然これで、企画の流れが止まった。で、お話しをなんとか纏めようと出演者が頑張っていると「5分前ですっ!」と二発目が。で、司会者が途切れた会話の流れをようよう繋ごうと「じゃあと5分ですので……」と話題を戻そうとしたら、返す刀で「あ、必要なら2〜3分は延ばせますから!」とかなんとか来たもんだ。
 なんともはや……。

 もちろん、この人は善意で大会を手伝い、よかれと思ってこういう行動を取ったのであろう。彼に取って不幸だったのはたぶん、これこれこういう時はどう行動するのがベターで、その理由が那辺にあるのかということを説明するシステムが無かったことだろう。それは、ちゃんと時間を取って指導をしてくれる手練のスタッフでも良いし、纏めて行動指針を伝えてくれるマニュアルでも良いだろう。しかし、どちらにせよそうしたシステムの欠けた大会だったのだと思う、Nippon2007は。
 日本SF大会は別にリニアーに繋がった一つの団体が開催し続けている訳ではない。それぞれの実行委員会がそれぞれの地方で独自に立って、それぞれで立てた方針に沿って行われるイベントだ。だから、20年程前は、ほとんど実行委員会を立ち上げることはノウハウを一から組み上げることに等しかった。だがここの所、ネットワークの発展によるメールの偏在化や交通網の整備と交通費の廉価化が起こり、関西在住の関東の大会のスタッフなんていう人も増えてきた。何年にも渡って大会を渡り歩き、自分のスタッフ術を磨いているスタッフも居る。そのお陰もあって、20年程の昔と較べ、こうした知識の継承はかなり容易になって居り、日本大会は大きく進歩している。
 また、2000年のゼロコンの時に勘案された「当日局」というシステムは、前もって当日の命令体系から、各メイン・サブ部門の搬入から撤収に至る大きな動き、参加者レジストレーションシステムの構築(と、一定人数を集めての事前シミュレーション)や、各スタッフのシフト割り、当日ボランティアの募集まで当日に関わることを全て担当した。もちろん、当日の会場内に設置される掲示板や掲示物の位置もこの部署が考える。さらにここでは、当日用スタッフマニュアルが練られた。最後の追い込みに掛かっている企画局や、ドタバタと駆け込んで来る参加者の対応に追われる事務局とは独立した当日局という独立部署のお陰で、こうした後回しにされてしまいがちな重要作業は見落とされることなく執り行われ、それでも起こるトラブルと大騒ぎとを満載しながらもゼロコンはなんとか大会日程を回すことが出来た。
 しかし、プレ大会として開催した2005年のHAMACON2の時からそうだったようだが、「ワールドコンを行なうならワールドコンスタイル」という方針で、そういった、どう考えても日本の大会の方が進んでいるであろうシステムまで排除し、Nippon2007はワールドコンの流儀を通したようだった。

 実際、アメリカという国はコンベンション文化が定着し、スタートレック・ファンのコンベンションやバービー人形のファンのコンベンションから、チェーン店の店長を集めたコンベンションまで、遊びからビジネスまで様々なコンベンションが開かれ、国民的常識としてコンベンションという物の過ごし方が定着している。だから、大きなコンベンション・ホールのある都市のホテルにはコンベンション指定のホテルになった時の「コンベンション・フィー」という料金体系がある。これが有り難いことに、一般の旅行者として同じホテルの同じ部屋に泊まる半額ぐらいの料金体系なのだ。また、ホテルの部屋でのルームパーティーなども許される環境であり、ワールドコンでは、メインの宿泊ホテルでは、いくつものルームパーティーが開催され、それを渡り歩くのが、普遍的なコンベンション文化なのかどうかは知らないが、少なくともワールドコンの夜の楽しみ方として定着している。
 しかし、日本の環境はそうはなっていない。シティ・ホテルの多くは、バンケットに結婚式の披露宴を入れることで高額収入が得られるため、コンベンションホール至近のホテルでも、コンベンションフィーという制度自身が無いばかりか、イベントでの施設貸し切り等を嫌がる傾向が強い。
 また、今回の会場に隣接するヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルでは、過去、ルームパーティーで騒ぎすぎて近隣宿泊者から苦情が出たケースがあったとかで、「ルームパーティー」という言葉が使用出来ず、ワールドコンの伝統や世間の常識を曲げて「交流会」などと無理な言い換えをしていた。同じ言葉を連合軍と呼ばずに多国籍軍と呼ぶようなものだ。つまり、無駄以外の何ものでもない誤摩化しだ。が、なんと言っても、開けないより開ける方が良いに決まっている。言い換えでも言い抜けでも言い張りでも、何でも良いのだ。

 だが、それで問題がクリアした訳ではなかった。日本のこのクラスのホテルの部屋がアメリカの同等クラスの物と較べて広さで劣るのが要因なのか、それとも施設スペックとしてのエアコン容量が各部屋の宿泊定員を賄える程度のショボさで出来ているのが原因だったのか、それは判らない。だがそれに、窓が全く開けられないと云うインターコンチの建物としての狭量な設計が好アシストプレーを放ち……パーティーフロアーはそこだけ熱帯だった。
 そもそも、過去に騒音騒動があったからと、非常に狭い範囲に多くのパーティーを押し込めるのだから、それは無理があるのもやむを得なかろう。各階のスイートにポツリ・ポツリとパーティールームを配しなかったのには、全館貸し切りにする判断がつかなかった等の理由もあろうが、少なくとも、中途半端なことをして役に立たなかったのは真実。また、これは云うだけ無駄ではあるが、過去3回しか無いつたないワールドコンの参加経験から思うに、日本のホテルは部屋が狭いだけでなく、廊下も異様に狭い。地価が違うからそもそも建坪が少ないので、いろいろなしわ寄せが部屋や廊下の広さに及ぶのはやむを得ないが、宿泊客が行き来するのに困らない程度の最低限にホテルの用途を限定してなんとか凌いでいる状態であり、ユニバーサルなホテルの使用法として、宿泊者以外にも外から大量に客室に人が来ることなんて考えてもいないから、そもそもルームパーティーを客室で開催する(イコール、大勢がホテルの宿泊室に出入りし、廊下を歩き回る)ことに無理があるのだと思う。
 かつて、サンフランシスコの大会に参加した時の宿、パーク55のうちの夫婦の部屋は、スイートルームではないものの各階にある角部屋で確かに少しばかり広めだったが、それにしても、バスルームが広く、便器と風呂桶と洗面台を三面に配した真ん中の何も無いコンクリ三和土だけで四畳半程もあった。「うちの暮らしなら、このバスルームだけで充分だね」と女房と話したものだ。これは明らかにルームパーティーとかも意識したユニバーサルな作りなのだろう。当然パーティー用途だけではなく何か小さめのイベントの本部機能を置くことも出来るだろうし、新作スーツの見本を20着程度もって田舎から出てきたような小さなビジネスや、一年分の新デザインを持ってきた宝飾品デザイナーなどの、一度に仲買人の客が3〜4人程度がやって来るぐらいのちょっとした規模の内覧会なら、十分開けるだろう。
 そういう用途欲求を満たすために、ユニバーサルな構造に作られているホテルを舞台としたイベントを、泊まることしか機能を持たない特化した日本の施設に移植することに関し、実行委員会はどういう検討をし、どういう経緯でGOを出したのだろうか? ホテルはホテルということで思考停止をし、代替案を探さなかったとは思いたくないが、あれはちょっと狭過ぎたのではなかろうか。横浜ほどの規模の都市で、距離というメリットを勘案するにしても、インターコンチ以外のパーティー施設が一つも選択候補に上がって来なかったとは思えないが。

 また、施設面以外にも、参加者の意識としてワールドコンというものがよく判っていないということも大きかったと思う。
 かつて「実際にアメリカで開催されているワールドコンに出てみれば判るが、水曜日の前夜ウェルカムパーティーから木曜日の開会式〜月曜日の閉会式まで、全日程フルに参加する人間は却って少ない。ふつう、金曜日入りして日曜夕方か月曜朝一番の飛行機で帰るものだ」と柴野先生も仰っていたが、ほとんどの日本のSFファンは「5日間も参加出来ないから」と結構、申し込みが遅れたようだ。参加数が早めに増えていて、どう見てもインターコンチが借り切れるという目処がもっと前についていたら、パーティールームをワンフロアに押し込んで焦熱地獄に晒すことも無かったのではなかろうか。
 残念ながらそういった「日本人に参加を決意させるための情報」は実行委員会からあまり流れて来なかった。上に上げた、会場の交通の要所にタイムテーブルや会場内地図の張り出しをしなかった当日のことなどと合わせ、今年の実行委員会が、ワールドコン規約の解釈と実現や日米の文化・伝統の擦り合わせに多くを割かれるあまり、参加者や参加を検討している人々が欲しがっている情報をちゃんと渡して行くことを、少し疎かにし過ぎていたのではないだろうか。

 たしかに、ちゃんとワールドコンの雰囲気は出ていたし、面白い企画も多かった。だが、日本大会としては、不備の多い大会となってしまったことが悔やまれる。

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コメント

 インターコンチの交流会には行けなかったんですが、そんな阿鼻叫喚だったとわ。

 日本式温泉旅館だったら、もっとゆったりと外国の方にも楽しんで頂けたかなあ。

投稿: 笹本祐一 | 2007/09/10 14:35

「当日局」ですか。今はそんなシステムがあるんですね。
15年前は、まだ何にも考えられていなくて、なし崩しで当日スタッフ(最近は当日ボランティアといいますか?)への連絡を全部引き受けていました。
当時に比べると、ネットワークやSNSの発達でスタッフ同士の連絡も取りやすくなっていますね。

通訳さんへの配慮のなさは、文化でしょうかねえ。
僕はヨメさんが通訳なので、暗黒星雲賞のときに最大限に配慮したつもりでしたけど。まあ、初めてなので自信はないです。

投稿: まっち | 2007/09/10 14:52

笹本祐一 さま

 たとえば、日本大会でも、温泉旅館を借り切るとなると、ここの所1000人前後と、横浜の人の入り(2000〜3000人)との差を考えると、ずいぶん押さえた数字になります。果たしてワールドコンでどのぐらい人数が変わってしまうやら、読みの難しい所です。
 その上、キャンセル料金とかを考えると、一方的に日本旅館が良かったとも云いがたい所が、悩み所です。
 都市コンには都市コンの身軽さという捨てがたい要素もありますから……。

 ああ、どこかに、幕張メッセと、5000人級の分科会開催可能な会議棟と、10000人を収容しうるホテル群、それに、大会参加はしないけど一緒についてきたという家族を遊ばせておける施設がまとまっている場所は無いかしら……とか考えてみると、フロリダのオーランドとか、ラスベガスとかは、そういった用途に対応したコンベンションシティになっているんだよなぁ。
 日本のコンベンション行政はホールを作ってホテルは民活とか、全て中途半端だと実感します。

投稿: 神北恵太 | 2007/09/10 15:02

まっち さま

 当日局は、企画局や事務局と並び、局となるぐらいですから、実際かなり大きな組織ですが、まだまだそうそう定着したというものではありません。2000年に初めて勘案されかなり有効に働きましたが、以降でもこれが無かった大会もある筈です。
 ただ、よほど経験豊富なものが知識や知恵を総動員し、事に当たらなければならないので、あまり経験者の居ない大会で運用することは難しいかもしれません。

投稿: 神北恵太 | 2007/09/10 15:17

Hamacon2/Nippon2007に積極的に協力しよう、と思わなくなったのは、Hamacon2のオープンなスタッフ会議に出てですね。

半澤実行委員長の話に対して、実行委員の幹部からかな~りきつい言葉で訂正が入りまくっていて、非常に居心地が悪かった記憶があります。

きっとあの頃からほとんど変わらずに来てしまったのだろうなぁ、と思った次第ですよ。

投稿: 竹内一詔 | 2007/09/10 22:30

 2年前のことから読み直して、追っていったら自分の日記にぶち当たったりしてます。

 今回は、ワールドコンが『出来た』かもしれない。
 でも、ワールドコンを『やった』のではない。
 
 と言うのが、今思っていることですが。

 まあ、『出来た』かもしれないけど、『出来ている』とはお世辞にも言えないなあ。

投稿: しおさか | 2007/09/10 23:31

竹内一詔 さま

 SF大会に限らず、会議に於ける意思決定はすべからく、理論と理論のぶつかり合いであり、より正統な、より大会参加者・大会実行委員・大会自身にとって利の高い方、リスクの少ない方を選ぶべきものです。そして、どちらの主張にも同等の利点が在り拮抗が生まれ、話が堂々巡りを始めるならば、その時はどちらの方法論も同等に正しい訳で、最後の手段として多数決で物事を決めるべきです。それでも差が付かなければ、スーパーパワーとして実行委員長等による裁定を行なう。これしか有り得ません。
 もちろん、スーパーバワーとして裁定を下すやり方に公平性や理論性が無ければ、裁定を下した指導者は指導力や正当性を疑われてしまう。だから、スーパーパワーなんてものは無闇矢鱈と振り回すものではありません。
 そういう手順を踏めてなかったとすると、それは会議ではなく、単なる社長朝礼ですねぇ。

しおさか さま

 なんにせよ、「できてしまった」のだとしたら、実力か精神力か呪力か判りませんが、凄いパワーですよ。それも、実行委員長の重要な才能かも知れません。

投稿: 神北恵太 | 2007/09/11 00:37

 ひょっとすると、「できた気がしている」だけかも知れません。

 結局のところ、海外からの参加者については、わざわざ極東の島国まで来る人たちなので、それなりにワールドコンの参加経験も豊富で、「これはこれで面白い」と余裕をもって見てくれていたという感じがしています。
 彼らの「まあ、君たちは初めてにしては頑張ったよ」という言葉を、額面通りに信じている人はいないと思うんですけどね。え?いる?

投稿: うちのヒロ | 2007/09/11 06:12

うちのヒロ さま

 それは怖い視点ですね。
 しかし、「病も気から」ですからねぇ。

投稿: 神北恵太 | 2007/09/11 08:17

圧倒的にスタッフが足りてないのは感じました。
私はファンジン売り場にしかいなかったのですが、なかなか凄かったです。
個人の熱意とその当人の能力は本当に別物なんですね。

投稿: N | 2007/09/11 23:08

N さま

 私には、あれほど大きな大会の経験は無いので、適正なスタッフ数というものは体感的には判りません。
 が、ほとんどの時間出かけていて連絡の取れない責任者とか、その責任者の不在中の代理者や緊急時の権限継承方法が決められてないとか、組織のシステム設計の面でハナっから破綻していたように思います。
 当日はドタバタするものだと云う確固たる認識を持っていたら、どうドタバタしてもいい状態の組織を作っておくべきなのです。そこいらへんが、今年の大会はまだまだ甘かったと思います。
 まあ、どんな万全の態勢を整えておいても、トラブルは起こるべくして起こってしまうものなんですがねぇ……。

投稿: 神北恵太 | 2007/09/12 00:32

ちょっと失礼しますね。私は金曜朝から日曜夕方までのスケジュールで参加してきました。

>一括して1日分を見れるタイムテーブル、

 これは存在しました。
 私も土曜日朝に気がつきましたので、金曜日以前にあったかどうかは知りませんが、展示ホール前の受付の隅(一般受付の反対側)に、当日分のB4裏表のスケジュール表が置いてあり重宝しました。

 星雲賞の参考候補作は、日本語タイトルだけなのが気になりました。英訳を載せるくらいはできたかと思います。

投稿: まなせ | 2007/09/12 13:34

まなせ さま

 どうしてそのタイムテーブルを、もっと宣伝したり、根本的なことを言えば、事前にスーベニールバックに入れたりしなかったんでしょうね?
 そういえば、そのぐらいのタイムテーブルらしきものを持っている人を見ましたが、大会が配っていたのだとはついぞ知りませんでした。
 

投稿: 神北恵太 | 2007/09/12 14:22

 日本大会の委員長経験も有る人に頭はいいから手だけ貸してくれというのも、失礼な話ですね。無神経と云うか何と云うか。スタッフの動かし方なども下手だったのは、根が無神経だったからかも。
 パーティーは本当に暑かったですね。ホテル側に「病人が出かねない」と云って交渉できなかったのでしょうか? 

投稿: XAPU | 2007/09/12 20:44

>大会が配っていたのだとはついぞ知りませんでした。
 配っていたかどうかは知りません。やはり他の人がもっているのを見て、最初は自分でサイトからデータを引っ張ってきて出力したのかと思っていました。そうしたら海外参加者用のインフォメーション・テーブルらしいところにひっそり置いてあったので、1枚もらってきた次第。突発企画の「おぼろげ絵画館」もこのタイムテーブルがなければ見落とすところでした。運が良かったです……って、タイムテーブルは運で手に入れるものだったのかしら。
 時刊新聞でPRしなかったんでしょうかね。

投稿: まなせ | 2007/09/12 23:47

XAPU さま

 やはり、旅館・ホテルを動かすには、それ相応の占有率が必要です。ところが、宿泊申し込みがバンバン進むには、ちょっと宿泊料が金額的に苦しいというのが、インターコンチです。
 実行委員会も、空手形は打てませんからねぇ。難しい所です。

まなせ さま

 時間新聞は確かに便利で遡及力が高いメディアですからねぇ、もっと広報に協力してもらっても良いと思いますが、今年はあまり時間新聞と上手く協力している実行委員会ではなかったような印象がありますね。

投稿: 神北恵太 | 2007/09/13 00:40

SF大会おつかれさまでした神北さん。
今回も挨拶のみでしたけれど。

今回はなんともはや機材不備が酷すぎましたね。
私も雲魂でおなじみのクソゲーライブを今回やりましたが、自分がスタッフをしていた時とは大違い。部屋に『残り時間札を出すだけのタイムキーパーさんがいるだけ』と言う信じられない状況で。
配線どころか機材も入っておらず「配線してください」といきなり渡されたプロ機材を自力で配線するとこからと言う…。
打ち合わせに担当者はこれない、部屋付きはタイムキーパーだけ。
機材の事をタイムキーパーに聞いても「自分はタイムキーパーですから」と返ってくるだけ。
なんとか、本部に人を走らせ新品のDVDデッキを持ってきてもらいましたが企画開始まで開始時間から15分経ってました。
映像が流れてないのなにも出来ない企画とはいえ、出演者が総がかりで配線に取り組まないといけないとは…。
まあ、私のような一介のシナリオライターならまだしも、大物ゲストの看板企画でも1コマ使って配線したりとか目も当てられませんでした。

よっぽど今大会は錬度と余裕がなかったのでしょうね。
林田さんまでが機材で走り回っておられたくらいですから。
ワールドコンを熟知されてる方が機材の手伝いだなんて…。

ただ、ほんと外国からのお客さんは余裕を持っていたと皆さんおっしゃいますね。
それは救いだったと思います。
あちらの方が百戦錬磨の参加者のお陰ですが。

投稿: 葉月博規 | 2007/09/13 02:24

 賞状の印刷ありがとうございました>神北さん。
 星雲賞授賞式ですが、受賞者が通訳終了を待たずに退場するのは確かに配慮が足りませんでした。スタッフから「通訳完了を待って退場せよ」とは言われませんでしたが、受賞者だって子供じゃないんだから自分で判断すべきでした。言い訳するなら、自分の話が通訳されることに慣れてなかったです。
 作品タイトルの英訳は事前に出版社から問い合わせがありました。なのでスクリーンに英訳が出ないのは「あれ?」と思いました。文字が画面左上にかたまっていたので、(書影がないなら)センタリングぐらいすればいいのに、とか。
 ちなみに自由部門で受賞したJAXAの人は、ステージ上のメイドさんと綾波さんを見て「へー、(SF大会だと)あんなかわいい子が渡してくれるんだねえ」と言ってました。M-Vロケットに大きな拍手をもらって喜んでいたようです。

 英語サポートの不足については、「英語圏の参加者はたいして気にしてないみたいだから、まいっか」みたいな感じでしょうか。私にとってこの大会は「海外ゲストが異様に豪華な日本SF大会」でした。でもまあ、それで充分楽しめたわけで。
 英語圏の人は自分達だけでいつもどおりにやっていたし、英語のできる日本人は自力で交流できたので、「充分な通訳を用意できないから日本でワールドコンなんて無理だ」とあきらめるほどの大問題ではなかったかな、と思います。
 作家の立場からは、ワールドコン以前に、日本SFの英訳が少ないのが残念でした。海外の作家に挨拶すると、必ずといっていいほど「あなたの作品は英訳されていますか」と聞かれました。

投稿: 野尻抱介 | 2007/09/13 04:05

葉月博規 さま

 お疲れ様でした。
 昨日聞いた話ですが、翌日の大きな企画のために、部屋の空き時間を狙って機材チェックを行ない問題ないことを確かめた人が、明けて当日会場に言ってみると機材がすっかり入れ替わっていて、前日のチェックが何の役にも立たなかったなんて笑えない話もあるようです。
 昔は、マイクがあれば基本OK、たまーにある映像企画はスライド投射器とか8ミリ(16ミリ)映写機とスクリーン、面白がってOHPを使うかな……と云う程度で簡単だったんですが、今はいろんな機材が必要ですよね。映像だけでも、未だ残るビデオテープ(VHS、β、8ミリ、Hi-8……etc.)から、板モノではDVD、DVD-R(LDやVHDなんて人は流石にもう居ないかな)、そろそろブルーレイやHD-DVDも出てきそう。その他にも、ノートパソコンのハードディスクから直接とか、ハンディカムのSDカードやメモリースティックから直接映したい人も居る……となると、機材担当は大変です。
 だから、出来るだけ機材をひと部屋に固定し、その機材を必要とする企画を集めるようにする……というのが普通なのですが、今年は特に機材移動が多かったようです。しかも、機械のことは考えていてもケーブルまでは考えていなかったため、ケーブルが無かったり短いものだったりと、設置の段になって様々な問題が噴出したようです。
 ほんと、お疲れ様でした。

野尻抱介 さま

 これは未確認情報ですが、書映どころかセンタリングもされていない表示に関しては、機材オペレータが直前に打ち込んでいたからだという話を聞きました。もし本当なら、モノ凄い「ライブ感」ですね。

 翻訳・同時通訳に関しては、井上博明実行委員長からワールドコンをやりたいと聞かされたとき「2007年なんて数年先の時代には、もっと機械翻訳が進歩し、言葉の壁なんかなくなっているさ、大丈夫大丈夫」というようなことを言われました。先日、Mixiのあるコミュでボランティアスタッフだったという方が、「次にやるとしたら……」という話題で同じことを言っていて、笑ってしまいました。もっとも、一番のポイントは「また誰かがやるのなら、今度はもっと上手くボランティアスタッフを務めてみせよう」というこの人たちの前提の部分なのですが……。

投稿: 神北恵太 | 2007/09/13 09:01

 敢えてワールドコンの「多い」レイバーディ(分からない方への説明:アメリカの祝日です)に合わせるなど考えず(実際、北米以外での大会はレイバーディを無視していますし)、まずは日本人の参加しやすい日程にする事と、土日のみの減額参加を早くから提示する事によってまずは日本人参加者の嵩上げを図るのも手だったかも知れませんね。そこに海外からの参加者も加われば、けっこう早くから参加者数が伸びたかも(完全に後付けではありますが)。
 海外からの参加者は、例年のワールドコンでのんびりしているのに慣れているからか(例年の日本大会の乗りで爆走したら五日間も持ちませんし)それなりに満足していた様ですが、ある意味、日本大会の乗りで爆走するスタッフ(それも若いスタッフ)のパワーが絶対的スタッフ不足を補っていたのかな? と思ったりもします。ここから教訓を得ていれば良いのですが、逆に慢心されていたら恐いなとか思ったりもしております。

投稿: XAPU | 2007/09/13 22:17

XAPU さま

 レイバーデーにこだわる必要は無かろうというのは、僕も考えました。たとえば、コミケ後の木曜から開始するならば、コミケを見て、どこか2〜3日、他の地方に観光に出て、それからワールドコンに戻って来れるじゃないかという具合です。
 しかし、「猛暑をずらした9月のワールドコンのお陰で、いつもより身体が楽だった」という女房の話とかを聞くと、逆にもっとずっぽり9月に入り込む手もあるのかなぁという気もしました。9月に入ると一時オフシーズンになるため、飛行機代もホテル代も押さえることが出来ますしね。

投稿: 神北恵太 | 2007/09/13 22:30

 いっそオフシーズンの九月にやる、というのは卓見ですね。真夏のスキー場のホテルを使ったやねこんに匹敵するアイデアかと。
 実は舞浜にも小規模な学術会議やコンサートなどに使われている施設が有るのですが、私の記憶が確かなら、確か中央がホールで、それを取り囲む形で小部屋が並んでいました。分科会用の部屋が足りないのが欠点です。別料金コンサートも困難ですね。あと、東京デズニーリゾートの一部なので、手頃な価格のホテルは遠くに行かないと無いorz。まあ、元々コンベンションレート(フィー)というのは、ホテルの過当競争に遠因が有るそうですから、本当は存在しなくて当たり前の物だと思うべきかも知れませんが。
 そう云えば思い出した事が一点。柴野さんが6Fのパーティーフロアにおいでになり、海外からの旧友も多いのでしばらく楽しみたかった御様子だったのですが、あまりの暑さに汗をかいて体調を崩すからと奥様と娘さんに云われて自室にお戻りになってしまうという一コマが有りました。せめて2フロア使えれば、と思った次第です。

 これまでは、みなとみらいは比較的使いやすい会場だと思っていたのですが、今回はディーラーズルームと狂科学者喫茶などが本会場から離れていたので、けっこう動きづらさを感じました。しかし、これは会場の設計上の問題が大きいと考えられるし、本当に、日本はコンベンション向きの場所が少ないですね。

投稿: XAPU | 2007/09/14 02:06

XAPU さま

 ホントは、もっと複合施設として、3000人クラスのホールがあって、分科会向け会議室の多い、展示会場があれば良いんですけどね。なかなか一度に使うイベントが無いため、日本ではこういう施設を少し離して建てるため、連携が悪くなるケースが多いですね。

投稿: 神北恵太 | 2007/09/14 14:48

 「へたくそいんぐりっしゅ」は悪くなかった、という、これまでの流れとは違う話を少し。
 英語を三人ぐらいで聞けば一人ぐらいは理解できていて、その三人もいればそれなりに論理的な返答ができていました。まあ、集団戦法ですが、どうせ日本人だから答えはゆっくりだと思っている(?)相手には平気だったみたいです。特にパーティーではそうでした。
 昼間も、武田警備隊長(警備担当としては優秀と札、じゃない、折り紙がつけられますが)の英語など完全にカタカナでしたが、ちゃんと通じていました。「流暢」ではなく「通じる」を目指せば日本人の英語は悪くないという指摘も有るみたいです。「へたくそいんぐりっしゅ」も使えるというのは、今回の「成果」の一つかも知れません。無論、流暢な方もいてこその、補助戦力的な物ではありますが、少なくとも「無力」ではないと気付かせたのは良かったかと。

投稿: XAPU | 2007/09/15 05:53

XAPU さま

 発音もそうだけど言葉が、単語が咄嗟に出てこなくてねぇ……。

投稿: 神北恵太 | 2007/09/16 11:57

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