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2007/10/21

鏡の中の日本だぞ

「貴様は生きろ。俺にはもう息子がいる。多分日本のどこかで、貴様と同じように戦うつもりでいるはずだ。うまく行けば、生き残って将来の日本を支えてくれるはず……順番から言えば、俺の方が先に靖国入りしていいだろう?
 貴様も同じことだ。おやじより先に死ぬな。それが息子としての務めだ。若いもんが死に急ぐのは、お国のためにならん負け犬の考え方だ。苦労して国を支え、そして子を持ち年寄りになる。死ぬのはそれからでいい」
 吹上浜中央区分担当、第十六方面軍南部支隊第五七師団第三連隊第六歩兵小隊長 前原宗近少尉

『帝国本土決戦 [1]特攻作戦、発令!』羅門祐人(コスミック出版 コスモノベルス 895円+税)

 久々に巨弾シリーズと呼ぶべき架空戦記の新シリーズで、地図を担当させて頂いた。幾度となく仕事でも組ませて頂き、友人としても親しくして頂いている羅門祐人さんの新作である。
 架空戦記の面白さの一つは、「その世界がどこで我々の世界と違う路を歩き始めたのか」という、最初の一点がどこかということに有る。……と神北は思って いる。「ここの一点で違う分岐に入った世界は、どんな歴史を刻み、どんな様相を呈するのであろうか?」……これは架空戦記ジャンルの母体である歴史改変モ ノや疑似イベントモノといたSFジャンルの楽しみ方であり、思考ゲームの出発点になる。
 また、架空戦記に限らずだが、小説にせよドラマにせよアニメ、漫画、映画にせよ、作品が読者に受け入れられるかどうかは、「お話しの概要を一言で言い切れるか」に掛かっていると思っている。
 その面でこのお話しを見てみると、非常に簡潔な一言で言い表せるスタートを切っている。
 「軍部の主戦派が8月15日の玉音放送を阻止し、太平洋戦争が終わらなかった世界」である。

 当然、既に南洋、硫黄島、沖縄、そして種子島等の九州至近の島も敵の手に落ちた今、日本に残されているのは、この四つの島を戦場として襲い掛かって来る米軍と壮絶な本土決戦を行なう道しかない。しかし、この小説内のクーデター臨時政府は、皇室に松代の地下大本営にお移り戴き更なる継戦を決意する。それは、「アジアの開放の為に始めた戦いは、列強国家の力押しに膝を屈する事は許されず、最後の一兵が死に絶えるまで戦い続け、アジアの意思を貫くべし」という思想に貫かれたものだが、その意志を体現する為に国民生活は更なる制限をされ、国民義勇兵として多くの働き手を町会単位・職場単位に編制し、決戦に備えた。無論、それを先導する形で陸海軍は日本本土の山河を部隊として米軍上陸部隊を迎え撃つ決戦部隊として組織再編され、不足気味の兵器を確実に運用する為に特攻部隊として多くの兵士たちは死を決意する。
 これは悲惨な話であり、けしてバンバン打ってどんどん敵をやっつけて、最後には敵本拠に攻め込んで首魁に銃口を突き付けて完全勝利!……なんて結末は、何があってもやって来ない話だ。日本は、一巻目の現在で既に「えらいこと」になりかけている。
 しかし、これは架空戦記でありながらも「有り得ない話」と言い切れない話だ。事実、終戦か継戦かという最後の決断の段階で、昭和20年8月15日の玉音放送を巡り、そのの前夜に軍部が天皇陛下の声を録音した放送用レコードを狙って動いたことは事実。もちろんこの小説では、その軍部の動きの後にもっと大きな準備ができていて、一気に物事が動くと云う、小説としてのシカケが施されているため、細かく見て行けば「8月14日体制」の帰結だけが軸という訳ではないが、一言で言ってしまえば、この日を軸に、この小説の中の日本は我々の日本とは違う道を歩き出した。

 今回は、本命である関東上陸作戦の前段として、日本の戦力を二分するために米軍上陸作戦が決行された南九州の防衛戦である。小説は、おおむね、前線の兵隊の目線から語られる。もちろん、吸着地雷を持って戦車の底面に飛び込む歩兵もいれば、様々な特攻機の航空兵、特攻艇の海兵たちもいる。粛々と海軍に協力する漁船に乗り込み担当海域にひとりずつ潜り、敵を待ち受ける伏龍隊員たちも。しかし、その人たちはであまり長生きは出来ない。多くの人々が、生真面目な日本人の特質をフルに発揮して次々と敵の侵攻を食い止める盾となり、喉元に突き立てる刃となって散って行く。戦果を残せた者も、何も残せずに迎撃されてしまった者も、それどころか潜んだ位置に敵が来ずに戦闘もせずに終わってしまったものもある。無論、望んで死に行くものはない。一人一人に守るべきものが在り、決意がある。
 その人々を淡々と描いて行く。急造りの組織、不足する弾薬、急造りの特攻兵器、それらを最大限に利用するためゴリゴリと人命をすり潰すしかない苦しい作戦。そのすべてを淡々と描いて行く。なかなかに、恐ろしい話である。巻頭に掲載させて頂いた地図を描くために8月頃にゲラを拝読したが、一つ一つの戦闘や会話の中から溢れ出して来る、えも言われぬ圧力に打ちのめされた。様々なシミュレーション小説を書いて来た羅門さんにして、渾身の一作であることは間違いない。

 この小説は、別に日本が勝つ訳でもなければ、面白可笑しく読める話でもない。たしかに、「スタート地点が明確」で「描きたい話が一言で言える」小説だが、一種の願望充足小説ジャンルのである架空戦記の一作品として、この展開は、いささか不適切でもあろう。しかしシミュレーションとして見れば、もちろん有りである。これは有り得たかもしれない日本の姿、我々の歴史の鏡像の一つなのである。ここが、架空戦記とシミュレーション小説という二つの往々にして重なり合うジャンルの、決定的な差異であろう。

 無論、作家も編集も、挿絵図版を担当した我々も、そうなった方が良かったと云っている訳ではない。あくまでも、一つのシミュレーションである。
 違う映り方をした鏡像を通して、違う道を歩む日本を見ることは、自分自身を見つめ直すことでもある。歴史シミュレーションの面白さがそこにあるのであれば、この我々が今暮らす日本を最も良く映す鏡は、この昭和20年8月14日を転換軸として発生したもう一つの日本の姿なのかもしれない。

 架空戦記ではないシミュレーション小説の、ひとつの結実として極北として、一度読んでみられることを、現代日本の有り様を考えるすべての人にお奨めしたい。

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